今年の社員旅行の行き先は伊豆の下田だった。

 今どき、社員旅行なんてやらない会社も多いことだろうが、私のところでは健在、しかし昔のようにバスを仕立ててということはなくなって、夕方までに現地集合、宴会をやって翌朝解散というシンプルな形態である。

 普通の人は、その前後にテニスやゴルフや観光に精を出す。私は、当然、どこへ行こうかというよりは、何に乗ろうかと考える。私はもともと神奈川県で生まれ育ったので、遠足といえば2回に1回ぐらいは伊豆・箱根方面だった。家族連れでもたびたび出かけている。したがって、目新しい線というと少し先へ行かねばならない。結局、乗ったことのないいちばん近い線ということで静岡県の岳南鉄道を選び、 もうひとつ、 三十年以上ごぶさたしている大雄山線(伊豆箱根鉄道)に寄ってみることにした。
 

 金曜日の朝、使い切れる見通しのない青春一八切符を買って出発した。品川から九時二七分発の東海道線快速アクティーに乗る。平日は品川始発で、全部2階建ての編成、2階もわりとすいていた。

 今日も暑い。旅先での私のビール解禁時間は通常十時ということにしているのだが、品川駅で買ったビールが温まってしまうので、仕方なく(?) 九時四〇分に缶を開けた。

 前にも思ったのだが、2階席は天井が低いのはやむをえないとしても、窓と直角に飛び出ている網棚がうっとうしい。乗り慣れている人は、車両の前後の1階建て部分のゆったりした席をねらっているようだ。

 隣のボックスは女子大学生4人のグループで、今夜はどこかでバーベキューをやるらしい。その向こうはナイス・ミディーの年齢にはかなり前から該当していそうなおばさん3人組、ところが、別荘か何かの鍵を忘れたといって一人は川崎で下車。ご苦労なことだが、早く気がついてよかった。横浜を過ぎると立つ人も少し出る混雑となった。

 当初予定では、この日に大雄山線と岳南鉄道に乗るつもりだった。しかし、下田というと伊豆半島も先の方だから、宴会の前にゆっくりと温泉に入ろうと思うと、その前がかなりあわただしい。それで、大雄山線は翌日にしようかな、しかし、だからといって岳南鉄道の出る吉原に直行というのも芸がないな、などと思っていたら、国府津から御殿場線乗換えの案内放送があった。よし、ほかに回り道もないし御殿場線回りにしよう、ということで、一〇時二五分国府津で降り、七分の接続で御殿場線に乗った。この間に駅弁を買うこともできた。内田百*間の「区間阿房列車」に、遅れていた東海道線から御殿場線への乗換えが間に合わなかった話があったのを思い出した。

 御殿場線は湘南色の3両編成、キャンプか何かに行く小学生の団体でかなりの混雑だった。途中、にわか雨でも降ったか、地面の濡れているところもあった。山北で交換したあと、川と交錯しながらの登りとなる。今年は渇水で、川の水は少ない。谷峨(やが)で小学生の団体が降りて静かになり、駿河小山で「あさぎり」と交換した。富士山は雲の中で見えない。

 かつての「本線時代」を思わせる風格の御殿場駅を過ぎて、早めの昼食とした。このごろ、旅先では、幕の内弁当のおかずをつまみにビールを飲むことが多い。夏は特におかずの味を濃くしているようで、ビールが進む。

 静岡県にはやはり茶畑がかなりある。もちろん田んぼも多く、イネは素人目にはよく育っているようだ。モダンな駅舎の岩波、次いで元三島の下戸狩での交換を経て、一一時五二分沼津に到着した。
 

 東海道下りでほんの少しうとうとしてしまい、はっと気づいたら吉原で、あわてて下車した。跨線橋を渡って、いよいよ岳南鉄道のホームへ。待っていたのは、なつかしい下ぶくれのカエル顔の元東急五〇〇〇系の2両編成。一二時二五分に上りが着くとすぐ発車になった。赤い塗装はまだかなり鮮やかだが、シートはくたびれ、窓はだいぶ汚れている。

 しばらく東海道線と平行して走ってから右へカーブしていく。川を渡るときにへんな臭いがしたのは、製紙工場によるものだろうか。乗客は二〇人ほどだったが、二つめの吉原本町とその次の本吉原でかなりの出入りがあって、以後一〇人前後で推移した。

 岳南原田は製紙工場の中の駅で、このあと工場のタンクやパイプ群の中をかきわけるように進む。途中、各工場への専用線があちこちにあり、ED四〇というかわいい電機がいるのが見える。岳南富士岡の車庫にはED二九というのがいた。

 須津(すど)の手前で早くも切符が回収され、終点の岳南江尾(えのお)で下車したのは五人だった。うち一人は改札とは反対側の道に姿を消した。

 岳南江尾は新幹線の線路のすぐ脇にあるが、互いにわれ関せずという風情である。何もない終点だと聞いていたので田んぼの中の駅なのかと思っていたが、実際にはかなり人家があって、畑のある住宅地というところだ。しかし、確かに、駅も民家のひとつという感じで、駅前らしさはない。

 場合によっては次の電車を待とうかと思っていたのだが、やっぱり三分後の上りで折り返すことにした。貨車の列の間を遠慮がちに進む。行きと同様、本吉原で交換。次の本町では、柱につけられた縦長の駅名表示に、次の駅として吉原が示されている。もと一部の電車しか止まらなかった日産前は無視されたかっこうだ。

 二一分で吉原着。東海道線ではまた居眠りをして、気がつくとやたらに長いトンネルを通過中で、もう丹那トンネルなのだった。

 熱海で伊豆急直通の伊東線に乗換える。JRの湘南色の電車だったが、伊東から案内の女性が乗ってきて少し伊豆急らしくなる。大島と利島が手に取るように近くに見えた。四時前、下田着。
 

 帰りは、当初予定の伊豆箱根鉄道大雄山線に乗る前に、鉄道フォーラムで案内が出ていた「箱根の鉄道」という展示を見にいった。

 会場は箱根町役場隣の箱根町立郷土資料館であるということだけ記憶してあてずっぽうでいったら、たどり着くのにだいぶ手間取って昼になってしまった。実は何のことはない、もっとも手近な箱根湯本駅のそばだった。町役場と離れたところで町役場を尋ねると、普通の人は役場の地元の出張所を思い浮かべるようだ。展示自体は一部屋で小規模だが、なかなか充実したものだった。

 さて、小田原に戻って、大雄山線に乗る。

 起点の小田原で待っていた3両編成の電車は、九つのドアのうち二つだけ開けて冷房効率を上げていた(発車直前に全部のドアを開けた)。 沿線にはもちろん田畑や工場もあるが、住宅地が多い。東海道線・小田急をくぐり、川を渡り、と変化に富んでいる。駅舎も新しいものが多く、コンビニやマンションが入った駅ビルもあった。

 終点の大雄山駅で降りて、町を少し歩く。何の変哲もない町並みだが、街道筋の町の面影を残している。

 しかし暑い。道了尊へ行く元気もなく、駅へ戻る。帰りの電車はクロスシートだった。

 前に大雄山線に乗ったのはたぶん三〇年以上前の中学生のころで、具体的なことは何も覚えていないが、今思うとのんびりした電車だった。

 今の大雄山線は、3両編成の冷房つきの新造ステンレス車が一二分ヘッドで運転されている。同じ行き止まり路線とはいいながら、大雄山線は前日の岳南鉄道とはえらい違いである。もちろん、起点が新幹線停車駅、終点からバスで名刹道了尊などへの接続があるなど、条件は比べものにならない。偶然だが、両者とも全線の所要時間は二一分である。