牛飼いの事件簿
今回は、我が家の牛達のお話をしましょう。

 我が家には、牛が約百頭います。子牛を生ませるための繁殖牛が約二十頭。子牛が十五頭。

他は、肉牛になるための肥育牛です。自家産の子牛のほかに、子牛市場から競り落として導入した牛も多くいます。出荷まで約2年間。

和牛の場合は、じっくり時間をかけて育成します。

 牛というと、のどかな牧場のイメージでしょうか。

実際に牛を飼っていると、牛の世界もさまざま。人間模様ならぬ、牛模様が見えてきます。1つの部屋に、牛を4〜5頭いれて飼うのですが、人間界と非常に似た世界が垣間見えます。

 牛は、新しい個体が群れに入ってくると、角をぶつけ合わせ、『角突き合せ』をします。

それで互いの力量を測り、群れの中の順位が決まるのです。

群れの中にはボスが出来ます。ボスが優秀だと、それぞれの無益な争いをやめさせ、良い状態が保たれます。

逆に、中途半端なボスがいると、牛の中で「いじめ」が始まるのです。

餌を横取りされたり小突かれたり・・。いじめられた牛は、体が弱ってきます。

管理者としては、由々しき事態なので、いじめる牛を、他の部屋に移す処置をとります。

すると、今までいじめられていた牛が、突然いじめる側に変身するのです。

何やら、人間界を騒がせている出来事とも、オーバーラップするような・・。

また、問題を起こすのは、「それぞれの農家で、1頭だけで飼われていた「一頭飼いの牛」、いうなれば「一人っ子牛」です。

この牛は、いじめる側かいじめられる側の、両極端になりやすいのです。群れの中でのポジション取りが、はっきり言って下手。

逆に、小さいころから群れの中で育ってきた牛は、飄々と立ち振舞うことが出来るのです。

ここで管理者としては、群れの最高のボスが人間様であることをわからせてやる必要があります。

そのためには、一匹一匹の牛と、徹底的に「目を合わせる」ことです。俗に言う「にらみをきかす」のです。

牛の世界は、人間と比べて単純です。そのぶん問題の本質がわかりやすいようにも思えます。

所詮生き物としての本能的な部分は、人も牛も同じ。初めて出会った人でも、「この人間にはかなわないな・・」と直感的に感じることがあるのではないでしょうか。

無意識のうちに「角突合せ」をして、互いの力量を測っているのです。

そして人間社会という群れの中での、ポジション取り能力や問題解決能力が、少子化核家族化の元で、弱っているのかもしれません。

また、大人というボスが、今の社会の中で、どれほどのにらみをきかしているでしょうか。

個々人がばらばらな中途半端な群れの中で、人間の本質が宙に浮いてるような気もします。

いずれにせよ、牛の世界が、人間世界に、少なからぬヒントを与えてくれるようです。

さて、我が家の牛たち。時として、とんでもない事件を起こしてくれる存在です。

こんな事件がありました。

「大変なことになった!」

朝早く、夫が牛舎から息を切らして戻ってきました。あわてて問題の牛舎に行くと、一頭の牛が餌槽の中に下半身がすっぽりと入り込み、身動きが取れなくなっていたのです。

「なんでこんなことに?」

「こいつ夜中に、逃げ出したんだな。餌槽に残った餌を食べようと入り込んだ拍子に、滑ってしゃがみこんだにちがいないな・・」

運の悪い事に、タイル張りの上にすり鉢型の餌槽でした。牛は踏ん張ることも出来ず、そのままずるずると餌槽にはまり込んだ様子。

それにしても、なんと絶望的な光景。

牛を立たせようにも立てない。持ち上げようにもこの重量!むーむーと、悲しげな唸りを上げて、夫の顔を眺める牛。

「このまま放置すれば、まずいことになるな・・」

 牛は反芻しながらげっぷをし、腹の中のガスを放出します。不自然な姿勢が続いては、ガス抜きが出来ずに死んでしまいます。

それだけは、避けなければなりません。

近所の牛飼い仲間にSOSを出し、駆けつけてもらいました。

「こりゃあ、たまげだ!」

見たこともない事態に、みな唖然!それでも知恵を出し合い、救出作戦が始まりました。

「べこの体の下に、藁を入れて隙間を作ってみたらどうなんだべ」

とりあえず何でもやれることはやってみようということになりました。腹の下に、ぎゅうぎゅと藁を差込むと、藁のかさでほんの少し牛の体が持ち上がります。

「隙間さ、ベルトを通してみっぺ!」

牛の体にもぐりこむようにして、脇の下になんとか太いベルトを通しました。

「ベルトば天井の梁さかけて、トラクターで引っ張っぺ」

トラクターが出動し、ベルトを牽引します。牛の重みで天井がぎしぎし音を立てます。

「まさかこのまま、天井落ちたりしねえべな・・」

冗談を言ったつもりが、皆の笑いも引きつります。しかし、ひるんでなどいられません。エンジンをふかしてぐんと引っ張ると、牛の体がふいっと浮きました。

「今だ!そーれ!」

大人の男たち3人がかりで、牛の下半身を餌層から引っ張り出します。あ!と思った瞬間、ごろり!と、牛の体が外に転がり出ました。

「おお!でたぞ!」

地獄から天国とはまさにこのこと?居合わせた牛飼い仲間の顔に喜びの表情が広がります。

牛はショックで、涙目のまま腰を抜かしています。

そこに、牛飼い仲間のするどい声が飛びます。

「今すぐ、立ち上がらせねど、死んじまうぞい!」

そうでした。牛は動けなければ、ガスが腹にたまって死んでしまうのです。夫がどしっ!とお尻を蹴り上げました。

はっ!と驚いて、立ち上がる牛。お尻の筋肉は、長時間の正座のため、ぴくぴく痙攣しています。

よろめきながらも、確かに立ち上がりました。

「やれやれ・・・」これで一安心。

牛は、ばつが悪そうに立ち尽くしたまま。ぼ〜っとしている牛を眺めながら、皆で安堵のため息をついたのでした。

人間の想像を超える事件を起こしてくれる牛達。「牛飼いの事件簿」にこの先どんな事件が加わるか、スリル満点です!