ふるさとと自然環境
私の住む街には、大きなショッピングモールも、際立った観光スポットもない。里山に囲まれ、一面の田んぼが広がる地域だ。
春になれば、約三千ヘクタールの田に、いっせいに水が引かれる。高台から眺めると、街全体が、まるで水に浮かぶ浮島だ。
田の水が水鏡となり、家々や雑木、空の雲まで映しだす。太陽を反射して、空気に光が満ちる。
田植えが近づく頃、街は急ににぎやかになる。
何千何万という蛙の声が、響き渡るのだ。
初夏のころ、緑の苗が風になびく様は、目にも涼やかだ。
田んぼは緑色のビロードになって、風がなでるたびに、薄緑の葉裏を見せて、波打つ。
濃い緑の中で、狩にいそしむサギの群れ。点々とサギの白が、田の緑に鮮やかなアクセントをつける。
田の上をすべる風は、田の水の匂いを含んで涼しい。
夏も盛り。街は蝉時雨の中にある。蒸し暑い日が続いた日、出穂した稲が一斉に花を開く。
たちまち田んぼが、籾の中にたまった乳状のでんぷんの香りでいっぱいになる。
むんとした風に乗って、街中が、甘く香ばしい匂いで包まれる。
秋になり、収穫が近づいた田んぼは、初夏の緑の波に変わって、金色の波を打ち始める。
風に、重そうな頭を揺らしながら、乾いた稲の匂いを立てる。
かすかに、ザザザザと、籾のこすれる音が聞こえる。
畦に起立する彼岸花の赤が、田んぼの金に、強いコントラストをつける。
頭上では、里山から下りてきたトンボが、秋の空を埋めるように、飛び交う。
冬になると、殺風景な黒い田に、白鳥が落穂をついばみに降り、動きを添えてくれる。
雪が降れば、白一色の田に、雪をかぶった灰色の里山が、モノトーンの世界を作り出す。
一年を一巡りに、彩りも音も、香りも変化していく風景。
こんな自然環境は、私たちにとって、当たり前の日常に過ぎなかった。
田んぼの蛙が盛んに鳴き始めた頃のことだ。
「お母さん、お母さん、あのね:」
夜道を一緒に歩いている時、中学生になった娘が、私に話しかけてきた。
「斉藤茂吉の短歌って知っている?」
「ああ、いくつかは、知っているけれど:。どの短歌のことかな?」
娘は、どうしても私に伝えたいことがあるようだった。
「国語の時間に習ったの。良い歌だよ」
「へえ、どんな歌なの?」
「お母さんがもう亡くなりそうな夜に、蛙の声が空から降ってくるように聞こえているっていう:そんな歌だよ」
私たちふたりは、満点の夜空を見上げた。天の川まで良く見える。
蛙の声がなるほど、遠くから近くから、重なり合い、まるで天から聞こえてくるような気がしてくる。
力強い、命の賛歌でもある。
娘の胸には、蛙の鳴き声と供に、茂吉の母親を思う心への共感が、満ちていたに違いない。
娘はまた、その切ない感動を、母親の私にも共有してほしかったに違いない。
私はふと、数年前にも全く同じ体験をしたことを、思い出した。
当時中学生になったばかりの長男が、蛙の声の中で、「お母さん、お母さん」と、私を呼び止めたのだった。
そして、国語の時間に習ったばかりの、茂吉の同じ短歌を、私に教えてくれたのだった。
私はそれを思い出した時、息子や娘の心に広がる、風景を見たような気がした。
子供達の心の中には、自らを育んでくれたふるさとの景色や、音、香りが、原風景として刻み込まれているのだ。
やがて、この土地を離れても、例えば、そこで懐かしい短歌に出会ったなら、
たちまち心の中で、洪水の様に押し寄せる蛙の鳴き声を、聞くことが出来るだろう。
ご飯の炊ける甘い香りをかぐ時に、稲の花が咲いた後の乳熟期の田んぼが、心によみがえることだろう。
涼やかな風に吹かれるときは、ビロード布のように風になでられる青い田を、思い起こすことができるだろう。
ふるさとの豊かな自然環境がはぐくむ、感受性と心の原風景は、かけがえのない贈り物だ。
だが、現状は厳しい。
経済効率の名の下に、放置された耕作放棄地や荒田。間伐の不備で日光がさえぎられ、
下草が生えず、保水力や地力の弱った荒れた山。
ふるさとの自然環境は、里山の生態系とのバランスを取りながら、人間の手が作り出した造形物でもある。
先代たちが、長い時間と膨大な労力をかけて築き上げた、環境なのだ。
私たちの意識的な働きかけがなければ、維持することができない、繊細な存在でもある。
子供達の心をあたたかく育て、ふるさとを思う懐かしい心をいつでも迎えることのできる、そんな環境を作り、残したいと思う。
そしてともに、ふるさとの原風景を愛していきたい。