本物は誰? 第八話

作者:でらさん














そこは、何の変哲もない普通のアパート。
白い壁の二階建て。所帯数は十。
壁には汚れが目立ち、あちこちに傷も多い。建造年数が知れるというもの。お世辞にも、綺麗な住処
とは言えない。


「逃げてないわよね、あいつ」


ヒカリは一言呟くと、建物の横に在る、古びて錆の浮かぶ階段を軽やかに上がっていく。
今日は、体調もいい。アスカに貰った薬も、しっかり飲んできた。これからショウヘイの部屋で何が行
われるのか・・
ヒカリは、充分認識している。いや、期待に満ちていると言える。
ショウヘイに対する憤りは、早くも消えている。今は、そんな事より彼が欲しい。彼に抱いてもらいたい。


ピンポーン


二階の一番奥に位置するショウヘイの部屋の前に立ったヒカリは、インターホンを押して暫く待つ。
多少荒くなった息を整えようとするが、巧くいかない。息を荒げたままの自分をショウヘイが見たら、
何と思うだろうか・・


(息せき切って駆けつけたなんて思われるのも、シャクよね)


そうだ。自分は怒っているのだ。
こんな簡単に赦し、あまつさえ喜んで体を差し出すような事までしたら、ショウヘイは、つけ上がるに
違いない。
ヒカリは、興奮に火照る体を静め、再び気持ちを入れ替えようと、深く息を吸い込んで吐いた。


「玄関前で、何してんの?早く、入りなよ」


「え?」


ヒカリが心と体を落ち着かせている間に、ショウヘイは玄関のドアを開けていたようだ。
恥ずかしいところを見られたヒカリは、一瞬パニックに陥りそうになりながらも、かろうじて自我を保つ。
ただ、顔に血が上るのは避けられなかったが。


「顔が赤いよ。熱でもあるの?」


「ね、熱じゃないわ。
入るわよ」


「ど、どうぞ」


赤い顔を、鞄を持つ手とは逆の手で押さえるヒカリは、ショウヘイの前を通り過ぎて玄関に入った。
その際、通り過ぎるヒカリの何とも言えない甘い残り香と髪の匂いが、ショウヘイの下半身に刺激を
加える。
ふと、ヒカリの後を目で追えば、靴を脱ごうと身をかがめたヒカリのヒップが、自分を誘うように揺れて
いた。近頃、めっきり短めになったスカートの裾から延びる太腿も艶めかしい。
ショウヘイは、我慢ならずにヒカリの背後を襲う。


「だ、駄目、こんなところで」


ヒカリの形ばかりの抗議は実際の行動とはならず、二人はその場で、滾る性欲を爆発させた。







「まいったな。
玄関で、いきなりとはね」


ヒカリが部屋に入ったところを確認して後を追ったシンジだが、ドアのすぐ傍で始まった行為に、緊張
した気分が一気に萎んでしまった。流石に声は押さえているようだが、ヒカリの押さえきれない苦しげ
な声が、僅かに玄関の外へ漏れている。


(こんなところにいるのは、明らかに不自然だ。通報でもされたら拙い。出直すか・・
しかし)


街の様子からして、ネルフに何らかの動きがあるのは事実だ。完璧に近い変装が可能とはいえ、
ネルフ関係者の周りをうろつく不審人物に対する警戒が今以上にきつくなったら、調査が非常に困難
になる。
自分の能力を考えれば、不審人物として捕らえられることはあり得ない。いざともなれば、次元移動
で元の世界に帰ればいいのだから。次元移動のブロックなど、ここの技術レベルでは不可能。
ただ、後先考えずに逃げた場合、目標を完全に見失うことになる。もう一人の自分の気配を感じ取れ
なければ、次元探査も不可能だ。


(奴が気配を消した原因を掴むまでは、この世界にいないと。あれは、特殊能力じゃない。何となく、
そんな感じがする。
それに、ショウヘイってやつも気になる。親戚なんて出てきたのは、初めてだ)


この世界は、今までの世界とは、どこかが違う。巧く言葉には言い表せないけども、自分にとっては、
嫌な感じ。今の状況は、歯車が巧く噛み合わず、ギクシャクする機械みたいなものとも言えるか。今まで、
ろくな挫折も経験しなかったシンジとすれば、結構なプレッシャーでもある。


(どうする・・
また、この世界のシンジを装うか。
ん?・・・)


ドアの前で逡巡するシンジは、ふと、何かを感じて周りに注意を向ける。
すると・・・


(ちっ、囲まれてる。油断したか)


シンジは、自分を包囲するようにして監視する複数の人間の存在に気付いた。数は、十人以上。
皆、サラリーマンや散歩中の老人のように見えるが、中身は、ネルフ保安部の人間。いつから監視
されていたのか、全く分からない。完全な自分のミスだ。
原因は、やはり、先日のショッピングモールでの一件だろう。あれしか考えられない。
その上、自分はネルフに近いヒカリと接触した。ヒカリは関係者ではないが、アスカの友人という事で
ネルフに近い。それを軽く見た自分が軽率だった。


(と、なれば・・)


ここは、とりあえず逃げるしかない。
逃げると言っても次元移動ではなく、通常の手段で。まだ、そこまで追いつめられたわけではない。


「行くか」


シンジは、体中に気力を漲らせ、肉体を最高の状態へと持っていく。筋肉が盛り上がり、髪の毛すら、
頭皮の緊張で僅かに逆立つ。
これも、彼が身に付けた特殊能力の一つ。あまり長くは保たないが、人間のレベルを超えた力を爆発
させる事が出来るのだ。肉体は、まさに鋼の強度を持ち、力は強化コンクリートすら素手で破壊する。
相手が訓練された屈強な十人の男達でも、難なく退けるだろう。

そしてそれは、現実となった。
マークしていた少年をロストしたとネルフ本部に報告が入ったのは、一人目の監視員が沈黙して、
きっかり四分後の事であったのだ。








ネルフ本部・・


昨晩から本部に詰めていたアスカとシンジは、それぞれパイロット用の仮眠室で就寝。家に帰る事
は許されなかった。
アスカは、ミサトにシンジとの同室を求めたのだが、それは、流石に却下されている。
ミサトとしても、お愉しみを中断されて体が燻るアスカの気持ちは女として分からないでもないが、
他の職員への手前、そうそう、甘い顔はしていられない。
故に、昼を過ぎても帰宅の許可が出ないアスカの機嫌は、最悪に近い。


「いつまで本部にいなくちゃならないのよ。
何かの作戦なの?説明くらい、してくれてもいいでしょ?」


脚を適度に広げて両手を腰に当て、胸を張るアスカは、執務室の椅子に足を組んで座るミサトに、厳
しい顔で抗議。
いつまで経っても音沙汰すらない事態に痺れを切らした彼女は、直接の上司であるミサトへ文句を言
いに来たのだ。
ちなみにシンジは、ダラダラしていても仕方ないと言って、トレーニングルームで体を虐めている。


「もう少し、我慢して。
不審人物の尻尾は掴んだわ」


「尻尾って・・
報告書にあった、シンジそっくりのヤツ?」


「そ。
どうやら、特殊なメイクの技術を持ってるようね。短時間で、全くの別人に変装したと今日の報告に
あったわ」


「・・・事態に進展があったようね」


アスカは顔から緊張を解き、部屋の中に目をやって適当な椅子を見つけると、それをミサトの前に
掴み寄せて座った。
あいも変わらないアスカの切り替えの速さに、ミサトは感心する。
優秀だが激情型で、感情をコントロールできない厄介な少女・・
というのが、数年前、ネルフドイツ支部で初めてアスカと会った時のミサトの感想だった。
しかしその認識は、アスカを知るに従って替えざるを得なかった。彼女の感情表現は、大部分が計算
されたものであり、大人の反応を見越した上で、惣流 アスカ ラングレーという少女を演じていたので
ある。
護衛として付けられた加持に一時期惹かれたのは、事実かもしれない。間近で見ていたミサトも、その
時のアスカは、加持に好意を寄せていたと思う。
ところが、その期間は僅かな物に過ぎず、アスカは、玩具に飽きた幼児のように、加持への興味を失っ
ていった。
勿論、表向きは加持に甘え、彼を追っかけ廻しているようには見えたが。
そのようなアスカが、シンジの前では、何の考えもなく、感情をさらけ出している。少なくとも、ミサトには、
そう見える。
思えば、二人が空母の甲板で初めて会ったあの時、何かが変わる予感はしていた。運命の出会いと
いう言葉が、これほど似合う二人はいない。二人が愛憎を超えて結ばれたのは、当然の帰結と言える
だろう。


「アタシに説明できない機密なの?」


黙り込んでしまったミサトに対し、アスカが切り出す。
・・と、アスカの声に反応して、ミサトも我に返ったようだ。


「ああ、ご免なさい。ちょっと考え事が多くて。
今から説明するわ」


「しっかりしてよね。
そんなこっちゃ、子供産む前に老け込んじゃうわよ」


「へいへい」


学生時代に付き合っていた加持との関係は、現在、完全に元の鞘に収まっている。互いの仕事の関係で
入籍もまだだが、結婚の話は、まとまっている状態。アスカの台詞は、その辺を意識したもの。


「今から約二時間前、学校帰りの洞木さんに、シンジ君を装った男の子が接触。軽く立ち話した後、男の子
は洞木さんの前から姿を消してるわ」


「で、ソイツは?」


「その後、変装して顔を変えた彼は、洞木さんの後を尾けて碇ショウヘイ君の住むアパートまで行ってる。
そこで尾行に気付いたみたいね。尾行していた保安部の人間、六人を叩き伏せて逃走。以後、行方は不明」


ミサトは、ゲンドウの親類だというショウヘイの存在に、何の疑念もない。保安部からの報告書にあった彼の
写真を見たが、凡庸という以外に彼を評価する言葉がない。トウジと別れてまでも彼と付き合っているヒカリ
の気持ちが理解できないくらいだ。
トウジは、客観的に見て、そこそこの魅力を持つ少年。顔は結構整っているし、さっぱりした性格は、人を惹
きつける物がある。性格だけなら、シンジよりも遙かに魅力的と言えるだろう。
対してショウヘイには、男として・・
と言うより、人間的魅力が感じられない。
実際に会えば、また評価は違ってくるのだろうが。


「ヒカリに接触したって事は、ある程度、アタシ達の人間関係を把握してるってことよね?」


「そりゃ、シンジ君に変装するくらいだから、それくらいは調べるでしょうよ」


「アタシ達の情報は筒抜けってわけね。ネルフの情報統制も大したことないわ。
ま、子供一人捕まえられない保安部の練度にも疑問はあるけど」


「別に保安部を弁護するわけじゃないけど、その時の映像見たら、アスカも納得するしかないわよ。
まるで、映画ね」


当時の状況は、限定的ながら、隠しカメラで記録されている。
それを見たミサトは、最初、自分の目が信じられなかった。特殊技術を駆使した映画でも観ているような感覚
だった。
体を一回り膨張させた少年は、捕縛しようとする保安部の人間を、幼児を相手にするかのように退け、余裕を
持って逃走したのだ。その動きは、はっきり言って人間の域を超えていたように思う。少なくとも、見た目通り
の人間ではない。SF的な見方をすれば、サイボーグ化された改造人間か、ロボットとでも言えよう。

アスカも、ミサトの反応で、彼女が冗談を言っているのではないと分かった。
となると、記録に興味が沸いてくる。


「・・・見られるの?それ」


本来なら、アスカの身分では無理な注文。
しかし、この件に関しては、アスカは関係者の一人。そして、彼女の優秀な頭脳にも期待がもてる。誰も気付
かない些細な情報を見つけられるかもしれない。
ミサトは、自分の責任において記録の閲覧を許可した。


「ご希望とあれば」








日が落ち始め、隙間もないほどに厚手のカーテンが閉められている薄暗い部屋。
そのカーテンのすぐ傍にあるベッド上に、ショウヘイは身に何も付けない全裸で仰向けに横たわっていた。
ベッドの上や床には、体液を拭き取ったらしいティッシュが幾つも転がり、そこで行われた淫靡な行為が一度
や二度ではない事を物語っている。
ショウヘイの相手となったヒカリは今、風呂。帰宅前に、体に染みついた互いの精の臭いを消し去っておか
ねばならない。

新鮮な石鹸の匂いを振りまいて帰宅するヒカリに、姉のコダマは、ヒカリの行為に気付くだろう・・
いや現実にヒカリは、姉からやんわりと釘を刺されている。避妊は確実に、行為も程々にしろと。
だが父と妹には、まだ気付かれていない。二人の前において、ヒカリはまだ年相応の真面目な少女なのだ。
家族を騙しているとも言える行為に、罪悪感がないと言えば嘘になる。コダマを巻き込んでアリバイを作り、
外泊した時などは、犯罪でも犯しているかのような気分にもなる。
しかし体が覚えてしまった悦楽が、それらを全て忘れさせてしまうのだ。できることなら、今日も、このまま泊
まっていきたい。


(アスカが羨ましいわ。いつでも一緒だし。何もかも公認だもんね)


バスタオル一枚体に巻き付けて洗面台に向かい、ドライヤーで髪を乾かすヒカリは、アスカの置かれた状況
を心底羨ましいと思う。
そして、そんな風に考えるようになった自分が淫らな女に思えた。つい数ヶ月ほど前までは、キスすら知らな
かった少女が、今では、男の重みと性の深みを知る女になってしまった。
アスカが言ったように、体の線にも明確な変化がある。見る人が見れば、自分に何があったか、すぐに分か
るだろう。


「考えても仕方ないわ。気分を切り替えますか。
さて、お帰りの準備ね」


ヒカリは、乾いた髪を、いつもように二つに縛ると、バスタオルを床に落として、替えの下着を手に取るのだった。






数時間前、玄関でヒカリを抱いていたショウヘイは、ドア一枚隔てた外で、もう一人の自分が追い込まれよう
としている事態を、全て把握していた。彼は自分を探知できないが、自分は彼の動向を知る事が可能。
この状況は、実に都合がいい。


(これで、暫くは、奴も身動きが取れないだろう。その間に、僕は自分の仕事に専念できる。
運がよければ、追い込まれたあいつは、自分の世界に逃げ帰るかも・・)


如何にもう一人の自分が超人的な力を持とうと、ネルフが本気で抑えにかかれば、そうそう自由には動け
ない。人的被害を考えなければ、そうでもないのだが、彼は、お人好しとも取れる善人。そのような無茶はし
ないと断言できる。ネルフの動き次第では、彼の執拗な追跡から解放される事もあり得るのだ。
となれば、あとは、この世界を生活の場とし、次元移動を繰り返して世界の探査に時間を費やす。
アスカが今際の際に語った理想の世界。それを確認できれば、自分の旅は終わる。そして、その後は・・


「考え事?」


ショウヘイが目的を果たした後の生活に考えを巡らせようとしたとき、元の制服に着替えたヒカリが、頭上
にひょっこりと顔を出した。
そばかすも、ほとんど見えなくなった最近の彼女は、綺麗になった。その顔を少しだけ微笑ませた彼女が、
自分を見詰めている。


「ちょ、ちょっとね」


「また、どこで遊ぼうとか考えてるんじゃないの?」


「そんな事ないよ。勉強しなくちゃと思ってさ」


「ホントかしら。
あ〜あ、真面目だと思ってたのに、裏切られた感じね」


「なんだよ。
自分だって、真面目そうな顔して、こんな事してるじゃないか」


ショウヘイに真実を指摘されたヒカリは、今の状況をあらためて確認し、ちょっと恥ずかしくなった。ヒカリは
今、裸のショウヘイを目の前にして平然としている。
このようなヒカリも、初めて関係を持った時は、顔ばかりか全身を真っ赤にして恥ずかしがっていた。今でも
行為の時は全身を赤くするが、それは別の理由から。普通、口にするのも憚れる理由だ。
確かに、自分は変わった。ショウヘイとの生臭い関係が外部に漏れても、アスカやシンジ以外のクラスメート
達は、まず信じないだろう。


「こ、これとそれは別よ。
これは、人間の種族保存の本能で、別にわたしが好きで」


「じゃ、そろそろ帰れば?もう、遅いしさ」


「・・・・」


ヒカリは、憎まれ口一つ置きみやげにして帰ろうとしたのだが、体が動かない。再び興奮の証を示し始めた
ショウヘイの下半身に目が惹きつけられたのだ。
今日は、もう充分と頭では分かっていても、体が言うことを聞かない。開発され始めたヒカリの体は、女として
の機能が敏感に反応するように変化している。事実、ヒカリの体は今、性的興奮への階段を上り始めていた。
己の体に起こりつつある異変を自覚し、またそれを受け容れたヒカリは、制服のポケットから携帯を取り出す。
そして・・


「あ、お姉ちゃん?悪いんだけど、また、お願い。
・・・・・・うん、それは大丈夫。ごめんね。じゃあ」


ヒカリのお泊まりは、簡単に決定した。





つづく



でらさんから『本物は誰?』の第八話をいただきました。

今回はシンジ(の一人)の特殊能力が出てきましたね。
スーパーシンジ能力が次々に‥‥アスカも驚きを隠せないことでしょう。

ヒカリのほうはまたまた「進展」があったようですねw。でも理想の世界が見つかったら捨てられてしまうのでしょうねぇ。いまから気の毒になります。

素敵なお話を送ってくださったでらさんにぜひ読後の感想メールをお願いします。