「久しぶり・・・ね」
「アンタが旅立って、もうすぐ2年になるのね。歳をとると時間が早く感じるっていうけど本当のことなのね」
「・・・・・」
「アイツからプロポーズされたわ。悩んだわ・・・こんなに悩むのも初めてね」
「もう年齢も年齢だしっていうのもあるんだけど、それよりも!アンタの手のひらの上で踊らされている感が半端なくて、ひっじょーーーーーに癪に触るんだけど!」
「・・・アイツからのプロポーズ。受けることにするわ」
「好きとかそういう気持ちは持ち合わせてはいないけど、アイツのことほっとけないっていうのもあるし、アタシがいなければって思えるから」
「だから、アイツと一緒になるわ。アンタとの約束もあるしね」
「こういうのって大恋愛の末にって思っていたけど、実際はこんなにも違うのね・・・」
「だから、安心して眠りなさい」
「また近いうちに顔を見せに来るわ。一緒にね。それじゃあ、またね」
「マリ」
1435mm
あぐおさん:作
4年前、アタシは旧友真希波マリに誘われてアイツの家にお邪魔した。
「姫、久しぶり」
久しぶりに会う彼女は随分と落ち着いた“大人の女”ってやつになっていた。
「久しぶりね。いきなり電話してきて驚いたわよ。それで?大事な話って何?予想はつくけどさ」
このとき、アタシはマリがアイツと結婚するからという報告の話だとばかり思っていた。実際うまくいっているからね。でも、この時マリは少しだけ言いにくそうな顔をしていた。
「アタシがフリーだからって気にすることないわよ。式には参加してあげるからさ!スピーチの依頼?」
「そうじゃ・・・ない・・・アスカ。落ち着いて聞いてね?」
「私、癌かもしれない」
マリのこの言葉が理解できるのに時間がかかった。
ガン?ガンって・・・銃を英語読みした発音のこと?え?病気のこと?
そんな馬鹿馬鹿しい自問自答をしたあとに出てきた言葉は。
「はあ!?ガンって・・・アンタ大丈夫なの!?シンジは!シンジにこのことは伝えたの!?」
マリ首を振る。
「シンジにはまだ伝えてないわ。昨日わかったばかりだもん。ああ、確定じゃないわよ?あくまでもその可能性が高いってことだから。シンジはいま出張で帰ってくるのは来週だから、その時に伝えるから大丈夫よ。検査入院の必要があるって医者から言われて手続きしただけだから」
「いつ、入院するの?」
「再来週、大丈夫よ姫〜すぐに帰ってくるから」
マリはにこやかに笑いながらまるで子供をあやすかのようにアタシの頭を撫でた。それがものすごく恥ずかしくて思わず手を払いのけてしまった。
マリなら大丈夫。コイツは殺しても死なないヤツだ。それに、シンジのこともある。シンジを置いていくはずがない。そう信じて疑わなかった。
検査の結果は陽性。マリはそのまま手術のため入院となったことをシンジから聞いた。
「マリ〜入るわよ」
彼女が入院している部屋に入るとそばの椅子に座っているシンジがいる。
「アスカ、来てくれたんだね。ありがとう」
ものすごくいい笑顔で迎えてくれるシンジ。少し見ない間に随分といい男になったのね。ちょっと、もったいなかったなと思えてしまうくらいに。
「当たり前じゃない。連絡くれてありがとう」
こんなやりとりができるほどアタシ達は大人になった。
「姫〜〜〜!!ありがとう〜〜〜!」
「うっさい!アンタは病人だから大人しくしていなさいよ!」
「うわ〜〜〜シンジ〜〜〜〜!!姫が酷いこと言う〜〜〜!」
「いや、アスカの言う通りだから」
用意された椅子に座るとアタシ達は馬鹿馬鹿しい話に花を咲かせた。こんなに話すのも笑うのも本当に久しぶりで顔の筋肉が痛くなったくらいだ。
「そろそろ時間だし、帰るね」
面会時間が差し迫ったころ、私が席をたつとシンジが呼び止める。
「待って。俺も帰るから送っていくよ」
「大丈夫よ。一人で帰れるから。マリと一緒にいてあげて」
「危険だよ。送っていくから」
「でも・・・」
渋るアタシにマリは背中を押してくれる。
「姫、シンジに送ってもらいなよ。たまには甘えてもいいんじゃない?」
やれやれというように両手をひろげてため息をついてみせた。
「仕方がない。マリの顔を立てて送ってもらうことにするわ」
「謹んで送らさせていただきますよ。お姫様」
シンジの車に乗って送ってもらう道中。アタシ達は近況について話をした。
そういえば、コイツが自分のことを僕から俺に変わったのはいつのことだろう?随分と前のことのように思えるが思い出せない。人間として一回りも二回りも大きくなった。そんなことを頭の片隅で考えていると、シンジが申し訳なさそうに言う。
「ねえ、こんなこと聞くの失礼だと思うけどさ」
「なにかしら?」
「なんで、ケンスケと別れたの?」
そう、ケンケンと確かに交際をしていた。していたけど別れた。別れを切り出したのはアタシのほうだった。
「アンタなら、わかるんじゃない?」
「予想はつくけどね・・・」
「当ててみなさい」
「・・・端的に言えば、怖くなった。かな?」
「ほう・・・」
なんだかんだ言いながらもシンジはアタシの良き理解者だ。そうじゃなきゃ、ここまでアタシに付かず離れず付き合えるわけがない。
「正解。ケンケンと一緒にいるときは、心地の良いものだったわ。欠けていたものが埋まっていく気がしたわ。でも、気づいちゃったの。アタシはあの人に理想の父親のイメージを彼に重ねているだけだって・・・それに気が付いた時、正直怖くなったわ。でも、それじゃいけないって。もっと強くならなきゃって。そう思えて・・・」
これは今まで誰にも打ち明けたことのないこと。打ち明けられなかった胸の内。それをシンジにだけは打ち明けられる。
そしてシンジは成長してもシンジだった。
「別に、強くならなくても良いんじゃないかな?」
「・・・え?」
「無理して強くならなくても良いと思う。ひとりじゃ限界があるし、それにアスカは一人じゃない。マリだっているし、俺もいる。だから、困ったときはいつでも頼ってくれていいよ」
マリ、アンタ、彼を本当にいい男に育てたね。少し羨ましい。
「そうさせてもらうわ・・・もう少し早くアンタ達を頼っていたら、こんなことにはならなかったかもしれないわね」
「どうだろう・・・でも、俺がケンスケからこの話を聞いた時、ケンスケが言ってたよ。娘が独り立ちしたんだって・・・ケンスケもわかっていたんだよ。アスカのこと。他に好きな人ができたってケンスケに言ったでしょ?あれは嘘だって。ケンスケはわかったんだよ。わかってて、送り出したんだよ」
そんな気がした。そうわかってしまうほどにあの人は大人なのだ。アタシよりずっとずっと。そんな居心地のいい居場所を自分で無くして、そしてそれはもう手に入らない。
「アタシって本当にバカね。自分が嫌になるわ」
「そんなことないよ。アスカはどこまでいってもアスカじゃないか。それだけだよ」
「ん・・・ありがとう」
こんなやり取りが自然にできる。それがただ嬉しかった。ケンケンと別れたあと少し荒れていたとき、シンジもマリもアタシに寄り添ってくれていた。目には入らない。でも手を伸ばせば届くそんな距離。そんな距離感がちょうどいい。
手術後、マリは数週間のうちに退院し即日退院パーティーをひらいた。パーティーには鈴原夫婦も来てくれた。子供を連れ添って。ケンケンは仕事が忙しく、生活圏がここより遠いから来れないらしい。少し、残念だった。それでもみんなに会えたのが嬉しくて久しぶりに羽目を外した。
二日酔いになるほど飲んで、そのままシンジとマリの住む一室に泊まった。二日酔いに良いからってシンジが作ってくれたお粥がものすごく美味しかった。
そんな何気ない日常を繰り返し続けていくのだろう。
そう思っていた。
寒さが残る春先、マリが退院してもう少しで1年がたとうとしたあの日、彼女が再入院したのを知った。癌が転移していたのだ。
治療が病魔のスピードについていけず、それでも粘って粘って・・・1年後にマリは旅立ってしまった。
マリのお墓の前で立ち尽くすシンジ。声をかけようと近づくアタシを止める手がある。ケンケンだ。
「今は・・・そっとしておいてやってくれ」
「ケンケン、アタシ・・・」
「何もするなとは言っていない。ただ、傍にだけはいてやってくれないか」
「・・・うん」
シンジに何度も助けられた。支えられた。大切なことに気が付かせてくれたのも彼だ。アタシの全ての始まりは彼からなのに、アタシはいま何もできない。それがたまらなく嫌で声をかけようと近づくと、シンジはこちらを見ず、独り言のように呟く。
「父さんがさ・・・みんなを巻き込んでまで母さんと一緒になりたかったのが、わかる気がする」
「・・・シンジ」
「皮肉だよね。あの時は散々泣いて泣いて、泣けたのに・・・いまはどんなに悲しくても、泣けないなんて」
「・・・」
「一人に、してもらえないかな」
「う・・・ん・・・」
ただ、全てが悲しかった。
「はあ・・・」
ここしばらく仕事に集中できない。繊細な作業を必要とするのに全く身に入らない。気が付けばため息ばかりついている。
こんな日々が続けば流石に上司からお叱りを受けるのは当然のことだと思う。
「式波さん」
「伊吹主任・・・」
「私たちの仕事は一歩間違えれば危険な作業なのはわかっているでしょ。そんな心ここにあらずの状態で作業をされていてもこっちが迷惑なのはわかっているわよね?」
「はい、申し訳ありません」
マヤは仕方がないというようにため息をつく。
「自分のやるべきこと、できることをやりなさい。仕事でもプライベートでも、ね」
それはマヤの、伊吹主任の優しさだ。アタシはアタシのできることをやろう。そう思って週末、彼の住むマンションへと足を運んだ。
呼び鈴を鳴らすと彼がドアを開けて出てくる。
「はーいってアスカ・・・」
出迎えてくれた彼は少しやつれていた。
「心配だから様子を見に来たわ。上がるわね」
彼の同意を受ける間もなく上がり込むと、そこには想像すらしなかった光景が目に飛び込んできた。
「な、なによ・・・これ」
それもそのはず、あれほど整理されて小奇麗だった部屋の中が、ゴミ屋敷のようになっていたからだ。
「仕事が忙しくてなかなかできなくてね・・・」
「何言っているのよ!そんなレベルじゃないじゃない!」
アタシはゴミ袋を探して取り出すと掃除を始める。
「いいよアスカ。俺が今度の休みにやるから」
「そんなこと言って納得できる状態だと思う!?いいからシンジも手伝って!」
無理矢理彼を手伝わせてゴミ掃除が終わるとキッチン、お風呂場の掃除に取り掛かる。どこもかしかもひどい有様だった。休日は掃除で終わった。
ゴミを見ればわかる。彼はここ数日まともな食事をしていない。コンビニ弁当の空箱や中身の残ったペットボトルなどがそこら中に置きっぱなしなっていたからだ。掃除が終わると食材を買い込み、料理をしてシンジに食べさせる。
「どう?味は」
「うん、おいしい」
「忙しいのはわかるけど、コンビニ弁当ばかりじゃ体に良くないわ。ここのところ料理とかしてないでしょ?」
「・・・作る気になれなくて・・・さ」
心に大きすぎる穴があいて何もやる気が起きないのだろう。
「心配だから、ちょくちょくこっちに来るわ」
「え?悪いよ・・・」
「何も悪くないわ。アタシがやりたいだけだから」
流石に毎日ここへ来るのは難しい。はじめは週に1回来ればいいかなと思っていた。それが、時間が経つにつれて週に1回が2回。2回が3回。気が付けばほぼ毎日ここに通っていた。これを通い妻というのだろう。そしていつの間にか自宅には帰らず、ここで寝泊まりもしはじめていた。これじゃ同棲と変わらないじゃないか。そう思ったけど、辞められなかった。
その夜、アタシはシンジと裸で抱き合って寝た。セックスをしたわけじゃない。お互いが裸でただ抱き合う。それだけだ。アタシの胸の中で眠る彼は想像をしているよりも弱かった。アタシは傷ついた子供をあやすかのように彼の頭を胸に抱きしめながら優しく髪をなでる。
何がきっかけになったのかはわからない。それは唐突にやってきた。
仕事を早々に切り上げるとスーパーによって食材を買ってシンジの家に向かう。彼から強引に取ったカギを使い中に入ると髪を後ろに束ねて料理を作り始める。あともう少しで出来上がるという時に彼が帰ってきた。アタシはリビングのドアを開けて出迎える。
「おかえりなさい。ご飯もうすぐ出来るから」
そんなことを言ったような気がする。彼は呆けたように口を開けてマジマジとアタシを見た。
「ん?どうしたの?何かあった?」
フラフラと歩き始めるとドアを開けて出迎えるアタシに抱き着いた。
「ちょっ!シンジ何を・・・」
肩が震えている。そのままずるずると崩れ落ちるように膝をつくと堰を切ったように泣き始めた。アタシは彼の頭を優しく撫でながら泣き止むまで抱きしめた。
「マリと・・・重なったんだ」
「うん」
「嬉しかったんだ。マリが帰ってきたみたいで」
「うん」
「でも、もういないんだなって・・・」
「・・・うん」
ひとつの布団に裸で抱き合いながらアタシはシンジの言葉を傾聴する。
そりゃ、受け入れられないものね。あんな出来事を。シンジはこの時にその事実を受け入れることができたのだ。
アタシ、あなたの役に立てた?そうなら嬉しいけど。
夢を見た。
それは実際に起きた出来事の夢だった。
マリが亡くなる少し前、お見舞いに来た時だ。マリは体中にチューブを刺され、見ているこっちが痛々しくなる。
「ああ、姫。きてくれたんだね」
マリは微笑みながら言った。その笑顔は自分の運命を受け入れた。そんな顔だった。
「姫、お願いが、あるんだけどさ。ウチのワンコ君のこと、よろしく頼むね」
「これは、他の誰でもできることじゃない。姫だからできることなの。姫なら、安心して任せられるからさ」
「私ができなかった分、してあげられなかった分、姫に託すね」
「私がいなくなっても、心は、魂だけはずっと一緒にいるからさ」
「・・・もっと、3人で生きたかったな」
これが、アタシが聞いた彼女の最後の言葉だ。
マリ、アンタの彼は立ち直ったよ。事実を。アンタの心を受け取ったから。もう大丈夫。アタシ達の関係は元に戻る。あの頃と同じように、付かず離れずのそんな距離に。
荷物をまとめているとシンジが不思議そうな顔をする。
「どこか行くの?」
「行くのって、帰るのよ。家に」
「そっか・・・」
アタシが作業を続けるシンジは言った。
「アスカ、一緒に住もうよ。ここに」
その一言が嬉しかった。そして、怖かった
「・・・何言っているの?昔なし崩しとはいえ一緒に住んでいた時期があったでしょ?散々アンタのことバカにして傷つけて・・・アタシ達は近くにいちゃいけないのよ。そうするといつか必ずアンタを傷つける。勘違いしないで、シンジのことを嫌いになっているわけじゃない。距離感が必要なのよ。だから」
もう自分が傷つくのも、あなたを傷つけるのもイヤ。
そんなアタシの心にいつもあなたは居場所を作ってしまう。
「それは、あの時に散々傷つけあってお互い学んだから大丈夫だよ。あのころとは違って大人になったしね。俺はアスカと一緒にいたいんだ。それだけなんだ。もしダメならアスカの住むマンションかその近くのアパートに俺が引っ越すよ」
相変わらずバカシンジね。
「アンタバカ?アタシが住んでいる所とアンタの住んでいるこのマンション。そんなに離れていないじゃない。近くの町内なのわかっている?」
実際徒歩で30分もかからないのだ。それをど忘れしていたらしい。
「あ・・・」
アタシは呆れたようにため息をついた。
「は〜、な〜んか心配なってきたわ。心配だから、一緒に住んであげるわ。部屋、空けておいてね」
こうしてアタシ達はもう一度、一緒に住むことになった。
一緒に住み始めて感じたことは、心地が良い。その一言に尽きる。昔同じ釜の飯を食べたから?それとも戦友だから?その場にいなくてもなんとなくこうしたいというのが被ることがある。例えば夕飯に食べたいものだったり、コーヒーが欲しいタイミングであったり。同じ部屋にいなくても気配は感じ取れるそんな距離感を保ちながらアタシ達は暮らしていた。
そんな日々を過ごして1年経とうとしたある日、ちょっとコンビニ行ってくる程度の軽いノリでシンジの口から出てきた。
「そろそろ、結婚しようかと思う」
「へぇ、相手は誰なの?」
「・・・アスカなんだけど」
「へ?」
思わず手に持ったお皿を落としそうになった。
「ア、アタシ?またなんで・・・」
「な、なんでって・・・もうすぐ1年だよ?その間、一緒にいられそうにないって思ったことあった?少なくても俺は一度もなかったよ」
「そりゃ・・・アタシもないけどさ。アンタ、まさかアタシのこと・・・」
「好きかとか言われるとなんか違うような気もするんだよね。なんて言うか、アスカとなら楽しいだろうなって、そう思えるから」
「そんな理由で・・・だからって結婚って・・・」
「十分すぎる理由だと思うけど、嫌なの?」
「嫌じゃないけど、アタシはシンジのこと好きなんて言えなくて・・・ごめん。すぐには返事できそうにない。時間もらえる?」
「ああ、いいよ」
プロポーズされるなんて思ってもみなかった。昔、恋をしていたときのようなドキドキ感なんて1ミリもない。流れにまかせたらここに行きつきましたという感覚だ。一緒にはいたいけど、傍にいてほしいとは思わない。それが正しいのかアタシにはわからない。
アタシは久しぶりにあの人のところへ行くことにした。
「いらっしゃい。奥で晩酌しているから上がって」
奥さんに案内されて向かった先には机に座りながら焼酎をちびりちびりと飲んでいるケンケンの姿があった。
「よう、久しぶりだな。式波」
「うん、急にごめんね。ケンケン」
ケンケンの対面の椅子に座ると奥さんがコーヒーを出してくれる。アタシは一口啜った。
「碇にプロポーズされたんだよな。いいことじゃないか」
「そう、かな・・・わからない」
事前にケンケンには相談内容を伝えている。ケンケンはコップ片手にうんうんと頷いていた。
「ねえ、ケンケンは・・・どうして今の奥さんと一緒になることを決めたの?夫婦になるってどういうこと?」
実はケンケンの奥さんのことをアタシはよく知らない。中学のときの同級生であるらしいけど全く覚えていない。そして第三村のころに一時期付き合っていたことがあると聞いた。そしてアタシと別れたあとにもう一度付き合いを始めてすぐに結婚したことも。彼女はずっとケンケンを支えてきたのだろう。
ケンケンは焼酎を一口飲む。
「好きだから一緒になりたいってそういう感じではなかったな。アイツと再会して、また付き合いだしたときにさ、なんとなく思ったんだよ。オレみたいな奴にはこういう人が必要なんだろうなって。それが結婚した理由。参考になったか?」
「ん〜よくわからない」
「碇のこと、どう思う?どうしたい?」
アタシは自分の心に問いかける。彼を一緒に暮らし始めて思ったことがある。
「一緒にはいたい。でも、傍にいて欲しいとは思えない。ただ彼は・・・アタシがいないとダメかなって・・・そう思うところは多いかな」
ケンケンは笑いながら言う。“それが答えだよ”と。
「でも、結婚するとずっと一緒にいなきゃいけないじゃない。アタシはそれが怖い。失うのが怖いの。それが怖いから必要以上に近づくことができないの。近づいて失うくらいならって・・・」
ケンケンはポケットから煙草を取り出して火をつける。煙が風に揺れるのを眺めながら言う。
「なあ、人生ってさ。よく電車のレールに例えられることあるよな。言い得て妙だよな。その表現って」
「なんの話をしているの?」
「レールってのは2つあって、それがどこまでも続いていて。時に交わり、ときには別の道に別れて、それを何度も繰り返して、そして同じ終着駅にたどり着く。そしてそれは遠すぎず近づきすぎず、一定の距離を置いてずっと並んで続いていく。人生も人の縁も、そういうものなんじゃないのかな」
「ケンケン・・・」
今のままでいい。この距離感でいいのね?結婚したからって何かを変える必要はない。そう言いたいのね。
「夫婦円満の秘訣は・・・3mの距離感だってトウジとインチョが言っていたぜ」
「うん、ありがとう」
私はコーヒーを飲み干すと席を立つ。部屋を出るときに
「幸せになれよ」
父親代わりのあの人の言葉が胸に染みた。
アタシは墓地を訪れる。目の前のモニュメントには彼女の名前が。
アタシは花束を置くとポケットに手を突っ込んだ。
「久しぶり・・・ね」
「アンタが旅立って、もうすぐ2年になるのね。歳をとると時間が早く感じるっていうけど本当のことなのね」
「・・・・・」
「アイツからプロポーズされたわ。悩んだわ・・・こんなに悩むのも初めてね」
「もう年齢も年齢だしっていうのもあるんだけど、それよりも!アンタの手のひらの上で踊らされている感が半端なくて、ひっじょーーーーーに癪に触るんだけど!」
「・・・アイツからのプロポーズ。受けることにするわ」
「好きとかそういう気持ちは持ち合わせてはいないけど、アイツのことほっとけないっていうのもあるし、アタシがいなければって思えるから」
「だから、アイツと一緒になるわ。アンタとの約束もあるしね」
「こういうのって大恋愛の末にって思っていたけど、実際はこんなにも違うのね・・・」
「だから、安心して眠りなさい」
「また近いうちに顔を見せに来るわ。一緒にね。それじゃあ、またね」
「マリ」
アタシは振り返ると背中を向けたまま話す。
「もし、生まれ変わることができるとしたら・・・そのときは一夫多妻制の世界に生まれ変わりなさいよ。アンタ一人分の席くらいは用意してあげるからさ。今度は、3人で一緒に生きましょう」
結婚式当日。ドレスに着替えて控室で待っているとケンケンがカメラを片手に訪ねてきてくれた。
「よう、式波。一枚いいか?」
「写真を撮る前に言う台詞があるんじゃない?」
「ん、綺麗だな。式波」
「アスカ、とは呼んでくれないのね」
「式が終わったあとで呼んでやるよ」
何枚か写真を撮るとケンケンは撮った写真を確認している。アタシにはケンケンにどうしてもやって欲しいことがある。
「ねえ、ケンケン。お願いがあるんだけど」
「なんだい?」
「アタシと一緒にヴァージンロードを歩いてほしい。父親役として」
ケンケンは驚いた顔を浮かべていた。
「俺でよかったのか?・・・なんて聞くのは愚問だな。いいぜ、引き受けた」
「本当に、ありがとう。あなたと出会えて良かったわ」
式が始まりドアが開く。その先にはシンジが待っている。
彼へと続く紅いカーペットの上をアタシはケンケンと腕を組んでゆっくりと歩き出す。
アタシの腕は父親役のあの人から、伴侶となる彼の腕にバトンタッチされる。
「碇、アスカのこと。よろしく頼むぜ。まあ、お前なら大丈夫だな」
「うん、まかせてよ」
彼と誓いのキスをしたときマリの声が聞こえた気がする。
「姫、幸せにね」
何言っているの。アタシとマリとシンジ、3人で幸せになるにのよ。3人一緒だからね。
アタシはそう姿の見えない彼女に言ってやった。
ひとりではダメでも私たちならきっとどんなことでも乗り越えていけるはず。
そう思っていた時期がアタシにもありました・・・
「まあ、アンタがこれからのことを真剣に考えたうえでの選択っていうのはわかる」
「ありがとう」
「分野もアタシの研究が応用できるから、シンジだけじゃなくアタシの活躍の場ができるのは・・・うん、素直に嬉しいわ」
「ホント、偶然だよね」
「色々あったから転職するタイミングが伸びて伸びてこうなってしまったというのも、理解できないわけじゃないわ」
「でも、いい機会じゃないか。俺たちの新しい生活が始まるわけだし」
アタシは大きく息を吸い込むと、その場にいるみんなが思わず振り返るくらいの大声をシンジにぶちまけた。
「だからってこの会社はないんじゃない!?」
「だってこの会社にいくことは前から決まっていたし、なにより給料がいいんだよ!?それに知っている人ばかりだし・・・」
「その働いている人材が問題だっつーの!」
駅のプラットホームでアタシはもう一度大声を上げた。アタシ達は新しい生活を新しい場所で迎えることとなる。場所はあの第3村の近く。会社は農作物の自社生産、販売を手掛ける上り調子の会社だ。
シンジの前職の経験も活かした所謂ヘッドハンティングだがその会社が気に食わない。会社名は渚ファーム。あのナルシストホモを社長とする会社だ。副社長は加持リョウジ。営業部長にミサト。生産部長がホモと結婚したエコヒイキときたもんだ。悪い予感しかしない。
な〜にが『アットホームな会社です!』よ!そんなのはブラック企業の常套文句じゃない!
引っ越し費用は会社持ち、大きい新築の3LDKの社員寮入居、幹部待遇という三顧の礼をもってシンジを迎え入れたらしい。シンジと結婚したあとに、驚かせるためにアタシには何も言わないほうが良いという釘をさしてまで。そのことをナルシストホモに抗議したら
「僕はシンジ君と一緒に働きたいだけだから、そのためなら苦労は厭わないさ。ああ、オマケで君のポストも用意してあるから、存分に働いてくれよ」
と、ありがたいお言葉をいただいた。エコヒイキからは
「碇君と一緒に、農作業したい」
と聞いてもいない願望を延々と言われた。もうやってられない。
マシなのはケンケンが働いている全国チェーンのホームセンターがホモの会社と専属契約を結んでいて担当マネージャーがケンケンというくらいだ。大丈夫よね?掘られてないわよね?
「もう決まっちゃったことだから、今更あがいても仕方がないけどさ」
アタシはふてくされたように呟く。シンジは苦笑いを浮かべる。
「でも、きっと楽しいよ。毎日が」
「そう願うわ・・・」
線路の先からアタシ達が乗る電車が向かってくるのが見える。アタシはマリの遺品のピンクの眼鏡をかけた。
「アスカ、それは・・・」
「うん、マリの使っていた眼鏡。度は入ってないから伊達メガネだけど」
「だと思った」
シンジは立ち上がると振り返り手を差し伸べる。
「行こう。アスカ。そしてマリ」
アタシは差し出された手を握り返す。
「ええ、3人一緒に・・・ね」
アタシは立ち上がると握りしめた彼の手を強く握りしめ共に電車へと飛び乗った。
電車が動き出し、アタシ達をここではない新しい場所へと運び始める。動き始めた風景を見ると、ふと赤い海の浜辺にいたもう一人のアタシのことを思い出す。
赤い海の浜辺でずっと一人で待ち続けたアタシはシンジの好きだったという言葉を聞いて全部の心が氷解した。そしてアタシと離れた彼女の魂は、彼女の世界のどこかにいるシンジを探しに旅立っていった。その心は新しい場所でもう一度はじめるアタシ達のように希望でいっぱいだったはずだ。
きっとアタシ達はこのレールのように、付かず離れず。手を伸ばせば届く距離を保ちながら同じ場所へ向かって走り続けていくだろう。
いつだって、希望という貨物をその手に握りしめながら。
「アタシ・・・寝てた?」
アタシはゆっくりと体を起こす。ふと周りを見渡すと、あのときの赤い風景のまま時間が止まっているようだ。波の音だけが聞こえる。
そしてアタシの傍には、小さな足跡だけが遠くへと伸びている。アイツの足跡だ。
会いたい。ただアイツに会いたい。
アタシは立ち上がると足跡を追って走り出す。プラグスーツが変に体にまとわりついて動きにくい。
「きゃっ!」
プラグスーツに動きを囚われて転んだ。よく見るとアタシのプラグスーツは至る所が破けている。まるで体が大きくなり破けた後に、体が元のサイズに戻ったように。
「もう!邪魔!」
アタシはプラグスーツを破り捨てると、裸のまま走り出す。本当は服や靴を身に着けるべきだろう。でも、そんなことに構っていられない!
一番じゃなくてもいい。プライドなんかいらない。アイツがいてくれたら、アタシはそれで良かったんだ。誰よりも臆病で、いくじのない、バカみたいに優しいアタシのことを好きだったと言ってくれたアイツ。
もっと話をすれば良かった。意地を張らなければよかった。認めればよかった。手を伸ばせばよかった。
アタシ達はいつだって正しく間違える。
もう間違えない。
アイツの姿が見えた。アタシはアイツの名前を呼ぶ。
ビックリした顔が可愛い。アタシはアイツに抱き着いた。勢いが余ってアタシ達は倒れこむ。汗臭いアイツの香り。でも、それがイイ!つい笑いがこみあげる。アイツの上でバカみたいに笑うアタシにアイツは不思議そうな顔を浮かべ。そしてアイツもつられて笑った。伝えよう。本当の気持ちを。
間違いだらけのアタシ達は、きっとここから始まるんだ。間違えないように。踏み外さないように。今度こそずっと一緒にいられますように。
アタシ達が本当の意味で結ばれた日、人類は赤い海から帰ってきた。全員ではなかったけど、それでもほとんどの人が帰ってきた。
あれから何年もの月日が流れて、テレビから流れるニュースはいいことばかりじゃないけど、前よりは優しい世界になったと思う。
アタシは大きくなったお腹を撫でながら風が流れる窓の外を眺める。
この子にはアタシ達がもらえなかった愛情をたっぷり与えよう。
そしてパパとママがどれだけドラマティックな出会いと恋をしたか教えよう。
きっと世界はどんなに醜くても、生きていれば素晴らしい世界になるはずだから。
そんな世界にあんな過ぎたオモチャはいらない。
ありがとう。そしてさようなら。アタシとアイツのエヴァンゲリオン。
ドアが開いてアイツが帰ってきた。
アタシ達家族を守るために戦い続けるアイツをいっぱいの笑顔で迎えよう。
「おかえりなさい。バカシンジ!」
あとがき
あぐおです。5年ぶりの活動です。
シン・エヴァを同じエヴァファンである妻と一緒に見に行った後、色々考察したうえで「あのラストシーンの世界を維持したままLASを書けばどのような世界ができるのか?」を念頭に置きながら書いてみました。テーマは一応「大人のビターLAS」です。
今回のストーリーは女性から見たシン・エヴァのラストシーンからの流れになっています。女性から見ればマリとアスカとシンジの三角関係で、それはドロドロしたものではなく、お互いを尊重しあった気持ちのいい関係をずっと続けていくと考えられるそうです。
少なくてもアスカはずっとシンジのことを待ち続けているように思えました。アスカにとってシンジは白馬の王子様であり、そしてその願いは叶えられました。
ケンスケは大人でカッコいい、みんなの背中を押してあげる存在として書いてみました。
シン・エヴァのストーリーは本当に難しい。捉え方は十人十です。立ち位置が違えば捉え方は大きく異なります。そこが面白いところでもあり、難しいところでもあります。
題名である1435mmはレールとレールの間の距離の標準軌と言われている世界基準の長さです。左右のレールが続いていくのを哲学的に解釈すると付かず離れず同じ距離感を保ったまま一緒に目的地へ向かうように見えるそうなので、それが理想的な人間関係のように思えるそうです。確かに夫婦円満の秘訣は3mの距離と言いますしね。そんな微妙な距離感を表現できていればいいなと思いました。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
2021/04/07 改稿