少数派支配という矛盾抱えるイラク
この号が皆さんの手元に届く頃、米国のイラク攻撃が既に始まっているはずです。それで、この号では「米国のイラク攻撃がこの国に何をもたらすのか」を考えます。
ブッシュ大統領はこの戦争の目的を「イラク国民をフセイン政権の抑圧から解放し、この国に民主主義をもたらすためだ」と正当化し、御丁寧にも「日本の占領政策を参考にして」と付け加えています。だが、これは真っ赤な嘘です。この国は調べれば調べるほど複雑で、外からの民主主義政治の導入などおよそ不可能だ、というのが私の結論です。
私は初め、フセイン政権の抑圧体制、特に彼の政敵に対する容赦のない弾圧と復讐に驚きました。この国の政治文化に何故このようなことが付きまとうのか、調べ始めましたが、調べれば調べるほど複雑で、迷路に迷い込んでいくようでした。私が到達した結論は、「この国を統治するには、程度の差はあるが、フセイン流のやり方以外にない」ということでした。本号ではその辺の問題を議論していきます。
日本人はイラクという国にはイラク民族がいると思いがちですが、この国にはどこを探してもそんな民族は存在しません。強いて言えば、アラブ人イスラム教徒スンニ派に属する人々ですが、彼らはイラク国民の中で20%という少数派に過ぎません。
何でこんな奇妙な国が存在するのでしょうか。世界地図を広げてイラクの国境線を見ると、ヨルダン・シリアとの国境には直線が引かれています。第一次大戦後の1921年、中東地域の植民地分割協議が、戦勝国英・仏などの関係諸国で行われました。その時、各国代表は現地の事情を何ら顧慮することなく、鉛筆を舐め舐め地図上に線引きしたのが、この直線の国境でした。
国民の60%がイランの宗教シーア派信者
イラクがイランと接する東側の地域はメソポタミアと呼ばれ、チグリス・ユーフラテスという二つの川が流れる、農耕文明が誕生した地域です。西アフリカで発生した人類は、この豊かな大地で初めて文明の基礎を手にすることができ、世界各地へと旅立っていった、人類にとって記念すべき土地です。
イラクは中近東の中で中心に位置する国であり、この国の首都バグダッドは昔からアジアとアラブ・イスラムとを結ぶ結節点であり、交易都市として栄えてきました。しかし、15世紀の新航路の発見でアジアとヨーロッパとが直接交易できるようになるや、この地域は歴史から忘れられます。
第一次世界大戦までイラクはトルコ領でしたが、トルコがドイツに味方したため、戦後英国の委任統治領となりました。第一次世界大戦後の1921年、関係諸国で協議の結果、現在のおかしな国境線が引かれ、この国は王政として発足します。
第二次大戦後、アラブ民族主義運動の高揚で王政が廃止され、共和制に移行します。80年、婦人参政権が認められ、普通選挙が初めて実施されました。
この国の人口9400万人、80%がアラブ人で、15%がクルド人です。イスラムにスンニ派とシーア派という二大宗派があり、アラブ人がスンニ派でペルシャ人がシーア派だと説明されていますが、イラクではこの説明が通じません。
この国の60%の人達はアラブ人でありながらシーア派に属しており、スンニ派は20%に過ぎないからです。シーア派といえば、隣国イランの人達が信仰する宗派です。しかも、イランとイラクとはメソポタミアの領有権を巡って、長年の間領土紛争を繰り返してきた仲です。それゆえ、イラクのシーア派はこの国で多数を占めながら第二級の国民とされ、様々な差別を受けています。ここに、この国が抱える国民統合の困難の一つがあります。
バグダッドの東南60`に人口6万5000のカルバラという都市があります。ここがシーア派の聖地で、巨大な伽藍が立ち並び、ここに葬られることがシーア派の信者にとって最高の名誉とされています。毎年メッカへの巡礼という一大宗教行事が行われますが、その出発地点がカルバラで、シーア派の巡礼団は一旦ここに集合し、メッカへと旅立つことになっています。隣国のイランはシーア派の国なので、彼らは言わばイランの心情的なシンパです。
イラク政府が「民主主義」を言った途端に彼らは「自治」を要求し、殆どが農民である彼らはイランとの領土併合へと進む恐れがあります。「民主主義政治」と言うは易しいですが、この国で実行となると、神の手を借りなければなりません。
体に合わない着物を無理矢理着せられたために
イラク、トルコ、イランの国境地域がクルド人の居住地です。それなら、これらの三ヵ国が協議してこの地に彼らの独立国を作ったらいいじゃないか、と思いがちですが、事情はそう簡単ではありません。
というのは、これら三ヵ国がいずれも独立を求める他の少数派も抱えているからです。イラク政府がクルド人に独立を認めれば、シーア派の信者は黙っていません。トルコ、イランも国内に同じ問題を抱えています。
こうしてイラクという国家を見て私が思うことは、この国が木組み細工で作られたようなもので、極めて壊れ易い国家だということです。国家を形成する社会的な実体が未成熟であったにもかかわらず、無理矢理外から近代国家という着物を着せられたため、政治が無理に背伸びをしなければなりませんでした。これは、冷戦体制の下で、米ソ両陣営が援助競争に走ったこととも無縁ではないでしょう。
このような国家の政権を外から武力で崩壊させれば何が起きるか、今更くどくど説明するまでもありません。それは国家そのものの解体です。中東地域全体がイラクと同じような国なので、イラクで起こったことは必ず他の国へと波及し、この地域全体を混乱の渦に巻き込んでしまいます。
冷戦が終わったのですから、各民族・宗派毎に自治組織を作り、その緩やかな連合組織として国家を作り、国連加盟を果たす道もあるはずで、知恵を絞るべきです。戦争で物事を解決しようとするなど、論外です。 (渡邉)
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