私は歯科診療とブラッシングや口腔内ケアについての説明を、よく山登りにたとえて患者さんにします。そこで、ここでは実際にそれらのどのようなところが山登りに似ているのかを、ご説明してゆきたいと思います。

 さて、ここでは歯周病治療のためのブラッシングを、みなさんにわかりやすく登山にたとえてお話ししてゆくのですが、本当はこのブラッシング・・・平地から山頂を目指す登山にではなく、地の底から地表へ這い出ることにたとえるべきなのです。つまり、歯周病を持っているということは、地底に落ち込んでいるのと同様のことなのですね。もし今現在、みなさんが歯周病をお持ちなのであれば、それ即ち、健康なゼロという位置に対してのマイナス位置におられるということであり、マイナスが大きければ大きいほど、しっかりとして頂かなければならないのが「ブラッシング」なのです。

 上図を見て頂ければおわかり頂けると思うのですが、「歯周病における登山」はFで登頂を果たした後は、G→H・・・と、ずっと平坦な道を歩き続けて頂くことになります。つまり、登頂して「万歳!」で終わりというのではなく、その後は、その健康な状態をキープし続けて頂くことが、ブラッシングの最終目標なわけです。

 本格的な登山をなさる方が、私のような素人が山の話をしているのをお聞きになると不愉快に思われるかもしれませんが、まぁ、ここは歯の話だと思ってお読み頂きたいと思います。
 私の経験から言いますと・・・登山には、登り始めてから登頂するまでの間に何度か「しんどさの波」のようなものがあるように思うのですが、まずはここのところが、ブラッシングによる口腔内環境の改善過程が山登りに似ていると私の思う最大の理由なのです。

 登山なら通常はA地点から登り始めるわけで、これは私達がみなさんにブラッシングの仕方をお教えし始めた時点に相当します。誰もが、「いよいよ、登り始めだ。さぁ、頑張って登頂するぞぉ!」・・・という意気込みをもって下さる瞬間であり、「ちゃんと、ブラッシングをしなくっちゃ!」・・・多分、みなさん全員がそう思って下さるであろう一瞬です。
 そして、元気に登り始めたのも束の間、あっという間に「思ったよりも、山登りってのはしんどいぞぉ!」ということに気づき始めて嫌気がさしてくる時期がやってきます。「山になんか、登り始めるんじゃなかった。」なんて、後悔をし始める人が出てくるのも、まずはこの時期でしょう。

 ブラッシングにおいては、歯周病の現状がひどければひどいほど、正しいブラッシングがなされ始めると出血や痛みを伴い始めることになります。それがB〜Cあたりのところであり、人によってさまざまではありますが、正しいブラッシングを開始して頂いてからおおよそ数日から1〜2週間というあたりでしょう。

 「歯ブラシをあてると血が出て、怖いんです。」「歯茎が傷ついてきて、痛くて・・・。」というようにおっしゃる方が出てこられ、「ブラッシングの仕方・・・これで合ってるのかなぁ!?」 「間違ってるんじゃないかなぁ!?」 「これって・・・逆に、悪くなってるんじゃないの!?」などという不安感を持ち始められるのもこのころです。

 そう・・・みなさんが挫折しそうになられる第1回目の時期が、この段階だということになるわけです。「こんな状態では、とても登頂できないんじゃないか。」 「ここでもう諦めて、下山しようか。」・・・そんなふうに思われる方が出てくるわけですね。 しかし、決してここで挫折してはいけません!

 B〜Cあたりの辛くしんどい時期を乗り切って頂くと、出血もなくなり痛みも消えてきて・・・ブラッシングに伴う苦痛は、一気にと楽になってきます。そしてこのC〜Dあたりまでくると、驚くほど足取り軽く登っている自分自身に気づかれるはずです。

 ひたすら登り続けてきたその山道の勾配にも慣れ、鳥の声も耳に入ってくるようになったあなたは、ふと後ろを振り返ってみて・・・眼下に広がる下界の景色に驚かれるはずです。「いつのまにか、こんなにも登ってきていたんだ・・・」と。
 ここまで来れば、まずは「ブラッシング」という名の山登りにおける第1ハードルのクリアです。

 結果的には、登頂までのハードルはひとつだけだったとおっしゃる方もたくさんいらっしゃいますが、大抵の方の場合、ハードルはもうひとつあります。
 この第2ハードルでは、第1ハードルを越えるときのような苦痛は伴わないのですが、しかし越えるのに時間がかかるという意味では、かえってこちらの方が大変かもしれません。

 図でいうと、Eのあたりということになるでしょうか・・・痛みや出血はとっくになくなっているにもかかわらず、だからといって健康な状態にはなかなかなってくれないというような状態がダラダラと続くのです。

 この第2ハードルをなかなか越えて頂けない方の場合、その原因の大半はDあたりで楽になってこられたことによって安心してしまわれ、そのことからいつの間にかブラッシングのテンションがダウンしてしまっておられることにあるようです。言い換えると、自覚症状のなくなったことによって、自己評価が往々にして皆さん高くなってしまわれるわけです。

 つまり、多くの方は・・・私達専門家の評価を待つまでもなく、ご自分で評価をしてしまわれ、そして勝手に納得してしまわれていることが多いわけですね。

 しかし、歯周病を強くもっておられる患者さんに対するブラッシング指導において、私達が最も大切だと考えることは、その患者さんを「仏つくって、眼入れず」にさせてしまわないことなのです。
 たとえ、Eをも越えて頂上のF近くまで登ってきて頂いていたとしても、そこで歩を止めるということは、その場で静止するということではなく、そこから転がり落ちてしまうということを意味するからです。

 Fへの到達時点で、「見事、登頂!」ということになるのですが・・・本当にFの位置に到達できているのかどうかについては、プロによる評価をちゃんと受けてくださいね。先にも書きましたとおり、自己評価のみに頼る判断はどうしても甘くなりがちで・・・ちょっとばかり危険ですので。

 そして、このF地点こそが本当のスタート地点なのです。山であればそのピークは一点であり、あとは下山ということになるわけですが、ブラッシングにおいては山頂から延々と尾根のように同じ標高でのフラットな道が続いていることになります。「それは、どこまで続くの!?」ですって・・・そりゃ当然、死ぬまでですよ!

 一旦、健康な口腔内環境をつくり上げれたら、今度はそれを常に保ち続けているための努力が必要なわけで、その努力によって20歳では20歳の、40歳では40歳の、そして80歳では80歳の健康な口腔内環境を保ち続けていることが出来るわけです。
 また、死ぬまで続くといったところで、FからG・・・Hと平坦な道を一定のペースで歩き続けることなんて、楽で簡単なことではありませんか。何しろ、あなたはAからFまでちゃんと登ってこれた方なのですから。

 最終的に皆さんにお伝えしておきたいことは、健康という名の平坦路を歩き続けることは決して難しいことではありませんが、しかし、ちょっとでも手を抜いたり休んだりしようものなら一気にAに向って転がり落ちることとなり、ヘタをするとAよりもまだ低い位置へと落ちてしまうことにもなってしまうということです。そこから這い上がるのは前回以上に大変であり、何とか這い上がれたとしても以前の健康だった状態(F、G、H)の高さには二度と戻れないと思って頂いてまず間違いないでしょう。 ですから・・・二度と転がり落ちたりしないことが大切なのです。

 そして、こうして獲得して頂いた「健康」という名の平坦な道を快適に歩き続けて頂くために、これまた「日々の正しく丁寧なブラッシング(セルフ・ケア)」と「半年に一度程度の私達の手によるメインテナンス(プロ・ケア)」が不可欠だということになるわけです。

何としてもみなさんには、80歳になっても28本の健康な歯を持ち続けていて頂きたいと思います。