変えることに意味がある教育基本法「改正」
正当性疑われる中教審の論議過程

「競争」が後景化し
「国を愛する心」が改正の前面に

 中央教育審議会は3月20日、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」を答申した。基本的な構成は、昨年11月14日に出された「中間報告」と同じであるが、それを簡潔に整理しつつ、その過程で、批判を浴びそうな表現が慎重に削られている。
 たとえば、第1章の「教育の現状と課題」の項で、「学校教育がややもすれば過度の平等主義や画一主義に陥りがちになり、時代や社会の大きな変化に対応していく柔軟性に乏しかったこと」と書かれていたり、第2章でも「これまでの教育においては、専ら結果の平等を重視する傾向があり、そのことが過度に画一的な教育につながったとの指摘がある」とか「義務教育制度をできる限り弾力的なものにすべき」などと書かれていたりしたが、それらの文章が無くなっている。
 その分、全体的にインパクトに欠ける答申になっている。さらに言うと、教育基本法をいま急いで改正する切実感が薄れ、「国を愛する心」に象徴される改正の政治的意図がより浮き彫りになってきたということである。
 以前、ニュースレター4号、5号の2回にわたって「中間報告」を批判してきたが、その中で、「競争」と「国を愛する心」をキーワードとして捉えた。特に、「競争」を前面に打ち出していることを批判し、学校現場では先行して自由競争や規制緩和を是とする改革がすすめられている実態を紹介した。
 しかし、今回の答申では、前述したように、「競争」に関わる部分がほとんど削除され、大学・大学院の教育研究機能と国際競争力の問題として触れられているに過ぎない。基本法の中で、これまでの平等を大切にする教育を否定的に総括して、競争を肯定することが明文化されるかどうかは、重大な違いである。一方、「国を愛する心」のほうは、具体的な改正の方向の中で「新たに規定する理念」の一つとして位置付けられた。

答申では基本法はこう変わる

 結局、いまの教育基本法の前文および第1〜11条のどこがどのように変わるのか。
 第一に、前文および教育の基本理念(第1条:教育の目的、第2条:教育の方針)に、新たに8つの理念−@個人の自己実現と個性・能力、創造性の涵養、A感性、自然や環境とのかかわりの重視、B社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神、道徳心、自立心の涵養、C日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養、D生涯学習の理念、E時代や社会の変化への対応、F職業生活との関連の明確化、G男女共同参画社会への寄与−を前文か各条文として付け加える。
 第二に、第5条の男女共学は、広く浸透しているので規定としては削除する。
 第三に、第6条の学校教育について、「(教員は)研修と修養に励み、資質向上を図ることの必要性」を新たに規定する。
 第四に、家庭教育や学校・家庭・地域社会の連携・協力について、いまの基本法では触れられていないが、家庭教育の役割や学校・家庭・地域社会の連携の重要性を基本法に新たに規定する。
 逆に、引き継ぐものとして、@現在の前文に定める基本的な考え方と第1条、第2条の基本理念、A第3条の教育の機会均等、B第4条の義務教育の機会の保障、C第7条の社会教育の行政による奨励、振興、D第8条の政治教育の重要性と学校教育の不偏不党性、E第9条の宗教教育に対する姿勢、F第10条の教育行政は「不当な支配に屈してはならない」ということ−以上、ほとんどの理念は引き継ぐとしている。
 ということは、敢えていま急いで、教育基本法を改正する必然性は感じられない。「教育の現状と課題」で述べられているようなことは、具体的な政策の問題であり、基本法を変えたからといって解決するものではない。現場の教師と行政が協力して、実践的に解決していけばいい問題である。そのためにも、現場教師の積極性を尊重する姿勢が必要であり、財政的保障が必要なのである。

基本法を変えることに意味がある

 しかし、答申の第3章「教育振興基本計画の在り方について」では、行政側の予算や教育条件についての数値目標が書かれていない。「参考」として、数値目標が挙げられているのは、「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』」とか、「高校卒業段階で英語で日常会話ができ…TOEFL等の客観的な指標に基づく世界平均水準の英語力を目指す」等で、全て教師の肩にかかってくる可能性がある。
 こうしてみてくると、結局、いま政府が基本法改正を急ぐ意味は、「国を愛する心」をとにかく基本法に明文化したいということと、改正すること自体に意味があるということである。つまり、戦後一貫して、教育基本法改正と憲法改正は一体のものとしてあり、保守派にとっての最重要政治課題だったのである。
 「世界」の5月号に、中教審の臨時委員で、今回の改正論議にも参加した市川昭午氏のインタビューが載っている。それによると、審議会の進め方というのは、各委員がそれぞれ自分の意見を言いっ放しにして、議論を闘わせるようなことはしないとのこと。議論を闘わせて多数決をとるというようなことはしない。あとは、文科省の事務局が作った素案について、文章を手直しする作業をする。結局、会長と事務局が言いっ放しの意見の中から都合のいいものをすくい上げて答申を作りあげていくという過程である。つまり、政治的な要請に沿って答申が出されるだけであるという。
 今年2月、諮問した側の文部科学次官が、退職してすぐに中教審の委員に任命されるということがあった。文科省は、時期が迫っているので議論を推進するためだと開き直っている。市川氏によると、議論の方向付けをするために、いつも元次官が1名入っているのだそうだが、今回は2人入ったとのこと。基本法改正が、政治日程から推し進められていることを象徴する事柄である。
 政府・与党は、今国会中にも基本法改正法案を上程し、成立させる意向である。国旗国歌法が教育現場にもたらした状況を見ると、今の日本で、いったん「国を愛する心」が明文化されれば、現場に「愛国教育」が求められるのは明白である。 (K)

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