米国こそ「反米テロ組織」への牙を抜くべき
―米上院、国家安全保障省設置法案可決―

17万のテロ対策巨大官庁が出現

 11月19日、米上院本会議で国家安全保障省設置法案が可決されました。これで、21の関係省庁に分かれていたテロ対策機関が一元化され、効率的な運用が可能になると言われています。
 本当にそうでしょうか。これが私達に示していることは、「9.11テロのような大規模テロ攻撃から国民を守るため、国家は大きな硬い鉄の傘を差し掛けるので、この中に入ってくれれば国民は安全です」というブッシュ大統領からの国民へのメッセージです。
 しかし、話は逆です。先ず米国の方から、“反米テロ組織”に向けられた牙を抜くべきです。ブッシュはビン・ラディンをまるで殺人狂であるかのように言い立てていますが、彼の言動を知る限り、冷静な判断力のある人物だ、と私は見ています。彼は何の前触れも無く無差別テロを仕掛けたのではありません。9.11テロを挑発したのはむしろブッシュの方であり、止むを得ず防戦のために彼は受けて立ったに過ぎません。サウジから米軍を引き揚げれば、彼はテロを中止するはずです。

国家防衛と国民防衛とは二律背反

 第二に、国家の巨大なテロ対策組織は、むしろ国民を、より大きなテロ攻撃に対して無防備のまま晒すことになります。
 現代社会においては自己責任が原則ですから、国家・個人の安全はそれぞれが責任を負っています。国家は国民の安全を守ってくれ、国民はそれに協力すれば、全ての国民の安全は国家によって守られる、と人々は思いがちですが、事はそう簡単ではありません。テロは国民に対する無差別攻撃であり、これまでの国家対国家の戦争とは違います。“テロ組織”からの国民に対する無差別攻撃に対しては、“テロ組織”に向けられたいわれの無い国家の牙を抜くことが、国民にとって最良の防衛手段であることは言うまでもありませんが、個々の国民は自分の責任で自分の身を守るほかありません。
 それで、国家の安全と国民の安全の問題を根本にさかのぼって考えます。 先ず、全ての国民には国家防衛に協力する義務がありますが、国家には個々の国民の安全を保障する義務がありません。防衛に関する国家の自己責任とは国民を守ることにあるのでなく、国家そのもの、言い換えると国家中枢機関を守ることにあり、そのために、国民に国家防衛義務が課せられています。こうして、安全保障に関して国家と国民との間には、元々このような非対象性、不均衡性が存在しています。
 個人にはそれぞれ自分の身の安全を守る固有の権利があり、また彼らはその能力を兼ね備えています。したがって、国家が差し掛けた傘の中に国民が入ることは、個々の人々が元々持っていた自分の身を守るという能力を、国家に渡してしまうことを意味しています。これは、国家が国民をテロ攻撃に対して丸裸にさせることにほかなりません。
 こうして、現代社会においては、国家が対テロ防衛能力を高めれば高めるほど、その国家の国民はテロ攻撃に対する防衛能力を喪失します。従って、テロ攻撃に対する国家の防衛と国民の防衛とは二律背反の関係にあり、両立させることは不可能です。 (渡邊)

[←back]