ACT.106 喉元過ぎれば (2001.10.14)
何気なく駅のそばにあるスーパーの惣菜コーナーでそれを見つけたのがそもそもの始まりだった。 休日の夕食などは、気が向いた時こそ自炊などもするが、基本的にはスーパーやコンビニで買ってくる惣菜で済ますことが多い。それなりに種類も豊富であるし、特にスーパーの惣菜であれば、足りないであろう食品群を選んで買うこともできる。今日のメインが肉ならば、野菜を取るために煮物を買おう、などというように。 その日もいつものように新宿へ出向き、パチスロでこてんぱんにのされて地元の駅へと降り立った私は、そういえば夕食の時間だななどと、少々呆けた風体で改札を抜けてすぐのところにあるスーパーに目を向けた。 普段であれば、自宅からすぐのところにあるスーパーに行くところであったが、そこは閉店時間がやや早く、時計の針は疾うにその時刻が過ぎたことを示していた。しかし、目の前のスーパーは夜11時までという深夜営業をしていた。何となくコンビニでの買い出しをためらわれた私は、そのスーパーの自動ドアを抜けた。 この時刻ともなると、刺身や惣菜コーナーは売っているものよりもショーケースが目立つ、寂しい状況となっている。それでも、わずかに残された食品の中からめぼしい物を私はピックアップしていった。 基本的にスーパーでのこういった食べ物はコンビニに比べて割高である傾向が強い。しかし、スーパーにはコンビニにはない、見切り価格という物が存在する。そこを狙えば、コンビニで買い物をするよりも安く、豪勢な食事にありつけることができる。当然それを狙ってくる主婦や独り者も多く、ある意味そこは戦場なのだが、うまい物を安く食すためにはそれなりの戦いも避けては通れない。まあ、その時は既に戦闘も終わっていたため、戦闘にあぶれた私は残されたわずかな物を選ぶ権利しか残されてはいなかったが。 刺身を1点と巻寿司を手に、惣菜コーナーへと足を運んだ。そこも今までのコーナーと同様にめぼしい物は残されていなかったが、ある食品に私は目を奪われた。 それは蟹の唐揚げだった。蟹といっても当然タラバガニや毛蟹のような大きい物ではない。沢蟹のような、いや沢蟹よりも小さい親指の頭ほどの蟹の唐揚げだった。一体何という名前の蟹なのかは、明記されていなかったため分からない。こんなことならもっと百科事典とかを読んでおけばよかった、などとは微塵も思わなかった。 私は甲殻類が非常に好きである。とかく、カリカリに揚げられたものをバリバリ食すのが好きである。当然エビフライは尻尾まで食べるのである。しばらくこういうものと疎遠になっていた私は、少し悩んでからそれを手に取った。その少しというのは財布の中身を思い出していたのであるが、今回の話と関係ないので割愛する。ていうか、してないか。 ともかく今日の夕食は決まった。私は駅に降り立ったときのことなど忘れて、自宅へと自転車を走らせた。こんなことだから、またパチスロに負けるんだよ。 家へと戻った私は、いつものようにテレビをつけ夕食をとることにした。 蟹の唐揚げの香ばしい歯触りも存分に楽しみ、やがて夕食は終演を迎えようとしていた。 発泡スチロールのパックに残された十数本の蟹の足の部分を、一気に口に放り込むと、バリバリと音を立てながら咀嚼し飲みこむ。 その時、喉にわずかな痛みが走った。 すぐに分かった。蟹の足が喉に刺さったのだ。 私は少し焦った。何せ喉に何かが刺さるという経験は生まれて初めてなのだ。しかも普通は魚の骨というところを、蟹の足なのだ。何だかよく分からないが、焦ってしまったのである。 いや待て、冷静になれ。魚の骨が喉に刺さった時はどうすればよかっただろう。こういう時私の灰色の脳細胞にたっぷりと溜め込まれた無駄な知識が役に立つ。そうだ、ご飯を呑めばいいのだ。ご飯だ、ご飯はどこだ。ていうか、食事を終えたばかりだぞ。ご飯など残っていないし、お腹だって一杯だ。ならば仕方ない。明日何とかすることにしよう。 私は喉の蟹の足と共に床についた。 翌日。私はさっそく夕食のご飯を購入してきた。自宅でご飯を炊くという手段もあるにはあったのだが、米びつが空であるというやむをえない事情に加え、5キロもする米を抱えて帰ってくるのが面倒だという、止むに止まれぬ理由より断念することと相成った。 それはさておき、ご飯を呑まねばならぬ。食べるのではなく、呑むのである。そう、ゴクゴクと喉を鳴らして呑むのである。ごめんなさい、そんなの無理です。普通に呑むのである。丸呑みするのである。 しかし、いきなりご飯を呑むといっても、初体験である。どのような方法で呑めばいいのであろう。無駄に時間が過ぎていく。喉の蟹の足は、時折自分の存在を指し示すようにチクリと痛みを放ってくる。 私は、遂に動いた。一気にご飯を口に放りこんだのである。 両の頬を大きく膨らませ、私は鼻から軽く息を吸う。 そして、一気に気持ちを喉元へと集中させた。 …………。 呑めないよぉ〜。 こんなにもご飯を呑むという行為が難しいとは。私は己の無力さに打ちひしがれながら、無理やり水を使って呑みこむことにした。 しかし、喉に必死に食らいついた(と思われる)蟹の足は、ご飯の雪崩に呑まれることはなかった。喉の奥から「ファイト!一発!」という声が聞こえたような気がした。 3日目。私は思い出したかのようにインターネットの検索サイトを眺めていた。こういう時こそインターネットの力が重要なのではないか。先人の声に耳を傾ければ、きっと私の目の前にも輝ける道が示されるはずだ。 しかし、この世界に数十億あるといわれるホームページの中にも、蟹の足が喉に引っかかったというエピソードは見当たらない。仕方なく、「魚の骨 喉 ささる」というキーワードで検索を続ける。今度はヒット。私はヒットしたサイトの紹介文を、それこそ目が皿になったかのように見つめ、私を助けるヒントになりそうなものを探した。 「ご飯を軽く丸めてのませたら、取れたようだ」 「ご飯を丸のみしてみると、見事に取れた。さすがは先人の知恵だ」 「こんなときはご飯をのめばばっちりです」 んあ〜、どれもこれもご飯を呑むばかりではないか。確かに魚の骨はそれで取れるのかもしれない。しかし、私の喉に刺さっているのは蟹の足なのだ。蟹の足を取る方法を知っているものはいないのか。 「ご飯を丸呑みしても取れない場合は、ふえるワカメを丸めて飲んでみるとばっちり取れますよ」 何、それは本当か? さっそくチャレンジだ。しかし、我が家にはふえるワカメがない。仕方がない、買いに出かけるか。と思ったが、雨が降っていたので次回にしよう。 「鏡をのぞきこんで、危ないながらもはさみを使って取ることができた」 おお、自分で取るという手もあるのか。私はピンセットを思っているのでこれで何とかしてみることとする。 洗面所の鏡に向かって大きく口を開け、舌を出す。そして蟹の足が刺さったであろう喉の奥を懸命に覗くが、それを遮断するものがあった。扁桃腺である。扁桃腺が邪魔をして喉の奥が見えないのだ。これではなす術もない。他の手を探そう。 とあるお医者さんが運営するサイトを発見。 「よくご飯を飲めば取れるといますが、それは間違いです。ますます粘膜の奥に刺さる結果となりますので止めましょう」 な、な、な、なにぃ〜! 私は何度も何度も何度も何度も飲んでしまったぞ。ということは、蟹の足は喉の粘膜の奥深くへと潜ってしまったというのか。なぜ試す前に、インターネットで対処法を調べようとしなかったのだ。いや、例えしたとしても、これだけご飯を呑んで取れましたっていうのを見せつけられるとやってたな。このお医者さんのサイトが、検索結果のトップにくればよかったのに。 後悔をしていても仕方がない。このお医者様が教えてくださる他の手段を講じてみればよいではないか。 「うがいをすればいいでしょう。また指を喉に突っ込んで、戻すというのも手です」 なるほど、喉の奥から口の方へと力を与えるのだな。さすがはお医者様。言うことに理が叶っている。さすがに無理やり戻すのにはためらわれたので、うがいをしてみることにする。 再び洗面所に向かい、コップに水を注ぐとおもむろにそれを口へと運ぶ。ゆっくりと上を向き、ガラガラガラ………グベボッ! ガバブエラボッ! グバァ! ハァハァハァハァ。何ということだ。喉の蟹の足がうがいを邪魔するではないか。びしょびしょになった洗面台を見つめ、私はがっくりとうなだれる。いや、待てよ。これだけ喉に引っかかってくるということは、それだけ効果があるということではないのか。そうか、そうなのだ。私は幾度となくうがいに挑戦し、そしてその水を思いきり洗面台に、鏡にとぶちまける。しかし、蟹の足は頑として私の喉から離れようとはしない。このままでは私の体の方がもたない。私は雑巾で床に飛び散った水を拭いながら、涙を噛み締めた。といっても、むせた時に流れたでた涙ではあったが。 4日目。今日は仕事に出なければいけない。しかし喉に小さな、本当に小さな蟹の足1本あるだけで、ここまでテンションが下がってしまうとは。私という人間の器の小ささをこんなことで再認識する羽目になるとは夢にも思わなかった。 いつもは仕事中にうるさいと文句を言われるほどの存在感をアピールする私であったが、今日はさすがにテンションを上げられずに静かに午前中の仕事をこなした。しかし、それでも喉の蟹の足は、俺を忘れようとしたって無駄だぜ、と言わんばかりに挑発的な痛みを俺に送ってくる。 さすがに私の異変に気づいた共に仕事をするものは、口々に体調が悪いのかと心配をしてくれた。 それに甘えて私が事情を話すと、皆が皆複雑な表情をたたえながら「大変だねぇ」と慰めてくれるのであった。大変なんです、と言おうとすると、ここぞとばかりに蟹の足が妨害をしてきて、うまく話すことができない。ついに蟹の足は、本格的に私に牙を向いたようだ。私はただ黙って午後の仕事をこなすのみだった。 5日目。奴は私が大人しくしていれば危害は加えないようだ。しかし、私が奴の存在を忘れそうになると、やっぱり自分の存在を私に知らしめるかのように痛みを送ってくるのだ。これが催眠術のように私を襲う。そして私は諦めの境地にも似た心境を持つようになっていた。このまま、蟹の足と共に歩く人生も悪くないものだと。 6日目。今日も蟹の足は、喉から私に信号を送ってくる。どうやら今日も元気なようだ。何よりである。 そして私は今日も仕事に精を出す。こうして四六時中一緒にいると、まるで蟹の足と共同で仕事をしているようだ。じゃあ、今日から僕がFEN・Aを名乗るから、君は蟹の・F・足だねみたいな心境になってくるから不思議だ。正気なのか、私は。 そしていつものように仕事を終え、帰宅の途につく。そして私はある事に気づいた。 彼からの信号が来ていないのである。 私は色々と喉を動かして彼の所在を確かめてみる。 しかし、彼はいつものように信号を送っては来ない。 私は必死に思い出していた。いつだ、いつから彼の信号が途絶えたんだ。私は遭難機の行方を追う、管制官のような心境になっていた。いつだ、いつからなのだ。 そうだ、午後からだ。私は遂に思い出した。昼食後から彼の行方が途絶えたのである。今日の昼食はラーメンだった。それもいわゆる家系ラーメンというやつだ。(家系ラーメンとは、横浜ラーメンの総称で、吉村家が元祖といわれる、とんこつ醤油系のラーメンである。多目の油と、太い麺、具がチャーシュー、ほうれん草、海苔だけというのがポイントであり、家形ラーメンを出す店の名前には必ず最後に「家」がつく) 今までどんな食べ物の雪崩や洪水にも耐えてきた彼だったが、実はそのたびに傷ついていたのではないだろうか。そして、今回の麺とスープの土石流に遂にのまれてしまったのだろう。 こうして、私と蟹の足との生活にはあっけなくピリオドが打たれた。 あれから、私は事あるたびに彼のことを思い出す。ちょっと痛かったけど、あんな日々も悪くなかったななんて、思ってたまるか。 翌日。妙に喉がいがらっぽい事に気づく。決して痛みがあるわけではないが、何かが引っかかるような感じ。よくよく考えると、その引っかかる場所は例の蟹の足の刺さった場所に近い。どうやら、蟹の足は取れたのではなく、粘膜の奥に入り込み、完全に私の体の一部になったようだ。 めでたしめでたし。 あー、嫌な終わり方。 |