金子勝著「長期停滞」を読む

グロ−バリズムが生んだ不良債権処理の遅滞

 「日本経済が長期停滞期に入った」と主張する本が出版されました。金子勝著「長期停滞」(ちくま新書・650円)です。私も日本経済の現状はこの本の題名通りだと思います。しかし、彼はこの本の最後に「新たな対抗理念が必要だ」と書いていますが、残念ながら肝心の「対抗理念とは何か」を明示していません。
 彼は経済学の中でも金融専門なので、金融に疎い私は彼から学ぶことが多かったのですが、正直言ってこの本には期待外れです。何故なら、彼は経済現象を経済に内在する事柄だけから説明しようとしていますが、経済で起こっていることも社会現象の一つですから、社会の中で起こっている経済以外の様々な分野と関連し合って起こっています。
 そんなことを念頭に置きながら、この書評を書こうと思います。
 何と言っても、日本経済最大の難問が不良債権処理にあることは衆目の一致するところです。だが、世界各国共に問題の所在がはっきりしているにもかかわらず、何故どの国でもその処理が先送りされているのでしょうか。その根本原因は、皮肉にも経済の国境を越えたネットワーク、グローバリズムが形成された結果、世界的規模の戦争を起すことができなくなったためです。戦争が起こるたびに旧式の過剰設備が廃棄されて新式の設備に更新されたため、世界経済は新たな高揚期を迎えることができました。
 こうして、二つの世界大戦は経済にとって不良債権を処理する絶好のチャンスでした。だが、80年代に国境を越えた金融ネットワークが張り巡らされた結果、地球的規模の取引が可能になります。その結果、政治的対立が抑制され、世界的規模の戦争ができなくなりました。これに代わる不良債権処理の人為的な仕組みを作るべきですが、それをしないのは政治家・経営者の怠慢、責任回避です。

20年前と立場が逆転、デフレ加害国から被害国に

 もう一つ、この本に関する私の疑問は、不良債権発生の原因全てが国内にあるかのような議論です。今、日本に中国から入ってくる物は農産物や衣料品に止まらず、テレビ・エアコンなど家電製品からハイテク製品にまで及んでいます。これが今日のデフレの主な原因です。日本と中国の賃金格差は10〜20倍と言われていますから、これからも中国製品の日本への流入は拡大していくはずです。
 だが、これは考えてみれば、日本が20年前、欧米市場に高品質・低価格商品で殴りこみをかけたことの繰り返しではないでしょうか。こう考えれば、20年前に欧米諸国がたどった道を振り返ると、日本がこれからしなけれならないことが見えてくるはずです。私達は何も慌てたり、うろたえたりすることはありません。
 74年石油ショックが起きるや、欧州諸国で社民党政権が出現し、財政支出による失業者救済、需要の創出などに手を付けます。その結果、国家財政が破綻し、80年代に入って各国で財政再建、緊縮政策を掲げた保守政権が誕生します。彼らがやったことは、財政支出の削減、企業のリストラ、規制緩和、民営化による産業競争力の回復でした。しかし、英国では病院や刑務所までが民営化されたため、待遇の悪化に怒った囚人が刑務所を占拠し、放火して抗議します。90年、赤々と燃え上がる刑務所を背後に、屋根の上で拳を振り上げて抗議する囚人達の姿が連日テレビで映し出され、保守党政権は退陣を余儀なくされます。
 これ以降、ヨーロッパの社民党政権は欧州統合を視野に入れ、国家的規模での分配の平等、格差是正を掲げ、環境と農業とを関連させた総合的な政策に舵を切り替えます。
 金子さんの言う「対抗原理」とは、そんな難しいことではありません。ヨーロッパに先例があるのだから、日本はそれを見習えばいいのです。日本経済が中国に追い上げられ、日本人の間に被害者意識が強いのですが、目先のことに囚われないで、この国が持っている固有の価値に対する自信を取り戻して欲しい、と私は願っています。  (渡邊)

[←back]