熊本、新潟市長選で無党派新人候補が当選したのに引き続き、尼崎市長選でも5党相乗りの現職を破り、無党派新人の白井文さんが当選した。「市民勝手連」の一人として選挙戦に参加した中村大蔵さん(特別養護老人ホーム「園田宛」長)にレポートをお願いした。
“生まれて初めて派”随所に出現
尼崎市長選が11月17日に行われ、当落は深夜を待たずして決した。投票率は過去最低の32.25%でありながら、新人でしかも無党派、共産党と市民派市議(市民自由クラブ、清風会の一部)と市民勝手連の押し掛けサポートの中、白井文さんが当選した。
現職市長には3期目としての「実績」と、5党の推薦、知事をはじめ近隣市長がこぞって応援に駆けつけ、決起集会の壇上には共産党と市民派以外の県・市会議員が勢揃いするといった豪華絢爛の雛壇であった。しかも、最大の組織票を誇示する公明党の冬柴幹事長の号令一下、選挙戦は幕を切って降ろされたかに思われた。
対する候補は、元フライトアテンダントで、93年の尼崎市議カラ出張出直し選挙で市議になった人としてしか話題性を呼ばなかった人である。当人への立候補打診は昨年末からあったようだが、正式表明は9月1日、場所はとあるマンションの集会室。並んだ人間も両手で数えられるくらい。この場にいたメンバーに勝利の確信を求めるなどできない雰囲気であった。
巷間ささやかれていたのは、最近の無党派市民層の潮流に乗り、投票率が「飛躍的に」アップすれば一縷の望みが生まれ、長野県から田中知事が応援に駆けつけてくれるならば曙光が差すとばかりに、運まかせ風まかせであった。選挙戦がふたを開けても、選対事務局の不協和音ばかりが耳に入り、若さと新鮮さでイメージアップを狙うも、詰めかけている人々は、候補者よりもはるかに年上の者ばかり。だが、このような見方をするこちらの方が、逆に旧態依然たる選挙戦に毒されていたのである。年齢、性別、前歴不問が勝手連の原則なのである。
選挙公示日、マイクを握った人の中に、不特定多数の前でそれも屋外、さらに選挙と、生まれて初めてのことをした人がいた。しかも、組織代表としてではなく、「どう?」と言われて「では」と出ていった人である。今回の選挙では、無党派・市民派のほかに“生まれて初めて派”の登場が随所に出現した。また、生まれて初めて投票に行った人が、白井支持者には圧倒的に多かった。内心とても心配していた選挙資金も、これら初めて派の全面参画ですべてカンパで賄い、若干の残余も生み出すことができた。
選挙戦はこちらが期待したほどには盛り上がらず、相手陣営が選挙フィーバー現象を起こさせない戦術をとって、投票率の低値安定を狙った結果、一騎打ち特有の相乗効果を期待することもできなかった。しかも、当初はたった一つの支持政党、共産党が白井の名前より自党の名前を連呼しているのではないかとすら思えるような街宣に、「白井さんは共産党でしょ」と何回も尋ねられ、その度に解説を繰り返さねばならなかった。社民党は2分され、多数派は現職につき、その余は表に出れない隠れ白井派に身を潜めるしかなかった。政策ポスター、同ビラは白井陣営のみ。告示前の知名度アップビラを2回にわたり全戸配布し、告示後の政策ビラを2度配布するも、聞こえてくるのは「2万票差で勝つ」と豪語する相手陣営からの響きである。
変革のうねりを作り出すこと
しかし、選挙終盤になっての演説会、常日頃ならば共産党と同席しない、同席してもこの回限りとお互い暗黙の了承を交わしている人たちが並んでのリレー演説は、その場に居た創価学会員にも一定の影響を与えたようだ。今回の選挙結果を嬉しい誤算と小躍りした人たちの中から、「これ、公明党の陰謀と違うか」とばかりに真顔で聞いてくるほど、私が肌で感じた学会員の動きはいつもの選挙からは大きく低下し、驚くほどの低調ぶりであった。
最低の投票率(女性33.93%、男性30.49%)であっても、市政刷新の風は吹き始め、官僚出身が多数をしめてきた市長に、民間人しかも尼崎86年の歴史初の女性市長を誕生させたのである。共産党と社民党(の一部)、そして市民派の共闘は、一昨年の周辺事態法反対、昨年からの有事立法反対への取組み運動から生まれていた。この枠組みが今後の新市長の市政運営にどう生かされるかは、これからの課題である。だが、何よりも東の尼崎から兵庫全体へ、変革のうねりを作り出すことであろう。 (中村大蔵)
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