可部線リターンマッチ

――――続・広島終着駅紀行

(2000年) 

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 広島県の山の中へ向かう可部線に乗りにいったがあえなく挫折(「山口・広島終着駅紀行」参照)してから1か月半,岡山へ行く用事ができたので,その帰りに再び挑戦してみることにした。

(1)

 朝,岡山から広島に移動し,前回より1本早い8時23分発の可部線可部(かべ)行きに乗った。4両のロングシートの電車である。
 先月も乗った可部までは単線ながら電化され,朝は1時間に上下各5,6本運転されていて,広島の都市圏輸送を担っている。
 安芸長束(ながつか),下祇園,古市橋と,立て続けに交換がある。下祇園では,そばにパワーショベルの工場があって,青い鎌首がずらっと並んでいた。アストラムへの接続駅・大町ではもっとも多数の降車客があった。
 高速をくぐり,緑井では左に広行き始発が止まっていた。梅林を過ぎるとちらほら畑が見えるようになる。上八木ではすぐ左に道が並行し,いかにも元軽便鉄道の趣である。
 築堤を上がり,再び太田川を渡り,山が迫って,9時05分,可部の頭端式のホームに着いた。

(2)

 食料を買って戻ると,通過式のホームに鮮やかな黄色の三段峡行きディーゼル車両(1両)が入線していた。当初各ボックス1人ぐらいでのんびりムードだったが,次の9時25分着の電車からドドッと乗り換えがあり,立ち客も出る混雑となった。今日は1本早いのに乗って正解だった。
 9時26分,ハイキング客多数を乗せて発車。次の河戸(こうど)には,「河戸駅まで電化早期実現」という看板が出ていたが,可部から先を廃止という話もある中ではかえって寂しい。河戸まではそれまでとあまり変わらず山の中腹にまで家があったが,初のトンネルをぬけると田舎の風景になった。
 線路は以後,激しく蛇行する太田川に忠実に寄り添って進む。今井田で中学生のグループが下車し,少しすいた。
 毛木(けぎ)は,山中に突然現れた中国自動車道の下にある。次の安芸飯室は,戦前終点だった駅で,交換の設備があるが,上り列車の間隔が3時間以上もあるこの時間は,交換はない。
 川は蛇行するだけでなく,川幅を大きく変える。安芸飯室では河原が広々としていたが,小河内(おがうち)からしばらくは深い谷になる。この山間の小駅・小河内まで,意外なことに広島市内だという。トンネルの合間で,川がすぐ右に近づく。美しい流れに新緑が映える。
 しかし,非電化区間全体では,本当に山の中のローカル線という感じの部分はむしろ少なく,加計(かけ)の市街地を筆頭にかなり人家が多いように見えた。
 坪野を出たところで,右に木造校舎が見えた。その少し先では,川に沿った急カーブを最徐行で進んだ。

 加計では2分停車,駅員がタブレットを持参した。3分の1ほど下車して,落ち着いた雰囲気になった。右に上り始発電車が止まっている。
 木坂の手前から段々畑が多くなった。木坂のホームも斜面の途中にある。菜の花が色鮮やかだ。殿賀(とのが)は築堤の上の駅で,川沿いの家々を見下ろしている。ひとつおいて,土居も築堤の上にあり,住居より一段高いところにある墓が目の前にあった。墓石に「倶會一處」と刻んであるのが見える。
 終点のひとつ手前の戸河内(とごうち)は,駅前に町役場や「ふれあいセンター」があり,戸河内町の中心駅である。ここでハイキング客はほとんど下車し,残り13人となって,10時59分に終点三段峡に着いた。

(3)

 小野田線本山支線の線路は海を前にして終わっていたが,可部線の線路は川に向かって途切れ,その向こうには深い緑があった。
 駅前には小さな広場に蒸機が置かれていた。右の山奥へ向かう道や,その反対側にあるみやげ物店の感じが,秩父鉄道の三峰口を思わせた。
 わずか6分の滞在で,11時05分発の可部行きで折り返す。客は8人でスタートした。加計から車掌が乗ってきた。
 安野の駅のそばではレンギョウとモクレンが満開で,家族連れがその花園を独占してピクニックをしていた。
 可部着は12時28分,すぐ電車に乗り換えて,13時ちょうどに広島に着いた。往路は135分かかったが,帰路は114分で,下り坂は20分以上速かった。

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