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後から思えば、それは幻聴だったのかもしれない。のちにアスカ本人が否定したし、MAGIにも弐号機の
エントリープラグに装備された補助コンピューターにも記録されていなかったのだから。
だがシンジは、確かにそれを聞いた気がした。
だから、願った。
初号機よ、動けと。
「初号機、起動します!こちらのコントロールを受け付けません!エントリープラグ内もモニター不能!
暴走です!」
声を張り上げて状況を報告する日向の顔に、ミサトは混乱も恐怖も見いだせない。それどころか、どこか
安堵しているような感じすら受ける。恐らくそれは、発令所にいる職員全てに通じるものだとミサトは思う。
過去の戦いで、ネルフは何度も初号機の暴走に助けられた。
そう・・
初号機の暴走は、ネルフにとって不幸を意味しない。吉兆なのだ。
正直言うと、ミサト自身、初号機が暴走でもしてくれないかと密かに期待していたくらい。前回の戦いで暴走
した初号機が見せた圧倒的なパワー。あれを見せられて、期待しない方がおかしい。
しかし、ミサトの立場でそれを口にするわけにはいかない。ミサトは、少しの動揺を装いつつ、日向に言葉を
返した。
「レイは?」
「まだ、下層に達していません!」
「こんな時に・・
リツコ!一体全体、初号機は、どうなってんのよ!」
「私だって、分からないわよ!」
リツコは、初号機のコアにいるユイに聞けと叫びたくなったが、その言葉を呑み込む。まだ知られてはなら
ない事実だし、ミサトの顔に、どこか余裕のようなものを見たからだ。ミサトは、本気で言っているわけでは
ないとリツコには分かった。
だが、ミサトには、いずれ自分の知る全てを話さなければならないだろう。初号機がこのような状態になって
しまっては、ゼーレと袂を分かつしかない。この後に予想されるゼーレとの闘争において、ミサトは大きな戦
力の一人となる。ミサトが欲する情報を全て明かし、協力を仰ぐしかない。
「S2機関が解放されます!
今までにない強力なATフィールドの反応が」
日向が報告を終える間もなく、初号機は一二枚から成る光り輝く翼を広げ、ケージを破壊しながら地上へ飛
び立っていった。そして、そのまま宇宙へ向い、使徒を容易く殲滅して戻ってくるに違いない。
ケージとその周辺にいた人員は、破壊された構造物の隙間に取り残されるなどしたが、命を失った者はいな
い。施設の惨状からすれば、まさに奇蹟。
ただ、ケージとその上部構造物は大破。前回の発令所大破に続き、ネルフの損害は目を覆うばかり。
とはいうものの、司令室に陣取る最高責任者の二人に、以前ほどの悲壮感はない。
「あの翼なら、衛星軌道だろうがなんだろうが問題はないな。
これも予定の内か?碇」
「皮肉は、やめていただきたい、冬月先生。
暴走は暴走。それ以上でも以下でもありませんよ」
「息子をけしかけたな。
槍は、保険だろう?」
「さあ・・
私には、なんの事やら」
「ふっ、計画の変更か。
まあ、普通の老後を生きるのも、悪くなかろう」
冬月が美味そうに湯飲みの茶を啜った時、ミサトから使徒殲滅の報告がゲンドウの端末に映像付きで送られ
てきた。
そこには、地上へ帰還し、弐号機から救出されたアスカとドラマのようなやり取りをするシンジの姿が・・
それを見るゲンドウが僅かに頬を緩める様を、冬月は確かに見るのだった。
西暦二〇一九年・・
戦いの疵痕もすっかり癒えた第三新東京市。
この街で今日、一組のカップルが人生の門出を迎える。使徒戦役終盤から付き会い続けてきたシンジとアス
カが、華燭の典に臨むのである。
あの後、ゼーレとネルフの政治闘争など多少の紆余曲折を経つつも世の中は概ね安定し、二人は愛を育て
てきた。
その歩みは、それほど順調だったわけではない。
類い希な美少女ではあるが性格に難があるとされたアスカが落ち着きを見せるようになると、回りの男達は
以前にも増して彼女に関心を寄せるようになった。その頃のシンジは自分に自信を持てず、いずれ自分以
上にアスカと気の合う男が彼女の前に現れるのではないかとの不安が彼を支配していた。
アスカはアスカで、常に彼の傍にいる最大の脅威が心の棘だった。
最大の脅威とは、同僚のレイ。
彼女がシンジに寄せる想いは、周囲の誰もが知る事実。そして彼女の出生にまつわる真実を知ったアスカ
は、シンジとレイの絆に嫉妬。血の繋がりがあるにしても、それは薄く、従妹程度の物だとリツコから聞いたと
き、アスカはレイへの警戒度を最大に引き上げたものだ。
レイ以外の女なら、アスカはそれほど心配しない。自分の女としての魅力には自信を持っていたし、シンジと
は、普通に恋して恋された単純な関係ではない。心の奥深くで互いを求め合った結果の関係。自分達の間
に干渉できる人間など、いないと断言できる。
だが、レイは別。
レイは、シンジにとって特別な存在。レイにとっても、シンジは特別なのだ。
二人の抱えるそれらの悩みが誤解を生み、誤解が猜疑心へと変わり、猜疑心が互いの想いを押しつぶして・・・
とまでは流石にいかず、誤解は誤解で収まり、二人の間に割り込もうとした男女数名の思惑は無に帰している。
が、それらも既に過去。
今や、この二人にちょっかいを出そうと考える人間は、約一名を除いていない。
「碇君、考え直すなら、今の内よ。私の方が、いい奥さんになれるわ」
予定されている時間も間近に迫った新郎新婦控え室で、白のタキシードできめたシンジを前に、レイは尚も食い
下がっていた。隣にウェディング姿のアスカがいようとお構いなしに。
彼女らしい水色のドレスが、豊かに成長した体の線を艶めかしく演出し、シンジが目のやり場に困るほど。
シンジは戸惑い気味だが、アスカは余裕を崩さない。結婚という既成事実が、絶対的な自信に繋がってい
るようだ。
「悪あがきは見苦しいわよ、レイ。潔く負けを認めなさい」
「おかしいわ。夢では、私が碇君と結婚したのに」
「夢?」
「そう、夢。
私は、二人の子供を産むの」
「アンタね、夢なんかで」
アスカとレイが姦しく会話を続ける中、シンジは、夢と聞いて昔よく見た嫌な夢のことを思い出した。最初の頃
は、目が覚めると何も覚えていなかったのだが、その内、記憶に残るようになっていた。
自分がアスカを使徒の精神攻撃から救えず、心を壊した彼女が早期に死んでしまう夢。
自分はレイと結婚しネルフの司令にもなって、幸せの内に歳を取って死んでいくというものだ。
最悪だったのは、臨終の時。
そこで自分は、アスカの亡霊に罵倒される。罵倒されながら、自らの罪を自覚して死んでいく最悪の状況。
今思えば、その通りになる可能性はあった。あの時、父の命令に逆らわなかったら・・・
(あれは、夢さ。可能性ですらない夢。そうに決まってる)
「そのくらいにしようよ、二人とも。
もうすぐ、本番なんだからさ」
「え?もう、そんな時間?
シンジ、お化粧、崩れてない?」
「大丈夫。綺麗だよ」
「ありがと。
ほら、レイ。アンタは、式場にいきなさい。
邪魔よ、邪魔」
「私は、いつでも待ってるわ、碇君」
「早く行け!」
レイを追い出したアスカは、シンジに近寄ると身を寄せ、両腕をシンジの背に回して顔を胸に埋めてくる。
シンジはアスカを抱きしめ返し、彼女の体温と綿のように柔らかい感触、そして甘い芳香で、これが現実であ
ることを再確認するのだった。
そして、この日以降、シンジの悪夢はピタリと止まったという。
でらさんから素敵なお話をいただきました。
アスカを手に入れるためにもシンジ君はやはり頑張るべきでしたね。
そうしてちょっと格好よくなったシンジ君、アスカと一緒になれて良かったです。
是非読み終えた後にはでらさんへの感想メールをお願いします。