ACT.93 携帯電話の流れに関する幾つかの思考 (2000.12.05)
その1 休みの日にニュースを見ていたら愛媛のとある駅に携帯電話ボックスなるものが設置されたという。見ていたといっても、パソコンをいじりながらの話であったので、「おっ、車内に専用ボックスを置くようにして、少しでも迷惑解消に進んだのか!?」などと考えていたら、設置されたのは駅の構内だという。実に無意味な話だ。 だいたい、ここで問題になっているのは車内での携帯電話の使用であって、駅のホームでの携帯電話の使用ではないのだ。考えてみてよ。駅のホームでしてる携帯電話って気になる?私は全く気にならない。そりゃ、ものすごくドスの聞いた声で話をしている女性とか、地面で土下座をしながら謝っているサラリーマンだとか、股間に携帯電話を当てて話している人だとかは気になるけどね。 ともかく、ホームでの携帯電話の使用を訴えられたら、それこそ路上での携帯電話の使用もやめろと言ってるようなもの。全く携帯電話の意味がない。例えば、路上で携帯電話ボックスがあったとして、あなたは使う?そりゃ、誰にも聞かれたくないような、内緒の話をするには便利かもしれないけど、それなら通話料が安い電話ボックスの公衆電話を使ったほうが頭がいいってもんだ。 ニュースを聞いていて、明らかに便利だと思えた点は一点だけ。それは充電用のコンセントがついているということ。つまり充電し放題だ。となれば、携帯電話に限らず、モバイルPCや髭剃り、ポータブルオーディオプレイヤーなどの充電池などと、本来の目的とは外れた使われ方をされそうだ。ていうか、絶対そうするやつが出てくるよ。電気代も馬鹿になんないんだから。 話は戻って、車両内で使用される携帯電話は確かに問題だろう。あういう閉鎖空間で堂々と話ができる神経が私にはわからない。そりゃ、もし車両内で携帯電話が私にかかってきたら出てしまうだろう。でも、電車の中にいるからと言ってすぐに切る。それは断言できる。 やはり何だかんだ言っても、自分のプライベートな部分を赤の他人に聞かせるのは恥ずかしいし、電話をしているときの周りの目線は気になってしまう。ほとんどの皆さんもそうではないのだろうか。 だからと言って、車両内に携帯電話ボックスなるものが出来ても、絶対に使われない可能性が高い。それこそ、さっき言った充電ボックスとしてとなら利用されるだろうけど。まあ、それ以前にそんなもんが設置されたら、邪魔以外の何物でもないだろうけど。 あと、ニュースで携帯電話ボックスの完成をやたらとはしゃいで喜んでいたおばさんが気になる。あの感じだと市長か市議会議員辺りなんだろうけど、田舎もん丸出しだぞ、おい。 その2 最近の携帯電話は音と映像に力を入れているようだ。 写真が撮れるというのはまだいい。携帯を使ったメール全盛の今、画像を撮ってその場で送れるというのは、利点もいろいろあるだろう。かといって、私が手に入れたら、きっと使わないと思うのだが。 問題なのは、カラオケが出来る携帯だ。 何なのだそれは。CMでも言っていたが、カラオケの出来る携帯電話はこの世に必要なのか? はっきり言おう、必要ない! まあ、この世の中は必要なものよりも、必要でないものであふれているのは紛れもない事実。しかし、個々を見ていけば、明らかに必要だという人間が必ずいるからなくならないのだ。それは、カラオケに始まり、映画やテレビ、マンガにゲームにこのホームページだってそうだ。ちなみに最後のは約1名の強い必要性のために存在している。 では、今回のカラオケが出来る携帯はどうだ。 単純に考えてみて欲しい。携帯電話を見ながら、歌っている人を見てあなたはどんな印象を受けるだろうか。逆に自分がその立場だったとしたら?あまりに漠然過ぎて分からないかもしれない。では段階を追って考えてみてみよう。 まず、カラオケボックス内で歌っている人。 至って普通だ。これを恥ずかしさ度0と定義することにする。 では、路上で歌っている酔っ払い。 これもよくいる。はっきりいって迷惑な存在であるが、さほど気にならないのは、その絶対数の多さだろう。恥ずかしさ度は5といったところか。ちなみに当の本人は恥ずかしさ度0であることは言うまでもない。 次は自転車に乗って歌っている人。 これは酔っ払いがやっている場合が多いので上に順ずるものなのだが、たまに素面の人間でもやっていることがある。ちなみに私はよくやっていたりする。さすがにたくさんの人ごみの中で歌うと恥ずかしいが、さほど多くない場合は意外と恥ずかしくないのだ。また、側から見てもうるさいという印象は与えられるが、恥ずかしいやつだなという印象は薄いように感じる。まあ、これは私が当事者だからかもしれないが。まあ、とりあえず恥ずかしさ度は10にしておこう。 次に車の中で歌っている人。 密室空間という心の隙が出来る状態という意味では、これは非常に油断できない。これは走っている最中は気にならないのだが、交差点なんかで止まっているときに見られると非常に恥ずかしい。また、見ている側に立ってもかなり恥ずかしい。恥ずかしさ度は一気にアップの30だ。 同じ密室空間でも、さらに電車の社内で歌っている人はさらに恥ずかしさ度がアップする。これが満員電車だったらなおさらだ。私は電車の社内で歌っている人間を数回見たことがあるが、どれも異様な雰囲気を漂わせていたのが特徴的であった。恥ずかしさ度は40といった辺りだろう。 しかし、これが飛行機の中になると一気に状況が一変する。 そりゃ、明らかに恥ずかしいのだが、それ以上に歌っている人間に対して、こいつは何をしでかすか分からないという恐怖感が生まれるのだ。何せ、ある意味死と向かい合わせの場所にいるのだから。恥ずかしさは50ぐらいだが、恐怖度は100を超えるだろう。 次に結婚式で「乾杯」を歌うというのはどうだ。 何だ大したことないじゃないかと思ったあなたは甘い。定番中の定番ソングを歌うのは無神経な人間と、その歌が死ぬほど好きな人間を除いて非常に恥ずかしいことである。これは、デュエットで「銀座の恋の物語」を歌う、クリスマスに「クリスマス・イヴ」を歌う、田中星○が「ビューティフルサンデー」を歌う、錦野○が「空に太陽がある限り」を歌うのと同じである。恥ずかしさ度も大幅アップの80だ。 しかし、さらに恥ずかしいのは、結婚式に男一人で「てんとうむしのサンバ」を歌うというものだ。 あぁ、想像するだけで恐ろしい。恥ずかしさ度も大台突破の100だ。なお、これは男一人で「ウェディングベル」を歌うでも構わない。 だいたい、大勢に注目された状態で歌うのは歌手や極端な目立ちたがりやでもない限り恥ずかしいものだ。これは見られている人数が増えるに比例して恥ずかしさ度も増えると言っていいだろう。しかし不思議なもので、ある一定以上の人数を超えてしまうと、途端に恥ずかしさ度が減っていく。というよりも、ほぼ0にまで落ち込む。これはいわゆる、開き直りだとか、キレるだとかいうもので、こうなってしまって人間は非常に怖い。つまり、恥ずかしさ度と恐怖度は反比例の関係にあるということなのか。ここ試験に出るので要チェック。 えっと、何の話であったか。あ、そうそう携帯でカラオケであった。あれ?さほど恥ずかしい気がしなくなってきたぞ。恥ずかしさ度も90といったところか。でも、これでも十分恥ずかしいな。えっと、つまり、携帯でのカラオケもありということだな。かといって、携帯で朗々と「Everything」とか歌われても困るんだが。 その3 色々割引や通話料値下げなどのニュースが絶えない。 で、携帯の基本料はいつになったらPHS並になってくれるんだよ。 今の仕事場でPHS使ってる男って俺だけじゃん。長々と書いたけど、これが今回の本題である。 |