ACT.97 目を閉じて押してよ (2001.02.04)
コンピューターの初心者の憧れ。それはブラインドタッチである。それは巷に溢れるキーボード入力練習ソフトの数でも明らかである。ガンマンになったり、ボクサーになったり、北斗神拳を操ったり、音楽を奏でたり、使徒と戦ったり、運動会に参加したり、モビルスーツに乗ったり、ゾンビを倒したり、宇宙戦艦に乗ったり、Hをしたりと、たかだかキーボードを自在に操る練習だけに色々なバリエーションがあるものだ。 私もコンピューターを使う人間の端くれとして、ブラインドタッチの一つぐらい出来て当たり前である。と言い切りたいところであるが、恥ずかしながら、私はブラインドタッチが出来ない。 私とパソコンのキーボードの出会いは15年近くも遡る。当時はまだブラインドタッチなどという言葉も一般的ではなく、プロはともかく、一般の人々はキーボードを見つめながら、1個1個確認しながら入力していたものだ。いわゆる1本指打法の元祖である。 雑誌に載っていたプログラムソースをちまちまと入力し、動かして遊ぶということを繰り返すうちに徐々にキーボードの入力スピードも上がっていくようになった。しかし、スピードが上がった理由はブラインドタッチができるようになったからではなく、ただ単にキーボードの配列を覚え始め、目当てのキーを探し出すのが早くなったからだ。また、1本ではなく複数の指も使い始めるようになる。全部の指は使わずとも、10本中5本ぐらいは使うようになったのである。しかし、これがブラインドタッチをマスターするための弊害となってしまった事に気づくのは、まだ先の話だ。 そのうちテンキー(デスクトップパソコンのキーボードの右側にある数字だけ入力できる部分)に限ってはブラインドタッチができるようになってくる。何せ、キーの数は10個しかないのだ。5のキーに必ず中指が乗るようにしておけば、その相対位置から他のキーも押せるわけだ。しかし、他のキーに関しては、依然キーボードを見て入力する文字を確認しながらでないと、入力は出来なかった。この頃になるとブラインドタッチという言葉も聞こえ始めるようになり、自分もその内マスターできるだろうと考えていた。 ところが、キーボード主体であったパソコンに大きな変革が訪れた。ウィンドウズの登場である。 今まで画面上には文字しか表示されていなかったパソコンが、ウィンドウズの登場によって一気にグラフィック化していった。そして、操作のデバイスはキーボードからマウスへと移って行ったのだ。基本的に新しいもの好きの私は簡単にそれに飛びついた。結果的にキーボードを操作する時間が極端に減っていったのである。 4年前。私はコンピューターを操作する仕事についた。ここではマウスよりもキーボードを操作しなければならない。ここで、改めて私は自分のキーボードの入力の仕方を省みてみた。再確認したそれは完全なる我流であり、昔と変わらず、キーボード見ていながらじゃないと入力できない代物であった。ここで私は考えた。今後、パソコンを扱う仕事につく身として、このままでよいのだろうか、と。そして、ブラインドタッチができるようにと、血のにじむような特訓を開始したのだ。そして、3日後。見事に私は特訓に挫折していた。私のタイピングは我流ながら、そこそこの速さを持っていたので、練習開始と共に落ちる入力スピードに耐えられなかったのである。まあ、言い換えれば根気がなかったわけだ。 2年前。私はホームページを公開し、小説を書き始めるようになった。ますますキーボードを付き合う時間が長くなったのである。しかし、タイピングは依然我流であり、今更直す気はさらさらなくなっていた。 そして、現在。私はプログラマーとして、毎日キーボードを叩きつづけている。もちろん、我流のタイピング方法でだ。ところが最近になって、あることに気づいたのである。それは無意識の内にブラインドタッチをやっていることがあるのだ。 ブラインドタッチはホームポジションと呼ばれるキーボード上の所定のキーに左右の親指を除く、8本の指をセットするところから始まる。その中でも人差し指を置く、「J」と「F」のキーが他のキーとの相対位置を示す重要なキーとなっている。お手元にあるキーボードを見ていただければ、その2つのキーにだけ、突起物のようなものがついているはずだ。つまり、触感だけでこの2つのキーを判別するためである。 ところが、私の我流タイピングではホームポジションのように、このキーに指を置いてスタートという概念はない。だいたい左手が、左から4列目ぐらいまでをカバーして、残りを右手で押すようなイメージがあるだけだ。そのくせ、左手が6列目ぐらいまで伸びてくることもあるし、左手が3列のキーを押すようなこともある。まあ、平たく言えば臨機応変に指が動くのである。 そんなはちゃめちゃな指の動きでどうしてブラインドタッチが可能となるのであろうか。それは普段、小説などをよく入力していた私の指が、ローマ字入力での指の運びを記憶し始めていたからなのである。 ローマ字入力では、特殊なものを除いて基本的に「A」「I」「U」「E」「O」の母音5文字を必ず押すことになる。その5つのキーの位置を指はいつの間にやら覚えていたようなのだ。そこから派生して、他のキーへの動きも覚えたのだろう。こうして、私の我流タイピングは進化したのである。 が、この我流タイピングには大きな壁がまだ残されていた。それはローマ字入力は速くても、通常のアルファベット入力ではまだまだ遅いということなのだ。つまり、小説を打つ方が、プログラムを書くより早いのである。ここで私はキーボードを入力する手を止めて考えた。もしかしてこれって、プログラマーとして大きな弱点なの? |