☆ 閑 話 休 題 ☆

高槻の将来を暗示する鹿の食害

 私は高槻市原に4人で畑を借り、ここでささやかながら農業を営んでいます。昨年秋、ここが鹿による深刻な食害に遭いました。その3、4年前から、鹿が山から里に下りてきて食べ物を漁るところに出くわしましたが、こんな酷い被害は初めてでした。
 枝豆は全滅でした。植えたばかりの玉ねぎ苗や、芽が出たばかりの豌豆は踏みつけられ、さんざんな目に遭いました。私の前の畑は柵をしたにもかかわらず、柵を繋ぐ紐の間から首を突っ込み、キャベツやブロッコリーが皆食べられてしまい、惨憺たる有様でした。
 原因は直ぐ判りました。秋が深まり冬が近づくにつれて、山に鹿の食べ物が無くなるからです。杉を植林した後、間伐を疎かにしているため、下草が生えません。これでは、鹿は森の中で生きていくことができません。林道を車で走ると直ぐ判ります。私が借りている畑の地主は早速市役所に電話してくれ、対策を求めましたが、自然保護・動物愛護団体が鹿の狩猟に反対している、狩猟団体が鹿の屠殺に消極的だとの理由で、断られます。
 先日、原のある百姓は目の前を走っている亀岡へ通じる府道を指して、私にこう言いました。「樫田へ行って見ろ。あそこでは部落同意の上で土地の交換分合を行い、集落の真中を一直線の道路が通っている。原ではそれぞれがエゴを張り合ったため、開発地域になり、乱開発が進んでしまった」。原では田んぼの中に虫食いのように、無秩序な住宅建設が進んでいます。府道の拡幅工事と共に農村下水道工事も着工されています。それと歩調を合わせるかのように、米作りを放棄した田が増えています。彼は言いました。「こう米価が安くちゃ、米は儲からない。俺達は農機具会社のために働いているようなものだ」
 今、農業機械は1台300万円台です。年々、大型化・重量化していくので、それに合わせて農道は拡幅され、コンクリート化されていきます。田の面積は減っていくのに農機具は大型化し価格は上がっていく、一体何のための公共工事なのか、全てが逆立ちしています。農家は一軒ごとに乾燥機を買わされています。これは乾燥した米でなければ、農協が買い上げてくれないからです。乾燥作業は農協が知らせてくる数値を機械に入力し、スイッチを入れるだけですが、電気代が馬鹿になりません。それで、高齢化するにつれて田を耕す人達が少なくなり、稲を植えない田が増えています。
 だが、年寄りだけで水の管理は不可能です。芥川上流の山の上から滝のように流れ落ちる水が、原の水源です。雨が降れば、老人といえども、そこまで行って水門のハンドルを回し、水量を下げなければなりません。これは老人にとって文字通り命がけの仕事です。そんなきつい仕事をやれる人は、いつまで原にいるでしょうか。水の管理をする者がいなくなれば、稲作は終わりです。
 都市化の波に飲み込まれつつある原の農業の行く末は、お先真っ暗です。山の中で生きていくことのできない鹿が食べ物を求めて里に下りてくる、原で農業が危機に瀕している、これは別々の問題なのでしょうか。
 上流における水質の悪化は、必ず下流に被害を及ぼします。下流の唐崎は今なお水田が広がる地域ですが、ここの百姓は「原の米は美味しいが、唐崎の米は不味い」と、口癖のように言います。下流の水質が悪化し川の水が濁ってくると、それだけ米は不味くなるからです。唐崎は今でさえ水田の宅地化が徐々に進んでいますが、これで耕作放棄や宅地化が一気に進むことを、私は恐れています。
 川の上流における森林の荒廃は必ず下流に被害を広げます。原で今起こっていることが、明日の高槻全体の姿を暗示しているのではないでしょうか。 (渡邉)

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