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 (「門司港・ゆふいんの森1日紀行」に書いたように,1月18日に九州へ入り,19日は大分で雪に遭いました。その後,いろいろあって,仕事の最終日の23日(金)は,南国宮崎の市内でもみぞれ混じりとなり,女子高校生がきゃあきゃあいってました。以下は,その日の夕方からの話です。)
1. 日豊本線・吉都線

 せっかくやってきた九州なので,仕事が終わる金曜日の夜はどこか温泉にでもと思い,いろいろ調べた結果,吉都線の京町温泉に泊まることにした。

 金曜日,宮崎市内は雨で,かなり寒かった。山沿いは雪になり,高速道路は閉鎖だという。仕事は予定通り終わり,宮崎駅で「日豊本線,吉都線,肥薩線,鹿児島本線,豊肥本線経由」で大分までの切符を買った。16:43 の日豊本線の普通列車に乗るべく,改札口を入った。宮崎は改札口を入るとすぐ階段で,ホームまではあっけないほど近い。
 日豊本線は雪で遅れていて,ホームではかなりの人が列車を待っていた。折り返しになる列車は 16:50 ぐらいにやってきて,17:05 ぐらいに発車になった。
 車内は高校生が多い。市内をはずれるとすぐ雪がどんどん深くなってきて,田野では本当に雪山の趣となった。サミットに近い青井岳の駅では,ポイントをカンテラで暖めていた。

 薄暗くなった青井岳で少し停車し,運転手さんはホームの雪を踏みしめて車掌さんのところへ歩いていった。それを見ていた子どもが数人,ホームへ降りて雪合戦に興じる。静かな無人駅に子どもたちの歓声がこだました。やがて運転手さんは,こんどは車内を通って運転席へ移動し,途中で外の子どもたちに向かって「出るぞ」と叫んだ。
 だいぶ遅れて発車し,やがて都城の盆地へ下っていく。餅原(もちばる)からは人里が近いことを感じさせる。検札があったので切符を見せたら,車掌さんの手が止まり「えっ,大分?」「ええ,こっち経由です」しばらく切符を眺めて,無罪放免となった。

 都城へは 17:38 につくはずだったが,遅れて18:15に到着した。接続するはずの 17:41 の吉都線がもしかしたら待っていてくれるかなと思ったが,待ってはいてくれず,次は 19:04 発である。改札口を出るとすぐ近くに焼鳥屋があったので,ちょっと暖をとる。後で聞けば,都城市内での積雪は6年振りだという。
 急行「えびの」が少し遅れてやってきたので,3分遅れで発車した。すでに外はまっ暗で,雪が列車の明かりに照らされてほのかに浮かび上がる。ただし,青井岳付近ほどの量ではない。列車は淡々と走り,やがて沿線最大の小林駅に着く。 宮崎市内の私立高校の生徒が数人,この付近まで乗っていた。宮崎駅からのバスも入れると,優に2時間はかかるに違いない。

 ほぼ遅れを解消して,20:24 京町温泉駅着。ここは雪は積もっていなかったが,風は冷たい。徒歩5分で宿泊予定のホテルへ。

2. 肥薩線

 翌朝外を見ると,雪がちらつき,山は淡い雪化粧をしていた。雪の中の露天風呂で暖まってから出発,かなりはげしくなった雪の中で待つことしばし,9:28 発の急行「えびの」に乗った。2両編成で,2駅目の吉松から方向を変えて肥薩線に入る。
 肥薩線に乗るのは10年振りである。前のときは快晴の12月で,今回と逆に八代から乗って,都城へ出た。けっこう風は冷たかったけれど,日差しはやはり南国のものだったという印象がある。今日は,雪が一時も休みなく降っている。

 吉松を出て,最初はチョコレート・ケーキに粉をまぶしたような感じの景色だったが,登るにつれてどんどん雪は深くなり,やがて,屋根の上の雪は20cm以上になった。屋根でこれだから,ちょっと脇道などでは50cmぐらいにはなっているだろう。始めのうちにぎやかだったグループ客も,神妙な表情で外を見つめている。
 真幸,大畑のスイッチバックも完全に雪の中で,かつての奥羽本線を思わせる風景だった。大畑では下りの「えびの」と交換し,こちらが後に着いて先に発車となった。大畑のループ線は,雪の中では方向感覚がまるでなく,まったく実感できなかった。
 スピードが上がって,やがて人吉着。ここで乗客が増えて座席はほぼ埋まった。 人吉を出てしばらくすると,球磨川に沿った区間になる。高山線,水郡線など,川と並行していく路線はどこも景色がいいが,今日はここも雪景色でひと味違う。 川幅が少し広がったあたりは,ミニ・ライン川という感じである。

 急に雪が少なくなると,八代である。「えびの」はそのまま鹿児島本線に入り,宇土付近では久しぶりに青空が見えた。宇土から出る三角線にも乗りたいが,今回は時間がない。11:51 ごろ,約3分遅れで熊本着。


3. 豊肥本線

 ここから豊肥本線に乗って再び九州を横断する。大分県との県境を越える列車が少ないので,この時間だといずれにしても特急「あそ3号」に乗ることになる。しかし,途中までは各駅停車で行くことにした。(結果的にはこれはあまり正解ではなかった。)

 急いで弁当と燗酒を調達し,12:00 発の各駅停車宮地行きに乗る。2両編成の赤いディーゼルカーは満席,クロスシートだがテーブルがないので通路側の席では弁当を食べるのが難しい。それに隣が高校を出たてぐらいの女性なので,酒を飲むのも気が引けて,昼食は立野を出るまで1時間お預けになった。
 熊本市内は雪がなかったが,肥後大津あたりから雪が目立つようになり,阿蘇山は,外輪山もカルデラの中も真っ白だった。11:53 立野着。私は2年前にもここへ来たが,そのときは南阿蘇鉄道に乗り換えたので,立野のスイッチバックとその先は初乗車となる。かなりたくさん下車して,やっと弁当を食べる空間ができたが,スイッチバックを過ぎてからにしよう。

 11:56 立野を発車,いよいよスイッチバックである。これまでスイッチバックはかなり体験した。本州については,普通に旅客列車で行けるところは全部(ただし80年以降に現役だったところ)行ったと思う。それらに比べて立野は,まずバックする区間が長い。しかも,その間,カルデラの谷を見下ろしてぐいぐいと登るので,まことに雄大である。今日は,真幸,大畑と合わせ,雪のスイッチバックを3つという貴重な経験をした。
 スイッチバックを過ぎて,やっと昼食。酒はすっかりぬるくなっていた。

 その先は完全な雪国だった。特に,内牧から先は猛吹雪の八甲田山状態で,視界2メートルぐらいの区間も長く,ダイヤ通り走っているのが不思議なくらいだった。阿蘇駅そばのウェスタンガーデンもすっかり雪に埋もれて寒々しい。13:40 ごろ,ほぼ予定通り終点宮地着。しかし,この雪ではまったく外へは出られないので,おとなしく,特急を待つ。

 3両編成の特急「あそ3号」は少し遅れて14:05 ごろやってきたが,これがなんと満席で,デッキや通路に立っている人もいる状態だった。外輪山を越えるべく,次の波野駅直前まで急勾配の登りが続く。走りはおおむね快調だが,外は雪また雪でほとんど何も見えないままトンネルに入り,出るとサミットで,まもなく波野駅に着く。やれやれと思ったが,ここで停車したまま,なかなか発車しない。先の線路の状況を見ているようだ。立っている身には動かないのはつらい。 車内販売の人が乗っているのだが,混んでいるのでワゴンは思うように動けず,ときどき飲み物を袋に持って回っている。しかし,ビールは売り切れていた。
 サミットを越えて,雪の方も少し小降りになった。結局30分ほどしてようやく発車になった。次の滝水でも少し停車し,県境を越えて豊後竹田には約40分遅れで着いた。順調であればここで降りて,次の各駅停車まで竹田の町を散歩するのもいいかなと思っていたのだが,それも無理になったので,そのまま乗り続ける。
 大分県に入って雪はしだいに少なくなったものの,大分市内の周辺部でも少しは積もっていた。40分遅れのまま,16:20 ごろ大分着。


 この後,大分空港へ行くバスも雪でのろのろ運転,さらに飛行機もダイヤが乱れていた。一時は夜行で帰ることも考えたが,大分空港は市内から遠いのでそれもたいへんだ。飛びそうな便に変更するため各航空会社のカウンター間を走り回っているうちに,予定の便が飛ぶことになり,これまた30分遅れで出発。九州を出てしまえば快晴で,町の明かりが美しかった。

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