二度目の挨拶


作者:タヌキさん


 サードインパクトは起こった。だが、人を神の座に引きあげる人類補完計画は14歳の
少年と神となった少女によって破綻した。
「どうしたいの? 」
 蒼き髪、紅き瞳をもつ女の始祖たる女神リリスの問いに、
「みんなに会いたい。一緒にいたい」
 依り代とされ、最初の人類アダムの力を宿した少年が応え、紅き海に漂っていた人々は、
群体へと戻った。
 アダムとリリス、その強大な力は時間を巻き戻し始める。サードインパクトが起こる前
へと戻るために。
「誰を望むの? 」
「アスカを」
 紅き瞳を曇らせながら、リリスはアダムの肋骨を取り、一人の女を作った。
「ありがとう」
 アダムの感謝にリリスは微笑みながらその姿を崩していった。全ての力を使い果たして。

 イブの誕生が、リリスと引き替えになったことを知ったアダムは、激しい後悔にさいな
まれた。
 己の迂闊さを呪い、全てを無に帰すとイブの首を絞める。
 だが、己の命と引き替えにしてもと望んだ存在を消すことは出来なかった。
 やがて目覚めたイブは、アダムを受け入れ、そして拒否した。
 時は戻る。

 2016年、4月。惣流・アスカ・ラングレーは、第三新東京市立第一中学校の三年生
に進級した。
「また、惣流と一緒か」
「かなわんなあ」
「やったね、アスカ、また一年一緒よ」
 クラス分けを見て、はしゃぐ級友たちにアスカは盛大なため息をつく。
「代わり映えしないわね」
 アスカの態度に早速鈴原トウジが噛みつく。
「こっちのせりふじゃ」
「うっさいわねえ、ジャージ馬鹿」
 売り言葉に買い言葉二人の争いが始まる。それをカメラに納める相田ケンスケ、あきら
めたような表情で見守る洞木ヒカリ、いつもと変わらない風景である。
 トウジを軽くあしらいながらアスカは、大きな違いを感じていた。

 サードインパクトは起こらなかった。使徒という存在は無く、綾波レイは最初から居な
かった。ネルフは対使徒防衛機構だったはずが、世界保健機構の下部組織として生体工学
を研究している。
 アスカはそのネルフの客員研究員として来日、年相応の学生生活を経験するために中学
に通っている。新しい歴史はこうなっている。
 そして、碇シンジとは二年生の夏から秋、ほんの数ヶ月だけの同級生だった。
「せっかく皆さんとお友達になれたのに、お別れすることになりました」
 シンジは10月の中頃、そう言って第二新東京市へと転校していった。
 おそらくクラスのほとんどは、碇シンジという人物がいたことをすでに記憶の彼方に押
しやっているに違いない。だが、アスカは忘れられない。
 シンジが折角平和に作りなおした舞台から降りた理由を知っている。それが自分のせい
 だと判っているから。
「キモチワルイ」
 アスカの一言がシンジを打ちのめしたことを。

「どうしたの? アスカ。ぼうっとしちゃって」
 ヒカリに声をかけられてアスカは、我に返った。いつの間にかホームルームは終わって
いた。
「なんでもない」
「そう。なんだか深刻そうな顔してたわよ」
 ヒカリが気づかってくれる。去年の夏に転校してきたアスカにうち解けてくれた大切な
友人である。
「大丈夫だって」
 アスカは努めて明るく応えた。
「でさ、またお願いがあるんだけど……」
 ヒカリが顔の前で両手を合わせる。こういうときはいつもアスカの嫌なことを頼む。
「また、義理デート? 」
 アスカは露骨に嫌な顔をして見せた。ここ二ヶ月毎週末と言っていいほどヒカリのお願
いで初対面の男と映画を見たり、食事をしたり、遊園地へ行ったりしていた。
「ごめん、本当に悪いと思うんだけど、お姉ちゃんからどうしてもって言われて」
 ヒカリの姉コダマは、第三新東京市の大学に通う女子大生である。ヒカリによく似た和
風美人でプロポ−ションも良い。ただ、お金に汚いところがあり、妹の親友アスカを餌に
デートを斡旋し、かなりの金額を手にしている。
 日独米の血の結晶がこれ以上ないという組み合わせをしたとしか思えないアスカは、
やや赤みがかってはいるが腰まで流れる金髪、夏の青空を思わせる深い碧の瞳、処女雪よ
りも白い肌、14歳とは思えない日本人離れした体型、第三新東京市の至宝と呼ばれるほ
どの美形である。交際を求める男は、整理券の発行が必要なほど多い。
 当然、コダマの言いなりに金を払ってもアスカとデートしたいという男はいくらでもい
 る。毎週末デートしても1年やそこらでは終わらない。
「今度はまともな男なんでしょうねえ。先週末の奴みたいに、前払いしてあるんだからっ
て、いきなりホテルに連れこもうとするのは嫌よ」
「今度は大丈夫だと思うわ。お姉ちゃんの知り合いの中ではピカ一だそうよ。大きな病院
の一人息子で、医学部の3年生だって。趣味はテニス、軽井沢にコート附きの別荘をもっ
ているんだって」
「わかったわ。でも、これっきりよ。研究も忙しくなるし、もう、二度と斡旋はしないで」
 親友のヒカリの家にはよく泊まりがけで遊びに行く。姉のコダマとも顔なじみである。
むげに断ることで人間関係を壊したくない。アスカは嫌々ながら引き受けた。
「ええ。お姉ちゃんに伝えるわ」
 ヒカリがほっとした表情を見せる。
「ねえ、アスカ。どうして彼氏を作らないの? 彼氏がいれば、お姉ちゃんだって義理
デートなんてさせないわよ」
「言ったでしょ、アタシはアタシより優れた男でないと付き合う気がしないの」
 アスカの宣言を聞いた同級生の男たちが肩を落とす。13歳でドイツの大学を卒業し、
学年一位をひた走るアスカより上をいく事は不可能である。
「そんな難しいこと言っていたら、永遠に彼氏なんて出来ないわよ。ちょっとは妥協しな
いと。今朝だって野球部のキャプテンから告白されていたのを断っていたじゃない」
「野球がうまいことしか自慢のない奴なんて願い下げよ」
 アスカの厳しい言葉にヒカリがため息をつく。
「なあ、惣流、日曜に義理デートするなら、土曜日、俺に付き合ってくれよ」
 相田ケンスケが後ろから声をかけた。
「お断りよ、アンタもいい加減にしつこいわよ」
 アスカが転校してきてからずっとケンスケに交際を申しこまれているアスカが、切れな
いのは、ケンスケがヒカリの彼氏トウジの親友だからである。
「そんなこといわずにさ、一回で良いから」
 あきらめの悪いケンスケがしつこく迫る。
「学校以外でアンタと会う気はないわ」
 アスカはにべもない。
「ちっ、俺はあきらめないからな」
 ケンスケが捨てぜりふを残して去っていった。
「相田くんのどこが気に入らないの? 」
「どこを気に入れって言うの? 」
 ヒカリの問いにアスカは問い返す。
「結構整った顔しているし、頭もアスカには及ばないけど学年上位よ。ああ見えて後輩に
は人気有るんだから。一度付き合ってみたら? 案外あうかもしれないわよ」
「じゃ、ヒカリが付き合えば? アタシは御免よ」
 アスカもさすがにヒカリのお節介に腹が立ってくる。つい、言い方がきつくなった。
「判ったわ」
 ヒカリもしらけたように席に戻っていった。

 そして迎えた日曜日、アスカは約束の時間に第三新東京駅前で待っていた。
 薄いピンクのブラウスの上に白のベスト、膝たけまでのチェックのスカート、ポニー
テールにした髪の毛を赤のリボンで止めたその姿は、絵から抜けだした妖精そのまま。
待ち始めて5分にもならないが、すでに3人に声をかけられている。
「待ち合わせしているので」
 もともと外面はいい。アスカはしつこくつきまとう男にもていねいな口調で応対してい
たが、腹の中ではアスカを待たせている男に激怒していた。
「アタシを待たすなんて100年早いわよ」
 他人の半分もない忍耐は、約束した時間を10分回ったところで尽きた。
 アスカの脳裏に必ず待ち合わせの15分前に来てアスカが来るのをじっと待っていた少
年の姿が浮かぶ。
 それを振り払うように、アスカはさっさと待ち合わせの場所をあとにして歩きだした。
「惣流さん」
 聞いたことのない男の声に名前を呼ばれてアスカは振り向いた。そこには、さわやかな
笑顔を浮かべたデートの相手が立っている。スカイブルーのシャツにベージュのジャケッ
ト、同色のズボンに濃紺のネクタイ、どれもブランドものなのだろう。短めにまとめた髪
もスポーツマンらしく、白い歯を見せて微笑めば、大概の女はなびくだろう。
 ちらと目を走らせたアスカは、男の息があがっていないことに気づく。
「君に合う花を選んでいたら、遅れてしまってね。これ、受け取ってくれないかな」
 男が豪勢な真紅のバラの花束を差しだす。それをアスカは冷たい目で見る。
 アスカは蹴りとばしたいのを我慢した。こういう科白を吐く奴は虫酸が走るほど嫌いな
のだ。お世辞など言えなくても真剣にアスカと向かい合ってくれた少年の面影がまたよぎ
る。
「遅れてきたのに、謝りの言葉もなしですか。走っても来なかったようですし、そういう
誠意のない方とご一緒する気はありません。失礼します」
 コダマの面子を考えて穏やかな口調でデートをことわり、アスカは背中を向けた。
「ちょ、ちょっと待って。遅れてきたことは謝る。だからそう怒らないで。もう、ディナ
ーの予約もしてあるんだ。第三新東京プリンセスのメインダイニング、アルカサールだよ」
 焦り気味の男が口にしたレストランは、世界でも指折りの所である。値段も高いが、
味も一流、休日の予約を取るのは至難のわざとまで言われている。
 アスカは確かに飢えている。食事に飢えているのではない。自分のためだけに精一杯作
られる馳走に。だが、それを作るのは三つ星シェフでも鉄人板前でもない。
 アスカは黙って携帯電話を取りだし、メモリーの二番に記憶させている番号を押す。
「あっ、ヒカリ、アタシ。うん、今日のデート終わったから、コダマさんに報告しておい
て、じゃ、明日学校で」
 ヒカリが何か向こうで言っていたが、頭に血が上りかけているアスカはそれを聞かずに
電話を切った。
 携帯電話をポシェットに戻すと男のことなど忘れ果てたように歩きだす。完全に無視さ
れた男が切れた。
「おい、ふざけるな」
 アスカの肩に手をかけて、引き留めた。
「それ相応の金を使ったんだ。このまま帰られてたまるか」
 好青年だった男の顔が醜くゆがむ。アスカはポシェットから財布を取り出すと、中に有
った一万円札を全て、男の顔にたたきつける。
「おつりは、恵んであげる。二度とアタシの前に姿を現すんじゃないわよ」
 アスカは啖呵を切ってさっさと離れる。男が呆然と見送った。

 翌日、アスカはヒカリから厳しい叱責を受けた。
「あのあと、大変だったんだからね。家まであの人が来て、お姉ちゃんに詐欺だとか、金
返せだとか、もう大騒動だったんだから」
「遅れてくるあいつが悪いんでしょ。アタシはちゃんと待ち合わせの場所に時間通りに行
ったわ」
 いくら親友とは言え、あまりに身勝手な言い分にアスカも言い返す。
「第一、アタシの都合も考えずにデートを仕組んだのは、コダマさんでしょ。それもお金
までもらって。アタシにそれに従う義務はないわ。会ってみて嫌だったから断っただけ。
日本古来の慣習のお見合いというのでもそうでしょ」
「確かにそうだけど、でも。アスカも引き受けたんなら、ちゃんとして」
 さすがに10分で振られた男のクレームと、姉からの小言が応えたのだろう、いつもな
ら退いて詫びるヒカリも折れない。
「ちゃんとしてって、どこまでしろって言うの? 」
「相手の組んできたデートコースに付き合ってやってくれればいいのよ」
「じゃ、そのコースにホテルが入っていれば、寝てやれっていうわけ? 」
「そこまで言ってないでしょ。いくらなんでも会って直ぐに振るのは常識がなさ過ぎるわ」
 売り言葉に買い言葉、ヒカリとアスカは口げんかに発展していた。
「お姉ちゃんからいくら貰っているか知らないけど、友人を売るようなまねして、常識を
言えるって言うの? 」
「わたしは一円も貰ってないわ。彼氏も居ないアスカが寂しいだろうと思って、善意でや
っているのよ」
「そういうのを大きなお世話って言うの。アタシの彼氏はアタシが見つけるわ」
「そんなこと言っていたら一生行かず後家で過ごすことになるわ」
「手近の馬鹿で間に合わすよりましよ」
 アスカの一言がとどめになった。ヒカリが真っ赤な顔をしてアスカの前から立ち去って
いった。

 ヒカリとの喧嘩から一週間になるが、二人の仲は一向に修復に向かわない。当然、トウ
ジやケンスケとも口をきかない。ケンスケは何度か近づいてこようとするが、アスカに睨
まれてすごすごと引き下がるしかない。そのきつい性格と優秀な頭脳、図抜けた美貌でク
ラスからは浮いているアスカである。ヒカリたちと断絶すると一人きりになる。
 今日も昼休み、コンビニで買ってきたパンを一人もそもそ食べながらアスカは、かつて
当然のように食べていた手作りのお弁当を思い出していた。
「どうしてるかな、アイツ」
 一度口にだすと六ヶ月耐えてきたものが音を立てて崩れていく。
 アスカはその日の放課後、ネルフへ出向いた。
 世界の遺伝子工学の最先端をいくネルフは、赤木リツコ博士を筆頭に多くの優秀な人材
を抱えている。アスカはドイツで取った生体工学のパテントをネルフに貸すことで客員研
究員の身分と一人で暮らして行くには使い切れないほどの給与を得ている。
「こんにちわ」
「やあ、めずらしいな」
 調査部に顔を出したアスカを調査部長の加持リョウジが迎えた。保安部長の葛城ミサト
と結婚しているが、夫婦別姓をいいことに、独身と見せかけて女子職員にちょっかいを出
していることをアスカは知っている。
 アスカの中にかつての記憶はあるが、憧れていた大人がその実は周囲のことさえ見るこ
とのできない大きな子供と知ったいまは、単なる顔見知りでしかない。
「加持さん、調査を頼みたいんだけど……」
「珍しいな、惣流さんが俺に用とはな」
 加持が笑う。アスカはヒカリ以外にファーストネームを呼ばせていない。
「アルバイト代は払うから、去年の十月まで第一中学校に居た碇シンジのことを知りたい
んだけど」
「惣流さんの気になる男の子という訳か」
「そうじゃないわよ。ちょっとだけ同級生だっただけなんだから」
 アスカは大きな声で加持の推測を否定する。
「わかった、わかった。一週間ほどもらえるかな」
 言葉通り、一週間目に調査報告がメールで届いた。
「そうなんだ」
 ネルフの独身寮に戻って夕食を済ませた後、ゆっくりと調査報告書を読んだアスカは、
ほほえみを浮かべた。
「あのバカ、まだ一人暮らししているんだ」
 調査報告書には碇シンジの全てが書かれていると言っていい。4歳で母を失い、14歳
で父を亡くして天涯孤独。いまのシンジは死んだ両親の残した資産を頼りに第二新東京市
で一人暮らしをしている。
 西中学校の3年2組出席番号3番、成績は中の上、英語にやや難点があるが、高校に行
くに問題はない。
 クラブ活動には参加せず、特に親しい友人もない。当然異性関係は皆無である。
「あいかわらず、冴えないわね、バカシンジ」
「それは酷いわ」
 独り言に返事が来た。感情の起伏のない独特のしゃべり方にアスカは嫌と言うほど覚え
がある。
「えっ? ファースト」
 振り返ったアスカは、視界一杯を占領する綾波レイの顔に驚いて後ずさる。
「アンタ、この世界には居ないんじゃなかったの? 」
「肉体は無いわ」
「そういえば、後ろが透けて見えるわねって、なんなのよ。ま、まさか、幽霊? 」
 アスカは震えながら背中が壁に付くまでレイと距離を開けた。
「お化け扱いしないで。わたしは、碇君の事が気になっている残留思念。碇君の名前に惹
かれて来たの」
 レイはアスカが開いたままにしているシンジの調査報告書を覗きこむ。
「碇君。一人なのね。誰も碇君の回りにいないの。寂しいのね。ならワタシと一つになり
ましょう。それはとても気持ちのいいことなの」
 陽炎のようなレイの顔が明らかに紅く染まるのをアスカは見逃さない。
「サードインパクトをもう一度やるつもり? 」
 シンジに選ばれたアスカはサードインパクトの全てを知っている。
「碇君の望んだ形でない世界はいらないもの」
「なに言ってんのよ、あんたはもう舞台から降りたんでしょうが」
「弐号機パイロット、あなたもね」
 アスカの咎めにレイが氷のような眼差しを向けた。
「うっ」
 アスカは黙るしかない。紅い海のほとりでシンジを拒絶したのは確かなのだ。
「目が覚めれば首締められていたんだから当然よ」
「碇君、本気じゃなかったわ。本気だったら咳きこんで直ぐに声なんて出せないもの」
 レイの口調は変わらずに厳しい。
 あの時シンジが本気でなかったことぐらい、軍事訓練を受けていたアスカには判ってい
た。あれはサードインパクトのよりしろとして精神を壊されたシンジのSOSだった事も
気づいている。そう、失った世界でアスカがシンジに無理難題を押しつけることで自分の
事を見て貰おうとしたのと同じに。
「し、仕方ないじゃない。あの時は、そうとしか言えなかったんだもの」
 アスカは自分の心の中にある真実に目を背け、逆の態度を取ることが孤独感から身を守
る手段だと信じていた。精神崩壊から戦略自衛隊の侵攻、量産型エヴァによる陵辱とスト
レスがかかり切った状態であんな事をされれば、素直な対応が出来るはずもない。
「今はどうなの? 」
「シンジが居なくなってせいせいしているわ」
 アスカは虚勢を張った。アスカにとってレイは全てに置いてライバルだった。その前で
本音を出すのはプライドが許さない。
「そう。ではなぜ今頃になって碇君の素行を調査したの? 」
「アイツがアタシのことをあきらめきれずにストーカーにでもなっていたら困るからよ」
「碇君が、そんなことをするほどの価値が貴方にあるとでも言うの? 」
 レイがあきれたような表情を浮かべた。
「当たり前じゃない。人類が産んだ究極の天才美少女、惣流・アスカ・ラングレー様なの
よ。全ての男がアタシのストーカーになってもおかしくないわ」
 アスカは堂々と胸を張った。半年ほどの間にカップ数の上がったバストが、存在を誇示
する。
「アタシは人類の至宝、失うことは地球の、いえ宇宙の損失なのよ」
「弐号機パイロット、その貴重な貴方の命を何度も救ったのは誰? 」
「それは……」
 レイの冷静なつっこみにアスカは絶句するしかない。
「灼熱のマグマの海へ飛び込んで貴方の手を引いたのは? 力の使徒ゼルエルにやられて
止めをさされる寸前だった貴方のために立ちあがったのは誰? 最後の最後で間に合った
のは誰? 」
 レイの指摘にアスカは何も言えない。アスカ自身判っていたことだから。
「全ての人と解け合い、傷つけ合うこともなくなった世界、争いのない世界、それを捨て
てまで貴方を望んだのは誰? 」
 肉体のない思念体であるはずのレイから圧迫感を浴びせられ、アスカは肩を抱いてうず
くまった。
「わかってる、わかってるわよ。全部シンジよ。あいつは、アタシのことだけを考えてく
れた。この世界でもアタシがアイツを拒否したときに、アタシをドイツに返すのではなく、
自分が第二新東京市に行ったのも、アタシを初めて出来た友人と引き離さないためだった
ことぐらいわかっているわ」
 アスカは、レイに遮られるのを恐れるようにわめいた。
「でも、まだ13歳だったのよ。それも4歳からずっと一人でネルフしか知らないで生き
てきた。そんなアタシにどうしろというのよ? 」
「碇君は14歳だった。貴方と葛城三佐の生活の面倒を見ながら、エヴァに乗って使徒と
戦い、友人の一人を救うことが出来ず、もう一人は自分の手で殺すしかなかった。すがり
たい父親は、息子を道具としてしか見ず、家族と言った同居人は利用するだけ、愛した少
女からは拒絶された。それでなお、碇君は貴方を気づかった」
 アスカはしゃがみ込んで耳をふさいだが、レイの声は頭の中に直接響いてくる。
「なぜ、碇君は、貴方を選んだの? どうしてわたしではいけなかったの? わたしだっ
たら碇君を抱きしめてあげられたのに」
 アスカは、頭蓋骨を振るわせるようにして聞こえるレイの叫びに身体を震わせた。そっ
と顔を上げてレイを見た。思念体のレイの瞳から紅く染まった涙がしたたっている。
 アスカはレイの想いを受け止めた。それは、サードインパクトの最中アスカがシンジに
ぶつけた感情と同じものだと気づいたから。
「アンタの全てがアタシのものにならないなら、なにもいらない」
 アスカはあの時の言葉を忘れてはいない。
「同じだったのね、アタシたち」
 アスカはゆっくりとレイの前に立ちあがった。
「悪かったわ。いつもシンジに逃げるんじゃないって言ってたのに、逃げていたのはアタ
シだったのね。アリガト、このままじゃアタシ人生無駄にするところだったわ」
 アスカの切り替えは早い。先ほどまでのおびえた姿はもう無い。
「弐号機パイロット、貴方は碇君に死んでもアンタとだけは嫌って言ってた」
「ふん、そんなもん、一回死んだからチャラよ。アタシはアイツが好き、世界中の誰より
もね」
 アスカはもう何を言われても開き直る。一度認めてしまえば、あとは楽なのだ。
「そう」
 レイの瞳が暖かい赤にかわる。
「で、どうするの? 」
「決まってるわ。傷ついたプライドは二倍にして返す、受けた恩は三倍にして返すのが、
アタシのルール。今までの借りを全部返しに行くの。三度も命を救われたんだから、一生
じゃ足りないわ。そうね、8回生まれ変わるまで、アタシはアイツの側にいる」
 レイの問いにアスカは、にやりと笑って応えた。
「か、可哀想、碇君。輪廻転生しても赤鬼に取り憑かれるのね」
「うっさいわねえ。この美少女が生まれ変わっても、生まれ変わってもずっと側にいてあ
げるのよ、シンジは泣いて感謝しなければいけないの」
 アスカはそう言うと電話をかけ始めた。
「あっ、リツコ。アスカだけど、今アタシがやっている研究、理論構築だけでいい? あ
との実地は任せるわ。うん、特許権はあげるから」
 こうと決めたアスカの実行力は並ではない。
「さて、明日は転校の手続きをしなきゃね」
「よかったわね」
 レイの思念体が一気に薄くなっていく。
「どうしたのよ? ファースト」
「思い残すことはなくなったから。もう、形を取るだけのエネルギーもないの。でも良い
の。さよなら」
 レイの顔が晴れやかに笑いかけてきた。
「アンタ馬鹿? なに一人で完結しちゃってんのよ。言ったでしょ、アタシは受けた恩は
三倍にして返すって。アンタはアタシをシンジの頼みとはいえ助けた」
「…………? 」
 なんのことか判らないのだろう、レイが抜けたような顔をした。
「思念体なんでしょ、アンタ。よりどころとなる肉体が有れば存在できるわよね」
 アスカはじれったそうに言う。
「ええ」
「だったら、アタシの中に入りなさいよ。同じ男を好きになった女同士、うまくやってい
けるに違いないでしょ」
 アスカは自分の胸を指さした。
「いいの? 」
「しつこい。アタシが良いって言ったんだからさっさとしなさい」
「ありがとう」
 レイの姿が一瞬消え、そこに紅い玉が現れた。紅い玉は滑るようにしてアスカの胸の中
へ消えていく。
(入ったわ)
 アスカの胸の辺りからレイの声が響いて来た。耳に聞こえたのではない。直接心に届い
た。
「住み心地はどう? 」
(熱いわ。弐号機パイロット、もうちょっと冷静になった方が……)
「うっさい。間借りしている身分なんだから、ちょっとは遠慮しなさいよ」
(わかったわ。でも弐号機パイロット、あなた本当に碇君のことが好きなのね。心の中に
碇君の姿が一杯)
「そうよ。悪い。アタシの方があんたよりシンジのことが好きなの」
(違う。わたしは貴方より碇君のことを大切に思っているわ)
「でも、アタシの勝ち。だって、シンジにキスしてもらえるのも、抱いてもらえるのも、
このアタシの身体なんだから」
(身体を乗っ取ってやるわ)
 からかうような口調にレイの怒りがストレートにアスカに伝わってくる。
「馬鹿、アンタだって感じられるのよ、シンジの鼓動も吐息もね」
 アスカは照れくさそうに笑った。
(……ありがとう、弐号機パイロット)
 レイが恥ずかしそうに言った。
「さて、そうと決まったら大急ぎで仕事片づけちゃわないと。シンジが他の女に取られた
ら大変」
 
 翌日、第一中学校へ登校したアスカはまず職員室で転校の手続きを取った。その足で学
校を出るとネルフへと向かい、わずか一ヶ月で研究を完成させた。いままでアスカが躓い
ていたところをレイがアシストしてくれたおかげである。
 久しぶりに登校したアスカは、朝のホームルームで転校することを伝えた。
「えっ、アスカ、転校してしまうの」
 あまりに急な話に驚いたのか、ずっと口を利いていなかったヒカリが愕然とした表情で
言った。
「ええ。第二新東京市へね」
「そんな、急に。なんで教えてくれなかったの」
「研究が忙しくて、ネルフをでれなかったからよ」
「せめて送別会ぐらいは……」
 ヒカリの申し出をアスカはきっぱりと断った。もう、第三新東京市に思い残すことはな
い。友人も惜しくはなかった。友人はまた作ればいい。でもシンジの代わりは居ない。
「なぜ、そんなに急ぐんだ? 」
 ケンスケが問いかける。心にかぶせていた鎧を外し数段美しく輝くアスカの姿を必死で
写真に納めながら。
「逃がした男を追っかけるの。じゃね」
 アスカは授業を受けることなく教室を去った。出たばかりの教室から大きなどよめきが
上がっていたが、気にもしていない。

 第三新東京市から第二新東京市までリニアで一時間である。アスカは昼休みにはシンジ
の居る第二新東京市立西中学校に着いた。

「わたしが呼びますから、そうしたら入ってきてください」
 中年の女性担任は、終礼のホームルームでアスカを紹介することにしていた。
 黙って頷いたアスカは、教室の扉が開いて閉まるのを見ていた。
(いよいよね、弐号機パイロット)
 レイもどきどきしている。胸からその切ない気持ちが伝わってくる。
「ええ。絶対に逃がさない」
 レイに向かってアスカが小声で答えたとき、担任から声が掛かる。
「行くわよ、アスカ」
 自分を奮い立たせて、教室に入ったアスカは、すぐにシンジを見つけた。窓際の後ろか
ら三番目に座っている。何事にも興味がないのか、ぼうっと窓の外を見ている。
「うわあ、外人だぜ」
「すっげえ、美人」
 アスカの容姿にクラスメートの男子たちの歓声があがる。ようやくそれでシンジがアス
カを見た。みるみるうちにシンジの目が見開かれていく。
 アスカはシンジに大きくウインクすると、大声で言った。
「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしくね」


  
  
後書き
 怪作さまからデビュー作の感想を戴いて、なにかお礼にと思いつつ、三ヶ月も経ってし
まいました。こんな作品ですが、よろしければご笑納ください。

タヌキ


タヌキさまからお話をいただきました。

EoEから平和な世界へ。
でも、実は変わらずに残っていた二人の気持ち。

アスカがその気持ちに気づいてくれて良かったです。

霊もといレイ(笑)もなにげにおじゃましてますね。

なかなか良かったですね。皆様も是非読み終えた後に感想をお願いします。

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