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TOKYO FILMeX 2000

★★★★★=すばらしい ★★★★=とてもおもしろい ★★★=おもしろい ★★=つまらない ★=どうしようもない

【2000年12月17日−12月24日 ル・テアトル銀座】

www.filmex.net

「アジア[新・作家主義]映画祭」なんだそうだ。プログラミング・ディレクターは1999年まで東京国際映画祭のシネマ・プリズムを担当して、2000年は香港映画祭を組んだ市山尚三。メイン・スポンサーは朝日新聞社とJ-WAVE。運営がオフィス北野とT-MARKってとこ(←これが市山尚三の会社なのかな) たけしがCMに出てる絡みでジョニー・ウォーカーから金を引っ張ってきてるらしく本篇上映前にはCMがご丁寧に3バージョン流れる(そのかし、夕方の回はロビーでジョニ黒 呑み放題だった) コンペ作品と招待作品を合わせて二十数本が上映された。コンペと招待の違いがいまひとつよく判らんが、まあ、おれは観られれば何でも良いので、日本での配給元が決まっていないと思われる作品を中心に観に行った。スタッフの現場仕切りがむちゃくちゃ要領が悪かったけど、これはまあ第1回ってことで大目に見ましょう。それよか(宣伝が足りなかったのか)会場がどの作品も…人気ゲストの来ない作品は特に…ガラッガラで、2001年もやるらしいけど、こんなんで運営は大丈夫なんだろうか。


悲しくなるほど不実な夜空に(宇治田隆史)

ピンク映画女優の葉月螢がヒロインを演じている自主映画(脱ぎは無し) もの哀しいジンタの音色に乗せて語られるのは「家族の絆」の物語。土方の父ちゃん失業中。プーの弟は働かず。しかたなく姉が(家族に内緒で)スカトロビデオに出演して稼いでいたのだが、それが親バレしてしまい…。 ● おれが許せないのはAVを賤業…つまり蔑まれてしかるべき職業としてとらえてることだ。親バレったって、仕事のない親父がテメエでエロビデオ借りに行って見つけたんだぞ。それって「援交女子高生に説教する、客の中年おやじ」と一緒じゃねえか。てゆーか、その倫理観はいつの時代のものなのだ。アンタいったい幾つだよ。山田洋次か?>宇治田隆史。で、また、AV出演を責められたヒロインが「アンタ、あたしのウンコで食べてんじゃないのよ」とか開き直って酔って吐くとかそんな陳腐な描写、よく恥ずかしくないもんだ。投げやりになって「お尻の穴まで舐められたよ、…男に」って、あのさイマドキそこらのカップルでもケツの穴ぐらい舐めるっちゅうねん。…えっ、舐めない?(火暴) ● 自主映画だが撮影&照明はきちんとしている。ロケ地は和歌山市のようだが、誰も関西弁を喋らないのはわざと?(和歌山市って関西弁エリアじゃないの?) ただ、いちおう「コンペ作品」なのに日曜日の夜9時から1回だけの上映ってのは、事務局もあんまりじゃないかと思ったけど。

★ ★
ダイ・バッド(リュー・スンワン)

不良高校生がケンカで誤って他高生を殺してしまい、7年服役してシャバに出たものの世間の風は冷たく、結局やくざになって自滅する…という話を4つのパートに分けて、パート毎に「ビー・バップ・ハイスクール調」「ホラー調」「ドキュメント調」「モノクロVシネマ調」とタッチを変えて、オムニバス映画のように構成された韓国映画。本邦の石井克人によく似て、カット割りとか演出のセンスが安〜い劇画そのもの。チョコザイなだけで“映画”って気がしない。好きじゃない。

★ ★ ★
ジュリエット・イン・ラブ(ウィルソン・イップ)

香港映画祭2000で上映された「爆裂刑警」のウィルソン・イップ(葉偉信)の新作。ひょんなことから「やくざの親分が愛人に産ませた赤ん坊」を預かることになった天外孤独のチンピラ(ン・ジャンユー)とバツイチ女(サンドラ・ン)のラブストーリー。「爆裂刑警」に続いて、またも擬似家族もの。てゆーか「縁」についての映画である。ン・ジャンユーはいい年こいて目の出ない「どうってことないさ」が口癖の情けねえチンピラがピッタリなんだが、香港の山田邦子ことサンドラ・ンでラブストーリーのヒロインはちょっとキツい。同じ呉さんならン・ガーライ(呉家麗)を使えば良かったのになあ。やくざの親分にサイモン・ヤム。サンドラ・ンに惚れてる堅物中年にエリック・コット。 ● 始まりと終わりはVシネマそのものなのだが、「爆裂刑警」では刑事もの、本作はチンピラもの…と、一見、Vシネマのパッケージのように見えて、ストーリーがジャンルムービーの定型から逸脱していくところがウィルソン・イップの持ち味のようだ。香港でも(たぶん)新界地区と呼ばれる郊外が舞台で、一歩 町を離れれば中国本土のような自然が広がるロケーションも大きな魅力。クレーン(ドリーって言うのかな)を使いまくりで、なんと「天使のはらわた 赤い眩暈」「ヌードの夜」で石井隆が“発明”した“魂”の滑空シーンまである(!) ● 原題は「ジュリエットと梁山伯」。ジュリエットはもちろん「ロミオとジュリエット」だけど、梁山伯ってのは「水滸伝」じゃなくて「梁山伯と祝英台」という何度も何度もリメイクされている有名なメロドラマの♂主人公の名前だ(そのいちばん新しいバージョンがツイ・ハークの退屈な「バタフライ・ラヴァーズ」) つまり日本で言えば「ジュリエットと貫一」だな(そうかあ?)

★ ★ ★
反則王(キム・ジウン)

おれは迷っている。映画ファンとしてはたいへんに楽しんだのである。ノルマに追われる弱虫C調の銀行員が、ひょんなことから場末のプロレス道場に入門。あれよあれよというまに悪役覆面レスラー「ウルトラタイガーマスク」として大人気に…という堺正章がやるような映画である。主演の「シュリ」のハン・ソッキュじゃないほうはコミカルなアクションが達者だし、「カル」の高品格ことチャン・ハンソンが演じる貧乏プロレス・ジムの会長にはもちろん美人で勝気な娘さんがいたりと、コメディ映画のルーティンをきちんと踏んでいるし ★ ★ ★ ★ をつけてもいい出来だ。 ● だが、この映画、チーマーに苛められてた主人公がスーツの上からウルトラタイガーマスクを被ってチーマーどもをやっつける…という場内爆笑のシーンで1人、感動の涙を流していたようなプロレス・ファン(おれおれ)としてはちょっと容認しがたいのである。キム・イルこと大木金太郎が独りで興こしたと言ってもよい韓国プロレスは、一時期は幸福な時代もあったようだが、キム・イルの山師的な性格が災いして、いまや新日も全日もなく、ただFMWや大日本プロレスがあるだけという現状なのだ。わかりやすく言うと「スポーツ/格闘技としてのプロレス」が廃れて「いかがわしい見世物としてのプロレス」が残った、と。とうぜん本作もそうしたプロレス観に基づいている。それが証拠に主人公は最後にあっさりプロレスを捨てて(おまけにヒロインもフッて)サラリーマンに戻っていくのだ。しょせんプロレスは「大人が人生を掛けるに価しないくだらない代物」だってことか。絶対に納得できん。 ● 監督は「クワイエット・ファミリー」のキム・ジウン(金知雲) 敵役レスラーとしてニセ高山やらニセ・ベイダーやらが出てくるのが笑える。あと、サスガは力道山、「空手チョップ」は韓国語でも「カラテチョップ」なのだな。なぜかエンディング曲がもろムーンライダーズだった。

★ ★
プラットホーム(ジャ・ジャンクー)

「一瞬の夢」で鮮烈なデビューを飾ったジャ・ジャンクー(賈樟柯)の第2作。前作は中国政府の検閲を受けずに製作した非合法映画だったが、今回はいきなり香港=日本=フランス合作である。オフィス北野の製作で、本映画祭のプログラミング・ディレクターである市山尚三がプロデューサーとしてクレジットされている。 ● 「一瞬の夢」に続いて黒縁メガネの下条アトムが主人公。文化工作隊(つまり「劇団」ですな)に入隊したボンクラ不良が3時間5分に渡ってぐうたらぐうたらしてたら20年も経っちゃいました…という話。女にもモテないくせにカッコばっかつけてる短足ガニマタの主人公が、二言目にゃ「おらぁ頭脳労働者だからよ、文化活動に従事してるんだからそこらの工員と一緒にしてもらっちゃ困るぜ」とか嫌味ったらしいとこまで、まるで松本零士の四畳半ものから抜け出してきたみたいで、切なさが胸に染みる場面もあるし、悪い映画じゃないけど「ぐうたら」に3時間5分はつきあえん。2時間で退出。 ● 舞台となるのは「一瞬の夢」と同じ中国は山西省の地方都市、汾陽(フェンヤン) 映画の最初は文化革命末期で、劇団の演目も「毛主席万歳」てな歌ばかりだったのがポップスの波が押し寄せたりとか、家の中に洗濯機だのテレビジョンだのカセットテレコだのの家電品がだんだんと増えてきたりとか、経済自由化のあおりで劇団が独立採算性にさせられて運営が窮地に陥ったりとか、「ぐうたら」の中にも、さりげなく時間の流れをしのばせるってゆー監督の狙いは判らんでもないけど3時間5分は長いよ(←しつこい) ● ユー・リクワイ(余力爲)の撮影はあいからわず素晴らしい。会場に観に来てたハスミンだったら「主人公のキャラもストーリーも二義的なものであって、これは画面にあふれる光だけを観ていればよろしい」とか言いそうだけど、ある意味それは正しいかも、この映画の場合(長いけど) ● [追記]その後、2時間31分に再編集されて、2001年の12月にロードショーされた。

★ ★ ★
ウェイブ(マニ・ラトナム)

タイトルを伏せたままチケットを販売するというスニーク・プレビュー方式で上映された作品。マサラ映画らしいってことで不見転でチケットを買って観に行ったら、2000年の4月にインドで公開されたばかりのマニ・ラトナムの新作だった。前作「ディル・セ 心から」は、初めてヒンディー語で作られたマニ・ラトナム作品だったが、本作は南インドの本拠地マドラスに戻ってのタミル語映画である。音楽に「ムトゥ」の巨匠A・R・ラフマーンという万全の布陣。 ● 上流階級の弁護士を親に持つ大学の若大将が、医学部の苦学生である中産階級の娘に一目惚れ。階級の差を乗り越えて、駆け落ち同然にして結婚する。ここまでならばよくあるラブコメだ。だが本作でマニ・ラトナムが描こうとしているのは幸せに結ばれた2人の“その後”である。タイトルの「ウェイブ」とは、寄せては返す波のこと。つまり愛には潮の満干があり、強いときと弱まるときがあるけれど、決して波が絶えることは無い。すなわちそれが夫婦愛であり、それこそが真実の愛である…と言ってるわけだ。言ってみれば(2時間ちょいというインド映画としてはコンパクトな時間で)ロブ・ライナーの「恋人たちの予感」と「ストーリー・オブ・ラブ」を1本の映画で描いてしまってるのだが、あくまでも「結婚」という価値観に絶対の信頼を置いているところはインド映画ならでは。それに辛気くさいだけだった「ストーリー・オブ・ラブ」と違って、本作はラブコメとしてもきちんと機能しているし、なにより陶然とする美しいダンスシーンがあるのだ。勝敗は明らかだろう。 ● 映画の主役としてはかなり褐色度が高いヒロインは、子役出身のシャーリーニ。この作品を最後に結婚引退。「女優に未練はありません。これからは家庭がわたしの仕事」って、ちょっと出来すぎでしょ。物語の性格上いまひとつスカッとしない男性主人公は、マドハーヴァーン。

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