扉がガス圧の音と共に開くと、愛らしくも不機嫌なようすの少女があらわれて赤くつややかな髪を煩わしげなしぐさで後ろにはね上げて見せた。
「リツコ、いないの?」
そのほっそりとしていながら今にも咲き誇らんとする少女らしい肢体が真紅のプラグスーツを纏ったまま、猫科の猛獣めいた、危険を予感させるしなやかな足取りで進み出る。
だが部屋の主はいつもの端末の前の席に赤いメタリックなカラーリングのカンを残したまま、まるでその少女の眉のしかめぶりを忌避するかのようにその場を留守にしていた。
「・・・・・・なによ、自分で呼び出しておいて」
つぶやいた少女はその小さく細い手がいかにも旨そうに汗をかく赤いカンを乱暴につかんだ。
プルトップに指をかけて開けようとした瞬間、彼女はそのラベルに書かれた文字に魅入られたように固まると、目を見開いて息をのんだ。
LASコーラ(前編)
著者:anisotropic様
一、
「シンジー、コーラのむぅ?」
タオルで髪をかわかしながら居間に入ってきた少年に彼女はともすれば浮かびあがる笑みを噛み殺してグラスを差し出した。
「あ、サンキュ、アスカ」
無造作にグラスを受け取ると、少年はぐびりと大きく一口のみ下した。
アスカはその少年のようすに不満げにうそぶいた。
「なぁ〜にしけた飲み方してンのよっ! もっと男ならこう、ぐびーっといきなさいよ、ぐびーっとっ!!」
シンジはアスカのナゾな剣幕に押されてしどろもどろに答える。
「えっ、あっ、うん。」
彼は息を吸うと一気にグラスを飲み干して深く息をついた。
少女が向ける期待に満ちた視線に彼は何故か奇妙予感を覚えて嫌な汗を流していた。
「な、・・・・・・なに?」
「で? どうなの?」
「へっ? ・・・・・・なにが?」
「ほら、なんか、こう、が〜っとなったりしない?」
シンジはすでにこの時点でアスカの奇妙な発言に引いていた。
「・・・・・・が〜っと?」
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜っ。『うわぁ〜!』 とか、『もぉ〜がまんできないよぉ〜!!』 とかぁ〜!」
シンジの頬が片側だけ奇妙な笑みのような形にひきつる。
「・・・・・・へっ? 我慢? ・・・・・・何を?」
「ほらぁっ、たとえばぁっ、『ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは、ぼくは、ぼくはぁ〜っ!!』とか、『そんなにしてるアスカがわるいんだぁ〜っ!!』とかゆーやつよっ!」
シンジは何時ものアスカの青い瞳が違うものになってしまったというあり得ない錯覚に一瞬陥った。
「・・・・・・・・・・・・な、なにそれ?」
シンジの言葉に突如その青い瞳が落胆をうつす。
「もぉ〜!! なんでよぉ〜っ!!!」
アスカの大きな声に彼の足が勝手にびくりと一歩下がった。
「はぁ〜。なぁ〜んだ、しっぱいさくかぁ〜」
シンジは急に肩を落としたアスカの心配よりも聞き捨てならない一言に聞き返さずにはいられなかった。
「し、失敗って、何がだよ?」
「はぁ〜あ、つまんないの。もうねよっかな〜」
アスカはシンジにくるりと背を向け自分の部屋に入ると後ろ手にぴしゃりと襖を閉めた。
「・・・・・・な、なんなんだよ、まったく」
二、
昨日の同じ時間とほぼ同じ状況がその次の日も赤木リツコ研究室の前で再現された。ただ一つの違いといえば今日はアスカが制服を身につけていることであった。
「まさかリツコ今日も呼び出しといて留守ってことはないでしょーねっ!」
だがその心配は杞憂におわり、ガス圧の音と共に勝手にその部屋の扉が開いた。
「アスカっ!! 早くぺってしなさい!! ぺって!!」
金髪をボブに切りそろえた妙齢の美女が意味不明な言葉を叫びつつアスカにいきなりむしゃぶりついてきた。
「なっ、なっ、なによっ! ちょっとはなれなさいよリツコっ!!」
「おねがいっ!! ぺってしてっ!!」
美女が美少女につかみかかってその口の中に手を入れようとして阿鼻叫喚を生み出すという不可解で珍しい現象がそこに生じていた。
「はなしなさいよっ!!」
キレたアスカに突き飛ばされたリツコがよよと泣き崩れた。
「ああっ!!」
涙を流すその女科学者に後ろから遠慮がちに声をかける人物がいた。
「・・・・・・あ、あの、センパイ。きのう飲んじゃったなら、もう吐き出すのは手遅れじゃないでしょうか・・・・・・」
「うっ、うっ、うっ、・・・・・・うわ〜〜〜〜〜〜〜んっ!!」
アスカは大泣きする鋼鉄の女に少なからず青ざめた。
「ど、どうしちゃったのよ、リツコったら?」
「お、おねがい〜!! 飲んでないっていって〜〜!!」
「の、・・・・・・のんでないって?」
「アレよっ! LASコーラよっ!!」
アスカは昨日の出来事を思い起こして冷や汗をながした。
「あ、アタシは飲んでないわよ・・・・・・」
「ほんとっ!!」
普段の冷静さからは思いもおよばぬ喜色がその冷ややかと称される白皙の容貌に浮かび上がる。
「・・・・・・し、シンジは飲んだけど」
そのリツコの顔が一瞬で表情をなくした。
「う、うぎゃ〜〜〜っ!!!」
突如自分の胸を苦痛に押さえて倒れる。
「キャ〜〜! せんぱいっ!!」
息もたえだえのリツコとマヤのただならぬようすにアスカは体に悪い汗を流した。
「ねぇ、・・・・・・アレって、なんなの?」
リツコがマヤに支えられながらブルブルと震える手を差し伸べてうわごとのように答えた。
「ううううう・・・・・・、あれを投与すると、中の薬品とマイクロマシンが、被験者の血中LAS値を強制的に上げてしまうのよぉ〜」
「・・・・・・って、それでいいんじゃん」
アスカがしれっとリツコに突っ込んだ。
「で、でもっ! そこには恐ろしい副作用がっ!! ガフッ!」
「せ、せんぱい、しっかり!!」
「へっ? ・・・・・・副作用って?」
リツコの顔がレンブラントの肖像画のように片側だけヤバイ影を帯びる。
「アレを飲んだ人は性別が逆になってしまうのよっ!!」
「ええっ!!」
− 只今電波の混信を受けております。しばらくお待ちください −
リツコの顔がレンブラントの肖像画のように片側だけヤバイ影を帯びる。
「アレを飲んだ人は急激なLAS値の上昇に体が拒否反応を起こして急性LAS中毒でクルクルパーになってしまうのよっ!」
「くるくるぱー? 動物変身銃じゃなくて?」
アスカの疑いの眼差しに対してはマヤが崩れ落ちたリツコをあやしながら遠慮がちに答えた。
「ちがうのよ。主に、アドレナリンやホルモンの分泌の状況を再現させるのが先輩の考えだしたLAS化技術の中核を成しているのだけど、あまりに急激なLAS化は致死量の麻薬投与に近いという数値が最終的な検証の時点でが出てしまったのよ」
「・・・・・・ウソでしょ?」
リツコが震える手でアスカの肩をつかんだ。
「嘘でも何でもいいわ。だから・・・・・・あと3日、3日だけでいいからシンジ君に優しくしてあげてね・・・・・・」
アスカの顔から音を立てる勢いで血の気が引いた。
「なっ、なぁに具体的でほんとっぽいコトいってんのよっ!!」
マヤがおずおずと答える。
「あ、あのね、アスカ。人体実験体の被験者だった人は丁度96時間くらいでイッテしまったの。そのデータを元に考えられる状況全でマギでシミュレーションを行ったのだけど、シンジ君の体力だと、どう設定してもやっぱり3日余りしか正気でいられないのよ・・・・・・」
「う、うそよっ!! アンタら二人してアタシを担ごうとしてるのねっ!!」
「ちがうのよアスカっ! ほんとうにシンジ君は!・・・・・・」
高ぶった感情に急に言葉をつまらせたマヤの瞳から、何の前触れもなく涙がぽろりとこぼれた。
「う、うそ・・・・・・」
アスカは自分の視界から逃げるように背中を見せるマヤに愕然とした表情をかくしきれなかった。
「うそよっ!! アタシ信じないっ!!」
アスカはその場の気まずい空気を降り払うようにその場から走り出した。
「あ、アスカっ!! シンジ君が優しくなりすぎたら危険信号よっ!! あたしと先輩はここで解決法を探しておくから!! おねがいっ、あたし達をしんじてっ!!」
アスカはともすれば漏れそうになる嗚咽を噛み殺して家路を急いでいった。
三、
「やあ、アスカ君じゃないか。おかえり」
その日少年は木漏れ日のようなやわらかな笑みで少女を迎えてみせた。アスカはシンジのいつにないうれしげな笑みと口調に言い知れぬ不安を感じた。
「あ、アスカ、くん?」
「フフ。今日はね、アスカ君の好きなハンバーグにしたんだよ。ちゃんと松坂牛を包丁で叩いてつくったものだよ。さあ、お腹すいただろう?」
アスカはともすれば震えそうになる声を押さえつけるように言葉をもらしてダイニングの椅子についた。
「・・・・・・そ、そう。」
「・・・・・・気のせいかもしれないが、どうも、元気がないようだね」
アスカはシンジの視線を避けながら答えた。
「そう?」
「ああ、ちょっと、アスカ君らしくないかな?」
その笑みを浮かべる黒い瞳から視線をそらす。
「・・・・・・ところでアスカ君。今日何の日だか知ってるかい?」
少女は食事を口に運びがらなるべく無関心を装って首を振った。
「今日はね・・・・・・」
少年は取っておきのヒミツを分け与える子供のようにその横の少女にはにかむ表情で告げた。
「アスカ君と僕が初めて会った日からちょうど1年たった日なんだ。いわゆる記念日ってやつさ」
少女の瞳が喜びと困惑に歪んだ。
「記念日はいいねぇ・・・・・・。リリンが、」
「や、やめてっ!」
わずかばかりの喜色が恐れによってその表情からすべり落ちると、少女は弾かれたように立ち上がって自分の部屋へと駆け込んだ。
「アスカっ!?」
少年の声を降り払っい、ぴしゃりと音を立た障子に背をあずけた少女は何とかおののきに息を整えようとした。
「う、うそよ・・・・・・シンジが、そんなっ!」
震える肩を自ら抱きしめるように腕を回し、血の気の引いた唇の間から切れ切れに言葉をもらす。
「そ、そんなっ、・・・・・・LAS化がっ?・・・・・・血中濃度がっ!?・・・・・・」
すぐ傍まで来た少年の声が襖を通してアスカをゆさぶる。
「あ、アスカ?」
アスカの肩がその声にぴくりと動いた。少女は小動物が息をひそめるようにその体を固くした。
「お、おかしいな、ちゃんと加持さんとカヲル君のいうとおりにしたのに・・・・・・」
少年はつぶやきをもらすと、メモ帖をまさぐるように開こうとして思い直し、遠慮がちに声を少しだけはりあげた。
「・・・・・・どうしたの? ぐあい、悪いの?」
アスカはシンジの困惑をうつした穏やかな口いつになく調に取り乱していた。
「あ、・・・・・・アンタなんかに用はないわよっ! あっち行ってよっ!!」
「なら、・・・・・・べつに良いんだけど。・・・・・・ほんとにぐあい悪いわけじゃないよね? ミサトさんかリツコさんにでも電話、しようか?」
「アンタに関係ないでしょっ?!」
シンジの手は西瓜畑で人生の先輩に手渡されたメモを握り締めていた。
「ぼ、僕にできることがあったら、いってよ。僕はアスカのために・・・・・・」
「う、ウルサイわねっ!! アンタなんかシンジのクセにっ! アタシに、・・・・・・アタシに、やさしくしないでよっ!!・・・・・・」
シンジはアスカの言葉にうつむいて息をついた。
「・・・・・・わかったよ。ごめん、アスカ。僕はただ、アスカのためになにかしてあげたいっておもって・・・・・・。でも、そんなの、独善的だよね・・・・・・ほ、ほんとうは!・・・・・・ほんどうは、ミサトさんも一緒にと思ったんだけど、ネルフ・・・・・・仕事終わらないっていうし・・・・・・ぼく達家族だっていってくれたのミサトさんだし・・・・・・その、」
シンジが言葉をなくして押し黙ると、痛みのような沈黙が二人の間におとずれた。
だが、それを破ったのは意外にもアスカの方であった。
静かにすべる音を立てて襖が開く。
「シンジ・・・・・・」
シンジの目の前にはただ静かに涙を流すアスカがいた。その少女の青い瞳は彼のそれをひたむきに覗き込むようにまっすぐと見てかえし、ぽろぽろと珠のような涙をこぼしていた。
「明日、リツコの所にいきましょう・・・・・・」
「あ、アスカ?」
彼は理由のわからないアスカの涙を意識の隅でとても美しいと思っていた。
「きっと、すべてうまく行くわ」
「・・・・・・な、なにが?」
少年はつじつまの合わぬ少女のことばに、あまり健康に良くない汗が流れるのを背中に感じていた。
後編へ続く
anisotropicさんから『LASCOLA』をいただきました。
爽やかなLASの小道具‥‥それはLASコーラ!…ちょっと違いますか。
なんと!シンジは俳人廃人になってしまうと‥‥?
うーむ、シンジなら超強烈なLAS濃度に耐えてくれる‥‥そう期待していいですよね!!‥‥そうでしょ?
これは続きが気になりますよね‥‥気になった方はぜひanisotropicさんに感想メールを送ってください