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m @ s t e r v i s i o n
Archives 2001 part 3
★★★★★=すばらしい ★★★★=とてもおもしろい ★★★=おもしろい ★★=つまらない ★=どうしようもない

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リトル・ニッキー(スティーブン・ブリル)

不貞腐れて人間界に家出した地獄の魔王の長男と次男を心やさしい三男坊が連れ戻しに行く話。アダム・サンドラー製作・脚本・主演による、素晴らしくクレバーなバカ映画である。これだけ身も蓋もなくクダらない映画に、あれだけのSFX予算を惜しげもなく注ぎこむ志の高さ! 主演スターが(意地悪な兄にシャベルで殴られた…という設定なので)最初っから最後まで口をゆがめて白痴しゃべりをとおして、しかも間違っても「フォレスト・ガンプ」みたいな感動には持っていかない。ウェルメイド方面に舵を切った「ビッグ・ダディ」を無かったことにするかのような割りきりの清々しさ! あまたの豪華ゲストスターを水洗便所のフラッシュのごとく使い捨てる潔さ! カエルを喰うのは蛇。蛇の天敵はマングース、ならば悪魔の化身コウモリには…といったじつに論理的な結末も素晴らしい。どこをどうとっても「世のため人のため」には これっぽっちもならないセルロイドの産業廃棄物。宵越しの銭は持たねえ江戸っ子の皆さんにお勧めする。 ● こういうバカ・キャラが主人公だと(しかも自分がプロデューサーなんだから)得てして「普段はバカだけどイザとなったらカッコイイ」となりがちだがアダム・サンドラーは最後までバカのまんま。おれ、本気で尊敬するよ、この人。 よりにもよってあのパトリシア・アークエットに「デザイン学校に通っててテディ・ベアの服を作ってるようなイタいおぼこ娘」を演らせる可笑しさ! 「ノッティング・ヒルの恋人」以来、マヌケなウエールズ人キャラの多かったリス・アイファンスが「果てしなく底意地の悪い地獄の魔王の長男」というイングランド人的キャラをじつに楽しそうに演じてる。 他のキャストも(知らないで観たほうが面白いと思うので誰が出てるか書かないが)みんなサイコー。 人間界の案内役を務める「しゃべるブルドッグ」の台詞が大阪弁字幕だという(めったに成功したためしのない)キワどいワザも見事に決まった。 いやあ、おれのバカ映画魂が燃えるぜ。もう1回くらい観に行っちゃおうかなあ…。

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ベティ・サイズモア(ニール・ラビュート)

脚本:ジョン・C・リチャーズ&ジェームズ・フランバーグ
娯楽映画なんてチョロいもんである。観客をヒロイン/主人公に惚れさせてしまえばいいのだ。そうすれば観客は何が起ころうと最後まで付いて来る。だが、この至極シンプルな命題を実現できずに苦しんでいる映画をどれだけ目にすることか。まだ監督3本目、本作が初のメジャー作品となる新鋭ニール・ラビュートは、開巻わずか数分でいともたやすくこの目標を達成する。観客はレニー・ゼルウィガーが演じる「ベティ・サイズモア」のヒロインを愛さずにいられない。彼女の愛嬌を、純真を、穏やかさを、…その狂気をもまるごとだ。 ● 殺人現場を目撃したショックで自分をテレビの昼メロの登場人物「看護婦のベティ」(=原題)と勘違いして、最愛の人であるハンサムな心臓外科医に会いに(「オズの魔法使い」のドロシーの故郷でもある)カンザスの片田舎からハリウッドを目指すキチガイ女・・・をヒロインとするコメディであるにもかかわらず、作者はキチガイ女を「笑いのネタ」に貶めることなく笑いを取るという離れわざを演じ、「目撃者を抹殺するためにヒロインを追ってくる殺し屋」にナンバー2の登場人物の位置を与えながら「ヒロインが命を狙われる(安易な)サスペンス」を狙わないという高潔さを示し、さらには殺し屋に名優モーガン・フリーマンを配して「映画の冒頭で殺人を犯した人物」をして観客に「チャーミングな良い人」と思わせるウルトラCにも成功している。驚くべき達成ではないか。しかも「ザ・エージェント」以来 5年ぶりのジャックポットを引き当てたレニー・ゼルウィガーの絶妙な演技がまだ勘定に入ってないのだ(!) ゼルウィガーはこれ(と、いま英米で大当たりしてる「ブリジット・ジョーンズの日記」)で今後10年はオファーが途切れないだろう。 ● 安っぽい昼メロの主演男優を、これまた絶妙に演じて笑かせてくれるのはグレッグ・キニア。途中で立ち寄るバーの女店長(ハリエット・サンソム・ハリス)や、故郷の親友スー・アン(キャスリーン・ウィルホイト)といった小さい役にまで脚本/キャスティングの神経が行き届いている。惜しむらくは、モーガン・フリーマンの反抗的な若い相棒クリス・ロックが吉本の若手芸人のように無芸なことで、こいつが甲高い声で感情のこもってない台詞を喋るたびに鼻白んでしまう。 ● 最後にひとつイチャモンを付けると、ビリングトップがモーガン・フリーマンなのは女性差別だと思う。これだけ明々白々なヒロイン映画だ。「ギャラの問題」なんて言い訳は通らんぞ。

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15ミニッツ(ジョン・ハーツフェルド)

今年のアカデミー賞授賞式でホストを務めたスティーブ・マーティンのオープニング・ジョーク「ショウビジネスの世界では、黒人も白人もアジア系も南米系もユダヤ人もキリスト教徒も皆、崇高な目的のために心を一にしています。その目的とは・・・パブリシティ!」 ● 2人の東欧人犯罪者が食い詰めてニューヨークにやってくる。冷酷で狡猾なチェコ人強盗犯と、ハリウッド映画ファンで「羊たちの沈黙」のタイトルを「サンレンス・オブ・ザ・シープス」と間違えて憶えてる“間抜けなイワン”だ。あてにしていた金が手に入らず、不貞腐れて場末のホテルで見るともなしに眺めたテレビの画面に映ったものは──人を殺しても精神鑑定でキチガイと認定されれば殺人罪に問われない。罪を犯しても裁判にさえ勝てば堂々と白日の下を歩ける。誰もが誰かに責任をなすりつけあって結局 誰も責任を問われない。自伝の印税や映画化権で殺人者が大儲けしてる。…そんな国の姿だ。おいおい この国はおれたちみたいな奴にはパラダイスじゃないか。2人の犯罪者は「殺人現場のビデオ」をテレビ局に高値で売りつけることを思いつく。これこそアメリカン・ドリームってもんだぜ! ● えーと、タイトルの意味が解らない人はいませんね? 監督・脚本は「セカンド・チャンス」「トゥー・デイズ」のジョン・ハーツフェルド。天に唾することになる可能性もある微妙なテーマを、見応えのあるアクション・エンタテインメントに仕上げた。間抜けなイワンのビデオカメラが、どう考えても「永久電池」を備えてるのだが、まあこれはアクション映画で使われる「百連発の拳銃」と同じと考えて不問とする。 デ・ニーロの「若い相棒」となるのが、ニューヨーク市消防局(NYFD=New York Fire Department)の「放火捜査官」で、拳銃を携帯し逮捕権限を持っている。最近は警官/保安官やFBI、シークレット・サービスだけじゃなく、DEAとかATFとか捜査官の種類もいろいろあるけど「消防署所属の刑事」ってのは初めて見た。「バックドラフト」なファイア・アクションもある。アンソニー・マリネリのスコアも緩急つかい分けて好印象。 ● NY市警の超有名人ベテラン刑事に、余裕の受け演技のNY人ロバート・デ・ニーロ(みずからの会社トライベッカも製作に参加している) 後半の主役となる放火捜査官に「旧いタイプの硬派ヒーロー」のよく似合うNYっ子エドワード・バーンズ。 東欧人犯罪者に、ちょっとロバート・カーライル似のチェコ人俳優カレル・ローデンと、UFC連続優勝の“ロシアの熊”転じて俳優となったオレグ・タクタロフ。 殺人現場を目撃してしまうチェコ人の美容師見習いに、青い瞳がおれを惹きつけて止まないヴェラ・ファミーガ(「オータム・イン・ニューヨーク」でリチャード・ギアと離れて育った実の娘に扮していたキレイな女優さん) 「トゥー・デイズ」繋がりでシャーリーズ・セロンがカメオ出演。 ● ヘラルド宣伝部が展開した「ネタバレ宣伝」は、普通に観ていても途中で「もしや…!?」と気がつく類のものだが、だからと言って堂々と観客に告知していいってワケではもちろん無い。よりにもよってメディアの「目立ったもん勝ち主義」を批判した映画の宣伝でそれをやるという無自覚さには呆れかえる(アンタらこの映画、観たのかほんとに?) 劇中の黒人刑事の台詞じゃないが…恥を知れ、恥を。

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ザ・コンヴェント(マイク・メンデス)

はじめにカタカナを3つ挙げる。デモンズ、バタリアン、ゾンバイオ・・・はい、いまピクリと反応したそこのアナタそうアナタですアナタ。この映画はアナタのための映画です。 ● ポップな笑えるゾンビ映画。とりあえず最初の30分は我慢してくれ。40年前の血塗られた惨劇 以来、閉鎖されている町外れの修道院(=コンヴェント)に、おバカな7人の高校生と犬1匹が入りこんで…という状況説明に必要な時間なのだ。30分が過ぎ、怪しい悪魔崇拝教の教主(普段はデイリークイーンのバイト君)が登場して、ちょっとした手違いから最初のデモンズが発生してからは、ジェニファー・ラブ・ヒューイットのパチもんみたいなヒロイン(ジョアンナ・カントン)に導かれて、大笑いしたままラストまで観ていられるから。途中からはゾンビ・ハンターのエイドリアン・バーボー姐御まで登場して、ゾンビの瞳や血のりの蛍光メイクも賑やかに、〆てたったの1時間20分。まだ27才の監督による、20代のうちにしか作れない(=いい歳した大人にゃバカバカしくて作る気になれない)快作である。ラッパーのクーリオが「いねえよそんな奴!」という奇抜なヘアスタイルの黒人警官役でカメオ出演。

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ボディ・ショット(マイケル・クリストファー)

昨秋、日比谷シャンテ・シネで観そこねてたのを新橋文化で落穂拾い。 ● LA。男4人と女4人の社会人が合コン。翌朝、女の1人がデート・レイプを警察に訴える。男は合意のセックスを主張。2人の証言は食い違う・・・なにやら「モーニング・アフター」+「羅生門」なサスペンスか?と思わせるオープニングだが、その実態は「フレンズ」あたりのTVドラマのスタイルをパクッたクダらん群像トレンディ・ドラマである。複数の登場人物がいちいちカメラに向かって「その時々の想い」を告白してくれるのだが、しょせん大したことを言ってるわけではないので、観てていい加減イライラしてくる。くったらくったら喋くってねえで、早いとこ物語を進めんかい! そのうえ「レイプ」の真相が[2人とも酔いつぶれて本当のとこは憶えてませんでした]という、思いきり脱力させてくれるもの。 ● 本作が後世に記憶されるとしたら、それはレイプの「被害者」を演じる(「アメリカン・パイ」「ルール」の)タラ・リードの天然豊乳ヌードによってであろう(そのかし演技に関しては恐るべき大根であることを露呈してるのだが…) 「加害者」として訴えられるアメフト選手に「スクリーム2」のジェリー・オコネル。 合コン・メンバーの1人の、弁護士に(出てくるだけで映画全体にB級感を漂わせる)ショーン・パトリック・フラナリー。 同じく女性陣の1人の、女弁護士に(このあと「隣のヒットマン」でブレイクする)アマンダ・ピート。主役格はこの2人で、それぞれのサイドの弁護を担当したために仲も気まずくなるのだが、互いに忘れられず和解してベッドイン。おっ。最後にアマンダ・ピートの美乳が拝めるか!と期待に股間を膨らませたら(裁判のことを思い出したのか)いいとこで途中停止。2人とも何となく白けて並んで天井を見てるカットで暗転。エンドロール。…って、それで終わりかい!(おれの1時間45分を返せ!) 「アメリカン・ヒストリーX」「追撃者」「ブロウ」(近日公開)のデビッド・マッケンナの脚本を、「恋におちて」「イーストウィックの魔女たち」「虚栄のかがり火」の脚本家マイケル・クリストファーが初監督(このあとバンデラス×アンジェリーナ・ジョリーのエロティック・サスペンス「オリジナル・シン」(近日公開)を撮っている) 製作総指揮の「マイケル・キートン」ってあのマイケル・キートンか?

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東京マリーゴールド(市川準)

「………。……恋人……いるんですか?」「…いるよ。この歳で普通の男ならいるんじゃない?」・・・ええ、悪うござんしたね、普通じゃなくて。 〈「ほんだし」発売30周年記念作品〉ということでCMのままに樹木希林と田中麗奈が母娘を演じる。田中麗奈は高校を卒業してOLになっており、樹木希林はなぜか彫刻家になっている。それなのに「ほんだし」発売元の「味の素」は製作に絡んでない(変なの) 登場人物は皆つぶやくように点々々の多い台詞をしゃべり、東京の街で ぽつんと静かに生きている・・・いや、それが市川準の考えるリアリティなのだし、好きな人にはこの「静かな時間の流れる東京」がタマらんのだろうが、もうおれはいいやこーゆーのは。30分ほどで途中退出。ま、とりあえずウチの三輪明日美ちゃんの出演シーンは観たことだし(正直に言うとひとつだけ気がかりなんだが・・・おれ、田中麗奈が「熱した蛍光管を素手で取り替える」シーンで出ちゃったんだけど、あのあと脱いでないよね?>最後まで観た方)

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踊るのよ、フランチェスカ!(ケリー・セイン)

空港のバーで(ウェイトレスの仕事の合間に)歌ってる元ショーガールの母親が、年頃の娘(音痴でダンス下手)をなんとかブロードウェイのオーディションに合格させようと、親友のピアニスト(♀)と2人で奮闘する・・・というストーリーのニューヨーク街角ミュージカル。ただちょっと普通の映画とちがうのは「母親」というのが、ウィッグ込みで2mはあろうとかというデ…グラマーなドラッグクイーン(しかもディヴァインより美人←どーゆー比較だ)で、「親友」もブロンドのカツラをかぶったアル中の女装男だってこと。「娘」だけは正真正銘の♀なんだけど、なぜか黒人。もっとも娘が黒人なのは「父親がサミー・デイビス Jr.だから」という説明がつくのでいいんだけど(←よくない) ● 2000年の東京国際レズ&ゲイ映画祭で上映されたというし、予告篇を観た段階では「ゲイ・テイスト満載のキッチュ/チープなビデオ撮りC級映画」かと思いきや、意外にもフィルム撮りで撮影も照明もきちんとしてるB級映画だった(台詞と歌の録音レベルがうまく整合とれてない感じはするけど) ミュージカル・シーンをすべてカメラ据え置きで撮ってるとこなどオーソドックスへの敬意さえ感じられる(ま、ワザを知らないだけって気もするが) 「ドラッグクイーン母」を演じるヴァーラ・ジーン・マーマンの歌はたぶん(ドラッグクイーンの伝統に則って)口パクで、踊りもショー・パブ芸のレベルだが、親友役の(なんと大学教授だという)マーク・デンディの踊りは玄人はだし。白昼のセントラルパークで踊りまくるナンバーにはちょっと感嘆した。悪徳プロデューサーに本職のドラッグクイーン以上にそれっぽい、アルモドヴァル組の「鼻魔女」ことロジー・デ・パルマ。彼女の「プロデューサーズ」な姦計によって、音痴でダンス下手なのに主役の控え(アンダースタディ)として採用されてしまう黒人娘に、スーパーモデルのタラ・レオン。この娘がけっこうキュートで、劇中で(めずらしくストレートの)男性ダンサーと恋に落ちたりしてゲイ・テイストの緩和に役立っている。監督・脚本のケリー・セイン(♂)はファッション・フォトグラファーが本職だそうだ。


I. K. U. アイ・ケー・ユー(シューリー・チェン)[キネコ作品]

渋谷のアップリンクが台湾人ビデオアーティスト(?)に金をやって作らせたビデオ撮り/コンピュータ加工のソフトポルノ。「ブレードランナー」をパロッた字幕で始まり、ファーストシーンは銀紙の折紙細工。ラストシーンは自然の中へ逃亡するマンハンターとヒロイン・・・と、全体的に「ブレードランナー」をルーズに引用した造りになっている。よーするにダーク・ブラザースのチープなSFポルノみたいなもんだが、こちらはソフトポルノなので、そのものズバリを見せてくれるわけでもなく、ポルノグラフィとしての興奮は皆無。エロティックでもスリリングでもなく、ドラマとしての体裁も破綻してる。こりゃ映画になってない。評価外。時任歩、佐々木ユメカといったピンク映画女優が出演しているが、顔さえ満足に判別できないような代物なのでピンク映画ファンも観るだけ無駄。


夜の哀しみ(岡泰叡)

いやあモノスゴイものを観てしまった。日経に連載された三浦哲郎の同名小説が原作。青森の日本海に面した漁村に住む、亭主が出稼ぎに東京に行ったままで女盛りの躯を持てあます中年女の話だが、あまりに凄いので、この感動を皆さんとわかちあうべく詳細にご説明しよう──。 ● 冒頭。夜の寝室。独り寝の女(文学座で杉村春子から「女の一生」のヒロインを引き継いだ平淑恵)が高熱にうなされたようにうめき声をあげて苦悶している(もちろん「性の渇き」に身悶えているのである) / 眠れぬままに散歩に出ると、真っ暗な浜では加藤治子の老婆がエロ雑誌で焚き火をしている。「おお、淑恵さんか。あんた幾つになったね?」「35になりました」(ってアンタ見た目、明らかにひとまわりはサバ読んでますがな。映画はリアリティなんだよ。文学座の舞台とは違うんだからさ) ページがめくれて「淫乱妻」という文字が目に入る。 / 海岸通りをバスが走り去る。その風で直径80cmはありそうな黒い帽子がクルクルクルと風に舞う。帽子の持ち主はヒロインの同級生の涼風真世である(←こっちはいちおう35才に見える。「お洒落な帽子」をかぶって東京から帰郷したのかと思ったら、地元の小学校で教師をしてると後ほど判明する) 「で、相談て何よ?」「漢字の意味をひとつ教えて欲しいの」「どんな漢字?」「いんらん」「え?」「2度は言えね」「じゃあ砂に書いて」「書けね。読めても書けないって字ってあるべ?」「じゃあ、あたしが書くから説明して」「さんずい。淫らって字に乱れる」(←知ってんじゃねーか!) 涼風真世が砂に枯れ枝で「淫乱」と書く。「これはね淑恵ちゃん(まるで恐怖映画のような口調でゆっくりと)性的にふ・し・だ・ら…って意味なの」(念のため補足しておくと、べつにこの映画のヒロインは智恵遅れという設定ではない) 砂に書いた文字を波が消していく…。 / 点景。粗末な一軒家の表に小学生と思われる兄妹が魚を干している。サッカー好きの兄のスニーカーが破れてるのに気付いた母親の平淑恵が「こんなになってぇ。新しいズックさ買ってやらねばなぁ」(←おれでも「ズック」なんて言わねーぞ)「まだ履けるよ。気を遣うなって」 聞いていた妹が「母ちゃん。あたいもお兄ちゃんと同じくらい我慢できるよ!」 / バスの中で会った加藤治子の孫(20代の会社員である)が「この度は大変なことで」と話し掛けてくる。平淑恵の亭主が東京で事故に遭ったというのだ。慌ててバスを降りて東京に電話すると、青年の話はガセだったと判る。じつは祖母にエロ本を焼却されたのを逆恨みしての悪戯であった。 / 子どもの通う小学校の教室に放課後、涼風先生を訪ねるヒロイン。東京の亭主に会いに行くことにしたので東京の地図を教えてもらいに来たようである。涼風真世が地図に印をつけているあいだ、平淑恵は黒板にチョークでひまわりの絵を描いている・・・うわあ もーダメだあ 勘弁してくれー! 忍耐力をすべて使い果たしてしまったので途中退出。これでまだ20分。このあとの100分に何が描かれてるかなんて恐ろしくてとても想像できんよ。チラシによると「平淑恵の出稼ぎ亭主」を平田満が、「涼風真世の亭主」を石原良純が演じているようである。しかも涼風真世が不感症&アル中で入院した隙に、平淑恵と石原良純がダブル不倫の関係になるんだそうだ。それだけじゃないぞ。2人がおまんこしてるところを子どもに見られてしまって…うわっ。くわばらくわばら。日本映画の未来に絶望したい人にお勧めする。

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ザ・スカルズ 髑髏の誓い(ロブ・コーエン)

サブタイトルは「ドクロのちかい」と読む。ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭」の1本・・・としか思えないタイトルだが、これはUIP配給によるれっきとしたロードショー作品。つっても銀座シネパトス単館だから似たようなもんだけど(でも1,800円) ● 若き主人公が一時の気の迷いから「誤った選択」をしたことを悔いて、失地を挽回せんと奮闘する話。つまり典型的な青春映画の筋立てである。イェール大学の4年生である本作の主人公の「誤った選択」とは「アメリカ社会を影で牛耳るフリーメーソンに入信してしまった」こと(!) いや、だってこの映画におけるイェール大学のキャンパスには、早稲田OB会か慶應三田会かというカジュアルさで髑髏のマークを掲げたOB秘密結社とかが当たり前のようにいくつも存在していて「おれもいろいろな秘密結社から誘いを受けたけど、本命のスカルズから声がかかるのを待ってんだ」とか言ってんだぜ。なになに?これってアイビーリーグじゃあ日常的な光景なの??? ● 監督は「ドラゴンハート」「デイライト」「ドラゴン ブルース・リー物語」のロブ・コーエン。秘密結社の凄さ/スケールや不気味さ/怖さがまったく描けておらず、あれじゃどー見ても「いい年した大人が忍者ごっこして遊んでる」ようにしか見えんよ。当然、サスペンスも盛り上がらない。主人公は、新聞部の親友が謎の死を遂げたことから、エリート主義の秘密結社に疑問を持ち始めるわけなんだが「物語のルール」からいけば、親友の秘密をコソコソと嗅ぎまわるような奴は殺されても仕方ないよな。 ● トビー・マクガイアのNGのような主人公はTV「ドーソンズ・クリーク」のジョシュア・ジャクソン。生まれたときからレールの上を歩いて来た「金持ちエリート大学生」にロブ・ロウのNGのようなポール・ウォーカー(「バーシティ・ブルース」) スカルズの会長を務めるその父親にクレイグ・T・ネルソン(もちろん悪役) その同期会員でライバルを蹴落とすために「敵の敵は味方」理論で主人公に力を貸す上院議員にウィリアム・ペーターゼン。このベテラン2人の出演が大いなる救いであった。 ● で、結局この映画でいちばん冴えてたのは、予告篇で主人公の台詞を「(奴らは)密殺集団だ」って意訳したUIPの担当者ってことだ。cf. ピーター・ハイアムズ「密殺集団」(1983)

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ザ・デリバリー(ロエル・ライン)[たぶんキネコ作品]

オランダ産の、ロードムービー・スタイルのアクション・コメディ。台詞は英語。莫大な借金返済のために「♂2♀1」の3人組がヤバいブツのデリバリーを引き受ける。♂2人がオランダからスペインまで、ヨーロッパをクルマで縦断して時間内にブツを届けないと、人質に取られた♀の命がない。ところが出発してすぐに「組織を抜けた女テロリスト」を拾っちまったもんだから…。オランダの20代の映画ファンの若者が製作・脚本・監督。 ● あのなあ、「バカみたいな映画」だからといって「バカでも作れる」ってわけではないのだよ。下手すっと客が最後までアクション・コメディと気付かないもっさりした演出。穴だらけの杜撰な脚本。一貫性のないキャラクター。説得力のない登場人物の行動。「手持ち風」の撮影もウザいだけ。しかもこれ(一見しただけでは目立たないが)妙にテカッた画質はビデオ撮りだろ。大してキレイでもないヒロインのヌードがあるくらいじゃ許さない。オンリーハーツとマイピックという小さい会社の配給なのだが、このレベルの映画はギャガでも劇場公開しないぞ。

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ガンシャイ(エリック・ブレークニー)

サンドラ・ブロックの製作・主演作品。彼女はタレントに恵まれた女性だが「映画をプロデュースする才能」だけは授からなかったようである。監督・脚本は新人。前回の捜査であやうく殺されそうになり、すっかりビビッて(=ガンシャイ)しまったベテラン潜入捜査官の話なのだが、演出意図が「マトモな主人公が酷い目に遭うサスペンス・コメディ」と「登場人物が全員マヌケなコメディ」のあいだでどっちつかずなので、座りが悪いこと この上ない。前者であるならマフィアのボスであるオリバー・プラットが本気で恐くなきゃ話が成立しないし、後者であるならば主役はしかめっ面のリーアム・ニーソンではなくスティーブ・マーチンかビル・マーレーにすべきなのである。もっとも最初っから「気の抜けたタルいコメディ」を目指してたんなら、その意図は完全に達成されている。主人公は臆病になった途端に捜査官としても無能になってしまうのだが「臆病」と「無能」は別だろよ。「キリング・ゾーイ」のトム・リッチモンドによる、やたらと顔が暗い画面は「ゴッドファーザー」でも撮ってるつもりか。いつも神経性のゲリP状態という主人公にリーアム・ニーソンはミスキャスト。せめてケビン・クラインという選択肢はなかったのか。でまたヒロインを演じるサンドラ・ブロックの役柄が「浣腸の女王」と異名を取る看護婦で、すっかり搾り出された主人公を「疲れてるみたいだから送っていきましょうか」とデートに誘うというリアリティの欠けらもない設定。悪いこたぁ言わないから俳優業に専念してなさいって>サンドラ。

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ハロルド・スミスに何が起こったか?(ピーター・ヒューイット)

舞台となるのは、1977年のイギリスの地方都市シェフィールド。1977年といえばもちろん「サタデー・ナイト・フィーバー」とユリ・ゲラーとパンク勃興の年だ。つまり本作は「54 フィフティ★フォー」や「サマー・オブ・サム」などと同じ1970年代の終わりもの。…いや「時代の終わり」を描くよりはノスタルジックな青春映画を目指してる点では「フォーエバー・フィーバー」に近いか。「学校を出て弁護士事務所に就職したトラボルタ志望の童貞少年がパンク少女にひと目惚れして…」というメインストーリーはどこかで聞いたような話だし、そもそも基本フォーマットは「主人公以外の登場人物が変人ばかりのイギリス/アイルランド田舎町コメディ」で、ヒロインの父親が「理解ある振りをしてる分からず屋」だったり、小学生の妹が「メガネをかけた生意気なマセガキ」だったりという人物造型は忠実にジャンルの典型に則しているのだが、ただ本作がちょっと普通と違うのは、少年のお父さんがエスパーだってこと。タイトルの「ハロルド・スミス」とは、このお父さんのことなのだ。 ● 名優トム・コートネイ扮するハロルド・スミス氏は、自分に超能力があることは子どもの頃から気付いていたけど慎み深いイギリス紳士なので、そのことを誰にも吹聴しなかった。で、たまたまクリスマスの余興でトランプの透視マジック(←いやマジックじゃないんだけど)をやったことから、話が大きくなってタブロイド紙やワイドショーに追っかけまわされる破目に。…で「意気地なし少年の甘酸っぱいラブストーリー」も「エスパー父さんのとぼけた受難話」もそれぞれに味があって面白いんだけど、この2つが巧くリンクしないのだ。もちろん最後はお父さんが超能力を使って息子の恋の成就を後押しするんだが、ここがいまひとつキマッてない。惜しい。 ● 主人公のうじうじクンに「アンジェラの灰」のマイケル・レジー。昼は清楚な弁護士事務所OL、夜はバリバリのパンクス少女…という(「タイタス」で酷い目に遭ってた)ヒロインのローラ・フレイザーが、もう可愛くってタマらん。タイムマシンで1977年からさらって来たみたいな髪型&メイク&顔つきで、世が世ならば「ロードショー」誌の人気投票1位は間違いないところ。やたらと尻の軽い(若い)お母さんに元アイドル歌手のルル(日本でいえば中尾ミエ?) シェフィールドのパンクス野郎は「なんちゃってパンクス」ばかりでしたというオチがなんとも。

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バンパイアハンターD(川尻善昭)

脚本・絵コンテ:川尻善昭 キャラクター原案:天野喜孝 キャラクターデザイン&作画監督:箕輪豊
作画監督:浜崎博嗣/阿部恒 美術監督:池畑祐治 アニメーション制作:マッドハウス
「獣兵衛忍風帖」以来なんと7年ぶりとなる川尻善昭の新作アニメーション。ワーナーマイカルシネマズの1,000円興行の第2弾。製作は…、出たあ!「マタ・ヤマモト」こと山本又一朗のフィルムリンク・インターナショナル。このオッサンも死にそうで死なないしぶとさにかけちゃラウレンティス級だな。 ● 原作は(やはり川尻によって見事に映像化された)「妖獣都市」「魔界都市〈新宿〉」の菊地秀行。機械化文明が終焉し、まるで中世ヨーロッパのように退行した未来世界で、滅びゆく貴種たる「バンパイア」を狩ることを生業とするダンピール(=バンパイアと人間の合いの子)「D」の哀しき人生(たたかい)を描く。闇に巣食う異形のものたちが面妖な技を駆使して死闘する・・・つまり「妖獣都市」や「獣兵衛忍風帖」と同じ話である。そうとなれば川尻善昭の十八番/独壇場だ。テンポ良い演出。シャープな描線。シビれるほどカッコ良いフレーミング。日本一うまい動画。的確な脚色。イマジネーションあふれる設定。ディテイルひとつおろそかにしない丁寧な美術。初めてのCGも動画を殺さぬ範囲で効果的に。終盤には超大物バンパイアのゲスト出演も。ラストでは永遠の時をさまよう宿命の「D」の哀しみ=この物語のテーマをきっちり浮き彫りにして、アニメーションとしてはほぼ完璧。 ● なぜ5つ星を付けられないかというと、これが「英語吹替版」だからである。これ、アメリカ式の台詞先録りじゃないよな。てえことは日本語/英語のどちらを基準に台詞の動画を切ったの? 想像するに日本語脚本のタイミングで動画を作成して、後から外人声優がアテレコしたんじゃないだろうか。台詞が明らかに早口すぎる個所があるもの。そもそも世界一の声優陣を誇る国に住んでいながら何が悲しゅうて稚拙な英語吹替で観にゃならんのだ。それでいてエンディング主題歌だけはエイベックスのタイアップ絡みで日本語でやんの。ザケんなよ>又一朗。 ● あとこれはネタバレなので黒文字にしておくけど、あのかどわかされた娘さんは何故[バンパイアに咬まれたのにバンパイアに変ずることなく死んで]しまうの? だってそれがすべての問題の根源でしょ? そーゆーことなら誰も苦労はしないんだよ。 それと(菊地原作にあるのか、川尻脚本の責か、字幕翻訳者の創作か知らんが)ハンターがバンパイアをブチ殺して「成仏しろよ」って…成仏はしないだろ成仏は、西洋のバンパイアなんだから。

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ハンニバル(リドリー・スコット)

これはもはやサイコ・スリラーではないし(たぶん)ホラー映画ですらない。映倫のR-15指定が生ぬるく思えるほど、甘やかな悪の魅力に満ちたフィルム歌舞伎である。「グラディエーター」の次が本作とリドリー・スコット完全復活である。「羊たちの沈黙」から10年、本作ではハンニバル・レクター博士は精神分析などというまだるっこしいことは一切せず、前作の「ホテルからの脱出劇」シークエンスの活劇的興奮で全篇を押しとおす。アンソニー・ホプキンスは喋り方から立ち姿まで、前作でのたたずまいを完全に再現。さらにタイトルロールとなった本作で自分に求められている役割を充分に承知したオーバーアクトで観客に見得を切る。おもわず「ぃよっ!人喰い屋ぁ!」と大向こうから声をかけたくなったことも2度3度。観終わる頃には稀代のモンスターの毒があなたの全身に染みわたり、ブラックなオチに思わず(レクター博士と同じように)ニヤリと微笑んでしまうことだろう。 ● 唯一の不満はシネスコサイズじゃない事。闇に浮かびあがるレクター博士の顔、緊張に張りつめたクラリスの顔…と「羊たちの沈黙」を“顔の映画”として撮ったタク・フジモトがビスタサイズを選択したのは正しかったと思うが、「グラディエーター」の撮影監督ジョン・マシソンがフィレンツェを始めとする美しい背景で撮影した本作はぜひともシネスコにしてほしかった。あ、あとどーして駅構内にメリーゴーランドがあるんだ? ● クラリス・スターリングを務めるのはジュリアン・ムーア。もちろんジョディ・フォスターでも「もはや訓練生ではない10年目のベテランFBI捜査官」という役は出来ただろうが、ハンニバル・レクターの歪んだ純愛を受けて女が薫るラストはジュリアン・ムーアで正解だろう。レクター博士と対決する“悪役”陣にゲイリー・オールドマン、レイ・リオッタ、ジャンカルロ・ジャンニーニという、アンソニー・ホプキンスに劣らぬ濃いキャラクターを配したのも正解。製作は“不死鳥”ディノ・デ・ラウレンティス。ほんとこの爺さんもしぶといよなあ。ひとヤマ当てると早速、トーマス・ハリスの原作を待たずに続編を作るとか「レッド・ドラゴン」をリメイクするとか言いだすあたりが、まさしくラウレンティズムの真髄である。来日会見で「レクター博士の次の滞在先は日本かも」とリップサービスをしてたそうだが、これ冗談じゃなくて良いアイディアと思うんだがなあ。リドリー・スコットに(「ブラック・レイン」の大阪に次いで)「どこだよそれ!?」という「東京」を撮ってもらって、レクター博士は築地で寿司屋のおやじをしてるなんてのどうかなあ?<却下。 ● なお、トーマス・ハリスの原作はこの後のお楽しみにとってあるので未読。あしからず。あと、冒頭のGAGA=HUMAXのロゴがまた新しくなってた。こないだ「ハートがドクドク」のやつに変えたばっかじゃなかったっけ。よくロゴを変える会社だなあ。でも(部数が多いせいだろうけど)800円級のパンフレットを600円で売ってるのは偉いぞ>ギャガ。

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トラフィック(スティーブン・ソダーバーグ)

「トラフィック」とは麻薬物流経路のこと。「フレンチ・コネクション」の“コネクション”と同じような意味である。3つのエピソードにそれぞれ主要キャラクターが居て、それらは同時進行して最後まで交わることがない…というメインストリームの娯楽映画としては異例なスタイルは、アメリカ合衆国における麻薬流通/汚染の実態を丸ごと捉えたいというソダーバーグの強い意思によるものだろう。3つの並行するストーリーには終幕においてそれぞれ「いちおうのひと区切り」がつくが、それらは決してハッピーエンドではないし、アンハッピーエンドですらない中途半端なものだ。この映画においては「最後に悪人が死んでメデタシメデタシ」とはならないし「正義の密告刑事が暗殺される」といった類の「衝撃的な結末」も用意されない。だって現実はそんな簡単にカタがつくものじゃないから。ソダーバーグがこの映画で発しているメッセージはただひとつ。それは「あなたが今、目にしているのは絵空事ではない」というものだ。そういう意味で、これは「娯楽映画」とは言えない。ソダーバーグには、この映画で観客を(狭義の意味で)エンターテインしようという気はないのだから。「フレンチ・コネクション」のような、あるいは「セルピコ」や「フェイク」のような娯楽性を期待した人は期待はずれに終わるだろう。だが、おっかないヤクザの兄さんのとこへ行かずとも、そこらのクラブで高校生が気軽にドラッグを買えてしまうこの国の現実を知る人にとっては見応えのある一作である。 ● エンドロールのスペシャル・サンクスの筆頭には米国税関と麻薬取締局(DEA)の名が並ぶ。ソダーバーグみずからがピーター・アンドリュースというという別名(父親の名前だそうだ)で手持ちカメラをまわして、ライトもろくに当てずホームビデオのような撮り方をしている。隣りの席から目撃してるような臨場感に満ちたカメラワーク。3つのエピソードはそれぞれ別のルック/カラーで撮影され(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を時系列に沿って編集したバージョンでなければ理解できなかった)バカなアメリカ人でも混乱しないよう配慮されているのだが、これは聡明なおれ様にとっては、かえってカチャカチャして観難いだけだった。あと、おれがメキシコの麻薬商人だったら、あんな四六時中 警察の監視がついてそうな女とはぜったい取引しないね。それと、劇中でアメリカは「ステーツ」(字幕では「合衆国」)と略称されてて、いや、それはこの映画に限ったことではないし、別に間違っちゃないのだが、そんなこと言ったらメキシコだって合衆国じゃなかったっけ?(サベツだ!) ● キャストではたしかにベニシオ・デル・トロが素晴らしい。台詞をスペイン語にした英断が功を奏している。キャサリン・ゼータ=ジョーンズは、なにも妊娠中にこんな役をやらなくても…と思うが。もしやジェシカ・ラング症候群に罹っちまったか!?(てゆーか、この役を彼女以上に巧くやれる女優はいくらでもいるだろうに) あと、デニス・クエイドは悪徳弁護士に見えんぞ。どう考えてもジェームズ・ウッズの役でしょうが。 ● なお本作は、イギリスのTVミニ・シリーズ「TRAFFIK(←語尾がK)」(1989)のリメイクである。おれは未見だが、パキスタン→イギリスのトラフィックを題材にしたドラマから、パキスタンの麻薬農夫のエピソードをカットして、残りの3つエピソードをそのままメキシコ→アメリカに移し変えているようだ。ちなみに、ジュリア・オーモンドのデビュー作でもある(キャサリン・ゼータ=ジョーンズの役かな?)

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ドラッグ・ウォーズ 麻薬戦争(ブライアン・ギブソン)

製作総指揮:マイケル・マン
[ビデオ観賞]1990年に(たぶんNBCで)放映された4時間20分のTVミニ・シリーズ。その年のエミー賞にも輝いている。クレジットにこそ現れないがスティーブン・ソダーバーグは明らかに、この1980年代後半のメキシカン・トラフィックを題材にしたドラマを下敷きにして「トラフィック」を作っている。それが証拠に、本作ではスティーブン・バウアーとミゲール・フェラーがメキシコ駐在のDEA捜査官に扮し、ベニシオ・デル・トロがメキシコの麻薬王を熱演する。つまりソダーバーグは本作のメインキャストを自作に起用して180度違う役柄を与えているのである。トーマス・ミリアンに至っては両方の作品でメキシコ連邦警察の将軍を演じている(ドラマでの“役割”は正反対だが) ある種のリスペクトが働いてると思って間違いないだろう。 ● 製作総指揮はマイケル・マン。演出はブライアン・ギブソン。「ポルターガイスト2」「陪審員」「スティル・クレイジー」の監督にとっては、ひょっとしてこれが最高傑作かも。ストーリーは「メキシコで史上最大の大麻栽培畑を摘発したDEA捜査官がギャングに拉致殺害された」という実話に基づいている。したがって本作ではドラマの中盤で主役が死亡。後半はDEAの弔い合戦となる。敵は麻薬カルテルだけじゃない。メキシコ政府/軍部/警察はことごとく捜査を妨害し、穏便な外交決着を望むアメリカ政府からのさまざまな圧力がかかる。孤立無援を強いられるDEAは、だが、仲間を拷問して殺害した犯人を挙げるまでは決して鉾先を収めない。そう、これはマイケル・マンがこだわる「孤独な闘いを続ける男たちの歌」なのである。他にトリート・ウィリアムズ、レイモンド・J・バリー、エリザベス・ペーニャ、ダニー・トレホらが共演。DEAの現地チームのボスに扮したクレイグ・T・ネルソンは一世一代の名演。悪役に名指しされたメキシコ政府から告訴されたほどの迫真作である。機会があるならば一見をお勧めする。 ● ちなみに、ここに描かれた事情がきっかけとなって(当時の)レーガン大統領はDEAの国外活動を自粛する方針に転換。「トラフィック」で、アメリカ側の麻薬捜査官が1人もメキシコにいないのはそういうわけなのである。なお、本作には(メキシコとは離れるが)「DEA コロンビア麻薬戦争」(1992)という、やはりマイケル・マンが製作した続篇もある。

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ザ・メキシカン(ゴア・ヴァービンスキー)

ブラッド・ピットとジュリア・ロバーツの「夢の共演」というのがこの映画の1番の売りであるという前提を無視して言えば、まずは主役2人がミスキャストである。「やくざ組長の車のカマを掘ったせいで、組の使いっ走りをさせられてるボンクラ」という役どころにはブラッド・ピットはカッコ良すぎるのだ。これはマシュー・リラードやマイケル・ラパポートあるいはチャーリー・シーンの役だろう。ジュリア・ロバーツが演じてる「婚期が遅れて焦ってるアタマの軽いヒステリーねえちゃん」ってのは、つまりパーカー・ポージーの持ちキャラで、それならパーカー・ポージー本人に演らせたほうが良いに決まってる。だいたいせっかくの共演だってのに冒頭10分で主役2人を分かれ分かれにしちまうってのは気が狂ってるとしか思えん。ジュリア・ロバーツと(ブラピじゃなくて)御目付役の殺し屋ジェームズ“ソプラノズ”ガンドルフィーニを親密にさせてどーすんだよ! どーしても、この脚本でブラピとジュリアを使いたいならブラピを殺し屋にキャストすべきなのだ(もちろんその場合は2人を早めにメキシコに送り込むようにするなど多少の手直しが必要になるが) ● 1挺の骨董拳銃をめぐるてんやわんやのオフビート・コメディ…になるはずだった映画だと思われるが、「マウス・ハント」のゴア・ヴァービンスキー演出は致命的に鈍重で、ギャグのつもりらしい小ネタがひとつも機能しておらず(おれには3時間にも感じられた)2時間3分の上映時間中にクスリとも出来なかった。骨董拳銃の由来を説明する挿入場面にいたっては、ギャグなのか感動狙いなのかも判然としないヒドさ。脚本も最低で「なぜかブラピになつく不細工な獰猛犬」とか「いかにも大事な局面でエンコしそうな“メキシコ風”大馬力レンタカー」といった、すんげー弄りやすそうなアイテムをこれだけ使いこなせていない映画もめずらしい。そもそも話の前提として(石を投げればスペイン語使用者に当たるような)LAを拠点にする犯罪組織が、わざわざスペイン語を喋れないトーシローをメキシコに遣いに出すかよフツー? いや、なぜそれがブラピでなくてはならないのかは終盤になって判明するのだが、観客が疑問を抱かないようなエクスキューズをつけとくのが基本だろよ。そして何より致命的なのが、観客が愛さずにいられないキャラクターをこともあろうに[主役に殺させて]しまうことで、これは娯楽映画としては致命的な欠点である(…ってことが判ってないんだろうな>こいつら)

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シリアル・ラヴァー(ジェームズ・ユット)

ミステリ作家の独身モテモテ女が、35才の誕生日前夜に求婚者4人をディナーに招いて「ウフフ、わたし誰と結婚しようかしら?」・・・って、そりゃ「ハイ・フィデリティ」のキャサリン・ゼータ・ジョーンズなら説得力もあろうってもんだが、本作のヒロイン(「ぼくのバラ色の人生」でお母さん役を演じてた)ミシェル・ラロックはおかっぱヘアのただのおばさんなのだよ。それはちょっと。だってアナタ、鈴木京香に「わたし そろそろ身を固めようかと思うの」とか言われたら「おれもおれも!」と立候補するけど、室井滋がおなじ台詞を言っても「勝手に固まれよ」としか思わんでしょ? ● ということで、おれにとっては本題以前の問題として「どーでもいい映画」になってしまったのだが、この映画は本来ヒッチコックの「ハリーの災難」や韓国映画「クワイエット・ファミリー」と同じ「死体始末コメディ」を意図して作られている…はずだ。はじめに1人「不幸な事故と偶然」でゲストが死んで、ヒロインがその死体の始末/他のゲストからの隠蔽におわれるあたりまでは、まあまあ見られるのだが、あとの3人がほぼ同時に死んでしまうのは芸が無さすぎ。この時点で後半40分がまるまる残ってるにもかかわらず、脚本家はひたすら愚鈍に「死体の隠蔽」を続けるばかり。この手の話じゃ「死体の消滅/紛失」に持ってくのが定石でしょ。駄目だなあ。作ってる本人だけが面白いと思ってる日本映画…のような作品。

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スターリングラード(ジャン=ジャック・アノー)

フランスの映画監督ジャン=ジャック・アノーは、ドイツのヴェルナー・ヘルツォークと並んで国籍を感じさせない映画を作り続けている人だ。新作はなんと「イギリスとアメリカの俳優が英語を喋るドイツとロシアの戦争映画」である。ドイツ軍のシーンではエキストラがわずかに(「こちらがドイツ側ですよ」と示すために)ドイツ語を喋り、ロシア側では(台詞は全篇 英語なのに)文字だけがキリル文字で英語字幕が付く。フランス語は一言も使われずドパルデューも出てこない。 ● 戦争映画ではあるが「ドイツ軍×ロシア軍」ではなく、あくまでも1対1の戦いを描く。バイエルンの貴族と、ウラルの雪原で狼を撃っていた羊飼いの息子。プロの軍人とアマチュア。2人のスナイパーの対決。エド・ハリスは「気高きドイツ軍将校@もちろん気障」というハマリ役で観客の溜飲を下げまくる男っぷり。対峙するジュード・ロウも、まぎれもない「二枚目スター」の輝きをはなつ。基本的には大満足なのだが、ただスナイパーものとしてはいささか緊迫感に欠ける。「照準を定めるジュード・ロウの青い瞳のアップ」と「標的となる敵の顔のアップ」の間になぜ「標的が豆粒のように見える(裸眼での)大ロング」を挿入しないのか。これじゃ目の前の敵を撃ってるみたいじゃないか。 ● ハンサムな若者にロマンスを用意するのは良い。だが“事務屋”の政治将校ジョセフ・ファインズとの三角関係まで設定するのは欲張りすぎ。焦点たるべき「スナイパー対決」がぼやけてしまうではないか。ジョセフ・ファインズはジュード・ロウを「英雄」に仕立てたところで後景に退くべきだった。最後にとってつけたように共産主義批判を言わせるのも今となっては「死者に鞭打つ」ようなもので、無粋の極み。最後にエド・ハリスに「餌」として使われる「靴磨きの少年」の扱いも中途半端で、このポジションにこそヒロインを使うべきなのだ(何のために「ドイツ語を喋れる」という設定にしてるのだね?) ヒロインを演じるレイチェル・ワイズは、本篇のように泥だらけだったり、あるいは激しい接吻のあとで口紅が乱れたり、といったちょっと“汚れた”役がよく似合う。深夜の兵倉(てゆーか地下壕)で主人公とこっそりと抱き合う場面の夜目に白く浮かぶ尻がもータマらん。 ● 東ドイツにロケしたオープンセットが素晴らしい。その一方で、合成はあまり出来が良くないが、観賞の妨げになるほどではない。ロシア・アバンギャルド風デザインのエンドタイトルは、いくら見た目がカッコ良くても字が読めないほど小さいのでは本末転倒。原題は「ENEMY AT THE GATES(眼下の敵)」。すでに同じスターリングラード攻防戦を扱ったドイツのヨゼフ・フィルスマイアー監督の同題の傑作(1993)があるんだから、同じタイトルはマズいだろよ>ヘラルド映画。てゆーか、雪の降らない/積もってない「スターリングラード攻防戦」ってのはどーも気分が出ないねえ(最後のほうでクリスマスのデパートのショーウィンドウ程度には積もってるけどさ) ※文中まるでドイツ軍が主役であるかのような書き方になってるのは田宮模型による洗脳の結果なので悪しからず御容赦されたい。

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Candy Lover Girl(リサ・アダリオ&ジョー・シラキューズ)

16才の女の子が、母ちゃんが若い男と遊びに行ったきりひと月も帰って来なくて、仕方がないからはるばるバスに乗って、随分 前に家を出て 町でひとり暮らしをしてるお姉ちゃんを訪ねたら「なんでアタシがあんたを養わなきゃいけないわけ?」とかヒドいこと言われて、アパートの前で傷ついてたら隣の部屋のおネエさんが可哀想に思って泊めてくれて、そのまま、おネエさんが働いてる「アメリカン・スパ」という男の人に気持ちの良いマッサージするお店でバイトすることになりました…という話。まあ、要約すれば「女子高生がヘルスで働く話」ということになるんだが、エロを期待しちゃいけんよ。これは「ガス・フード・ロジング」「グレイス・オブ・マイ・ハート」のアリスン・アンダースが製作総指揮をつとめたインディーズ映画なのだから。 ● 女の子はいっつもキャンディ/ゼリー/グミをもぐもぐしてて、まだ世の中のことなんか全然わかってなくて、16才という設定だが14才ぐらいに見える(ただの「Lover Girl(お嬢ちゃん)」という原題に「Candy Lover Girl」とは、うまいタイトルを付けたものだ) ヘルスのおネエさんはじつは昔、赤ん坊を里子に出していて、口では邪魔だとか言いながらも自分を頼ってくれる居候にまんざらでもない。そして彼女はヘルスのオンナノコたち4人で共同生活をしていて、そこにヒロインが加わって一種の擬似家族が形成される。屋外シーンなどはハレーション気味のソフトフォーカス画面。ここではヘルスも世間の荒波から身を守ってくれる「シェルター」として描かれ、実際のヘルス勤めで遭遇するであろう「嫌な部分」はかなりボカされる。リアリズムではなくファンタジーである(だから濡れ場やヌードはない) 「ガス…」のファイルーザ・バークがひとりぼっちで町に出てきたら…とも言うべきタッチで、アリスン・アンダース自身の作と言っても通りそう。「ガス…」が好きなら間違いなくこの映画も気に入るはず。 ● これがデビュー作となる監督・脚本のリサ・アダリオ&ジョー・シラキューズのカップルは、本作の撮影後に結婚・出産した由。16才だけどに14才に見えるタラ・サブコフは、なんと撮影時24才ええ〜っ!?)←パンフに載ってる今年2月の来日時の写真はちゃんと29才の女の人に見えるんだけど(不思議じゃ) 頼れるおネエさんに「キング・オブ・コメディ」のタラコ唇サンドラ・バーンハード。ぐーたらでサイアクな実の姉に「デッドリー・フレンド」のクリスティ・スワンソン。ヘルスのオンナノコの1人に「ルール」の黒人警備員ネエちゃんロレッタ・ディヴァイン。

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ジュエルに気をつけろ!(ハラルド・ズワルト)

これっぽっちも悪気なく男を翻弄する「悪女」をヒロインにすえたセックス・コメディ。これは(今なら)シャーリーズ・セロンの役でしょう。まあ、たぶんセロンが断ってリヴ・タイラーに脚本が回ったんだろうけど、リヴ・タイラーでは肩幅が広すぎるし首も太すぎる。巨乳とゆーより鳩胸だし、髪型もぜんぜん似合ってない。男がイチコロでマイってしまうイイ女の役なのに、科つくるより銃を撃ってるほうが似合うってのは問題でしょう。 ● 彼女にひと目惚れした3人の男がそれぞれ別々に回想する構成。時制が現在に辿りついて3人の男が鉢合わせするラストの20分はまあまあ面白いが、それまでの退屈な前フリが70分てのは長すぎるだろ、いくら何でも。ノルウェー出身の新鋭監督の演出は、いやにもっさりしていてテンポが悪い。やたらとMTV的なのも好かんが、あんまり田舎臭いのもなあ。セックス・コメディなんだからキレの良さが命でしょうに。ヒロインの「魅力」を強調したいのはわかるが、リヴ・タイラーが登場するたんびに、スローにしてをかけて、そのうえグロー効果までってのは どうよ。岩下志麻じゃねえんだからさ。 ● 3人のボンクラはマット・ディロン、ポール・ライザー、ジョン・グッドマン。マット・ディロンの相談を受けるアヤしいリーゼント男に「ワンダー・ボーイズ」でひと皮剥けたマイケル・ダグラス(製作も兼ねている) ちなみに冒頭に登場する荒くれバイカーに扮した「アンドリュー・シルバースタイン」というのは、伝説の初日打ち切り映画「フォード・フェアレーンの冒険」のアンドリュー・ダイス・クレイその人である(終盤のあれは「フォーリング・ダウン」のパロディなのかね?) 原題は「ある夜、マックールのバーで」←あのさ、こーゆータイトル付けるなら3人の男 全員が(最初に)マックールのバーで彼女と出逢わなきゃダメでしょーが>脚本家。

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ふたりの人魚(ロウ・イエ)

舞台となるのは1960年代の東京のような街並みを残す1998年の上海。非合法バイク便をしてる男と女子高生が恋に落ちる。ひとときの幸福。男は義理に縛られて少女を裏切る。絶望した少女は河に身を投げる。男は上海から姿を消す。やがて「人魚に転生した少女の姿を河辺に見た」という噂が流れたころ、男が街に戻ってくる。そして出逢う──場末のバーの巨大水槽で、金髪のカツラと人工のヒレをつけて人魚ショーを演じる、かつての少女と瓜二つの牡丹(ムーダン)という名の女と。 ● 女子高生・美美(メイメイ)とムーダンの二役に(安達祐実そっくりの)ジョウ・シュン(周迅) 典型的なロリ顔で、似合わないケバいメイクが倒錯的な色気を発散する。 バイク便の男・馬達(マーダッ)を演じるのは、ジャッキー・チュンをもっとハンサムにした感じのジア・ホンシュン(賈宏声) 監督・脚本は上海生まれの上海育ち、ロウ・イエ(婁[火華]) 中国映画の第6世代に総じて特徴的なヌーベルバーグへの接近よりは、むしろクラシックなメロドラマ色を濃厚に滲ませる。「どしゃぶりの雨」や「明滅するネオン管」という意匠はまるで石井隆だ。 ● だが、この映画の最大の特徴はそのトリッキーな叙述スタイルにある。冒頭に、上海の中心部を流れる蘇州河(=原題)の風景が写る。河を上り下りする船。お世辞にも綺麗とはいえないが人々の生活に密着した河。そこにナレーションがかぶる「よく蘇州河でビデオカメラを回す。流れのまま、上海を西から東へ。都市の吐き出すゴミで河はひどく汚い。多くの人が暮らし、河で生計を立て、ここで一生を終える。それが見えてくる。河はすべてを見せてくれる──人々の労働、友情、家族愛、孤独…。僕の窓辺に近い橋から少女が河に飛び込むのも見た。若い恋人たちの遺体も見た。愛といえば…。僕は以前、人魚を見たことがある。河辺で金色の髪をとかしていた。でもこれは僕の嘘かもしれない…」 ● じつはこの映画のナレーターは、人魚ショーの女・ムーダンの現在のボーイフレンドである「僕」によるものなのである。一人称カメラゆえに最後までその姿が画面に写ることのない「僕」は、なんでもビデオ屋(むかしの写真館のようなものだ)を営んでおり、バーのマスターの依頼で人魚ショーを撮影したことからムーダンと知り合う。そうして「僕」の口から2人の馴れそめが語られ、そしていつのまにかナレーションは「バイク便の男と女子高生の恋」を語り出すのである(その物語の登場人物ですらないのに!) やがて男が上海に戻ってきてムーダンに出逢ったことからバイク便の男は「僕」の世界に混入してくる。ムーダンの昔の恋人(と信じてる)男と、現在のボーイフレンドとして話をしたりするまでになる。はたしてムーダンとかつての女子高生メイメイは同じ女なのだろうか? ● 言うまでもなくこの魅惑的な「人称の混乱」を巻き起こしてる「僕」とは監督のロウ・イエ自身だ。典型的なメロドラマを語るふりをしながら、ロウ・イエは「われわれがふだん“物語”として受け容れているもの」の本質へズバリと斬りこむ。「ふたりの人魚」という「物語」を終えたラストでは、再び蘇州河の風景が映し出される。画面の外から「僕」は言う──「海に向かって蘇州河を下っていく。陽が昇れば河もきらめくだろう。約束どおり彼女を探そうか。…いや、よそう。永遠のものなど無いのだ。あの窓辺に戻れば この物語も続けられるけど。今はただ目を閉じて(ここで暗転。真っ暗な画面に)…次の物語を待つ

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アナベル・チョンのこと(ガフ・ルイス)

アナベル・チョン。…ビデオの撮影で、10時間で251人とヤッたセックス世界記録を持つハードコア女優。本名グレース・クォク。シンガポールのカソリック家庭に生まれた中国人の少女が、英国ケンブリッジのハイスクールに留学、LAに渡ってUSCで文化人類学を学ぶ。それまで自分の躯に、…いや自分自身にコンプレックスを持ってたけど、在学中に美術のヌードモデルで目覚めて、エド・パワーズの「ダーティ・デビュータンツ」でビデオデビュー。過激もの企画もの2穴3本挿入まで何でもござれのイケイケぶりでのしあがった、歯並びの悪いハリウッド女優セイコ・マツダそっくりのハードコア女優。 ● 虹色に染めた五分刈りヘア。薄い胸、華奢な身体にタンクトップ。ルームメイトはゲイ青年。「集団SEX世界記録保持者」とか「アバズレ」とかのTシャツを着てUSCの授業に出る。ジェリー・スプリンガー ショーに出て「251人とヤッたのはフェミニズムの実践だ」と強がる。「金のためじゃない」とか言って、製作者にうまいこと騙されていまだに(251人ビデオに関しては)ノーギャラのまんま。東大とか行って学生運動で人殺しちゃうとか、典型的なそーゆーパターンだな。 ● しかし、これフェイクだろ。違う? いや「251人ファック」のビデオは事実だし、出自もほぼ本当だろうけど、そうした事実を基に周到に脚本・構成・演出・演技された偽ドキュメンタリーだと思う。だって背景から小道具からカメラアングルから演出の臭いがプンプンしてるもの。USCの同級生として登場するサングラスをかけた女なんて見覚えがあるぞ。アナベル・チョンはポルノ業界に見切りをつけてシンガポールに里帰りするが、1年後に業界復帰。スタジオに向かう前に一言「いろいろあったけど、わたしはまだ“アナベル・チョン”かしら?」…な?ずぇーったい脚本家がいるって。 ● おれが2000年夏のぴあフィルム・フェスティバルで観たプリントはちんぽとかポロポロ映ってたけど、あのまんま公開してるんだろうか?

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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(原恵一)

脚本&絵コンテ:原恵一 演出&絵コンテ:水島努 音楽:荒川敏行&浜口史郎 主題歌:こばやしさちこ
作画監督:原勝徳&堤のりゆき&間々田益男 美術監督:古賀徹&清水としゆき 制作:シンエイ動画
声の出演:矢島晶子(しんちゃん) 藤原啓治(父 ひろし) ならはしみき(母 みさえ)
こおろぎさとみ(妹 ひまわり)| 津嘉山正種(ケン) 小林愛(チャコ)
傑作である。それも生半可な傑作ではない。一人の作家が一生に一本 作れるかどうかという類の作品だ。おそらく原恵一はこの映画のゼロ号試写において、キャリアの最高作を作ってしまった者のみが味わう恍惚と不安におののいたことだろう――そう、本作のなかでもリスペクトを捧げている「カリオストロの城」を作り上げた直後の宮崎駿のように。 ● 今回、原恵一は本気(マジ)である。ここまで「付き添いのお父さん」にターゲットを絞っちゃっていいのか!?…と心配になるほど、三十男の心に直球をズバンッと投げこんで来る。なにしろ本篇には映画版のレギュラーである「カラオケ好きの原作者・臼井儀人」も「グラビア・アイドルのゲストキャラ」も(なな、なんと!)オカマ・キャラすら出てこないのである。いや、もちろんこれは「クレヨンしんちゃん」なので、クッダラナイ脱力ギャグはテンコ盛りだし(キャラを真面目に振りすぎた前作の反省も踏まえて)しんちゃんは最後の最後の最後まで徹底して無責任でお馬鹿で快楽主義者な5才児であり続ける。ドラマに足をすくわれて「動画」としての魅力を損なうこともなく、中でもクライマックス・シーンの作画は(普段あんまり「上手い」と思わせない作風の)原恵一と水島努がアニメーターとしての底力を見せつける。変幻自在の“ザ・劇伴”を繰り出す荒川敏行&浜口史郎のスコアも素晴らしい。 ● これは「わたしたちが過ごしてきた20世紀」への心のこもった鎮魂歌であり「今、わたしたちが生きているこの21世紀」に向けての決意表明でもある。1960年代に生を受けた者は必見。このサイトを読んできて少しでもおれの目利きを信じてくれるなら観に行ってくれ頼むからいや大丈夫、平日の夜ならガキもそんなに居ないって。

[以下、内容に触れています]本篇はいきなり太陽の塔のアップから始まる(=太陽の塔を知らない観客はこの時点で脱落) しんちゃん一家の住む埼玉県春日部市にテーマパーク「20世紀博」がオープン。父ちゃん母ちゃんは、な〜つかしいなあ:)を連発して、人気アトラクション「バーチャル万博」に通いづめ(おおお、おれなんか万博のパビリオンの名前ぜ〜んぶ言えるもんね←威張ってどーする) もう、親はニコニコ、子どもはイヤイヤ。そのうち大人たちは子どもに還って「21世紀博」から戻って来なくなる…。 ● これ、じつはマッシュルーム・カットのケンと、長い黒髪のアンニュイなチャコをリーダーとする秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の陰謀。そもそも「21世紀」とは「おれたちの輝ける未来」だったはずだ。手塚治虫が夢見た「未来」はこんな耐えがたい悪臭をはなつクソみたいな時代では断じてない。いま一度、自分たちの手に「輝かしい未来」を取り戻すため、おれたちは時計の針を20世紀へと戻すことを選択する。そう、おれたちの「黄金の20世紀」、…街に匂いがあった時代へ、だ・・・てなことを津嘉山正種の声で言われた日にゃあ、もうおれなんか涙を流して「そーだそーだぁ!」と同意しちゃうわけよ(どーせならチャコの声は池田“メーテル”昌子でお願いしたかったね) なにしろあーた、この人たちはテーマパークの地下に「昭和の町並み」の完全なレプリカを作っていて、その町はつねに夕焼けで、地面はまだアスファルトに覆われてなくて、何処からともなく豆腐屋のパ〜プ〜が聞こえてくるのだ。もちろんケンとチャコもその町の安アパート「昭和荘」の2階で同棲時代を送ってる。おおおお、おれも、おれも。おれも入れて。夕陽の町の住人にしてくれい!<完全に洗脳されてる。 ● というわけで春日部から、…いや、日本中から大人の姿が消えるという「ビューティフル・ドリーマー」な状況が現出し、がらんとした町に残された子どもたちはご飯を食べることすらままならない。幼稚園児がぽつりと呟く一言「“懐かしい”ってそんなにイイモノなのかなあ?」 やがて始まる子ども狩り。しんちゃんと幼稚園の級友たちで構成される かすかべ防衛隊の面々は、大人たちの目を覚ますべく「イエスタデイ・ワンスモア」に戦いを挑む。――最後の最後の最後の最後、しんのすけ はアクション仮面や ぶりぶりざえもん の手を借りず、自分ひとりの力で大人の前に立つ。わずかに残された力を振り絞るように吐き出す台詞。つまり「未来」っていったい「どういうこと」なのか。ぐはっ(←涙が堰を切った音)だめだ。もう両目は栓を抜いた風呂桶のよう。おれは今、この文章を泣きながら書いているバカ。 ● ドラマを締めくくるのはよしだたくろうの名曲「今日までそして明日から」――♪わたしは今日まで生きてみました ときには誰かの力を借りて ときには誰かにしがみついて わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと♪ 1度でも「昔は良かった」と嘆息したことのある人はこれを観てよおく反省するよーに(特に>アントニオ猪木と新日本プロレス関係者


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フロム・ダスク・ティル・ドーン2(スコット・スピーゲル)

アメリカではストレート・ビデオとして製作された続篇。札つきの悪党5人がメキシコの銀行の貸金庫に眠る大金強奪(奪回?)を計画。ところがリーダー格の脱獄囚が途中で「おっぱいぶるるん酒場」に立ち寄ったのが運の尽き…。1作目では酒場で罠を張っていて、外には出てこない様子だったヴァンパイアたちだが(噛んだ相手が悪かったのか)今回の悪漢ヴァンパイアは積極的に屋外で栄養摂取活動に精を出す。クライマックスは銀行に押し入った強盗団(ほぼヴァンパイア化済み)とズラリと取り囲んだメキシコ警察隊の阿鼻叫喚の大殺戮(てゆーか、酒池肉林?)絵図と相成る。 ● 監督・脚本は、「死霊のはらわたII」の脚本などを手がけているサム・ライミ一派(?)のスコット・スピーゲル。劇中劇シーンで「ポルノ映画監督」として出演もしている。師匠の影響なのか「金庫のダイアルの主観カメラ」とか、意味のない/むやみにユニークな(けれど非MTV的な)カメラアングルに凝っている。メキシコの描写も「日本といえばフジヤマ&ゲイシャ」的なステレオタイプで、野牛の頭骸骨にニシキヘビがうねうねしてたり。そうしたコミカルな部分は面白いのだけど、カーペンターの「ヴァンパイア 最期の聖戦」あたりと較べてしまうと、肝心のアクション演出が単調で、絵ヅラがカッコ良くないのだなあ。主役がクライマックスシーンの半分ちかくパトカーに閉じ込められてて活躍しないってのも、ちょっと。 ● 最後まで人間として踏みとどまって戦う「二流の犯罪者」に(近頃じゃ ずいぶんと人間ぽくなっちゃった)ロバート・パトリック。 テキサスからメキシコまで行政権限を超越して追いかけてくる保安官にベテラン、ボー・ホプキンス(って、すいません よく知りません) 唯一の「レギュラー」である酒場のバーテンにダニー・トレホ。 プロローグ場面にライミの分身 ブルース・キャンベルがゲスト出演。 原題は「フロム・ダスク・ティル・ドーン2 テキサス・ブラッド・マネー」…って、ちっともテキサスじゃないじゃんか! ● 「3」のレビュウはこの頁の下のほうにあり。

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フロム・ダスク・ティル・ドーン3(P・J・ペス)

特殊メイク:KNBエフェクツ
アメリカではストレート・ビデオとして製作された作品。前半がクライム・アクション&後半が(突如として)ヴァンパイア・アクションだったオリジナルとまったく同じ構成。「酒場の裏側」を写した印象的なラストカットまで同じ。ただ、今回は時制を今世紀初頭のメキシコに遡らせて前半をマカロニ・ウェスタンとして演出している(絞首刑のシーンで始まり、駅馬車襲撃のシーンとかがある) 始まってだいたい40分で「互いに対立する7、8人のグループ」が例のトップレス・バーじつは吸血鬼酒場(まだ「おっぱいぶるるん酒場」ではなくて「悪魔のおっぱい酒場」という名前。スペイン語だから「エル・ティット・ディアボロ」とかそんな感じ)に到着してからの展開はオリジナルのままだが、全体の上映時間が15分短い分だけこちらのほうがテンポが良いとすら言える。おっぱいと血とアクション。これであとサルマ・ハエックの裸踊りに匹敵するシーンさえあったらB級映画としては満点かも。 ● グループのリーダー格となるのはなんと「悪魔の辞典」の作者アンブローズ・ビアス(パンチョ・ヴィラ率いる革命軍に身を投じるべくメキシコに渡って消息を絶ったのは史実なんだそうだ) 「智恵のある偏屈な老人」の役まわりで、簡単に言えばジェームズ・コバーンの役だな。演じているのはオリジナルの前半でゲッコー兄弟にブチ殺される保安官をやってたマイケル・パークス。ヒーロー役であるタフな無法者にマルコ・レオナルディ。それを追ってくる首吊り人(処刑人)に「ワンス・ウォリアーズ」の強面(こわもて)、テムエラ・モリソン。後の地獄のプリンセス=サンタ・ニコとなる“首吊り人の娘”(=原題)に(若い頃のリンダ・ロンシュタットみたいな)アラ・セリ。お堅い牧師の妻に「ルール」のレベッカ・ゲイハート。唯一の“レギュラー”であるバーテンダーにダニー・トレホ。そして酒場のマダムに「蜘蛛女のキス」のソニア・ブラガ姐。エンドロールの後のシーンでアンブローズ・ピアスに○○を○○○○されるのが監督のP・J・ペスで、これがデビュー作。脚本のアルバロ・ロドリゲスはロバート・ロドリゲスの従兄弟(!)だそうだ。あと、どーでもいいけどファーストシーンの乱闘でボコボコに殴られた男に(アニメでよく使う)ヒヨヒヨヒヨって小鳥が飛び回るSE入ってませんでしたか。ジョー・ダンテか。 ● 「2」はこのあと観る予定。

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フル・ティルト・ブギ メイキング・オブ・フロム・ダスク・ティル・ドーン
(サラ・ケリー)

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1作目)の撮影に密着したドキュメンタリー。あんまりメイキングものとか観たことないのでスタンダードがどのあたりにあるのか よくわからんのだが、のんべんだらりと「ただ撮影進行を追っている」だけの代物で「祭りの高揚」も無ければ「創作の苦悩」もない。KNBエフェクツの特殊メイクの裏側も(ほとんど)見せてくれないし、ハーベイ・カイテルに至っては「演技に集中したいから」という理由で本作には(ほとんど)登場しない。非組合系の撮影体制を組んでいることで、ユニオンから有形無形の圧力がかかっているらしいのだが、それは字幕で示されるだけで絵としては見せてくれない。1,800円取って観せるような代物じゃない。DVDのオマケが相当。

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天使のくれた時間(ブレット・ラトナー)

またもやアメリカ人の大好きな「クリスマス・キャロル」ものである。ドン・チードル扮する「天使のようなもの」は下界の人間に だれかれ構わず金の斧を見せては「あなたが落とした斧はこ〜れですか?」と尋ねるという、神様の言いつけででやってるのだとしたら神様もそーとー人の悪い“人試し”をしてて、ウォール街の成功したエグゼクティブであるニコラス・ケイジはクリスマス・イヴの夜に たまたまこのテストに合格しちまったもんだから、それまで自信を持って“幸福な人生”をエンジョイしてたのに、天使のおせっかいで今の人生に不安を抱かされ人生をメチャクチャにされる…という話。「幸福」なんて主観的なもんじゃんか。放っといてくれよ>神様。 ま、たしかにいくら金が儲かっても、盆も正月もなく連日の深夜残業という生活よりは、多少 貧乏でもテア・レオーニみたいな女房と可愛い子どもたちに囲まれてたほうが幸せだとは思うけどさ。 ● そんなヒネクレ者のおれに4つ星を付けさせたのは「ラッシュアワー」のブレット・ラトナーの意外に達者な演出と、ひさびさに得意技「八の字眉」をめいっぱい駆使してるニコラス・ケイジの説得力ある演技である。NYの高級マンションのペントハウスでセクシーな黒ブリーフいっちょうで寝たはずが、ニュージャージーの一軒家でチェック柄のトランクス姿で、赤ん坊の泣き声と犬にペロペロ顔を舐められて目覚めた三十男の、とまどい と心情/価値観の変化を丁寧にフォローしていく。名手ダンテ・スピノッティの寒色と暖色のルックを的確に使い分けた撮影と、ダニー・エルフマンの(雪景色にちょっと「シザーハンズ」が混じる)スコアも好サポート。 ● 妻(になっていたはずの恋人)役のテア・レオーニは、男が「家に帰りたい」と思わせるような暖かさには物足りないものの、まあ、好演の部類。ドン・チードルは短い登場時間ながら、ことさらに勿体ぶらず素直に演じて強い印象を残す。同じ黒人天使としては「奇蹟の輝き」のキューバ・グッディングJr.の百万倍 素晴らしい。原題は「ファミリー・マン」。最後に意地悪を言うと、男の会社研修で1年間 離れてただけで冷めてしまう関係なら、最初っから運命の相手じゃなかったんだと思うけどな。あと、恥ずかしながらお尋ねしますけど、劇中に出てくる安っぽいコピーブランドの「ゼーナ」って何というブランドのモジリなの?

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隣のヒットマン(ジョナサン・リン)

なんでこれ評判が悪いかなあ。面白いじゃんよ。殺人をあつかうコメディだが、脚本は「誰が死ぬのか」について観客が罪悪感を感じずに済むように周到に考えられているし、台詞も可笑しい。演出の時間配分も完璧。キャストは総じて(マシュー・ペリーですら!)それぞれの柄に合った好演。ランディ・エデルマンによる「コメディ劇伴」のお手本のようなスコア。おまけにケバ系の新進女優アマンダ・ピートの「これぞ観客サービス!」という(ドリフのコントにおけるソレ程度に)必然性のあるヌードまであるのだぞ。何の不満があろうか。 ● お忘れの方がいるかもしれないので書いておくが、もともとコメディ・ドラマ出身であるブルース・ウィリスはコワモテのヒットマン「ジミー・ザ・チューリップ」をじつに楽しげに快演。「何人 殺したかなんて問題じゃない。生きてる人間とどう付き合うかだ」 本人はそう思ってないがまわりから見れば愚鈍そのものの歯医者にマシュー・ペリー。俳優としての「勘の悪さ」がうまいことキャラに活きている。 本作のヒロインであるジミーの妻を演じたナターシャ“スピーシーズ”ヘンストリッジはついに女優としての初日が出た。 マシュー・ペリーのとんでもない悪妻を「どこの訛りだよそれ!」という奇っ怪なアクセントで怪演するのはロザンナ・アークエット。 ジミーの命を狙うシカゴ・マフィアのボスにケビン・ポラック。その部下に「グリーンマイル」のマイケル・クラーク・ダンカン。 ● 原題は「THE WHOLE NINE YARDS(一から十まで)」 全篇モントリオールにロケしている。しかしハンバーガーにマヨネーズを塗るような国民はバカにされて当然だと思うぞ>カナダ人。

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ベーゼ・モア(ヴィルジニー・デバント&コラリー・トラン・ティ)[キネコ作品]

いやあ、ひさびさに全面修正(=画面まっ黒)を見たなあ。場面によって画質に差があるので「トリミング修正」とかも施されてるのだろう。口うるさいルームメイトを絞め殺したフランス人娼婦(カレン・バック)と、はずみで兄を撃ち殺したアラブ娘(ラファエラ・アンダーソン)の享楽殺人カップルの逃避行。2人のヒロインにポルノ女優を起用して実際にハードコア場面を演じさせたビデオ撮りC級映画。エイベル・フェラーラの「天使の復讐」というかリドリー・スコットの「テルマ&ルイーズ」というか、…いや、昔、洋ピンに1本だけ混じってた「RAPE レイプ」とかに近いか。「物語的な快感」も「映像的な快楽」もない。まあ、ビデオで無修正版を観ればまた印象が変わるかもしらんし、女性が観れば感じかたも違うのかもしらんが、おれはこいつらマンコ臭そうなので嫌だね。


ボクと空と麦畑(リン・ラムジー)

イギリスの新人女性監督の第1作(脚本も) 巷には幾億幾千万の物語があふれてるというのに、なんでよりにもよってこんな嫌な話を選ぶかなあ? 原題は「ねずみ取り」。救いのない話に即した的確に陰気なタイトルである。「ボクと空と麦畑」って邦題はたぶん、悲しく辛い現実を生きる少年の「一瞬の希望」を象徴していて、配給会社の苦肉の策。うっかり「牧歌的な夏休みもの」とかを期待して観るとヒドい目に遭うよ。この監督に力があることは確かで、みすぼらしい町のみじめな少年たちの生活をみすみずしく描きだしており、最後までまったく飽きさせないのだが、それでもおれはこの映画を誰にもお勧めしない。 ● 舞台となるのはスコットランドのグラスゴー。9週間にもおよぶ清掃局ストのせいで庭にも裏庭にも公園にも町じゅうに黒いゴミ袋がうずたかく放り出されたまま。子どもたちは大量発生したドブネズミを捕まえて遊んでる。[以下ネタバレ]冒頭に…小学校5、6年だろうか…金髪のワンパクそうな男の子が紹介される。お母さんに「転ばないように」って長靴の中にたくしこまれたズボンの裾を(そんなのカッコ悪いから)物陰でこっそりひっぱり出してから遊びに駆け出していく。ところが、観客が「ふむ。この子が主人公なのね」と認識してから5分もしないうちに、この坊やは友だちと裏の水路でじゃれあって溺れ死んでしまうのだ。そう、じつは本篇の主人公は、この「友だちを溺れ死にさせてしまった男の子」のほうなのである。なな、なんちゅう鬼畜なミスディレクションをしやがる! ● 周りは、この子が事故現場に一緒にいたことを知らないので、少年に対して慰め/いたわりの言葉をかけ、亡くなった男の子のお母さんから遺品を貰ったり(=押し付けられたり)して、そのたんびに少年はなんとも悲痛な表情になり(そりゃそうだわな。この子は「友だちを見殺しにしてしまった」という罪悪感に苛まれてるのだから)、周りは、その顔を見てさらに「あの子が死んで悲しいのね」とか追い討ちをかけたりするのだ。うわぁ、やめてくれえ。観てて居たたまれないだけでなく、すぐさま観客の心にはさらなる心配が巻き起こる──すなわち「作者はどうやってこの物語を終わらせるつもりなのか?」と。まさか年端もいかぬ少年に「罪の贖い」をさせたりはしまいなあ。だけどこの構成からしたらやはり最後は…と、おろおろしながら見守っていると・・・・・・・・・・終映後の観客たちは無言のまま重い足取りで劇場を後にするのであった。はぁぁぁ...(←深いため息)

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ドッグ・ショウ!(クリストファー・ゲスト)

年に1度、フィラデルフィアの巨大アリーナで開催される名門ケンネル・クラブのドッグ・ショウ。狩猟犬から愛玩犬、大型犬からテーブルドッグまで、あらゆる種類の犬、3,000匹がナンバーワンを競うこの大会に、人生を賭けている(犬ではなくて)飼い主たちを描いた変人カタログ。飼い主たちに「インタビュー」したりとドキュメンタリーを模した部分もあるが「フェイク・ドキュメント」と呼べるほど徹底はしていない。架空のロックバンドのドキュメンタリー「スパイナル・タップ」(…とか知ったかぶって じつは未見)の脚本家&主演として知られる…てゆーか、いまだにコレ1本で食ってる感のある、監督・脚本(そして「釣り具屋のおやじ」として出演もしてる)クリストファー・ゲストは「嘲笑や冷笑」ではなく「共感」をもって、ある意味「ザッツ・アメリカ!」な人たちを描いていく。なにしろ、ほぼ並列的なエピソードの中で、もっとも「主役」と呼ぶにふさわしい扱いを受けているのが、両脚とも左足(!)なので真っ直ぐに歩けない愛犬家を演じるユージーン・レヴィなのだから(レヴィは共同脚本も手がけている) 可愛いワンちゃんたちの代わりに冴えないユダヤ人の中年おやじがけなげに健闘するコメディ映画をお求めの方にお勧めする。 ● 行く先々で「過去の男」と出くわしてしまう、レビィの妻に(「ホーム・アローン」のお母さん役とはイメージ一転の)キャサリン・オハラ。あまりの過保護が嵩じてのヒステリーで犬をノイローゼにしてしまう“通販 命”のヤッピー妻にパーカー・ポージー。ケンネル・クラブの理事長にボブ・バラバン。原題は「ベスト・イン・ショウ」

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ラッキー・ナンバー(ノーラ・エフロン)

ペンシルバニアのローカル局でお天気キャスターをしてる主人公はデニーズに専用席専用パーキング・スペース名前入り料理があるほどの地元の名士で、女性たちの人気者。すべてを手にしたかに見えるかれに、たったひとつ欠けているもの・・・商才。二流芸能人の例にもれず、かたっぱしから儲からない事業に手を出して、ついには裁判所から差し押さえ命令が。このままではセレブ生命と輝かしい将来にかかわる、ってんで、悪友のストリップクラブ経営者にそそのかされて「ナンバーズ宝くじ」の不正当選を画策するが──って話なんだけど・・・いや惜しい。すんごく惜しい。「スティング」みたいな鮮やかな「コン・ゲームもの」ではなくて、エルモア・レナード的 小悪党の騙しあいの話で、やりようによっちゃスゲー面白くなりそうなのに、なぜだかすべてのピースが少しずつズレていてハマりそうでハマらないのだ。 ● まずキャストがほぼ全員ミスキャストである。主人公のお天気キャスターは基本的に「モラル・ハザードの高い善人キャラ」で、それが無理して犯罪に手をだすから面白いわけで、これはジョン・トラヴォルタというよりジョン・グッドマンの役どころ。ティム・ロスではちょっとシリアス過ぎる(=軽みが足りない)「口八丁のストリップクラブ経営者」こそトラヴォルタの役でしょう。 テレビの宝くじショーで、数字を書いたピンポン玉を引くアシスタントをしてる縁で悪事に加わる「編成局長と不倫関係のままズルズルと来ちゃって、そろそろトウが立ってきた巨乳タレント」にリサ・クードローってのも合ってるようで合ってない。もっと「ビッチな美女」じゃないと。 極めつけが「仕事ぶりがあんまり怠惰でいい加減なので制服警官に格下げされた刑事」を演じるビル・プルマン。なんでこの地味な役者をこんな役にキャスティングしたのかね? 唯一 ハマってるのが、凶器がピート・ローズのサイン入りバットという「頭の悪い殺し屋」に扮したマイケル・ラパポートだった。 ● 脚本はおおむね良く出来ていると思うのだが、演出のトーンがどことなくズレている。「主人公1人が善人であとは全員が悪人」というのが基本の構図のはずなのに、周りの奴らまでが「どことなく憎めない」ように演出されてて、話の焦点がボケてしまっている。誰だこの下手な監督は…と思ってたら、エンドロールで「監督:ノーラ・エフロン」と出て来て椅子からコケた(いやほんと、知らなかったんだって) エルモア・レナード(的世界)までハートウォーミングにしてどーすんだよ!>ノーラ・エフロン>

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大混乱 ホンコンの夜(サム・レオン)

香港でロングラン・ヒットした「シコふんじゃった。」の田口浩正を主演に迎えて、「無問題 モウマンタイ」のプロデューサー、サム・レオン(梁徳森)が製作・脚本・監督(これが初監督)の3役を務めた香港映画。しかし「シコふんじゃった。」のキャストからよりにもよって田口浩正を選ぶとは、根っからデブのコメディアンが好きなのだなあ>香港人。 ● 香港支社に2年も勤めててロクに広東語も憶えようとせず二言目には「日本語で言えよ日本語で」と相手に要求するゴーマンな日本人商社マンが、そのうえデブで汗っかきだから誰にも相手にされないので、30歳の誕生日の記念に大枚5万香港ドル(≒80万円!)はたいて高級ホテルにとびっきりの美人娼婦を用意するが、イザという段になって避妊具を忘れたことに気付いて、女の頑強な抵抗に遭い、しかたなくコンドームを求めて「香港之夜」(=原題)にさまよい出たが最後、トラブルの波状攻撃が混乱の雪だるま状態に・・・という「一夜の悪夢もの」であり、なんと「香港返還もの」でもある(その夜がたまたま1997年の香港返還の夜なのだ) ホテルの美女は深夜12時までという契約であり、それが香港返還のカウントダウンと重なり合う仕掛け。 ● 映画は「香港の返還なのに、なんで日本人が大挙して大騒ぎすんだ。尖沙咀なんて新宿みたいじゃねえか」という作者のボヤキから始まる。今回は吉本興業のヒモが付いてるわけではないので、日本人に対するイヤミ/揶揄はハンパじゃない。田口浩正は、いきなり日の丸トランクス履かされて、白のスーツにピンクのタイ(アヒルちゃんのプリント付き)のイタいやつで、どんな大災難に遭ってどんな大混乱を巻き起こしても、頭の中には「コンドーム手に入れてホテルで待つ美女とイッパツ。ウッシッシ」しかないというサイテーな奴で、同じ日本人として恥ずかしいよ おれは。 ● さて、だがこの映画最大の計算ミスは「田口浩正はコメディアンではなかった」ということだ。かれはあくまで「コミカルな役を演じることの多い俳優」であって「シチュエーションだけ用意するからあとは自分で何とかして」という香港式の撮影に対応するだけの力量はない。「ニタ〜ッという気持ち悪い笑顔」と「困った顔」の2つしかレパートリーがないのではとうてい1時間半の(ちゃんとした脚本のない)映画を支えきれない。監督も、撮影を始めて「あちゃ〜失敗したあ」と思ったと思うぞ。 目がはじめっからイッちゃってる皇家香港警察 保安部の警部に扮したチン・カーロウ(銭嘉樂)を見よ! ギャンブル好きの大衆食堂のウェイターを(明らかに不自然なヅラ付けて)いつもの調子で怪演するロウ・ガーウィン(羅家英)を見よ! この人らはダテに香港映画界で役者として飯を喰ってるわけではないのである。 ある意味で主演の田口浩正より無残なのが、特別出演のナインティナイン・岡村隆史。本職のコメディアンなのだから当然のごとく「ちょろっと出て来て観客を爆笑させる」役割を期待されてるというのにクスリとも笑えないのだ。 「無問題 モウマンタイ」の監督アルフレッド・チョン(張堅庭)も大衆食堂の経営者役で出演している。

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チキンラン(ピーター・ロード&ニック・パーク)

日本の観客は不幸だ。だってすでに「チーズ・ホリデー」「ペンギンに気をつけろ!」「ウォレスとグルミット、危機一髪!」と観ちゃってるんだぜ。だからこの「チキンラン」に対しては「面白いことは認めるけど『ウォレスとグルミット』と較べると…」という歯切れの悪い物言いにならざるを得ない。 ● ドリームワークスというハリウッド・メジャー製作によるファミリー映画。もちろん実際の制作はイギリスのアードマン・スタジオで行っているわけだが、製作総指揮にはドリームワークスのアニメ担当重役ジェフリー・カッツェンバーグと、「ダンス・ウィズ・ウルブス」「リバー・ランズ・スルー・イット」などのプロデューサー、ジェイク・エバーツの名前が並ぶ。イギリスのマニア受けなアニメ・プロと、ハリウッドの大メジャー。この2つのあいだで映画のトーンはアンビヴァレントに引き裂かれている。クレイメーションならではの「変形とアクション(と“間”)」の魅力は脇に押しやられ、ギャグは往年のスクリューボール・コメディを彷彿させる喋くり中心に組み立てられる。その一方でスラップスティックに(=ドライに)扱われるべき「死」の描写には過剰なセンチメントが導入される。中途半端なダンス・シーンを作るくらいなら、いっそ「歌い踊るミュージカル」として撮るべきではなかったか。 ● 脚本は監督2人が自分たちで書いている。84分というコンパクトな上映時間に過不足なくドラマを盛り込んだウェルメイドな構成。だがそこで扱われているのは「第二次大戦の捕虜収容所もの」というマニアックなモチーフで、まあ「第十七鶏舎」なんてのは、わからなくても差し支えないクスグリだとしても「第二次大戦映画におけるヨーロッパ娘とヤンキー男の恋愛と、その典型的な結末」とか「女主人の長靴(ちょうか)がナスチドイツのそれをイメージさせる」といった“基本知識”がない観客は(作者の想定するレベルの)100%を楽しめない造りになっている。つまり、汎的なファミリー映画であるにもかかわらず観客に最低でも「大脱走」程度の教養を要求しているのだ。「ペンギンに気をつけろ!」を思い出してほしい。あれは決して「サスペンス映画に詳しくなければ楽しめない」なんてことはなかったはずだ。 ● ヒロインの(ミニー・ドライバーのように勝気な)レグホーン・チキンの声にジュリア・サワラ。ケネス・ブラナーの「世にも憂鬱なハムレットたち」でエキセントリックなオフィーリア役をやった女優さん。 アメリカからやって来た、褐色で筋肉質のロードアイランド・レッド・ルースターにメル・ギブソン。 あと日本人としては、英語の「チキン=弱虫」という意味が伝わらないので、大事なギャグをいくつか笑い損ねちゃうのも口惜しいなあ。


エコエコアザラク(鈴木浩介)[ビデオ上映]

いや面白いんだよ充分に。これが「エコエコアザラク」と題されてなかったら ★ ★ ★ を付けてたと思うよ。だけどさあ「美少女ホラー」を期待して来た客に遠藤憲一 主演の「ビジターQ」の続篇を観しちゃマズいべよ、やっぱ。 ● 悲劇的な大量死事件の唯一の生存者である女子高生が、功を焦ったワイドショーの下請けディレクターによって「魔女」に祭りあげられ、追いつめられ、それが逆にきっかけとなって覚醒する…という「黒井ミサ誕生篇」だが、竹内力 主演のVシネマ「報復 劇場版」「制覇」などの監督として知られる鈴木浩介は(例によってフッ切れてしまった)遠藤憲一が怪演するモラルなきテレビ・ディレクターを主役にして映画を組み立て、メディア&警察批判を展開する。その一方で、本来ならばメインである「主演の美少女をプロモートする」という目的はないがしろにされ「主演女優のちゃんとした正面からのアップ」すら上映時間の半分以上を過ぎるまで登場しない。観客をヒロインに感情移入させる手続きは省略され、観客は顔立ちすらはっきりしない少女がエキセントリックに泣き喚く姿を見ているしかない。スパゲッティ食いに来て「美味いっしょ、ウチのもつ煮込み!」とか言われても困る。あとさ、黒井ミサってのは黒魔術を使えるってだけで超能力者じゃないんだから「相手の心臓を握りつぶす」なんてことは出来ないと思うんだが。 ● 黒井ミサに(立川宣子の妹みたいな顔の)加藤夏希。テレビの「燃えろ!ロボコン」でロビーナちゃんを演ってたコだそうだが、蔭のある役には向いてない。親友の女子高生に大谷みつほ。支離滅裂な言動&行動をとる精神科医に光石研。念の為に書いておくが内田春菊は出てきません。乳も飛びません。ギャガと東映ビデオが始めた「デジタル・シネマ・プロジェクト」の第2弾。Vシネをビデオで撮って安くあげましょうって企画である。もっとも本作はハイビジョン・カメラで撮影されていてるので、いちおう鑑賞に堪え得る画質になっている。 

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あの頃ペニー・レインと(キャメロン・クロウ)

映画は絵空事の世界だけど音楽(ロック)は個人的な体験だ。これは自分を「いま在る自分」にしてくれたロックという文化/音楽へのキャメロン・クロウの個人的なファンレターであり、観客はそこにそれぞれの個人的な想いを重ねる。それがひとつの普遍性を持つとしたら、これが「ロックを創り出す側」ではなくて「ロックを聞く側」から作られているからだろう。ロック・ミュージシャンへの憧れ。ロックへの熱狂。ロックへの尊敬。ロックへの感謝…。中学の頃、小遣いを溜めてやっと買ったレコード/CDをそればっかり何度も何度も何度も何度も聞いた経験のある人なら、本篇の主人公たる15才のキャメロン少年の想いを共有できるはず。初めてロックを聞きはじめた頃の気持ちを思い出させてくれる傑作。必見。 ● 主人公を演じた(撮影時たぶん17才の)新人パトリック・フュジットが素晴らしい。田舎のロック好きの野暮ったい15才の男の子。不思議の国に迷いこんでしまったアリスのように、おどおどしながらも目を驚きに見開いて、いつもまっすぐな視線で人を見る。パンフに載ってるキャメロン・クロウと並んだ写真は本物の親子のよう。 タイトル・ロールの「ペニー・レイン」というグルーピー・ネームを持つ少女に扮したケイト・ハドソンは「200本のたばこ」のドジッ娘から一転して、歳のわりには妖艶で蠱惑的で傷つきやすくて儚げという難しい役を天使のように演じてみせる。本作には歯を見せて笑う場面は1箇所ぐらいしかないんだけど、そのマザース・スマイルの磁力は圧倒的で、頼むからラブコメ撮ってラブコメ。おねがい。 そして、それまでもかなりジワジワきてた おれの涙を一気にあふれさせたのは、先輩ロック・ライターのレスター・バングス(実在)に扮したフィリップ・シーモア・ホフマン。きらびやかな世界に憧れながらも、決して自分がスポットライトの当たる場所に立つことがないことを知っていて、でも少しでもロックのそばに居たいから書いている。夜中に電話してきた15才の新米ライターの相談に親身に答えて、少年がおもわずもらした「家に居てくれて良かった」という一言に、「いつだって家にいるさ。おれはクールな人種じゃない(UNCOOL)んだ」 グルーピー仲間に(いつも粋な)ファイルーザ・バーク姐さんと(出番をそーとー削られたっぽい)アンナ・パキン。 ● 原題は「ALMOST FAMOUS」。「あの頃ペニー・レインと」というのは素晴らしい邦題だと思う。ひとつだけ文句を付けておくと、なんでタイトルバックがビデオ撮りなんだ?

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モレク神(アレクサンドル・ソクーロフ)

ロシアの鬼才として知られるアレクサンドル・ソクーロフだが、おれにとっては“鬼才”どころか、最初に観た「孤独な声」がサイアクに退屈で、「日陽はしずかに発酵し…」ではわずか5分という途中退出の最短記録を作ったほどの“鬼門”なのだが、今回は「ヒトラーもの」だというので(阿佐ヶ谷ラピュタというマイナーな小屋なので予告篇すら観られぬまま)イチかバチかの喰わず嫌い克服に挑んでみた。 ● 冒頭いきなり10分ちかく台詞が無い。うっかりしてたら、もうここでダウンだ。ま、今回はたまたま画面に写ってたのが全裸のエヴァ・ブラウンだったから起きていられたけど(火暴) 1942年の春。そこは「荒鷲の要塞」と呼ばれる山荘。切りたった岩山の山頂に建ち、アクセスは山中を貫くエレベーターのみ。つねに靄がたちこめて昼でも薄暗い室内。そんな山荘で、独りぽっちで暇を持て余してる元・体操選手(?)のエヴァ・ブラウンは、年上の愛人アディの到着を待っている。胡麻擂りのお供をぞろぞろ連れて山荘にやってきた菜食主義者の中年男は、愉快でシニカルなユーモアセンスを披露し、若い愛人の前では無防備な、よれよれのランニングシャツ姿で甘えて拗ねてみせる。ゆったりとした時間が流れる1時間48分のラブストーリー。政治の話や戦況はほとんど語られない。ヒトラーはカリカチュアも卑小化もカリスマ化もされず、ひとりの平凡な外見の中年俳優によって演じられる。エヴァ・ブラウンもまた、とりたてて美人でもない十人並みのルックスの女優によって演じられる。一貫した静かなトーンでドラマらしいドラマは何も起こらない。意図はわからんでもないが、おれにとっては退屈きわまりない映画だった──いくつかの印象的な美しい場面があったことは認めるけれど。エヴァ・ブラウンによって発せられるラストの台詞「アディ、…死は克服できるものではないわ」 ● 台詞はドイツ語。「モレク神」とは(チラシによれば)古代セム族に子供を人身御供にして祭らせた「恐ろしい犠牲を要求する神」の名前。旧約聖書では「悲惨な災い、戦火のシンボル」と記されている(んだそうだ) ● ラピュタ阿佐ヶ谷の館主でもある左翼漫画業界ゴロ・才谷遼が製作に一枚かんでいて、本作から始まる「歴史4部作」の3作目では「ヒロヒト」を描くのだそうだ。(本作のスタイルを踏襲するのであれば)きっと奥田瑛二あたりが日本語で演じることになるはずで、ちょっと興味深くはある。


LOVE SONG(佐藤信介)

おれは、本人の知らない間にパンツの中に大麻が入ってた事件は、勝新太郎の映画俳優としての偉大さをこれっぽっちも損ねていないと考える立場の者であるが、それにしても…。マジック・マッシュルーム…ぷっ。あ、失礼。いやあ、伊藤英明がスカした台詞を言うたんびに、つい「そんなカッコつけたってアンタ…ぷっ」と失笑してしまうのだ。だいたいこいつカッコイイか? おれにはうじきつよしにしか見えんぞ。 ● 自主映画監督としてそこそこ有名で、市川準「ざわざわ下北沢」や行定勲「ひまわり」の共同脚本者としても知られる佐藤信介の商業映画デビュー作。1985年。田舎の小さなレコード屋。かかっていた尾崎豊のファースト・アルバムを気に入った女子高生が、カウンターに立ててあるLPレコードのジャケットを指して「これください」と言うと、20代のハンサムな店員は「いま在庫がなくてこれ1枚きりだから売れない」と言う。いくつかやりとりがあって、店員は不機嫌を装いつつジャケットを女子高生に手渡して「ほら。…貸してやるよ」「え、いいんですか?」ニヤッとして「ちゃんと返しに来いよ」・・・ここでウゲーッとなってしまっ観客はこの映画に向かない。って、それはおれだ。仲間由紀恵さんが出演してるシーンになると「もうちょっと我慢しよう」という気になるんだが、マッシュルーム伊藤のナルちゃんぶりに堪えきれず、ついに1時間で途中退出してしまった。だいたいさ、1985年と1987年を舞台にした「時代もの」の映画なのに「時代考証」がいい加減すぎる。電車の色を塗り変えろとまでは言わんから、せめてメインキャラの服装・髪型ぐらいは当時のものにしなさいよ。「てゆーか」なんて使わねーだろ、その頃は。それと北海道のド田舎の高校生がなんで標準語なの?


ダブルス(井坂聡)

「[FOCUS]」「破線のマリス」の井坂聡の新作。冒頭にこんな字幕が出る「これから見ることは、ここだけの事にしてほしい」・・・なにそれ? つまんねえってこと自己申告してんの? ナメとんのんかコラ! ● フニャチンのコンピュータおたく(鈴木一真)が、ネットで見つけた古強者(ふるつわもの)の金庫破り(萩原健一)と深夜のオフィスビルに侵入。首尾よく金庫から6千万円を頂戴したまでは良かったが、帰りのエレベーターが故障してハコに閉じ込められる…。 ● あきれたことに、こいつも「チャイニーズ・ディナー」とおなじく密室の2人芝居ものである。だからあ。腕によっぽど自信があるんでなきゃ、手を出しちゃ駄目なんだってば。案の定、脚本家(米村正二&我妻正義)は、わずか90分という上映時間すら持たせることが出来ず、なんちゃって空想シーンを2度も挿入する。エレベーター内だけでは持たなくて「深夜レストランで金庫破りを待つ女」を設定して、同席した女性とやくたいもない会話をさせ、しまいにゃ「“アンタ”って呼ばれるの嫌なんですけど」「あたしも“お姉さん”はカンベンして」「じゃあニックネーム付けましょ。あたしマチルダ」「映画ファンなのね。じゃ、あたしテレーズ」…って何なんだテメエら! パソコンおたく君が犯行に携帯するノートパソコンはバッテリーアラートも出さず作業中にいきなりブラックアウト…ってコワすぎ。いくらマイクロソフトだってそんな極悪なことはしねえよ。 ● おれは、その後つづけてレイトショーで鈴木清順レトロスペクティブを観る都合上、仕方なく最後まで付き合ったが、これだけ酷いとほとんど拷問である。もう、脚本から演出から演技から何から何まで安い安い安すぎる本年度最安値を余裕で更新だ。勘弁しろよほんと。

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チャイニーズ・ディナー(堤幸彦)

高そうな中華料理屋の個室。やくざの企業舎弟のオーナーが1人で食事を始めようとしたところに、紫色のドレッドヘアの殺し屋が現れる。殺し屋がオーナーに拳銃を突きつけた状態で、2人だけのチャイニーズ・ディナーが始まる。丸テーブルの回転台の上にはオーナーから取り上げたもう一丁の拳銃。料理を乗せた回転台はくるくるくると・・・という、2人の男の「息づまる駆け引き」を描く…はずの話。あのなあ「密室の2人芝居」なんてのは、いちばん映画にするのが難しいジャンルなのだよ。絵ヅラにしか興味のない“テレビ演出家”にはあまりに「無謀な挑戦」というものだ。ルメットの「デス・トラップ 死の罠」やポランスキーの「死と処女(おとめ)」を百万べん観直しといで。役者も山崎努&豊川悦司クラスは用意してもらわないとキツい。柳葉敏郎とIZAMじゃ10分で飽きるぜ。わずか78分の小品だし、なんとかオチを確かめようとしばらく我慢してたが…駄目だ。こんなん時間の無駄だ。30分で退出。まあ、チャイナドレスの女給仕が「自分のボスが拳銃を突きつけられてるのを見ても顔色ひとつ変えずに料理を運びつづける」という不自然きわまりない設定からすると、ラストはメタフィクショナルなオチではないかと想像するが…。

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連弾(竹中直人)

「連弾」とは中国語でマシンガンのこと。竹中直人の監督・主演による「カルロス」「共犯者」の続篇。…って、すいません、嘘です。 ● 「金髪の草原」の老人が亡くなったあとで、あの家に越してきた(←そうなのか?)4人家族・・・一級建築士でキャリアバリバリの母と「専業主夫」の夫、そして母親によく似た娘と父親によく似た息子による「両親が離婚、子どもたちどうなるの?」ものコメディ。この夫は、親父から相続した貸家の賃貸収入で家族4人の生活費が十分まかなえる(=主夫をやってても食ってける)という羨ましい境遇にあって、離婚の際にいちばんのハードルとなるはずの「生臭い問題」がはじめから除外されているわけだが、それにしても城戸賞受賞の脚本はおそらくもっと辛気くさかったはずで、離婚の話をこのように「サワヤカで軽やかなコメディ映画」に仕立てたのは、途中から「雇われ監督&主演スター」として加わった竹中直人の功績だろう。「脚色」のクレジットが与えられていないのが奇異に感じられるほどである。これが松竹プロパーの"真面目"な監督によって撮られていたらと考えるとゾッとしないでもない。劇中では、竹中直人がよくやる「ヘンテコな鼻歌」を(竹中のみならず)さまざまな登場人物がフンフンフンと口ずさむ(しかもエンドロールにはすべての「曲名」と「作詞・作曲:竹中直人」というクレジットが出る!) ● 物語的な主人公は竹中直人 演じる主夫なのだが、いちばんキャラが立ってる「映画の主役」は何といっても妻を演じる天海祐希である。硬軟とりまぜたアプローチでバリバリと仕事をこなす一方で、職場の部下と"精力的"にW不倫。そりゃ外で働いてりゃ浮気の1つや2つとあっけらかんと言いはなつ"男っぽい"キャリアウーマン。(宝塚時代を知らないのだが)天海祐希をはじめてイイと思った。あんな女の上司がいたらゼッタイ惚れちゃうね。夫から「子どもの世話を押しつけて」となじられての名台詞「あの子たちは十月十日(とつきとおか)わたしの体の一部だったのよ。どーして右手が左手の御機嫌をとる必要があるわけ!?」 その社内不倫の愛人・北村一輝の嫌らしさがまた絶品で、おれが女だったら黒ブリーフ姿に絶対パンツ濡らしちゃうね濡らしませんかそうですか。 情けない中年男の心情が妙にわかっちゃったりする小学生の息子に新人・箕輪裕太。 おれが変態ロリコン親父だったらゼッタイ好きになっちゃいそうな中学生の娘に新人・冨貴塚桂香。…って、なんだよ仮定は要らないってどーゆーことだよ。 おれが中学生の女の子だったら絶対ウットリしちゃう「ピアノの先生」にミッチーこと及川光博。 鈴木砂羽・片桐はいり・佐藤康恵といった脇のキャスティングも巧い。唯一、竹中直人が妄想をかきたてられる「ご町内美人」がちっとも美人でもグラマーでもないのがミスキャスト。なんだろ天海祐希に気を使ってんのかな。

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怪鳥 フライング・デビル(チャン・ジャンヤ)

大阪では2月に「B級映画の聖地」天六ユウラク座で公開済みのビデオストレート作品がひょっこり新橋文化にかかった。こんなタイトルだが、べつに「先史時代の翼龍」も「空飛ぶ悪魔」も出てこない。めずらしや中国製の「エアポート」である。上海を飛び立って北京へ向かう中国藍天航空(チャイナ・ブルースカイ・エアライン)569便の前輪に故障が発生、北京の空港に緊急胴体着陸(=原題「緊急迫降」)を行うことになる…。製作は上海電影公司。自前の特撮部門によるチャチな手作りミニチュアSFXとバレバレCGIだが、どうしてどうして、ドラマは抑えるべきところを抑えたまっとうなB級映画だったのでビックリした。何本あるのかわからないアメリカ製「エアポート」ものに、これより出来の悪いものはいくらもあるだろう。つまるところ「如何なるときでも最善を尽くして職務をまっとうすることが人民英雄」というテーマなのだが、教条的/啓蒙的であるよりもまずエンタテインメントであろうとする作り手の態度が好ましい。ひとつ言えるのは、おれは「山の郵便配達」を1本観るよりこーゆー映画を10本観たいってことだ。 ● 監督はチャン・ジャンヤ(張健並) 主人公のパイロットにシャオ・ピン(邵兵) たまたま同じ便に乗り合わせチーフ・パーサーの妻にシュイ・ファン(徐帆)←3人ともまったく情報なし。

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アタック・ザ・ガス・ステーション!(キム・サンジン)

韓国での1999年興行成績が「シュリ」に次いで2位、歴代興行成績でも3位に入るというヒット作。監督は1997年に銀座シネパトスで公開された「極道修行 決着(おとしまえ)」のキム・サンジン(金想辰)…って、そんなん観てる自分がコワいわ。 ● まんま、やくざものVシネマだった「極道修行…」とガラリと趣きを変えて、新作はまるで「スペーストラベラーズ」のようなカルーいノリの籠城コメディである。ネプチューンかロンドンブーツ1号2号かというイマドキの若者な4人組がガソリンスタンドに強盗に入り、佐藤B作な社長やココリコや遠藤久美子な従業員を人質にとって(なぜか)そのまま籠城、人質は次から次へと増えつづけ…という話。書割りキャラに陳腐な台詞。テレビだな。あんまり安っぽすぎらあね。昨秋の東京ファンタで「ガソリンスタンド襲撃事件」というタイトルで上映された際に観たのだが1時間弱で途中退出。

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ブレアウィッチ2(ジョー・バーリンジャー)

ワーナーマイカルシネマズが「1号店出店から10周年を記念して」という“大義名分”でついに始めた入場料金1,000円の全国チェーンの第1弾。「BOOK OF SHADOWS: BLAIR WITCH 2」というオリジナル・タイトルはほとんど詐欺である。この映画には「影の書」なんて出て来ない。今回、オリジネイターの2人、ダニエル・マイリック&エドゥアルド・サンチェスは実作にかかわっておらず、アルチザン・エンタテインメントが連れてきた新人監督がメガホンを握っている。 ● 映画のヒットで有名観光地と化したブレアの森の探検ツアーに参加した(ガイド含む)5人がヒドい目に遭う…という、これまた一種のメタ映画ではあるが、今回は35ミリ・フィルムできちんと撮影してきちんと編集がなされた通常の劇映画になっている。ブレアの森で怪奇現象に遭遇した5人が命からがら逃げ出して、人里はなれたガイドの家に逃げ込んでからは「密室での小人数の疑心暗鬼サスペンス」となるのでホラー色は薄い(=あんまり恐くない) ガイドの若者がまわしていたビデオが「証拠映像」となって、登場人物たちの欠落した記憶の謎を解き明かすのだが、終盤こんどはそのビデオ映像に裏切られるという展開になったとき初めて(ビデオ撮影という手法がセールスポイントだったはずのヒット作の続篇を)敢えてフィルムで撮影した演出家の狙いが明らかとなり、おれのように前作に批判的だった者はニヤリとする仕掛け。そう、これはドキュメンタリー作家だというジョー・バーリンジャーが観客に「ビデオに写ってりゃぜんぶ本物かよ?」と問う、続篇どころか「アンチ・ブレア・ウィッチ・プロジェクト」と名乗るのが正しい映画なのである。ブラックアウトした画面に響く最後の台詞は「ビデオは嘘だ!ビデオは間違ってる!」 ● [追記]ワーナーマイカルシネマズ・チェーンでの公開が終わったあと、新宿武蔵野館で(やはり入場料金1,000円で)レイトショー公開された。

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富江 r e - b i r t h(清水崇)

原作コミック:伊藤潤二
Vシネマ「呪怨」で(常套句ではあるが、まさに文字どおりの意味で)観客を恐怖のどん底に突き落とした“日本ホラー界 期待の新星”清水崇、待望の劇場映画デビュー作である。期待の大きさがわかる大映=東映ビデオの共同製作。・・・ところがちっとも恐くないのだな これが。てゆーか最大の失敗は「笑えない」ってことだ。清水崇は、ここでも徹底して見せる演出(=恐怖の正体を隠さない演出)を貫いていて、結果として、殺されても引き裂かれても再生するモンスター「富江」の描写はもはやスチュアート・ゴードン「ゾンバイオ 死霊のしたたり」と同レベルの、もう笑っちゃうしかない域に達しているのだが、肝心の演出者がそのことを自覚してないように思える。このストーリーなら「発狂する唇」の佐々木浩久のトーンでやるべきだったのだ。ピンク映画のベテラン・カメラマン志賀葉一の撮影も暗すぎる(あるいは丁寧すぎる)し、すっかり「ジャンル作曲家」となったゲイリー芦屋の音楽の付け方も間違ってる(恐怖映画っぽすぎる) 今回、富江は「ほかの女の内面を乗っ取る」という新しいワザを使うのだが、憑依するトリガーが[富江が使ってた口紅を使ってしまう]というだけでは弱いでしょう。それと富江の特徴である「目尻のホクロ」はもっと目立つようにメイクするべき/撮るべき。残念。次回作は「呪怨」映画版らしいので期待大。 ● 富江役には「ジュブナイル」に続く邪悪路線の酒井美紀。菅野美穂、宝生舞と来て、今回がいちばん「ゴージャスで傲慢な美女」という原作の設定に近いキャラクター設定だが、酒井美紀は巧いんだけどちょっとキャラ違いな気が。次の富江は三輪ひとみを希望。富江に憑依されてしまうヒロイン・遠藤久美子は「映画に出てくる人」の限界を超えて下手すぎる。バラエティとかに出てるぶんには可愛いんだからタレントに専念したほうがいいと思うよほんと。富江と息子を奪いあう母親に(お久しぶり)中島ゆたか。最初に富江の魔力に堕ちてしまう美大生に扮した忍成修吾(おしなり・しょうご)の狂いっぷりになかなか凄みがあった。

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オクトパス(ジョン・エアーズ)

ギャガが不良在庫一掃のために企画した「爆闘 BATTLE 映画祭」の第1弾。「スパイダーズ」の NU IMAGE 社作品。ソ連が極秘裏に開発した化学兵器で巨大化したタコが潜水艦と豪華客船を襲う映画…のはずなのに巨大CGタコがぜんぜん思うように暴れてくれないのだ。「凶悪な東側テロリストの護送という秘密任務」なんて人間サイドのちゃちなサスペンスは要らんからもっとタコを見せろタコを!(ついでに乳も見せろ!)・・・と、ちょっと怒ったポーズをしてみたが、おれは映画祭の10回券を買ってるので1本600円と思えばあまり腹も立たん。「瑕もの半額ご奉仕」と書いてあるワゴンで買った服がちょっとぐらいほつれてても「まあ、こんなもんか」と思うでしょ?


ロードレージ(シドニー・J・フューリー)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第2弾。なんか早くも2本目にして映画観賞ってより精神修養に近くなってきたなあ。今のおれは1時間36分 滝に打たれてた心境だぜ。 ● 主演はキャスパー・ヴァン・ディーン。大学のキャンパスでカレシと喧嘩別れしたばかりの女の子をナンパして、クルマで家まで送り届ける途中のハイウェイ。後方不注意による車線変更で危うくぶつかりそうになったスモークド・ガラスの黒のピックアップが、どこまでもどこまでも追いかけてくる…というスピルバーグ「激突」のバリエーション。そりゃアタマに来るって。高速道路でいきなり前に飛び出してきた主人公のクルマを避けるためにスピンさせられたんだから。一歩まちがえば死んでたんだぜ。おまけにこの主人公カップル、自分たちの所為で大事故を巻き起こしといて「That could be us.(わたしたちでなくて良かったわ)」だと。死ね、死んでしまえお前らのような輩は。 ● タイトルは「ROAD RAGE」・・・「怒りのハイウェイ」って感じ? 御歳68才のベテラン シドニー・J・フューリーの(たぶん)37本目の監督作。「この10年で最低のダイアローグ賞」のトロフィーでドタマをカチ割ってやりたいくらい低脳台詞が満載。キャスパー・ヴァン・ディーンは何を言い出すかと思えば「もう2度と愛する人を死なせたくないんだ」とか、なに、お前はジェームズ・ボンドか!みたいな事をホザいては無関係な人々を次々と死なせていくし、若い頃のアリ・シーディーに似たヒロインがまたギャーギャー喚くだけのバカ女で、おれは神経を逆撫でされまくり。本気で殺意を覚えたね。 ● [追記]「ROAD RAGE」についてBBSで「りんたろう」さんにご教示いただいた。>[たしか「ハイウェイでの爆発」と訳されていましたが、路上で「死ね、死んでしまえお前らのような輩は」と燃え上がった御仁が、相手の車に追突し、止まったところでガラスを叩き割る、さらに得物があればブッぱなす。というような事件を総称するようです。]

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ゴッド・アーミーIII(パトリック・ルシエ)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第3弾にして、隠れた傑作シリーズ待望の第3作(1・2を観てない人は↓のレビュウを先に読むよろし) 今回の赤札市でいちばん…てゆーか唯一、心から観たかった作品だが、…がっかりだ。なんと天使性善説の映画なのだ。クリストファー・ウォーケンの悪の魅力で持ってたシリーズなのにいまさら善いもんにしてどないすんねん! 信じていた神(ボス)に裏切られた大天使ガブリエル(ウォーケン)の口惜しさ・哀しみ・怒りこそがこの物語の胆ではなかったか。さんざ引っ張っといて「神さまはわたしたちを忘れてなかった。いつも見守っていてくれるんだ」だと。ガキの家出ちゃうねんど。あほか。これで1作目の遺産を完全に喰い潰したな。 ● やろうとしてるのは「ターミネーター2」である。主役となるのは前作のヒロイン、ヴァレリー・ロザレスの忘れ形見であるダニュエル。立派な若者に成長した「天使と人の子」は、やがては救世主となる定めであり、そうはさせじと悪の天使たちが襲いくる。ダニュエルの庇護者としてその前に立ちはだかるのがウォーケン演じるガブリエル・・・という構図なのだが、ガブリエルは前作のラストで翼をもがれ、いまや「人の子」である。美しかった長い黒髪もぼさぼさで、落ち武者同然のホームレス。いくらかつては「死の天使」と恐れられたガブリエルとて現役バリバリの「悪の天使」に適うわけがない。出来ることはせいぜい「やーい、テメエらには女は抱けねえだろ」と強がりを言うだけ。シュワルツェネッガーがストーリーに参加せず最後まで傍観者でしかない「T2」…なんてアナタ観たいか? ● 監督・脚本のパトリック・ルシエは「スクリーム」シリーズや「ミミック」の編集者というのがとても信じられないほど壊滅的に構成が下手。主人公が最後に倒した「最強の敵」が結局のところ誰だったのかよく判らないってのはそーとーなもんだぜ。よくこんなプロット把握力の無さで編集の仕事が務まったもんだ。 主役ダニュエルに(エドワード・ファーロングとブレンダン・フレイザーを混ぜたみたいな顔の)デイブ・バゾッタ。 その恋人マギー(本名マグダレーナ<おいおい)に、ジェニファー・ジェイソン・リーにちょい似のケイレン・アン・バトラー。 今回 登場する悪の天使はゾフィエル。演じるは(やっぱり濃いぃ顔の)ヴィンセント・スパーノ。 その手先となる盲目の狂信者にブラッド“チャッキー”ダリフ。 1作目のナバホの少女マリアが美しい女性に成長してワンシーンのみ登場。 何の因果か「天使の死体」ばかりが回ってくる不運な検屍官役の(ウィリアム・H・メイシーに似た)スティーブ・ハイトナーは本作にも出演してて「前作までのあらすじ」を観客に説明してくれる。 それとギャガは手抜きしないで「堕ちた天使」とか「最後の天使」とかサブタイトル付けなさい。

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ゴッド・アーミー 悪の天使(グレゴリー・ワイデン)

日本では1994年にひっそりと劇場公開された大傑作。我々は「天使」というと「白い衣をまとって背中に羽の生えた清らかな存在」を思い浮かべるが、かの者たちには「神の軍隊(=ゴッド・アーミー)」というもう1つの顔がある。かつてルシファー(=サタン)の叛乱を鎮圧し、堕天使を天界から追放したのは、他ならぬ神の遣わした武闘派の天使たちなのだ。“しゃべる猿”に過ぎない下等な人間どもへの神の寵愛に嫉妬して、そのゴッド・アーミーが神に叛旗をひるがえしたら…、地上の平穏な日常生活の裏側では今でも「神と天使の闘い」が続いてるとしたら…という、魅力的な物語を創造したのは「ハイランダー」「バックドラフト」の脚本家グレゴリー・ワイデン。監督デビュー作でもある、この映画では「黒づくめの服装で、ビルの屋上の縁や ガードレールの上や 椅子の背にカラスのように孤独にうずくまる」という、宗教画の悪魔のイメージを援用した鮮烈なビジュアルイメージで「悪の天使」たちを観客に印象づける。また、ともすれば陳腐なCG活劇に陥りがちな素材を、あくまでも現実に立脚した伝奇サスペンスとして演出しており、最小限のSFXで最大限の効果を生んでいる。半村良山田正紀のファンは必見。 ● 主人公はかつて聖職者だったが、みずからの信仰に疑問を抱き神を捨てた刑事。かれが担当した不可解な殺人事件。その死体には眼球が最初から無く、両性具有の半陰陽だった。現場で発見された古い手書きのヨハネ黙示録。そこには存在しないはずの23章が記されていた。古代の聖書は記す――ルシファーに次いで天国で2度目の叛乱が起こり、それはまだ続いている、と。何かに導かれるようにかれはアリゾナ州のインディアン居留地へと向かう。そこではひとつのとてつもなく邪悪な魂が昇天を待っており、もともと魂を持たない存在である「悪の天使」はその邪悪な魂を喰ろうて、より強大な力を得ようとしていたのだった。善なる天使シモンによって邪悪な魂を一時的にその裡に隠されたナバホ族の少女を伴って、かれはグランドキャニオンの絶壁の上に立つナバホ族の聖地へと向かう…。 ● 天使の叛乱を率いる悪役、…かつてソドムとゴモラを一瞬で滅ぼした天界きっての武闘派=大天使ガブリエルにクリストファー・ウォーケン(!) 黒のレザーパンツ。黒のロングジャケット。黒い爪。長めの黒髪。蝋のように白い肌…。死のウィンク地獄送りの投げキッスがこれほど似合う役者がいるだろうか。本作がシリーズ化されるほどの人気を博したのは(映画の出来もさることながら)ひとえにこのピタリとハマったキャスティングの勝利だろう。 ● 神を見失った主人公に、陰のある役を得意とするイライアス・コティーズ。彼を導く善なる天使シモンに、これまたクセ者エリック・ストルツ。主人公と行動を共にするインディアン居留地の小学校教師に「キャンディマン」の、マゾ顔の美しいヴァージニア・マドセン。(天使は機械ものに弱くてクルマの運転すら出来ないので)今まさに死ぬところを捕まり、ガブリエルのパシリにされてしまう可哀想な魂にアマンダ・プラマー(もちろん怪演) そして終盤に登場して人間に味方する、意外だが論理的に考えればそれ以外にあり得ない「とあるキャラ」にヴィゴ・モーテンセン(!) ● 本作は日本公開後の翌1995年に、SFXを追加して「THE PROPHECY(預言)」というタイトルで全米公開されて、なんとボックスオフィスの1位になってしまった。そのバージョンのビデオも日本発売されてるようだが、おれは未見。

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ゴッド・アーミー 復讐の天使(グレッグ・スペンス)

[ビデオ観賞]前作の意外なヒットを受けてミラマックスのディメンション・レーベルという「メジャーどころ」で製作されたにもかかわらず(出来は悪くないのに)日米ともビデオストレートになってしまった1998年の続篇。オリジネイターのグレゴリー・ワイデンは製作総指揮にまわり、代わって「アーバン・レジェンド2(つまり「チルドレン・オブ・ザ・コーン4」…ああややこし)」のグレッグ・スペンスが監督・脚本。共同脚本に(この後「ハロウィンH20」を書く)マシュー・グリーンバーグ。 ● 話は前作から続いていて、クリストファー・ウォーケン扮する大天使ガブリエルが大地を割って地の底から復活するシーンで始まる。「人類vs悪の天使」という構図だった前作から、本作ではいよいよ「悪の天使vs神の天使」の闘いの様相を呈してくる。大天使長ミカエル率いる「天国の軍団」は一発逆転を狙って、創世記に記された新たなる救世主=天使と人間のあいだに生まれし子、ネピリムの誕生を画策する…。 ● ヒロインの看護婦バレリー・ロザレスに(前作のヴァージニア・マドセン同様)マゾ顔の美しいジェニファー・ビールス。ストーリー上の必然で濡れ場ヌードあり。 彼女の前に現れる善なる天使ダニュエルに「ロミオ・マスト・ダイ」のラッセル・ウォン。 大天使ミカエルを演じるのは出たぁクセ者!エリック・ロバーツ 今回、ガブリエルのパシリにされる「ゴス・カップル心中の生き残り」に(「フェニックス」の早熟娘→「わたしが美しくなった100の秘密」の性転換者の兄がいるミス候補→「17歳のカルテ」のフライドチキン中毒のパパっ子)の当サイト注目株、ブリタニー・マーフィー。 唯一、前作から引き続いての出演は、またもや正体不明の眼球欠損&両性具有 死体を検屍するはめになるスティーブ・ハイトナー。 ● 運命の子を孕んだヒロインの独白――この子は、ある日 スクールバスに乗って行ったまま戻らないかもしれない。湖に飛び込んでそのまま浮き上がってこないかもしれない。それでもわたしは産もうと思う――は「ターミネーター2」のラスト、どこまでも続くセンターラインに被さるサラ・コナーのモノローグを思い起こさせる。そして5年後、道端で(トランペットを片手に)「Phone's gonna ring.」とぶつぶつ呟きながら、スクールバスを見送る薄汚いホームレスとなったガブリエルの姿でエンドマーク(以下、「ゴッド・アーミーIII」に続く)

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ジルリップス(アンソニー・ヒコックス)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第4弾。いや、アンソニー・ヒコックスは偉大だとつくづく思ったね。製作はフェニキアン・エンタテインメント(=フェニキア人娯楽公司)という聞いたこともない会社。製作総指揮が「ゴッド・フード」「ウォッチャーズ」(そのほか未公開ビデオ作品多数)のダミアン・リー。プロデューサーのノーブル・ヘンリーとは「勇者ストーカーの冒険」「ジュラシック・アマゾネス」「乱気流 ファイナル・ミッション」(そのほか未公開ビデオ作品かず知れず)のジム・ウィノースキーの変名…と、書いてて眩暈がしてきそうな陣容だが、べつに不安定な構図にイラつかされもせず、投げやりな照明が当てられることもなく、またカット尻が間延びしたり早過ぎたりもしない。つまり「プロがきちんと仕事をしたB級映画」である。ひとえに「シュリンジ」「ザ・ハルマゲドン ワーロック・リターンズ」「ヘルレイザー3」「ワックスワーク2 失われた時空」「サンダウン」「ワックス・ワーク」の監督のジャンル映画の定石をわきまえた演出の賜物だろう。 ● ボストンの静かな冬の朝。河岸で遊んでいた子どもたちが全裸の男性死体を発見する。亀甲縛りにされたその死体からは性器が切り取られ、全身を切り裂かれていた…。つまり「ジルリップス」とは「ジルの唇」じゃなくて「ジルは切り裂く」ね。といってジルという殺人鬼が出てくるわけじゃない。身元不明者の仮称「ジョン・ドウ」が女性だと「ジェーン・ドウ」に変化するように、女性の切り裂き魔は「ジル・ザ・リッパー」と呼ばれるわけだ。 ● 被害者は地下鉄建設に反対していた地質学者。報せを聞いて行方知らずだった元・刑事の弟が戻ってくる・・・という「追撃者」とよく似たプロットで、主演も同じ肉体派ドルフ・ラングレン。もっとも筋立てはこちらのほうがハードボイルド・ミステリに忠実であるが。秘密SMクラブがモチーフになっていて、真紅の全頭式マスク+全身PVスーツに身を包んだ女殺人鬼が、キュッキュッと音を立てて近づいてこられた日にゃゾクゾクッと…あ、いや。潜入捜査したドルフ・ラングレンが、Tバックのビキニショーツ一丁で亀甲縛り逆さ吊りに遭ったりするのでそっち方面の人にもお勧め。ま、あれだ。「SMは嫌がる相手にしちゃいけません」という教訓だな。未亡人になった若い兄嫁に、またもやアリ・シーディ顔のダニエル・ブレット(ヌードあり)<あれ?こいつ「ロードレージ」のヒステリー女と同じ女優じゃねえか! ● ちなみに、おれが行った日は一般客に混じって映画評論家・野村正昭の姿も。この人、わりとちょくちょく街の映画館で見かける<偉い。

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バディ・ボーイ(マーク・ハンロン)

「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」第5弾。「産業B級映画」で構成されている今回の10本の中ではインディーズ監督の演出・脚本デビュー作であるこれだけが異色。ファーストカットは磔刑に処せられたキリスト像。続いて、暗い部屋で安手のヌード雑誌を見ながら自慰をする主人公が登場する。安アパートにガミガミとうるさい義足の老母と2人暮し。いつも変な寝癖のついた髪。どもり。宗教的抑圧の下にあっていまだに童貞。友だちはゼロ。仕事は60分DPEの店で他人のスナップショットを眺めて過ごし、夜は覗き穴から向かいのアパートの美女(エマニュエル・セニエ)を覗き見る人生。それがひょんなことから向かいの美女と知り合いになり、食事に招かれ、こんなぼくのどこがいいんだかベッドイン。禁欲的なヴィーガン(=肉だけではなく牛乳や玉子も食べない徹底したベジタリアン)である彼女としばしの幸福。だが、ある夜、彼女が生肉らしきものにむしゃぶりつく姿を覗き見てしまう…。 ● ヒッチコック「裏窓」のストーリーと、(エマニュエル・セニエの旦那である)ロマン・ポランスキーの「反撥」や「テナント/恐怖を借りた男」の雰囲気を持った、後味の悪〜い真性サイコ・スリラーである。キリスト教的罪悪感が大きなテーマになっていて劇中にはさまざまなシンボルやメタファーが散りばめられているのだが、クリスチャンではないおれには半分も理解できてないと思う。主人公を演じた(アイルランドの俳優だという)アイダン・ギレンが、ゲイリー・オールドマンとエドワード・ノートンをお手本にしたような質の高い演技を見せる。エマニュエル・セニエは(毎度のことではあるけど)ヌードあり。音楽はブライアン・イーノとグレーム・レヴェル。 ● [追記]いちばん雰囲気が似てるのは(ポランスキーよりも)エイベル・フェラーラかもしれない。

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エージェント・レッド(ダミアン・リー)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第6弾。ドルフ・ラングレン主演。ロシアが放棄した細菌兵器を輸送する途中のアメリカ海軍の潜水艦がテロリストに襲われる…という話。製作は「ジルリップス」と同じフェニキアン・エンタテインメント。全洋画ONLINEによると、監督・脚本のダミアン・リーは本作以前に監督/脚本/製作として関わった23本のうち劇場公開されたのは3本のみ。同じくプロデューサーのノーブル・ヘンリー(=ジム・ウィノースキー)は本作以前に監督/脚本/製作/原案/音楽として関わった35本のうち劇場公開されたのは8本のみで、それはこの映画祭で公開された「マリン・クラッシュ」と「ブレイク・スルー」の2本を含んでの数である。むろんこの本数は日本で何らかの形でリリースされた作品に限っての話。…ま、つまりはそういう映画なのである。つっこむ気力も起きん凡作。

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マリン・クラッシュ(エド・レイモンド)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第7弾。「ジルリップス」「エージェント・レッド」に続いて、こいつもフェニキアン・エンタテインメント製。きっと「ひと山いくら」で買ってきたんだろうな。「今ならオープン記念特価で映画1本分のお値段で3本の契約が!」とかユダヤ商人の甘い言葉に釣られてさ。そんなん3本あわせても1本分の儲けにもならんちゅうねん。cf. 安物買いの銭失い。 ● どうやらこの会社、B級映画界の新たなる梁山泊(もしくはタコ部屋)であるようで、本作の監督エド・レイモンドの正体は“B級映画の帝王”フレッド・オーレン・レイらしい>アメリカで発売中のDVDで“監督コメンタリー”を付けてるのが他ならぬフレッド・オーレン・レイその人。名前もアナグラム臭いし。ただIMDbによると1997年の「COUNTER MEASURES」という作品がエド・レイモンドとフレッド・オーレン・レイの“共同監督作品”となっており、コメンタリーは単にオーレン・レイがレイモンドを名乗って代わりにくっ喋ったのかも知れん。真相は不詳。ま、どーでもいいが。 ● 「恐るべき衛星兵器サンダーストライクを狙って暗躍する武器商人テロリストとCIAの精鋭の闘い」という007のパチもんみたいなストーリー(ちゃんとビッチな悪女も出てくる)に「衛星のコントロールソフト強奪に絡んで太平洋の海面下30mに“水没(=原題)”したボーイング747」という航空パニックものがミックスされている…というか、話は途中から乗客の救出が中心となって、テロリストは観客からも作者からも忘れ去られてしまう。いや、もちろん忘れた頃に再登場してCIAにアッサリやっつけられちゃうんだけどさ。なんともヘンテコな構成の、安い作りの、無名キャスト作品ではあるが、さすが50本を超えるフィルモグラフィを誇る職人監督だけあって未公開ビデオや深夜テレビの水準はクリアしている(=なんとか最後まで観ていられる) ● ビリングトップはテロリスト役の黒人ラッパー、クーリオ(でも出演時間はぜんぶ合わせても10分くらい) 懐かしや「警部マクロード」のデニス・ウィーバーが「衛星兵器計画を推進するテンガロン・ハットの(←まんまや)テキサスの大富豪」という大きな役で出演しているのだが、ギャガのパンフレット/チラシには言及なし。ただでさえ売りものが少ないB級作だってのに痛恨の見落としだな>担当者。てゆーか、あれ?なんで民間人がそんなことしてんだ?<今ごろ気づくなよ。

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ブレイク・スルー(ジェイ・アンドリュース)

私が御社を志望いたしました理由は、第1に「ブレイク・スルー」のような素晴らしい映画を配給する会社で働きたいと思ったからであります。「勇者ストーカーの冒険」「ビッグ・バッド・ママ2」といった幾多の傑作をものした巨匠でありながら、敢えてジェイ・アンドリュースという「別名」で己の真価を問われんとするジム・ウィノースキー先生の飽くなき挑戦に心打たれずにはいられません。現代アメリカが直面している現実でありながら、世の「映画作家」を名乗る輩が避けて通っている「右翼民兵カルト」というヴィヴィッドな問題を率先して取り上げて、社会の病巣をえぐり出さんとする真摯な姿勢。まさしくすべてのクリエイターの規範とすべきところでありましょう。監督の本分たる「演出」の分野においても、「カルト組織がサイバーダイン社に潜入して炭疽菌兵器を強奪し、包囲した警官隊に発砲し、ビルを大爆破して逃亡する」というシークエンスをまるでフィルムを借りてきたかのように「ターミネーター2」と寸分たがわず演出する手腕は感嘆すべきものです。本作には、この他にも「アメリカン忍者2 殺人レプリカント」や「デルタフォース2」といった作品とまったく同じに見えるシーンが存在し、それにもかかわらず全体としてストーリーの辻褄はちゃんと合っており、あまつさえ驚くべきことに見応えすらあったりするという驚天動地の事態が現出いたします。そう、これはカットアップ手法を効果的に現代映画に応用した先鋭的な芸術作品であるとも言えましょう。ヒロインに「フラッシュダンス」のハリウッド・スター、ジェニファー・ビールス嬢を起用して、にもかかわらず安易なヌードを避ける良識など悔やんでも悔やみきれ…あ、いえ、尊敬の念に価します。カルトの元リーダーに扮したフレデリック・フォレストが素晴らしいのは申すまでもありません。 ● この「ブレイク・スルー」が第8弾となる「爆闘 BATTLE 映画祭」につきましても、映画ファンが本当に観たい良質な映画を低価格で提供するというデフレ時代に素早く対応した鋭利な経営センスには感嘆を禁じ得ません。また、一般興行を就職1次試験に利用するなどという言語道…あ、いえ、柔軟な発想こそが、生き馬の目を抜く映画業界で21世紀を生きぬく秘訣であろうと愚考する次第です。では、吉報を心よりお待ちしております。 ギャガ・コミュニケーションズ人事部長殿 m@stervision拝(…えっ、新卒じゃなきゃダメなの?)

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シック・アズ・シーヴス(スコット・サンダース)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の第9弾。当サイトにおける星の数は絶対評価なので、この映画にも ★ ★ ★ 以上は付けようがないんだがこれまでの苦闘からすれば ★ ★ ★ ★ ★ ぐらい付けたい気もする拾いものB級映画。 ● タイトルは「THICK AS THIEVES」と書く。直訳すれば「泥棒のように濃厚な」だけど、なんでも慣用句で「非常に親密」って意味になるらしい。たとえば「We are as thick as thieves.」で「おれたちゃ泥棒仲間のように結束が固いんだ」って感じ? まさにその字義どおりの内容で「デトロイトの黒人ギャングから食糧配給券泥棒の助力を頼まれたシカゴのイタリアン・マフィアが、仲間うちでシンプルに“泥棒”と通称されている男を貸し出すが、黒人ギャングがたかだか2万ドルのギャラを惜しんで泥棒を罠にハメたために、命からがら逃げ出した泥棒は“落とし前”をつけるべく、相棒2人を連れて再びデトロイトに乗り込んでいく…」という、近年でいえば「ペイバック」に近いスタイリッシュな「犯罪者映画」である。 ● LPレコードでブルーノートを愛聴し、老犬と孤独をこよなく愛する“泥棒”にアレック・ボールドウィン。アレック・ボールドウィンと犯罪者映画といえば「マイアミ・ブルース」という傑作もあったことだし、好きなんだろうね、このジャンルが。それにしても主演だけでなく製作総指揮までした「ヘブンズ・プリズナー」のあとは、デミ・ムーアと共演の「陪審員」、アンソニー・ホプキンスと共演の「ザ・ワイルド」、ブルース・ウィリスと共演の「マーキュリー・ライジング」と来て、ひさかたぶりの主演作が無名プロダクション製作の本作である(←しかも傷物半額市) ハリウッドでは、もはやこの人には「メジャー作品に主演するだけのスターパワー」が無いと見做されているのであろうか? 諸行無常じゃのう…(ごぉ〜〜ん) ● 「犯罪者」を演じる役者たちの面構えがすばらしい。キレてる黒人ギャングのボスに(「ユニバーサル・ソルジャー ザ・リターン 」で鋼鉄の新ユニソルを演じた)マイケル・ジェイ・ホワイト。 頭脳派の若頭にアンドレ・ブラウアー(「ゲット・オン・ザ・バス」「オーロラの彼方へ」) シカゴ・マフィアの若頭に(「フェイク」でアル・パチーノのライバル「ソニー・レッド」を演った)ロバート・ミアーノ。 主人公の忠実な相棒に(「13デイズ」のケネディ大統領とは同一俳優とは思えない)ブルース・グリーンウッド。もうひとりの黒人の相棒に(ラリー・フィッシュバーン似の)リッキー・ハリス(「フラッド」) (たいして出番は無いのだが)紅一点のFBI捜査官に「ストレンジャー」の熱演以来ひさびさ御目見得の、レベッカ・デモーネイ姐。「ハンニバル」でFBI女性捜査官にリサーチしたジュリアン・ムーアが「絶対に髪は切らないで。映画に出てくる女性捜査官って決まってショートカットでマニッシュなスーツ姿というのにウンザリしてるの」と言われたそうだけど、この映画のデモーネイ姐が、まさにそのとおりの格好でちょっと笑ってしまったよ。 ジャニーン・ギャラファロがカメオ出演。 監督・脚本のスコット・サンダースは新人のようだ。


マネー・ゲーム(ベン・ヤンガー)

ギャガ・コミュニケーションズ主催による「爆闘 BATTLE 映画祭(きずものはんがくごほうし)」の最終10作目。ニューラインシネマ製作の準メジャー作品。 ● NYのウォール街からクルマで1時間、ロング・アイランドに居を構えながらも、電話セールスで驚異的な売上げを達成している新進の証券会社J.T.マーリン。大学を中退してずるずるとモラトリアム(死語)な生活を送っていた主人公は華麗なるヤッピー(死語)への転身を夢見てJ.T.マーリンに就職するが、莫大な利益の裏にはもちろん汚い秘密が…という、アメリカのバブル景気を反映して作られた「ザ・ファーム 法律事務所」の「ウォール街」版である。 ● この映画の失敗は「ザ・ファーム 法律事務所」ではトム・クルーズが演じた主人公の役に、「60セカンズ」の卑劣な弟=ジョバンニ・リビージを据えたこと。これに尽きる。役者には向き不向きってもんがあるでしょう。なにしろ本篇の主人公は連邦判事を務める父親にコンプレックス抱きまくりで、証券会社に入った動機というのも「デキの悪いボクだけど、パパに認めてもらいたいから」というものなのだ。これをジョバンニ・リビージに演じさせちゃったもんだから案の定「ぐずぐず君が最初っから最後までぐずぐずと泣き言を言いつづける映画」などという誰も観たくない映画が出来あがってしまった。なに考えとんねん。もっとも、この脚本でもトム・クルーズが演じたならば例の「目に涙を溜めて青臭いことを主張する」シーンひとつで観客を納得させてしまうだろう。スターに高い金を払うのにはそれなりの理由があるのだ。そして、構えからしたらチェーン公開してもおかしくない作品が「傷物半額市」にまわされるのにも、やはりそれなりの理由があるということだ。 ● 「摩天楼を夢みて(グレンギャリー・グレン・ロス)」のアレック・ボールドウィンのごとく、ちょっこっと登場してはキョーレツな檄をカマす先輩エリート社員にベン・アフレック。同僚に「ピッチブラック」のヴァン・ディーゼル。高圧的な父親にロン・リフキン。監督・脚本のベン・ヤンガーはまだ20代の新人。原題は「ボイラールーム」。逮捕されなきゃ何やってもいいという違法スレスレ(あるいは明白に違法)な“根性”株プローカーたちがワァーッと電話をかけまくってる飯場的なディーリング・ルームを指すらしい。

・・・さて以上で なんとか「爆闘 BATTLE 映画祭」10本を完走したわけだが、総括すると、一見の価値があるのが「バディ・ボーイ」と「シック・アズ・シーヴス」の2本。無理して観るほどじゃないけど悪くないのが「ジルリップス」。つまり2勝7敗1引き分けだ。阪神より弱いがな。10回券6,000円はちょっと高かったかな。次があるなら、せめて勝率5割に乗っけていただきたいものである。…ってアンタ、次も行くつもりかい!


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