体珠

最終話


 あれから1ヶ月が経った。

 あの後の展開はまるでジェットコースターに乗っているかのようにあっという間のことだった。キーパーソンとなるかもしれないと考えた雲富教授との出会い。今回の事件の真相。そして黒幕。
 予想外の告白を受けたその日に独田は元の世界へと戻る準備に入った。それは雲富の話した真相が理由だ。

 その真相はこうである。
 原因は未だに謎だが何かの現象が起き、18年前2人の葉貝はそれぞれお互いの世界へと飛ばされてしまう。輸送中だった大量の体珠を売ることで生き長らえた葉貝に接触した男、それが雲富だった。雲富は体珠に大層興味を示し、その研究に明け暮れた。そして体珠には人間の思念に何かしらの影響を与える力を持っていることが分かった。この頃から雲富は次元を越えて、もう1人の自分とコンタクトを取れるようになったという。
 やがて体珠のない世界の人間に体珠を服用させると、その人間の思念を増幅させ、結果的に運動能力の向上、思考力の向上などにつながることを発見した雲富は、体珠が大金になると葉貝に持ちかけたのだ。これにのった葉貝の体に異変が起こったのはこっちの世界にやってきて2年が過ぎたころだった。葉貝は体ごと世界を越えてきた人間だったので、こっちの世界に移ってからも体珠は定期的に生み出していた。しかし、こっちの世界の環境のせいか、やがて体珠を作れない体になってしまったのだ。それを知った雲富は慌てた。大量にあった体珠も雲富が葉貝と出会ったときには大幅に数が減っていた。しかも、今後は一切補充が出来ない。しかし、体珠は宣伝のせいもあって飛ぶように売れていた。最初は自分の手で作りだそうともした。しかし、それも失敗し悩みに悩んだ末、雲富はある1つの壮大な計画を思いつく。それは体珠を持っていない人間に体珠を渡すことで、葉貝の身に起こった事と同様のことを起こそうとし、そしてその人間を仲間に引き釣り込み、体珠の補充をしようとしたのだ。そして、葉貝は翌日から色々な人間に体珠を配り始めた。その中の1人が独田だったわけだ。余談であるが、この時に体珠の力を説明したのは、その力を教えておけば子供なら大事に持っているだろうという考えからだった。
 この計画に賛同した葉貝はもう既に元の世界に戻るつもりはなかった。しかし、元の世界に戻りたいというもう1人の葉貝の思いは頭に飛び込んでくる。いい加減、嫌気が差した葉貝は整形手術を受け、痣向という別人になりすまし、雲富に頼んで葉貝が殺されたという嘘の情報をもう1人の葉貝に送る。こうして計画は万事うまく行くと思われた。
 しかし、葉貝の元の世界に戻りたいという気持ちは、もう1人の葉貝が思う以上に強かったのだ。もう1人の自分の死に一度は元の世界へと戻ることを諦めた葉貝だったが、せめて元の世界に戻る術だけでも知りたいと個人的に調査を行うようになる。やがて、体珠と思考の関係でノーベル賞を受賞した雲富の存在を知り、偽名を使って会いに行く。なぜ偽名を使ったのかは分からないが、このときなぜか葉貝は痣向という名前を使っている。知らぬ内に、向こうの世界の葉貝の思念を受け取っていたのだろう。そしてこのとき初めて自分以外にも同じような体験をしている人が多くいることを知り、その人々を雲富が元の世界に戻しているということを聞かされる。
 体珠のある世界に住んでいた雲富は、ない世界の雲富と定期的にコンタクトを取っていたため、向こうの状況は全て把握していた。だからこそ彼はノーベル賞を受賞できたのである。というわけだったから、葉貝が目の前に現れたとき、雲富は素直に驚いてしまった。まさか自分の元に彼が現れるとは思っていなかったためだ。
 雲富の驚きを不審に思った葉貝は雲富に詰め寄った。隠し通すことは不可能だと考えた雲富は事実を話す。激怒した葉貝は元の世界に戻せと更に詰め寄るが、雲富はそれはできないと断る。しかしこれはやりたくないという意味ではなく、やりたくてもできないという意味でだ。
 向こうの世界の葉貝は痣向になるときに雲富の力を借り、頭にあるチップを埋め込んでいた。それは次元を越えて飛んでくる思念を遮断させる力を持っていた。つまり葉貝にはもう元の世界に戻る術は残っていなかったのである。
 しかし葉貝は諦めなかった。普通の人であれば決して味わえない、もう1人の自分にだまされた衝撃は並大抵のものではなかったのだろう。その日から葉貝はもう1人の葉貝への復讐へと心血を注ぐようになったのだ。
 かといって、次元を越えて攻撃をすることなどは不可能である。やり場のない怒りだけが日々大きくなっていく。そんなある日、葉貝は夢を見た。それは15年前に自分が少年に体珠を手渡している場面だった。目覚めた葉貝はこれにかけてみることにした。そしてそれから毎日鷹居山に通う日々が続いた。そして1週間後。遂に葉貝は夢でであった少年、独田と出会うことに成功する。そしてあらかじめ作っておいたトランシーバーと偽の新聞を使って、独田に嘘の話を打ち明ける。この時、雲富を悪者に扱わなかったのは、以前出会ったときの印象が起因しているのかもしれない。後は独田に任せればいい。葉貝の復讐心は少し解消されたのだった。

 ここまでの話でお分かりになっただろう。今回、独田は2人の葉貝によって生まれたトラブルに巻き込まれたのである。この話を聞いた独田は脱力してしまった。何とくだらないことに自分は巻き込まれてしまったのだろう、と。しかし、理由はどうあれ、自分に恨みを持つことになった葉貝に同情もした。そこで独田はトランシーバーを使い、もう1人の自分にメッセージを送り、ある作戦を実行することにした。そして独田は雲富の力を借り、お互いの元の世界へと戻ったのである。

 元の体珠のない世界に戻ってきた翌日、独田は数年ぶりにテニスコートに現れ、黙々とサーブの練習をした。大学時代、テニスサークルに入った動機こそ不純ではあったが、月日が経つにつれ、テニスをうまくなりたいという気持ちが強くなった。ただ、どうしても動きの俊敏さに欠けていた独田はサーブに力を入れるようになる。そして、サークル内で一番速いサーブを打てるまでに上達したのである。またコントロールが抜群で、コートに置かれた空き缶にボールを当てるぐらいは朝飯前だったりする。そんな思い出を少しずつ思い出しながら独田はひたすらボールを打ちつづけた。借り物のラケットに最初こそ違和感を覚えたが、徐々に勘を取り戻してきているのが自分でもよく分かった。しかし、40本、50本とサーブを重ねていく内に肘に痛みが走り出すようになった。独田は強烈なスピンをかけたツイストサーブを得意としていたが、今はボールに回転をかけないようにするフラットサーブを打っている。フラットサーブはフォームが重要であり、間違ったフォームで打ち続けると肘を痛めてしまうのだ。独田は途中で肘を冷やしながら、黙々とフラットサーブを打ち続けた。ボールに回転がかからないように。狙ったポイントにボールが行くように。

 そして翌日、独田はラケットを片手に痣向のビルに向かった。
 応接室で初めて会った痣向は、腰を深く静めたソファに腰掛けながら、眉間に皺を寄せて独田の事を睨んでいた。そして口調はあくまで冷静に「元に戻ったそうで」と言う。
「おかげさまで」
「今日は何の御用で? 元に戻られた以上、私はあなたに用件はない」
「こっちがあるんだ」
「何ですか? 手短に頼みますよ。私も忙しいんでね」
「これを返そうと思ってね」
 独田はポケットから体珠を1つ取り出すと、痣向に向かって放り投げた。
 痣向はソファに座ったまま片手で受け取る。
「一応、あんたのものだからな」
「それはそれは。わざわざありがとうございます」
 痣向はゆっくりとソファから立ち上がると、棚に置かれていた宝石箱を取り出し、その中にその体珠を入れる。
「へぇ、その中に体珠を入れてたんだ」
 独田はポケットからテニスボールを取り出すと、痣向から距離を取り、持ってきたラケットを構えゆっくりとサーブの態勢に入る。
「何をしているんだ」
「危ないから、宝石箱から離れたほうが身のためだよ」
 その一言で痣向の顔色が変わる。
「何をするつもりだ!」
 痣向が宝石箱を抱きかかえようとした一瞬、独田は全身全霊を込めて宝石箱に向かってテニスボールを打ち込んだ。テニスボールは全く回転せず、まっすぐに宝石箱に向かって飛んでいく。
 瞬間、応接室は白い光に包まれた。独田が放ったテニスボールには接着剤でつけた体珠がくっついていたのである。
「!!!!!!」
 ボロボロになった宝石箱が床に落ち、粉々に砕け散る。そして痣向が両目を押さえ声にならない絶叫を上げた。その絶叫を背中に聞きながら、独田は足早に応接室を後にした。


 そして現在。
 自分の住む世界と酷似した別の世界での数日の生活はまるで長い夢を見ていたかのように、今ではおぼろげで霞み始めている。しかし、胸ポケットにしまっている透明な石は、鼓動を打つかのように自分の存在をアピールしている。それは向こうの世界で自分が買った体珠だった。実は今でもこれを使ってもう1人の自分と次元を超えた交信をしている。向こうの自分は企画課にいるそうで、先日ついに紫色の体珠の製作に成功したそうだ。そう、鷹居山で偶然出来たアレである。今回の成功で次の辞令で一気に課長も夢ではないそうだ。
 こっちの世界の自分は相変わらず営業課での日々が続いていた。それでも、昔よりは営業成績も上がってきて、ようやく何とかやれそうな気がしてきた。
 そして今日も会社のトイレで目を閉じ、もう1人の自分に向かって思念を送る。もう1人の自分に負けないように、と。


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