回復
寒月
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
ぼくは、この病院の院長をしている。若干45歳で、この大病院の院長だ。もちろん、ミサトさんも29歳であのネルフの作戦課長であっ
たし、同じく同期のリツコさんだって30歳で技術部長だったし、・・・ぼくのまわりには優秀な人間が多いのかな。
今日は、特に患者が多い。ああ、言い忘れていたけれども、ぼくは精神科医なんだ。だから、ほとんど、心の悩みを持っている患者さんが来る。さて、次の患者
さんは問診よりどうやらアルコール依存者のようだ。患者の名前は、と、・・・ええっ!まさか・・・
「葛城ミサトさん、3番の診察室にお入りください」
ぼくはとりあえず事務的に呼びかけた。
入ってきた患者は、70歳に見える老婆と、60歳ぐらいの男性だった。ぼくは面食らった。あの、凛々しいお姉さんのミサトさんはどこに行ったんだ?どう見
ても、10歳はふけて見える。けれどもやはりミサトさんだ。けれども、ぼくは動揺を押し隠して診察に入った。
「葛城ミサトさんですね」
「・・・」
「家内は耳が遠いのですよ」
夫と思しき男性が答える。えっ、もしかして加持さん?確かに、そうだ!でも、ミサトさん、ぼくのことを覚えていないの?あれだけ一緒に過ごしていたのに。
「葛城ミサトさんですね?」
「はい、・・・そうですが」
(よかった・・・)
「高校卒業の時にはアルコールを飲みましたか?」
「そう思います」
「高校入学の時はどうでしたか?その当時、飲酒していましたか?」
「いいえ、高校1年の終わりごろに親友とつるむようになるまでは、アルコール類は飲んでいません」
(誰だそれは。リツコさんか?でも、リツコさんとは大学時代に知り合ったというし。)
「高校入学のころ、気分の落ち込みはありましたか?」
「はい、授業に間に合うように時間通りに起きることがほとんどできませんでした。そうとう落ち込んでいました」
いったい、何があったんだ、ミサトさん・・・ セカンド・インパクトの余波か?
診察は30分近くかかった。ミサトさんは、まちがいなくアルコール依存症に罹っている。ぼくは彼女と同居していたときも、うすうすそうではないかと思って
いた。あれだけ飲んでおけば、おそらく体や脳のほうも大丈夫ではあるまい。肝硬変、慢性膵炎、ウェルニッケ脳症、コルサコフ症候群などに罹患していたっ
て、おかしくはない。最後にぼくは彼女に消化器内科を受診した上で、断酒会に入るよう勧めた。彼女は嫌がり、一刻も早くアルコールを飲みたがっていたよう
だが、加持さんが無理やり診察室から連れ出してくれた。ぼくに一つお礼の言葉を残して・・・
「ありがとう、先生。その会に入るよう、家内を説得します」
気分が落ち込んだ。何もする気がしなくなった。けれども、次の患者が待っている。
ええい、次の患者は・・・と。「惣流アスカ・ラングレー」
・・・変な名前だな。外国人か。日本語、話せるかな?まあ、いいや、「惣流アスカ・ラングレーさん、3番の診察室にお入りください」
入ってきた患者は、ぼくと同じくらいの年齢と思しき中年女性だった。問診の結論は、「おそらく統合失調症だと考えられます」
なんだ、日本語、話せるじゃないか。ぼくは少しほっとした。
「まあ、おかけください」
「・・・」
「惣流アスカ・ラングレーさんですね?」
「・・・」
「おい、どうなんだ?」
ぼくは助手に聞いてみる。
「はい、そうです」
ぼくは、この患者に対して、明らかなるプレコックス感を感じた。そう、この感触こそ、統合失調症の手ごたえだ。しかし、プレコックス
感のみでは診断はできない。そこで、彼女が本当に統合失調症であるのか、いろいろな質問を試みた。
「知らない人が見ていたり、あなたのうわさをしていたりするように感じますか?」
「・・・いいえ」
「声が聞こえたり、他の人には見えないものが見えたりしますか?」
「・・・いいえ」
「誰かに迷惑をかけられたり、いじめられたりしていますか?」
「近所の子どもたちだけです」
「何をされているのですか?」
「子どものすることですよ。大声を上げたりふざけたりですよ」
何も、病気ではないじゃないか。しかしぼくは、最後の言葉に何か引っかかった。
「子どもたちはどんなことを叫んでいるのですか?」
「私の悪口です」・・・ほう。
「どんなことですか?」
「それが、私を娼婦だと言うのです。売春宿を経営しているとも言うのです。夜も昼もなく叫んでいるのです」
これで、だいたい判った。彼女は精神病症状、すなわち幻聴と関係妄想を伴う本態性うつ病に罹っている。プレコックス感は、万能ではない。実際、彼女はこの
感触をびりびりと発しているが、眼球運動の良好さなどを鑑みると、それは彼女の自我の壁が厚いせいであって、統合失調症によるものではない。助手が統合失
調症だと誤ったのも無理はない。さてと、治療だが、抗うつ薬と抗精神病薬で改善するだろうが、・・・
「シンジ!」
はっ?
「シンジなんでしょ!」
「!?」
「バカシンジ、いままで何をやっていたのよ!」
彼女の目から、涙があふれ出る。ぼくは完全に困惑した。見も知らずのあかの他人が、なぜ、ぼくの名前を知っている?
「私は、碇シンジですが、なぜそれを知っておられるのですか?碇の姓は診察板に書いてありますが、なぜ、私をシンジだと?」
「だから、それがアンタのバカたる所以よ!このあたし、アスカがわからないの?」
ぼろぼろと涙を流す彼女の前で、精神科医としての仕事を忘れて、しばらくぼくは呆然としていた。アスカ?・・・知らない、そんな名前。過去、ぼくの付き
合っていた人物は、レイだ。でも、アスカ?アスカ?そういえば、以前に聞いたことがあるような気がする。アスカだよな。アンタならいいよ・・・ アンタが
全部あたしのものにならなければ、あたし、なにもいらない。全部あげる。何だ、この感触は。愛情?憎悪?ふと、目の前の女性の首をしめたくなってくる。ど
んどんその気持ちは高くなっていく。そして、ええっ!
ぼくは躊躇なく彼女の首をしめた。彼女はつま先だけで立ち、頭を後ろにのけぞらせていた。死んでしまえ・・・みんな、みんな、死んでしまえ。
・・・何だ、この歌声は?何か聞こえる。
I know, I know I've let you down
I've been a fool to myself
I thought that I could live for no one else…
ああっ!アスカ、アスカなんだよな?
そうよ、バカシンジ。
きみは、あの、アスカななんだよな。
そうよ、バカシンジ。
ぼくは、あのとき君を殺したくなった。
同時に、みんな、殺してやりたくなった。
ふふ、バカシンジらしいわ。
そうさ、ぼくはバカさ。何をやってもダメだ。
何をやっても、失敗ばかりだ。
だから、何もせず、死んだほうがいい。
でも、あのとき一筋の希望を感じていたことは確かだ。
ここで精神科医をしているのも、ぼくの欠けた心の補完を・・・
まって。それ以上言わなくてもわかっているわ。
そうだね、アスカならぼくのことを全部わかっていてもおかしくないね。
ねえ、いい加減、元の世界に戻らない?
元の世界?何、それ?
あたしがアンタの世話を、一生みる世界よ・・・
アンタがあたしの世話を、一生みる世界よ・・・
「冬月先生、患者の意識が戻りました!」
「そうらしいな・・・とにかく悪性症候群は恐ろしい」
「あのー、冬月先生」
「何かね、伊吹君」
「悪性症候群は、抗精神病薬の投与中に生じうる発作だと講義で教わりましたが?」
「そのとおりだ、諸君。これがよい例だ。よく覚えておきたまえ。悪性症候群が生じたら、打つ手はダントロレン投与などの対処療法しかない。だが、今回のよ
うに劇的に回復した例は珍しい。なぜかわかるかな?」
「・・・」
「私にもわからん。だが、世の中には奇跡も起こりうるという証明を、今日我々にあの夫婦は見せてくれたのかも知れんな。夫は統合失調症、夫人は本態性うつ
病だ。夫婦とも精神疾患を抱えておる。それがもしかしたら相互に作用して奇跡を生んだのかもしれんな・・・」
嬉しさのあまり泣き崩れる一人の女性と、悪性症候群の危機を脱した一人の男性を残し、冬月はため息を一つついてERを後にするのだった。
fin
寒月さんからいっぷう変わった投稿小説をいただきました。
後書きから読んでいる方は、ねたばれにならないように是非最初からお読みください(そんな人はいないと思いますが)
シンジが頭の医者だとはおかしいと思いましたが、アスカと一緒に患者のほうだったのですね。
しかし同時に治ったということは、やはり愛の奇跡でしょうか。LAS万歳
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