今回、訪問団に参加したのは12名。そのほとんどが、わずか3泊4日の「見て歩き」で「キューバ大好き人間」になって帰ってきた。無論、私もその一人で、帰国してから今もそうなった要因について、「片想い」に自らブレーキをかけることも含めあれやこれや考え続けている。
結論がそんなに簡単に出るはずもないのだが、とりあえず私にとって新鮮だったのは、「社会主義建設」という言葉を思い出させてくれたことだった。「社会主義なんて終わった話でしょ」とケロッとした顔で若者が言い、若者だけでなく同年代の連中も「社会主義」なぞと口走ると「何を今頃」と怪訝な顔をするほど、「社会主義」は色褪せてしまった。それどころか、訪問団に参加したよつ葉のT君は帰国後、多くの会員さんから「そんな危険なところによく行ったね」と驚かれたという。
アメリカによる経済封鎖、支援国ソ連や東欧の崩壊という極めて困難な状況下(だったからこそ、という側面もあるのではないかと思うが…)、「小国」キューバが「社会主義」を掲げて頑張り続けている―その一端に触れて、圧倒的な負のイメージが蔓延する中で鬱屈し続けてきた思いが少し救われてホッとした、というのが正直、ある。
訪問団の主旨が「都市近郊有機農業の見学」で訪問先もそれに関連する所が多かったから、「社会主義建設」という言葉が直接出てきたわけではない。そして言うまでもなく、有機農業への取り組みや教育・医療制度など、革命後のキューバが築いてきた制度やシステムには感心させられたことも多く、最後にいくつか紹介しようと思ってはいるが、「ホッとした」一番の要因は、制度やシステムよりは「人(々)」だったような気がする。
人々が活き活きとして明るい
ガイドをつとめてくれたパブロさんによれば、「革命世代は死んでも革命を守ろうと思っている」という。その世代とおぼしき農業省の(教育?)担当翁は、若者の農業離れの質問に対し、地域で生産することの社会的意義やその教育・キャンペーンに如何に力を入れているかについて、通訳のパブロさんを無視して滔々と熱弁をふるってくれた。
革命世代だけではない。農業省の幹部から典型を作るため(多分)に協同組合農場UBPC(協同生産基礎単位)の組織者になったカルロスさん、風邪で鼻をクシュクシュさせながらも確信に満ちてホーム・ドクター制について説明してくれた美人の女医さん、「私にも喋らせてよ」とばかり話に割り込んできた若くて陽気で元気な看護婦さん、あんまりはまり役で思わずニヤリとしてしまったシッカリ者の女校長先生etc.…現場の責任を担っている人々がいずれも活き活きとして明るいのだ。その人々から肩肘張らずにという感じで新しい社会、自分たちの社会についての確信や言葉が出てくるのだから、「片想い」にならない方が不思議と言うものではなかろうか?!
そうした人々の「活き活き」「明るさ」「肩肘張らず」は、亜熱帯で「世界で最も美しい島」という風土やラテンアメリカの気質に依るところも確かにあるのかもしれない。しかし、何と言っても「キューバには存命中の革命家の個人崇拝はありません」(カストロ議長)というのが大きいのではないかと思う。
カストロは続けて言う。「像とか公式の写真、通りや研究所の名称はありません。指導者は人間であり、神ではありません」…その通りで、街では「独立の父」ホセ・マルティやかのチェ・ゲバラの壁画を所々で見かけるのみ、幹部もいたって気さくで威張った感じはしない。「社会主義国」にありがちな「重苦しさ」や「押しつけがましさ」がないのだ。例の巨大な銅像は革命を記念するためではなく人々を威圧するためのものなのだ、と改めて実感させられた。 (つ) |