グローバリズム後の世界経済の形を表す言葉として「多様性」だと主張する本、「脱グローバリズム宣言、パクス・アメリカーナを越えて」(R・ボワイエ/P・F・スイリ編、藤原書店、2400円)が出版されています。 私はポスト・グローバリズムの特徴を表現する言葉として「多様性」が間違いではないと思いますが、これが社会の中でどのようなメカニズムを通して現れてくるのか、さらにそこへの移行に際して、飛躍あるいは断絶はないのか、そんな問題意識がこの本にありません。ただ、現象の説明のみに終わっていて私には不満です。
また、現代は「国民経済」で満足できる時代ではなく、グローバリズムという視点そのものは決して間違っていません。それゆえに、私達にとって望ましいグローバリズムとは何なのか、そこへ到達するために何が待ち構えているのか、そんな議論も欠かせません。
それで、私はこの本に胸を借りてこれらの問題について、自分の考えを述べることにします。
グローバル・スタンダードである米金融資本主義に対する世界の信頼が失われた今、私達の目の前に現れた経済の姿はそれぞれの国が拠って立つ社会の特徴を映し出しています。それぞれの国の経済は風土・気候・歴史等々の違いによって様ざまな姿をしています。
エンクロージャーが生んだ労資二大階級間の敵対的関係
先ず、資本主義の「祖国」、英国から議論を始めます。
15世紀末、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰迂回航路の発見は、島国である英国にとって望外の成功をもたらしました。というのは、当時、世界文明の最先端地域はインド、中国などアジア地域であり、ヨーロッパは文明の恩恵に浴さない暗黒の地域に過ぎませんでした。
当時ヨーロッパの人々はこの先進文明に、アラビア人を介してのみ接することができました。それがこの発見によって直接接することができるようになったのですから、これは時代の大きな転換を示す画期的な出来事でした。
しかも、英国は島国であり、元々大陸との交易があった国なので、この画期的な出来事に最も素早く対応することができました。早くも、1600年に東インド会社が創設され、植民地経営に乗り出しています。
世界で最も先進的な文明地域であったアジアと英国とが、他のヨーロッパ諸国に先駆けて直接交易できたことが、この国に巨万の富をもたらします。
都市ブルジョアジーの勃興とともに羊毛の需要が高まりますが、15世紀から17世紀にかけて牧用地確保のため、農民の農地からの締め出し(エンクロージャー)を発生させ、農地から切り離された農民は貧民となって都会に流れ込みます。
この間に農地から追放された農民は4〜7万といわれています。その後、16世紀から17世紀にかけても、再びエンクロージャーが盛んとなり、労働者階級発生の契機となりました。
こうして、英国は資本主義の三大要素である、資本、労働者階級、ブルジョア的土地所有を世界で初めて兼ね備えた国であり、この国が資本主義の祖国となったのは偶然ではありません。この国における労働者階級と資本家階級という二大階級間の激しい敵対的な関係の発生は、これらの過酷な歴史上の経験の産物にほかなりません。
しかも、この国では石炭と鉄鉱の産地が隣接しており、19世紀に起こった産業革命も起こるべくして起こった出来事でした。
英国からの移民によって作られた米国は、この英国で生まれた資本主義システムを更に純化した姿の下で実現させようとした国でした。土地は先住民であるインディオから巻き上げたものなので、土地代はただでした。
労働力もアフリカ大陸から奴隷として連れて来られた人達であり、労賃もただでした。こうして、この国は資本主義の理想郷を作ろうとして意気込んでやってきた人達によって作られました。
それゆえに、英国の敵対的な労資関係が一層純化した形で、この国に持ち込まれました。
熟練工が現場を仕切るドイツ
1492年、スペインは国土を占領していたイスラム勢力を完全に国外に追い出すことに成功し、この国にとって長年の懸案だった「国土回復(レコンキスタ)」を実現します。これは文明の恩恵に浴すことから程遠いヨーロッパ大陸を暗黒から解放した、画期的な出来事の幕開けでした。
先ず、これでそれまでアラブ人が握ってきた地中海の制海権をスペインが握ります。その結果起こったことは、世界最高の文明地域であったアジアとキリスト教徒のヨーロッパとが、これまでイスラムを介してのみ接することができたのですが、これで直接接することができるようになります。
先ずイタリアにその影響が現れます。ギリシャ・ローマの古典文明に直接接することのできた彼らから、古典文明復興運動(ルネッサンス)が起こります。
その動きは直ちにヨーロッパ大陸内に波及します。それまでヨーロッパ大陸の南北間の交流は大西洋を迂回した航路に限られていましたが、アルプス山脈を越えた南北間の陸路が切り開かれたのは、ヨーロッパがアジアと直接交易できるようになってからでした。
この出来事は、ヨーロッパ人をしてこの広大な大陸ヨーロッパを、キリスト教という共通の信仰を媒介にして一つの文明圏として捉えることを可能にした、画期的な出来事でした。ヨーロッパ、中でもドイツは広大な森林と平原が広がる地域で、そこに孤立した農村とそれらを結ぶ小都市が点在しており、それぞれ道で結ばれていましたが、当時それは政治・軍事的な目的が主で、お互いに交易が常時ありませんでした。
それが、アルプス越えの南北間の交易が始まるや、広大な平原と森林に囲まれて孤立していた都市・農村が交易という糸で結ばれます。これは分散・孤立していたそれぞれの小都市の中に変化を引き起こします。
それは鍛冶、木工、印刷などの職人が新規参入を防ぐためそれぞれ組合(ギルド)を結成し、個々の業者内では親方(熟練工)の下に数人の子方(未熟練工)が付く、という生産スタイルが定着していきます。
大量生産時代の今でも、ヨーロッパ大陸の国々では、この熟練工主導の生産体制が基本的に維持されています。
農村の米作りを焼き直した日本的生産方式
日本は恵まれた自然条件を土台に高度な土地生産性を背景にした、人口稠密な国です。朝鮮半島で互いに争ってきた諸部族が植民地を求めて日本にやってきましたが、彼らは初めのうちこそ互いに争っていたものの、その間に彼らのみならず先住民とも和解し、この国土の上に日本という国家を作ります。
これは、豊かな土地生産力があってのことでした。
渡邊京二著「われら失われし世界」は、幕末にこの国を訪れた欧米人が書き残した見聞記を紹介していますが、彼らは日本の何に驚いたのでしょうか。
江戸の庶民の家に鍵は掛かっていませんでした。先ず、治安の良さに彼らは驚いています。花見は盛んでしたが、同じ場所で武士も町民もそれぞれ車座を作り、酒を酌み交わしている光景に接して彼らは驚いています。
これは上流階級と下層階級との区分が厳格な欧米では考えられない光景でした。欧米の花見は、石垣で仕切られた広大な庭園に招待されたお客だけが着飾って馬車で駆けつけるのが慣わしで、下層階級は花見と無縁の存在でした。
日本では武士だけでなく町人も、この場で俳句や川柳を詠み、それを短冊に書き、桜の枝につるして楽しんでいたことを彼らが知ったら、さぞ驚いたことでしょう。
この当時、ヨーロッパの下層階級の人々は殆ど無学文盲でした。
これに対して、日本では都市のみならず農村でも寺子屋が普及していたので、難しい漢文は別にして、庶民でも男子に限られていましたが、読み書きができるのが普通でした。
長い製造ラインを分割して小集団に分け、相互に競わせて生産性を向上させるという日本的生産システムは世界中で有名になりましたが、このやり方は我が国の農村で行われてきたことと、何と良く似ていることでしょうか。
日本の農村集落は川に沿って形成されているために、田一枚一枚は水路で繋がっています。それで、米作りは各集落内の合意と各戸の連携なしにあり得ません。これは今も同じです。
日本的生産システムがまたたく間に全国の工場に普及したのは、農村でやっていたことの繰り返しに過ぎなかったからでした。
「スローフード」とは自然に噛り付いて生きること
英国の同じ工場で働きながら、ブルーカラーとホワイトカラーとの峻別、命令する者とされる者との区別は、日本人の想像以上に厳格です。お互いに敵対関係と割り切っており、ブルーカラーの中からホワイトカラーに胡麻を摺る者が出れば、確実に仲間外れにされ、明日から一緒に働くことができなくなります。
ドイツにおける生産システムは英国と異なり、労働者の中の熟練工主導です。ホワイトカラーはここに立ち入りません。
日本では小グループごとの集団主義で、職制も労働者も平場の議論で意思決定し動いています。
こうして、この主な資本主義国三ヵ国における労資関係の違いは、それぞれの国の風土、長い歴史の中から生まれたものです。グローバリズムという金メッキが剥げ落ちた今、それぞれの国の地肌が表れたに過ぎません。
それが「多様性」です。
だが、グローバリズムが駄目になったからと、スムーズに多様性の経済に移行できるのかというと、そううまくいく保障はありません。日本の不良債権処理を見ても、当事者の誰も責任を取ろうとせず、逃げ回っているではありませんか。
米国も巨額の不良債権を抱えており、日本にその処理の催促をするのは筋違いです。EUも長期不況から脱出できず、お先真っ暗な状態です。
こうなったら腹をくくって、最終的な富の源泉である自然に噛り付いて生きていく以外にありません。「ファーストフードからスローフードへ」と言えばカッコいいのですが、本当のことを言えば、途上国の人々と同じように私達も、これからは「自然に噛り付いて生きていけ」ということではないでしょうか。
その噛り付き方についてはそれぞれの国で違うので、ポスト・グローバリズムのキーワードである「多様性」を、私はこのように理解しています。
ポスト・グローバリズムの前提は各国内での農工循環の形成
今、世界中が金融ネットワークの網の目で繋がっていますが、アフリカ大陸と西・東南アジアに住む10億人を超える人達はここから疎外されています。これを「グローバリズムだ」と胸を張って言えるでしょうか。
私達にとって望ましいグローバリズムとは、地球上に住むあらゆる人々がアクセスできる経済ネットワークです。これを保障するものこそ、各国の歴史・風土に適合した、工業と農業とが循環する経済システムです。
12年前、サミール・アミンと話しましたが、話題が国民経済建設に及んだ時、彼は「国民経済建設の根幹はそれぞれの国の中で、工業と農業との循環を作り出すことだ」と言いました。
ソ連は工業製品を高価で農民に売りつけ、それで重工業建設資金を稼ぎ出しましたが、中国が5ヵ年計画の基本に据えた原則は「都市労働者の平均年収と農民の平均年収とを同額にするよう、政府の農産物買い入れ価格を設定する」(サミール・アミン著「マオイズムの未来」、第三書館)ということでした。
これと同じ言葉が、10年前の米輸入自由化の時に廃止された、食糧基本法第二条にありました。こうして、戦後日本の食糧政策にはマオイズムの原則が貫かれていました。
戦後、都市の労働者の間で米価が高過ぎるとの批判がありましたが、それで日本の農民は肥料、機械、農薬、資材などの工業製品を買うことができ、工業と農業との間で経済的循環が生まれ、日本経済発展の基礎が据えられました。国際共産主義運動は我々にとって全て負の遺産であり、そこから学ぶものは何もないという清算主義に、私は組しません。
私達にとって望ましいグローバリズムとは、それぞれの国が経済計画策定にあたって、国内で工業と農業とが循環可能な価格設定を行うこと、これが前提です。「外国から安い製品が入ってくるのだから」と、輸入価格優先の外国依存では、いつまでたっても後進国が先進国の食い物にされる惨めな現状を変えることはできません。 (渡邊)
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