生産者グループが地域作り・再建の中核に
--北海道グリーンピュアクラブ交流・調査報告--

本当に「大きいことは良いこと」か

 6月の後半、北海道の新篠津村と富良野市を訪れた。アソシ研の研究グループの調査活動の一環として、全国各地で地域に根ざして生産活動を協同しながら、新しい地域作りに取り組んでいる人々の、活動とその考え方を学習しようという試みだ。
 北海道の農村を初めてゆっくりと歩いてみて、その自然(もちろん人の手の入った)の豊かさに圧倒された。車窓から見る北海道の農村は美しかったし、力強かった。しかしそこで農業を営んでいる人達の話を聞くと、その自然を支える人間の営みが危ないところにまで衰えている現実を、痛切に感じざるを得なかった。過疎と離農。その対極にある札幌への一極集中は、益々ピッチを速めて進行しつつある。「そのうち札幌あたりで、人間の重みで地球がヘコムんじゃないか」と冗談まじりの嘆息が聞かれるほどなのだ。
 そんな中、市町村の広域合併が、これまた急ピッチで進められようとしている。「大きいことは良いことだ」のグローバルスタンダードが、地方自治体の財政破綻をテコとして強引に進められようとしているのだ。新篠津村も、両隣の町村との合併が平成17年度という政府の脅しを背景に、既成事実となっているらしい。
 「こんなに農業地域としてはまとまった、小じんまりとしたいい村を合併したら、ブチ壊してしまうのは目に見えている」と、新篠津村のグリーピュアクラブの1人は吐き捨てるように切り捨てた。しかし、中央政府による補助金、交付金のカットという流れの中で、住民サービスの低下をくい止めるには「合併」しかないという理屈なのだ。果たして本当にそうなのだろうか。

各地のグループの横の協同が課題

 小さいことの何が悪い、小さくとも自前の歴史をもって、つつましやかでも、貧乏でも、住民が地域を感じられるような村と町でいいのではないのか。行政のサービス低下が避けられないのなら、住民に、ありのままを伝えて、皆で共有すればいいのではないのか。こんな村であってほしいというビジョンを示して住民が納得すれば、合併なんか選択しなくてもやっていけるのではないのか。そんな気持ちを感じていたら、新聞に、福島県かどこかの村が「合併絶対しない宣言」を出したところ、全国各地から町村の視察訪問が相次いでいる、という記事が目についた。やはり同じように考えている村や町があるのだ。本当の地方自治なんて、政府の言う「三位一体」の改革なんぞで実現するはずもない。まずは、村や町が、住民が、自分達の村や町をどうしていくのかという、自分達の原点をしっかりと論議していくことから始まるのではと、強く感じた。
 農村の営農もきわどい崖っぷちに追いやられている。離農者の農地を買い取る度に、借金は膨らんでいく。農作物の価値は下がる一方で、借金の金利負担、機械、設備の負担は益々大きくなるばかりだからだ。富良野市の麓郷でも、農家戸数はここ数年で半数近くになったと聞いた。そんな中で、存続可能で自然を守る有機農業を実践する生産者グループが、地域の再建、老人福祉までを射程に入れた地域作りの中核を担うという例が、全国で進んでいる。
 北海道でも同様であった。地方自治体の議会に自分達の代表を送りこみ、JAとは火花をちらしながら、自前の流通、都会の消費者との関係づくりを大切にして元気に活動を続けている。こうした、地域に根ざして生産活動を基礎にしながら、生活のあらゆる領域の課題をともに考えていけるグループが、生産物の出荷先の色分けで分断されたり、対立したりするのではなく、どのように横に協同していけるような関係を作りあげていくのかが、今後の課題の1つではないのだろうか。 

(能勢農場・津田)

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