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 「スター・ウォーズ」の魅力
 「スター・ウォーズ」の魅力とは何か。おそらく、それは人によって違うだろうし、たくさんの魅力があるだろう。そういうところが、「スター・ウォーズ」の楽しさの一つでもあるのだが、ここでは編集長kzionにとってのSWの魅力を紹介したい。

 1 スター・ウォーズは体験である
 SWは体験である。多くの人は、この意味を理解しないだろう。最近、レンタル・ビデオ店の普及によって、自分の家でビデオで映画を見る人達が増えた。おそらく、SWの旧三作をビデオで見たという方も、少なくないだろう。実際、ビデオで見ても、映画館で見ても、そうおもしろさが変わらない映画もあるだろう。しかし、SWは別である。SWは別というか、音響効果にこだわった作品は、全てそうなのだが、ビデオで見ると劇場の迫力の半分にも満たないのである。『ジュラシック・パーク』を見た時、「やっぱり映画は、劇場で見なきゃだめだな」と強く思ったが、それは音響効果が抜群に優れているからである。
 私は、SWのおもしろさの三分の一は、音だと思う。音楽もそこには含まれるが。NHのオープニング。ブロッケード・ランナーを追跡して、巨大なスター・デストロイヤーが画面の上から現れる。この奇抜なアングルと、秀逸なSFX感嘆させられるが、このシーンも「ドドドド」という重厚なスター・デストロイヤーの音があってこそ、映像がより引き立つというものである。
 飛交うレーザーの音、「キーン」という独特なタイ・ファイターの旋回音。奇妙なジャワの喋り声。音響の魅力なしでは、SWは存在しえない。
 そして、体験という意味では、大画面の迫力は不可欠である。
 巨大な映像と、全身が震える大音響の中で心ときめかす。これは、映画という楽しみそのものである。昔からの映画ファンに、こんなことを言うと、あまりにも当たり前なことで、笑われるかもしれない。しかし、この基本的な映像体験と、その体験による感動は、今のビデオ世代の若者は、あまり知らないのではないか。
 SWを見たことがない人が、レンタル店でSW旧三部作のビデオを借りてきて、家で連続して見ても、「あまりのおもしろさに度肝を抜かれた」あるいは「これは私の生涯ナンバー・ワン作品です」という人は、まずいないだろう。「何だ、想像していたほど凄い映画じゃない」という感想は正しい。しかし、それは真のSWのおもしろさでないことは、知って欲しいと思う。
 「SWのおもしろさの三分の一は音である。」という私の自説は、「ファントム・メナス」によって、完全に証明されるだろう。そして、ビデオ世代の若者に、劇場で映画を見ることの素晴らしさを知らせてくれるのではないかと期待している。

2 見れば見るほどおもしろい映画
 私は、旧三部作を劇場でそれぞれ50回以上は見ているはずだ。はずだと言うのは、50回くらいまでは数えていたが、多すぎて数えられなくなってしまったということである。ビデオで見た回数を加えると(ビデオは本来のSWではないので、加えるべきではないが)、数え切れないほどになる。
 これを他の人に言うと、なぜそんなに「同じ映画ばかり見るのか」と質問されるが、その答えは簡単である。「スター・ウォーズは見れば見るほどおもしろくなる映画」であるからだ。多くの人は、映画を何回も見るのは、最初に見た時の感動を追体験するために見ると思うかもしれない。
 『タイタニック』は日本においても大ヒットし、多くのリピーターを生んだが、『タイタニック』の場合は、この「感動の追体験」が、何度も見るための動機になっていただろう。しかし、SWの場合は違う。SWは一回目見た時よりも、二回目に見た時の方がおもしろく、二回目見た時よりも、十回目見た時の方が面白い。そして、一回目見た時よりも、五十回目に見た時の方が、はるかに感動が深い。少なくとも、私にとってはそうである。その理由は、次章のディテールの凄さともかかわってくるが、SWのおもしろさは、見るたびごとに新しい発見があるのである。
 「五十回以上も見ているのに、まだ新しい発見があるなんて嘘だろう。」と、疑う人もいるかもしれないが、現在の私においても、まだ見るたびに、いくつもの発見をする。
 たまたま、昨日NHのビデオを通して見た。最近では、部分的にスロー再生で見ることが多く、通して見るというのは、実に一年ぶりくらいであった。「ファントム・メナス」を見る前に、一度見ておこうというわけで、久々に見てみたのだ。そうしたら、自分でも驚くことに、今まで全く気付かなかったことを、少なくとも十個所以上発見した。そのうちのいくつかは、近々「ホス・プレス」のリサーチ・ページに追加していく。「スター・ウォーズは見る度ごとに再発見するなあ」と、当たり前のことを再確認してしまった。
 スター・ウォーズは見れば見るほど面白い。「スルメイカ・ムービー」とでも呼ぼうか。SWが、私にとって「スルメイカ・ムービー」である証拠は、私のSWファンへのなり方に現れている。私は、NHを初めてみたのは、小学六年生の時で、父親に連れられて劇場で見た。しかし、その時の私の反応は淡白なもので、「おもしろい映画の一本」という程度にしか認識されなかった(今考えると、SWの深遠な魅力を小学生ごときが理解できる方がおかしいとすら思う)。同級生は、コーラの王冠を集めたり、キャラメルのオマケを集めて学校に持って来ていたが、私が当時買ったものといえば、下敷き一枚だけである。つまり、NHを一回見ただけでは、SWの魅力に全く気付かなかった。
 そして、ESBを見たのが、中学三年の時である。友達と連れ立って劇場に行ったが、あまりの悲惨なラストに、友人ともども意気消沈とて帰宅した。しかし、ホスの戦闘シーンは凄かったし、AT−ATのデザインの斬新さに度肝は抜かれたが、正直言って「圧倒的おもしろかった」という感想は、一回目を見た時には、思わなかった。しかし、ESBには何かひっかかりがあった。中学生ながら、この映画は普通と違うと感じていたし、脳裏から離れなくなっていた。そんな時に、スター・ウォーズ・ファンクラブ「リトル・ファルコン」の会員募集記事が、「スター・ログ日本語版」に載った。しかし、その時も、すぐに入会したわけでなく、一ヶ月ほど長考してようやく入会を決めたのだった。「リトル・ファルコン」入会後は、スター・ウォーズに自分が気付かなかった多くのディテールのおもしろさがあることを再発見し、スター・ウォーズ・ファンにすっかりはまってしまった。
 こうした私の生い立ちから、「一回目よりも十回目の方がおもしろく見た。」という言葉に偽りがないことを、理解していただけるだろう。SWにはあまりにも多くの情報が詰め込まれているのだ。その多くを、たった一回見ただけで理解することは、全く不可能なのである。何度も、何度も見ることで、味わいが深まっていくのだ。もちろん、見るというのは、劇場で体験しながら見ることをいうから、毎回、毎回感動につつまれながら見ることができるというものだ。

3 スターウォーズは世界である
 「スター・ウォーズは世界である。」 この言葉に共感できるものは、間違いなくスター・ウォーズ・ファンであり、もし「大げさだなあ」と思うならば、残念ながらスター・ウォーズに関して初心者といわざるを得ない。
 スター・ウォーズの最大の魅力は、その懐の深さにある。ディテールの細かさと、幅広い設定である。ディテールが細かいので、見れば見るほどおもしろいということにもつながってくる。
 ディテールの細かさを示す例として、C−3POのおでこのへこみがある。こんな細かい描写に気付いている人は、ほとんどいないだろう。少なくとも、一回見ただけで気付く人は。だが、そうした誰も気付かない描写にまで、細心の注意が払われているところが、スター・ウォーズのおもしろさである。ここまで、描写の細かい映画を他に私は知らない。
 この「ホス・プレス」の発行目的は、ずばり「スター・ウォーズ・ユニバース」の探求である。「スター・ウォーズ・ユニバース」の深淵を、自ら探求しながら、多くの人に「スター・ウォーズ・ユニバース」の広さとすばらしさを知ってもらうことが目的である。
 
4 スターウォーズはファンタジーである

 SWはSF映画である。しかし、それはサイエンス・フィクションというよりは、スペース・ファンタジーの略語を当てはめた方が良い。ファンタジー(幻想)。すなわち想像力をかきたてるのが、ファンタジーたる所以である。
 昔、スター・ウォーズ・ファンクラブ、リトル・ファルコンで「ダイアノーガの全身像はどうなっているのか」ということが、議論になった。ダイアノーガとは、NHでデス・スターのゴミ処理施設に逃げ込んだ時に、ルークを襲ったクリーチャーだが、画面にうつるのは、不気味な目玉と、タコのような触手である。
果たして、ダイアノーガの全体はどうなっているのか。いくつかの全身イラストの想像図が提出された。 これが、ファンタジーである。カルファルニル・シンドロスというエイリアンも、全くスター・ウォーズらしいエイリアンである。
 こうした観客に、想像させる映画やドラマというのは、実に少ない。例えば、「機動戦士ガンダム」は二十周年を迎え、小さなブームとなっている。私はガンダムもすきだた。人物描写は秀逸で、メカのデザインも格好いい。設定が非常にしっかりとしている。しかし実は、設定がしっかりすぎている点が問題なのである。全てのモビルのスーツの全体像は明らかであり、何年にどの型式のモビルスーツが作られたかという点も詳細に設定されている。つまり、設定が細か過ぎて、我々が想像力を働かす余地が少ないのだ。少なくとも、ガンダム・ワールドには「ホス・プレス」の奇抜な(?)考察を差し挟む余地はないのである。
 その点からすれば、スター・ウォーズは「エヴァンゲリオン」に似ているかもしれない。全体像が明らかにされていないので、知りたいという欲求が増幅する。アダルト・ビデオでも、見えないから見たいと思うのではないか。チラリズムとでもいおうか。SWにおけるチラリズムの極みが、NHのカンティーナのシーンである。見えそうで見えない。見えても一秒くらいしかうつらない。どうしても、もう一回見たくなります。これが、スター・ウォーズです。
 
 以上が私の考えるSWの魅力です。他にも、メカニック・デザインの斬新さや、キャラクターの魅力、壮大なストーリー展開ということもあるかもしれません。しかし、メカニック・デザインでは「ガンダム」も素晴らしいし、キャラクター描写でいえば「エヴァンゲリオン」も素晴らしいわけです。壮大なストーリー展開という意味では「銀河英雄伝説」や「グイン・サーガ」の方が、緻密で精緻な世界観を持っているかもしれません。なぜ、私がそれらの他の作品でなく、スター・ウォーズに魅了されたのかが、上記の理由であります。
 さあ、あなたも「スター・ウォーズ・ユニバース」の魅力にとりつかれなさい。