ジョゼ・ボベ氏を迎えて
アメリカがWTO(世界貿易機関)を動かして進めている、農産物の独占支配化に反対するフランスの農民運動のリーダー、ジョゼ・ボベ氏が来日した。10月27日から11月1日までの5日間という短い期間だったが、各地で企画された講演会には、主催者の予想を上回る参加者がつめかけ、ボべ氏の運動への関心の高さを示した。10月28日、大阪で行われた講演会には約800人の参加者が集まったが、この会場での参加者の顔ぶれや集会で日本側からアピールをした人達の顔ぶれを見て、非常に考えさせられた。ボべ氏来日で明らかになったことを一言で言えば、日本における農業問題を考える時、避けては通れない現実が端的にあらわれていたということだろう。
ボべの来日を準備してきたのは、ATTAC-JPという運動団体で、新左翼の運動につながる「反グローバリズム運動」の担い手の人達だった。フランスのラルザックの反軍事基地闘争の勝利集会に、当時、千葉県の三里塚での反空港建設闘争を闘っていた三里塚の農民たちが招かれ訪欧したことが、今回のボベ招待の出発となっている。このラルザックの闘いに参加していたジョゼ・ボベは、農地を奪還した後、この地に住みついて、農民運動のリーダーとして、反グローバリズムの闘いを率い、マクドナルドの店舗を解体するという闘いで収監され、一躍、フランスにおける農民運動を世界に知らしめたのだった。
今回の訪日でも、ボベは到着したその足で三里塚を訪問し、当時の旧交を温めている。つまり、ボベ招請によって、フランスでの反グローバリズム運動を日本に紹介し、日本での運動の発展につなげたいというATTAC-JPの政治的意図が、今回のボベ来日を準備した日本側の人達の目的であったことは明らかだ。大阪集会の会場に、すでに中年の世代に入った新左翼の活動家達が数多く参加しており、釜ヶ崎の反失業闘争を闘う人達や全金の活動家が壇上から連帯のアピールを発したのも、こうした流れから見れば自然なことだった。ところが、日本における彼らの活動は、日本の農民や農業問題にかかわる人達に、ほとんど影響力を持ってはいないという現実が一方にはある。フランス農民運動のリーダーとしてのボベの話に応える日本における農民運動が、『有機農業運動』になってしまう現実をどう捉えるのか。
「食糧主権」の政治主張が基調
当然のごとくに、講演会でのジョゼ・ボベの主張も極めて政治的なものだった。遺伝子組み替え作物の普及を推進するアメリカのアグリビジネスに反対する彼の主張も、「食糧主権」という政治主張が基調となっていた。他方、日本での反遺伝子組み替え作物運動は、「食の安全」を求める都市の消費者運動が中心的主体であり、それらの消費者に安全な農作物を供給している有機農業運動が唯一の生産者側での主体であるといっても過言ではないだろう。日本の農業の担い手が自分達の農業を守る為に、グローバリズムの象徴としての遺伝子組み替え作物に反対するという構図は、現実の日本にはいまだないと言わざるを得ないのだ。この落差はどこから来るのか。そして、どうすれば埋まるのか。そのことを考えざるを得なかった。
見えてきたことは、日本という国がいかに深く、色濃くアメリカに支配されているのかという現実と、「日本の農業の発展」という視点から政治的な運動をつくり出していく必要性だと思う。その2つは、実は根っ子のところで深くむすびついた問題でもあるのだ。日本の農村から、「自分の生産物をいかに高く売るのか」という視点からだけではなく、自分達が農業を担っていくことが持続可能な国づくりをめざす運動を始めなくてはと強く感じたジョゼ・ボベの集会だった。
(津田道夫)
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