1877年(明治10年)1月15日創立 今年149周年を迎えました

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キリストの香り
2026.1.11
命の水
《聖書》 ヨハネによる福音書4章13~15節
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
《説教要旨》
■今日は、沼津教会の創立を記念した礼拝です。わたしたちの教会は、1877年(明治10年)1月15日月曜日に江原素六を始めとした6人の者が宣教師ミーチャムから洗礼を受けたことを創立の土台としています。それから数えて149年を数えているということです。来年の1月には創立150年という節目を迎えることにもなっています。しかし、江原素六を紹介する辞典では素六が洗礼を受けたのは明治11年のことであったと記されています。1年のずれがあるのです。来年には150年の節目を迎えるその時に沼津教会の一人としてその歴史的事実に立ち会おうとしているわたしたちにとって、この1年のずれというのはたいへん大きな違いであって、気持ちの上でも1年の違いは大きな影響を与えるものです。どちらが正しいのか。昨年10月に講演会に来ていただいた樋口雄彦さんに尋ねました。すると沼津教会百年史にミーチャムの書簡が日本語に翻訳されていて、素六らが洗礼を受けたことをカナダに報告している手紙の日付が1877年1月22日であることを根拠にして、明治10年が正しいのだと樋口先生に教えていただきました。そこには「この前の月曜日の夕方(1月15日)私達は最初の洗礼式をしました。」と書かれていて、それを沼津教会の出発点としているのです。その書簡には、「わたしたちは一月二日に引越し、次の日曜日(すなわち1月7日)に献堂礼拝をしてこの場所を全能の神への礼拝の場として献げました。」とも書かれています。普通の考え方からするならば、僅か8日の違いですが、教会創立を教会設立、すなわち、仮住まいであったとしても献堂式を行った1月8日を根拠としてその日を創立記念日としてもよさそうなものですが、歴代の教会の人たちは建物よりも人に拘って教会創立としたということには大きな意味があると思います。
■それは、洗礼式という最初の聖礼典が行われたことこそが教会の始まりと考えているということです。更に言うならば、本来は洗礼、聖餐の聖礼典は日曜日の礼拝の中で執り行われるものですから、礼拝を大切にするという考え方によって創立の基としているということは、今の私たちにとってもそこに大切な沼津教会の伝統があるということを心に留めることが大切となっています。
■しかし、このことは教会の制度を土台として教会の歩みが形成されてきたということを意味しません。もし、そのようなことが土台となっていたら、沼津教会は長老派の教会として歩みを重ねてきたことに通じていくと思いますが、そこでも人に拘らざるを得なかった神の導きがありました。明治10年に江原素六が洗礼を受けた時の事情を樋口先生が講演の中で紹介してくださって、「沼津での江原素六の心境」と題して話してくれたところによると、英語の教師として招聘したミーチャムの人格に触れ、感嘆し、そのミーチャム氏の生き方、そしてその根底にあるキリスト教の信仰に賛成の意を知らせるために素六は洗礼を受けたと紹介してくれました。素六が洗礼を受けたのは、イエス・キリストを罪から贖ってくれる救い主と信じたからではなかったということです。
■しかし、このようなことは驚くには値しません。わたしも高校1年生の時に洗礼を受けましたが、洗礼を受けた理由が当時の牧師が16才で洗礼を受ければ将来大物になれると囁き、その誘いに乗って洗礼を受けたのですから、素六を批判する資格はありません。しかし、素六がそのような心境で洗礼を受けたので、信仰者として一番大切にしなければならない礼拝も出たり出なかったりするという除名処分になってもおかしくない振る舞いをすることになるし、更に悪いことには、当時の素六は浅間神社の教導職として、神道とキリスト教の二股をかけるという十戒の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という戒めにも背く信仰生活であったということもある意味では自然の流れであったとも言えます。そして、その行きつく先は滅び、すなわち信仰を捨てるという道を歩んでいたわけです。
■しかし、神は見捨てなかった。その4年後に素六は礼拝の帰り道で大喀血をし、生死の境をさ迷うことになり、その中で日頃牧師から伝えられていた聖句「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。』」という御言葉が脳裡を何回ともなくよぎり、自分がこの病で死ぬのなら、それも神の御心、逆に病が癒されるならば神に身を献げるという決意をしたのでした。このことが素六の一つの転機となったのでした。
■それは、素六の中に悔い改めが起こったということでもあるのです。このヨハネによる福音書4章のイエスとサマリアの女との出会いの物語でも、最初井戸のそばにいて水を飲ませてほしいと願ったのは、イエスさまご自身でした。時は正午ごろ、それはだれも井戸に水をくみに来る人はいない時間帯です。しかし、そこに一人のサマリアの女が水をくみに来た。そこでイエスはその女に「水を飲ませてください」と頼んだのでした。しかし、サマリア人とユダヤ人は犬猿の仲だったので、女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と拒否されるところから物語は始まります。そして、イエスさまの一言、「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」という言葉で両者の立場が逆転し、サマリアの女が「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と命の水を求めることに話は展開していくのです。
■サマリアの女は少し意味を含んだいい方で命の水を求めます。「主よ、渇くことがないように」と願うのは、イエスが与える命の水を渇望しての言葉ですが、「ここにくみに来なくてもいいように」という言葉の中には、彼女の生活の実態が背後にあることを物語っています。それはイエスが言い当てたことですが、この女は「五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と語って、この人の身持ちの悪さを背後に抱えている生活上の苦しみを窺わせているのです。5人の人と結婚と離婚を繰り返す。それだけでも近所の人から後ろ指を差される事情です。だから人目を避けて彼女はだれもいない正午ごろに水をくみにやって来たのです。そのような生活に疲れを覚えている。そこから解放されたい。そのような思いがあったのです。ここで大切なことは、命の水を求めるということの中には、生活上の重荷からの解放を含んでいるということです。それがイエスと出会った彼女の中に起こり、彼女は町の人にイエスのことを知らせるという、これまでの自分の生活の殻を破る力が与えられた。そんな力を与えてくれるのが命の水を飲むという中で起こるのです。
■そのような命の水はどのようにして与えられるのか。イエスは「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」と言われました。まことの礼拝とは、イエス・キリストを通して父なる神を知る礼拝のことなのです。そのような礼拝の中でわたしたちは命の水が与えられるのです。その命の水のことを「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われました。命の水とは永遠の命に至る水だと言われます。永遠の命とは神の命のこと、それこそはどんな中でも神がわたしと共にいてくださって、人から後ろ指をさされ、人の目を避けて暮らすサマリアの女が町の人たちに救い主の到来を告げる者へと変えられ、そのことを通して神の栄光を現わす器とされる。そのような自分を生かし、神の恵みを味わう水のことを命の水と呼んでいるのです。
■更には、その水は、「わたしが与える水はその人の内で泉となり」とも語られています。このことは、わたしたちの教会の年間聖句である「いつも喜んでいなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」という御言葉にも結び付いています。いつも喜びで満たされる生活とは、イエス・キリストにおいて与えられる喜びの中での生活であると言われています。それは、「キリストにおいて」という言葉が鍵になりますが、キリストのご支配の中に生かされることが「キリストにおいて」という言葉の意味です。キリストの力に支配されている時こそが命の水がこんこんと泉のように湧き上がる生活であることを伝えているのです。そして、その命の水は礼拝の中で与えられるということがイエスさまの語るところです。
■わたしたちが沼津教会のこれまでの歩みを振り返る時、素六を代表とするように、礼拝を大切にすることへと悔い改めることはできたと思います。しかし、その礼拝の中で命の水をいただき、キリストの支配の中で生かされているかどうかは改めて問い直すことが求められていると思います。まず、素六が病の中で命の水を求めたことは確かなことです。そして、それは悔い改めを引き起こし、伝道へと献身した素六がそこにいたことも確かなことです。しかし、それが素六の生涯を包み込む命の水であったかどうか、命の水を求めたけれども、命の水を飲み続けたかどうかは疑問符が残るところがあります。素六が残した書「克己制欲」や「去華就実」にしても自分を謙遜にするということを心に留めている素六ですが、命の水を飲み、喜びの生活を続けた中で生まれた書ではありません。そして、それは素六個人の問題だけでなく、沼津教会の150年にならんとするその歴史の中で、綿々たる礼拝が繰り返されてきたけれども、その礼拝の中で湧き上がる泉としての喜びを味わい続けてきた教会の歴史であったかどうかは改めて問い直される必要があると思います。
■わたしたちの礼拝生活が喜びの源となり、キリストの十字架の贖いの中で生かされる喜びを味わうこれからの教会の歩みであることを願います。それは、コロナ下の中で始まった「キリストの香り」のメッセージがわたしの中でのライフワークとなると共にそれに触発されて皆さんの生活もまた「キリストを知るという知識の香り」をキリストの勝利の行進に連なる者として漂わせる生活へと導かれることに通じるのです。
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