好 きだ好きだ好きだ

rinker




◆広くて素敵な 世界のどこかで





葛 城ミサトは、惣流・アスカ・ラングレーが見せたあまりの嘆きの涙に圧倒され、
——あるいは碇シンジの裏切りの一言の方にこそ余程堪えていた——こ の年若い、
本当に若すぎるくらいに年端のいかぬ恋人同士の同居解消に関しては、
ひとまず猶予を与えることにした。
つまりは、その選択も十二分にあり得ることを仄めかした上で、
事実上の黙認という形を取ったのである。
昔から詰めが甘いと親友の博士に言われることのある彼女であるが、
こういうところが彼女の人間味のあるところだった。
だがしかし、それから僅かに二週間を待たずして、
葛城ミサトは考えを改めることとなってしまった。
有り体にいえば、現場を押さえてしまったのだ。
彼女が仕事を終えて家に帰ってくると、
リビングで惣流・アスカ・ラングレーが恋人に抱きついていた。
それだけならば、まだ目を瞑るところだったのだが、
しかし、まず少女の服装がいけなかった。
彼女は上は下着同然のキャミソ−ルだけしか——文字通りそれだけだ— —着ておらず、
下は果たして尻を隠しおおせることも到底難しいと思われる極端に短いミニスカートであった。
ミサトは少女がそんな服を持っていたことをこの時初めて知った。
つまり、アスカが明確な目的を持って買い求め、その目的通りに使用していたのだ。
どうやらその効果のほどは抜群だったようで、
保護者たる葛城ミサトが帰ってきたことにも気付かない二人は、
目を覆ってしまうほどに緩み切った表情でキスに溺れ、互いの身体をまさぐりあっていた。
残念ながら二人の関係は、限りなく近い物理的距離と共に過ごす時間の豊富さによって、
ミサトの懸念する段階に刻一刻と近付いていっており、あくまでも昂奮状態にある時に
おいてではあるが、もはや彼らは互いの身体に触れることを躊躇わないらしく、
出来ることなら気付きたくはなかった光景をミサトは目撃してしまった。
シンジの片手が、アスカのキャミソールの中に潜り込んでいたのである。
その上、彼のシャツは何故だか服としての機能を失ってしまったらしく、
彼らの傍らにぼろ切れのように打ち捨てられていた。
いや、ぼろ切れのように、というより、まさしくびりびりに破り捨てられていたのだ。
何が起こったのか、嫌でも分かろうというものであり、
これから何が起こるのかも、生憎とミサトには想像がつき過ぎた。
けれど、彼女はかろうじて間に合ったのだ。
とにかく、止めなくてはならなかった。
というよりも、自分の存在に気付いてもらわなくてはならなかった。
彼女は心底後悔したものだ。
若く自制心の足りない二人の恋人を同じ家に暮らさせて、何も起こらない訳がないのだから。
彼らを止めるのは一声掛ければいい。
そして、その先が大事なのだ。
無論、彼ら二人は充分に驚いた後、控えめながら抗議をした。
さすがに後ろめたい気持ちは抑えようもなかったが、
彼らにも彼らなりの事情と理由がある。
というのが、シンジとアスカ二人が胸中に言い訳がましく抱いた思いである。
とりわけ、仕事が早く終わった為に本来ミサトが帰ってくるはずだった予定の時刻よりも
かなり早目に帰宅してきたことを、彼らは——特にアスカは、卑怯だと言った。
しかし、ミサトがいようがいまいが、していけないことに変わりはなく、
彼らにとって最悪の事態であり、ミサトにとっては遅きに失した責務である、
二人の別居と相成ったのである。





初めは、葛城ミサトは惣流・アスカ・ラングレーを家から寮へ出して
別居させるつもりであった。
元々彼女が一番後に来たのだし、そうするのが自然だとミサトは考えていたのだ。
しかし、これにはアスカが猛反発した。
もはや別居は免れ得ぬ未来であるとして認めながらも、
それであっても彼女は自分だけここを出て後に二人を残すのは駄目だと言って聞かなかった。
彼女はミサトの存在が恋人に与える影響に警戒していたのである。
勿論、その気はないとはいえミサトも少女の気持ちは分からなくもなかったので、
それならばと家を出る人間を碇シンジの方にし、残るのをアスカとした。
妙ないきさつで始まった同居生活ではあったが、こうして彼が家を出ていくと思うと、
たとえこれまでの時間が短い間だったといえども、ミサトは一抹の淋しさを感じずにはおれなかった。
だからこそ、こんなことを思いついたのである。

「僕は……、父さんと一緒に暮らしたいです」

彼女は碇シンジに父ゲンドウ——彼らが所属するネルフの司令である—& mdash;との同居を勧めたのだ。
数ヶ月前なら、あるいはシンジがアスカと想いを通じ合わせる前ならば、
それはあまりにも無謀で、また限りなく望みの薄いことだった。
ほとんど暴挙といってもいい。
しかし少なくとも、この時のシンジはミサトの勧めに対して自分の意思で同意し、
むしろ積極的にそれを望んでいた。
だが、司令室でいつもの如く白い手袋で覆われた手を組み合わせた碇ゲンドウは
部下のその要求をにべもなく突っぱねた。
ミサトは、しかしそれでも諦めなかった。
ことある毎に司令室に足を運び——さすがに他の職員の前では口に出さなかった。
感じやすいシンジの心境をおもんばかったからである——ひとまず一人での寮生活を始めていた
この無口な司令の息子との同居を、再三に渡って進言しつづけた。
その際、自分の預かる少女との関係も仄めかしさえして、頑迷な父親の翻意を計ろうとしていた。
そんなミサトの熱意にも関わらず、ゲンドウはその度に拒否し続けた。
だが、ついにはシンジが自分で司令室を訪れ、自らの言葉で父に向かって、
たった一人の息子として共に暮らすことを訴えたのだ。

「僕は父さんと一緒に暮らしたいんだ。僕は、エヴァに乗る為にここに来たんじゃない。
勿論、逃げたりはしないけど、アスカを置いて、ミサトさんや父さんや綾波や皆を置いて、
逃げたりなんかしないけど、でも、僕がここに来たのは父さんが呼んだからだ。
父さんが呼んだから来たんだ。父さんに会う為に来たんだ。
父さんと一緒に暮らす為に、ここに来たんだ。父さんと家族として一緒に生きたいんだ!」

偽ることのない純粋な息子の叫びに、この非情な男がどこまで心を動かされたものか、
彼はとうとう、一言だけ 「好きにしろ」 と言葉を漏らした。
息子の投げかける感謝の言葉は、この男の孤独な背に如何にぶつかったか。
それはきっと、虚ろに跳ね返ることなく、彼を包み込む硬い氷を少しだけ溶かしたはずだった。
碇シンジが司令室を退出した後、残って礼を述べた葛城ミサトに対して、
彼は背を向けたまま、まるで返事を返すように少しだけ手を動かしてみせた。
そして、彼女が司令室を辞そうとする際、碇ゲンドウ唯一人を残す空間から
微かに声が聞こえた気がしたのは、果たして彼女の気のせいだったか。

「息子が世話になった……」

偉大なる葛城ミサトは微笑み、司令室の外で閉じた扉に向かって敬礼した。





ところで、碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーが想いを通じ合わせる前に、
彼らは第9使徒まで倒していた。
使徒とは、これを倒さねばサードインパクトと呼ばれる災厄を引き起こすと
ネルフの中——の大方——で信じられている生命体のことで、ネルフは
その為の権限と任務を負った組織——表向きは——なのである。
そして、その後シンジが父ゲンドウから同居に関する合意を得るまでの間に
第10使徒を相手にして、これを倒した。
己の巨大な身体とATフィールドを駆使して自らを爆弾と化すこの使徒の出現は、
葛城ミサトにとって自分の大いなる賭けの結果がまさしく試される機会だった。
もしも三人いるエヴァンゲリオンパイロットの内の二人であるシンジとアスカが
作戦中に彼らの個人的な事情によって気を散じるようなことがあれば、
あるいはそれがエヴァンゲリオンとのシンクロ率の低下を招いてしまえば、
彼らはすべからく死ぬことになるのだ。
だが、パイロットたるシンジ達三人は見事にやりおおせた。
まさに奇蹟と呼んで差し支えないほどの凄まじい状況下で
彼らはそれを成功させ、帰還を果たしたのだ。
ミサトは胸を撫で下ろした。
これなら大丈夫だと、彼女は自分が間違っていなかったことを
少年達の笑顔を見つめながら自身に言い聞かせた。
そして始まったシンジとゲンドウの父子の生活は、不器用極まりないものであったが、
確かにそこにはか細いながらも復活した家族の絆が息衝いており、
これまでの十年間、肉親の愛情に飢え続けてきたシンジに希望を抱かせるに
充分なものとなりつつあった。
当初ゲンドウは、ほとんどシンジに対して口を利かなかった。
だが、それに落ち込みながらも諦めるシンジではもはやなかったので、
少年は懸命に、ことある毎に父親に対して話しかけた。
たとえ返事を貰えなくとも、自分から声を掛け続けたのだ。
変われば変わるもの。
この事実は、それまでずっと内気で臆病に過ぎた少年にとって劇的な変化である。
次第に、ゲンドウは息子に対して返事をせざるを得ない己の状況に気が付き始めた。
何気ない一言への返事。
「ああ」 とか、「うむ」 とか、唸るようにゲンドウは繰り返した。
あれはどこにある?
これはどうしたらいいの?
それはこうするよ?
息子はまるで自分に声を掛けることが至上の喜びだとでもいうように、笑みを向けてきた。
ねえ、父さん。
ほら、父さん。
あのね、父さん……。
応えなくてはならないではないか。
父を目にすれば際限なく、いっそさえずるように、嬉しげに繰り返す息子の姿を見て、
疎ましく思う心の陰で、震えるいびつな愛の存在をゲンドウは感じていた。
実をいえば、それまでのゲンドウには家と呼ぶべきものがあるにはあったが、
そこに帰るのは週に一度もあればいい方であった。
ほとんど私物置き場といっても差し支えない状態である。
しかし、その場所にシンジが現れて状況は変わった。
初めは、彼は帰ろうとは思わなかった。
息子はいつだって父の帰りを待っていたが、彼はそこに帰ることを、
帰って息子の思慕の篭もった視線を受け止めることを、この期に及んで避けようとしていた。
だが、数少ない理解者ともいえる冬月コウゾウや赤木リツコのとりなしがあったのも事実であったろう。
気が付くと、彼は激務に疲れた身体を引き摺って家に帰り、
息子から 「おかえり」 と出迎えられていた。
本当に当たり前の、世界中にありふれた光景のように。
週に一度が、二度になった。
二度が三度に、時には四度に。
その度に息子は彼を出迎え、彼は闇に包まれた谷底を照らす灯火のようなその笑顔を見て、
もはや己が孤独でないことを知った。
そうしている内に、時間が許す限り、家族の待つ家に帰る男になっていた。





そこで、第11使徒の出現である。
これは使徒出現の予定を知る者にとって想定外の出来事であった。
その上、この使徒はそれまでの使徒とは大きく形態が異なり、
エヴァンゲリオンで戦ってこれを倒すことは事実上不可能であったのだ。
皆が皆、肝を冷やした。
シンジ達パイロットは、倒すべき自分達が何も出来ないこともあり得るという事実に、
ミサトや他の職員達はネルフ本部自爆との一触即発の状況に、
そしてゲンドウは——彼は、自分が十年掛けて密やかに敷いてきたレールが
いとも簡単に崩され得る可能性に。
いや、そうではなかった。
碇ゲンドウは、十年掛けた末に計らずも取り戻した家族との生活を脅かされたことに
心底恐怖したのだ。
息子を捨ててから十年、失った妻と今一度まみえる為に心血を注いできたというのに、
彼はそれを果たす前に捨てたはずの息子との絆を得ていた。
それが惜しくなったのだ。
来るべきその時には全てを捨ててしまう心積もりでいたはずなのに、
惜しくなってしまったのだ。
今の生活を失いたくなかった。
息子とのぎこちないながらも安らかな生活を手放したくはなくなってしまった。
彼は選択を迫られた。
妻との永劫の一瞬を取り、自分を含めた全てを、息子を捨てるか。
それとも、息子とのこの先の未来を取り、妻に別れを告げるか。
ゲンドウとは別のところで、事態の決着のあり方を求めていた葛城ミサト
——求めたのは真相ではなく、アスカとシンジの為に、
そして彼らに影響されて見つめることが出来た素直な自分の為に——が、
かつての恋人の協力で得た情報を手に司令室を訪れた時。
それが決断の時だった。
使徒が目指すアダムは、そしてネルフ本部の地下に隠されたリリスさえも、
全ての始まりと終わりを消し去ってしまう為に、破棄されることとなった。
彼は生きることにしたのである。
家族と共に。





使徒の存在理由の消滅は、そのまま使徒そのものの消滅へと計らずも繋がった。
これは碇ゲンドウにも、闇の奥から全ての糸を引くゼーレ——秘密裏にサードインパクトを
画策する、ネルフの上位組織である——にとっても、まったく予想だにしないことであった。
正確には、碇ゲンドウと冬月コウゾウだけはその可能性もあり得ると考えてはいたのだが、
それでも本当にそうなると確信を抱く根拠もなかったし、そこまで楽観的にもなれなかったので、
拍子抜けした彼らは初めてその報告を受けた時、呆けた顔を部下に晒すこととなった。
更には、葛城ミサトなどはあまりの呆気ない幕切れに長年張り詰めていた弦が切れたのか、
高熱を出して倒れ、三日間寝込んでしまったほどである。
いや、正しくは幕切れではなかった。
過去からの予定に記載された全ての使徒が自壊してしまったことで、
完全に計画が狂ってしまったゼーレは、建造途中であったエヴァンゲリオン量産機を
三機だけ仕上げることに辛うじて成功し、裏切りへの制裁を加える為、
それらを第三新東京市へと差し向けたのだ。
待ち構える三人のエヴァンゲリオンパイロットは、
しかし磐石の余裕を持ってこれを迎え撃ち、勝利を収めた。
今度こそ、最後であった。
人類補完計画という大いなる目的を失い、果ては牙をももがれたゼーレに対し、
それまで押さえつけられてきた国際連合はこの好機を見逃しはしなかった。
使徒殲滅に功績あるネルフを攻撃したことが、皮肉にもゼーレを絶対的な負の存在として位置付け、
これを糾弾することを可能としたのである。
長らく世界を影から操ってきたゼーレはついに闇の中に消えることとなった。





ところで、使徒が自壊したのにも関わらず、元はといえば使徒と根を同じくするエヴァンゲリオンが
何故そうはならなかったのかといえば、それは両者の僅かではあるが絶対的な違いが
原因ではないかというのが、この方面に関しての権威である碇ゲンドウと冬月コウゾウ、
そして赤木リツコの見解であった。
一言で表せば、本能の有無である。
使徒には、原初のアダムとの合一を果たして己を無に帰すという本能が存在するが、
対して使徒をベースにして建造されたエヴァンゲリオンには、その本能が存在しない。
魂の実存に関して一家言ある冬月コウゾウのたまわく、
エヴァンゲリオンはアダムとの掛け替えのない魂の連なりが断ち切られてしまった存在なのだ。
そして、人間もまたそうなのではないか、と。
さて、ここで、彼らの間に一つの問題が持ち上がった。
リリスの分身ともいうべき綾波レイと、第17使徒である渚カヲルの存在である。
綾波レイは、最後の量産機との決戦でエヴァンゲリオンパイロットの一人として実に雄々しく奮戦した。
つまり、彼女は消滅しなかったのだ。
彼女が使徒と人との混成体であることは、この三人が誰よりよく知る事実である。
それが何故無事に済んだのか。
赤木リツコは一つの結論として、綾波レイの基礎となる使徒の部分が、
アダムとの合一を目指さないリリスであったからではないかという見解を示した。
無論、アダム同様にリリスも破壊したのだが、
その魂を受け継いでいた——と思われていたが、ただし、それが全てなのか
はたまた一部なのかはゲンドウ達にも判ずることは出来なかった——
補体たる綾波レイが主体に切り替わったのではないか。
もしくは、リリスが消滅しても、彼女の人の部分が何らかの理由で増大し、
優位を保ったことによって、全体としての死を免れたのではないか。
推論の域を出なかったが、彼らはその結論で満足することにした。
綾波レイは生きているのだ。
それで充分だった。
では、第17使徒たる渚カヲルは果たしてどうであったか。
彼もまた、最後の戦いの時を過ぎてなお生き残った。
肉体的には、彼は綾波レイと同じく使徒と人双方からなる混成体である。
ただし、彼の存在はネルフの領域外であったので正確な事実は知れなかった為、
そう考えられた、というのが実際のところだったが、
真相もさほどその推測から外れてはいないはずだった。
だから、綾波レイに適用した解答がかなりの部分を説明しているはずであったが、
しかし彼には綾波レイと決定的に異なる特徴があった。
渚カヲルは、本能を有していたのだ。
すなわち、アダムと合一して無に還る衝動である。
だからこそ、彼は綾波レイよりも数段使徒の側に近く、
ほとんど使徒そのものといってもよかったはずなのだ。
しかし戦いが終わった後、ゼーレ本拠の地下深い研究室で
一人孤独に眠りについていた彼を発見した人間は、
その凍りついた口元がゆっくりと微笑みを象るのを目の当たりにすることとなった。
眠りから目覚めた渚カヲルはもはや使徒ではなかった。
まるで理由は定かではないが、彼もまた綾波レイ同様、人として生き延びたのだった。
何故に彼の中の人の部分が優勢を得ることになったのか。
綾波レイの時よりも更にそれはゲンドウらを悩ませたが、
これまた冬月コウゾウの、
無に還る本能に対して、生きたいという純粋にして強烈な、人として、生命としての衝動が
打ち勝った結果ではないのか、これは一つの奇蹟ではないのだろうか、
という言葉によって、事態を納得し受け入れるに至った。
実のところ、この碇ゲンドウの腹心にして老練なる冬月コウゾウは、
年輪を積み重ねたその顔に何とも壮絶な笑みを浮かべて、こう言ったものだ。

「結局のところ、裏死海文書の発見に端を発し、
セカンドインパクトという殺戮とその後の遠大な陰謀劇を経て
結果として後に残ったものは、一人の少年だったという訳だ。
分かるだろうか?
あの途方もない殺戮と地獄と悪の栄えを経て、
その対価として、世界はたったの一つだけ、新たな生命を得たのだ。
たった一つの、ちっぽけな生命が誕生することが、
どれほどの偉大なことなのか、
一人の人間がこの世に産まれるという、
それだけのことが果たしてどれほどのものなのか、
この星の上に生きる今この瞬間が、どれほどの奇蹟なのか。
本当に、なあ、本当にだよ、分かるだろうか?」

なお、発見された渚カヲルは、その後ドイツネルフに所属していた、中年で、
セカンドインパクトの折に妻子を亡くしていたとある技術者に養子として引き取られ、
彼の実家があるドイツ北西部に位置するブレーメンへと移り住んだ。
渚カヲルは遠く離れた日本に無二の親友がいるということを地元の友人達にことある毎に話し、
その言葉通りに彼の元へは毎年異国の地からカードが贈られてきて、
また時には見慣れない客人が訪れるのを見た人もあったという。
かつて使徒として生を享け、そして人として生まれ直した少年は
文化の香り漂うこの街で音楽と当地のシャクナゲ公園をこよなく愛して、
教師として充実した生涯を終え、また更にはブレーメンへ移り住んで一年後に、
件の公園でロッテ・フェルステンベルクちゃん当時14歳と出会い恋に落ちて、
その生涯を共にするという、そんなことはまったくの余談であるが、
いずれにしても、この大きな大きな世界の中の、星の数ほどある小さな小さな人の愛の物語である。





さて、惣流・アスカ・ラングレーは、概ねのところ満足していた。
灼熱の恋人との同居という夢のような環境からは切り離されてはしまったが、
かえってそのことが彼女と恋人である碇シンジを落ち着かせ、
想いを通じ合わせて僅かな間で急速に燃え上がり接近した彼らの関係だが、
別居を始めてしばらくするとごく普通の少女と少年に戻ることが出来た。
現在の彼らは極めて健全な、この年頃として適正な——何をもって適正というのか
価値判断の根拠に議論の余地は残るのだが——関係を結んでいた。
実際、惣流・アスカ・ラングレーは彼と恋人同士になってからのあの怒涛のような二週間を
想い出すと、一体自分は何ということをしていたのかと眩暈がしてくるのであった。
今となっては彼に自分の身体を触らせるなんていうことは、恥ずかし過ぎて
到底出来そうになく、精々キス止まりの関係を続けており、今はそれで充分だと思っていた。
葛城ミサトとの二人暮らしは彼女自身の当初の危惧にも関わらず良好で、
直接の上司であり、数少ない友人でもあるこの年上の同性に対して、
彼女は非常な親しみを感じ始めていた。
今や葛城ミサトは惣流・アスカ・ラングレーの良き友人であり、理解者であり、
アドバイザ——時折かなりとんちんかんなことをアスカに吹き込もうとするが—& mdash;である。
ところで葛城ミサトの元恋人加持リョウジであるが、
アスカは彼のことは相変わらず好きではあったが、
それが恋ではないことにすでに気が付いていた。
正確には、シンジから好きだと言われた時にはもう加持リョウジのことは
頭から吹き飛んでいたのだが、葛城ミサトとの暮らしを続けていれば
自然と彼のことが脳裏に浮かび、そしてそれにも関わらず胸にさざなみも起こらない
自分のことをアスカはごく当然のように受け入れていた。
むしろ葛城ミサトと彼との関係が上手くいけばいいと、友人として願いさえしていた。
家族としては二人は姉と妹のように過ごしていた。
しかし本当の家族のことが気に掛からない訳ではなく、アスカはそのことに関してだけは
相変わらず頑迷ともいえる態度を見せ続けた。
だが、自分自身父親との確執を残したまま永遠に別れを告げてしまった葛城ミサトのとりなしもあり、
次第にアスカは両親と連絡を取るようになり、以前よりも屈託なく話が出来るようになっていった。
彼らがお互いを本当に理解し合える日はまだ先のことではあったが、
いつかはきっと分かり合えると彼女は希望を抱くようになったようだった。
何はともあれ、戦い終わって日常を取り戻し、
そんな平穏で愛おしいある日の昼下がりのこと、
何故だか惣流・アスカ・ラングレーはイブニングドレスの完成を待ち焦がれ、
碇シンジは年上の友人に囲まれて秘密の特訓に明け暮れていたのであった。



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あ とがき

怪作様、読者の皆様、こんにちは。

思えば遠くに来たものです。
と、黄昏てみましたが、次回でやっとエピローグです。
ここまでお読み下さった方には感謝致します。
何と次回のエピローグは、エピローグであるにも関わらずエピローグらしからぬ
困ったエピローグですが、ようするに分かりやすく申せば、これまでで一番長いのです。
ですけど、それでも終わりまでお読み頂ければ、幸いです。
もう一息ですので、よろしければどうぞ。

それでは、失礼致します。

リンカ


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