三十数年後のあとだしジャンケン〜レット・イット・ビー・ネイキッド


 それにしても、さえないジャケットである。もう少しなんとかならんかったのか。アンソロジー、ビートルズワンと最近のビートルズのジャケットはかっこ悪いのばかりだ。
●21世紀のレット・イット・ビー

 三十数年ぶりに「レット・イット・ビー」が巷で話題になっている。発売日にはワイドショーがこぞって、この「レット・イット・ビー・ネイキッド」を取り上げ、初回生産の40万枚がほぼ即日で完売したという話も聞く。

 遙か昔に解散し、四人のメンバーうちジョン・レノンとジョージ・ハリスンは既にこの世にいない。そんなビートルズのCDが21世紀になっても爆発的に売れる。ビートルズの偉大さの証だろうし、もはや彼らはロックミュージックというジャンルを越えた存在なのかもしれない。また、未だにビートルズを超えるロックグループが出現しないということは、ロックという音楽の停滞を表しているとも感じられる。
 21世紀なって、新しいパッケージ、クリアなサウンドの「レット・イット・ビー」を聞くことになるとは想像もしなかった。中学三年生の春、テレビで放送された映画「レット・イット・ビー」を見て、ビートルズに魅せられ、以来ロックを聴き続けているものとしては、あの映画(近いうちにDVDが発売されるようだが、ビートルズの痴話喧嘩やグループ内の確執がリアルに映し出されているために、ビデオ化すらされていなかった唯一の映画)に近い音で「レット・イット・ビー」が聞けるのは、うれしい出来事である。

 発売日に「レット・イット・ビー・ネイキッド」の近くのお店で国内盤を買おうと思っていたが、悪名高きCCCD(コピーコントロール付きのCD)だったので取り止めた。発売日から数日後にamazon.co.jpでオーダーした通常のCDであるアメリカ盤が届いたので、急いでパッケージを開けて聴いてみた。
 まず、音質が驚くくらいにクリアだ。今までの少しモアッとした「レット・イット・ビー」の音からすれば別物である。音はボトムがかなり強調されていて、ベースのレベルが少し高いと感じるぐらいで、演奏もすごくタイトに聞こえる。
 曲そのものは既にお馴染みのもので、オリジナル版から「マギー・メイ」と「ディグ・イット」をカットして、その代わりに「ドント・レット・ミー・ダウン」が収録されている。

●迷走したゲット・バック・セッション

 個人的に思い入れのある「レット・イット・ビー」が生まれ変わった音になった。聞き応えは充分にあるし、しばらくの間は毎日のように聞くだろう。しかし、ネイキッド(裸)に加工されても、所詮は「レット・イット・ビー」である。他のビートルズのオリジナルアルバムに比べれば、レベルは格段に低い。もちろん、名曲は多数含まれている。しかし、どこか散漫で集中力の欠けるアルバムなのだ。

 そもそも「レット・イット・ビー」の元になる「ゲット・バック・セッション」はビートルズのプロジェクトとしては、珍しく失敗したもので、アルバム自体もメンバーが完成を半ばあきらめ、更にこれまでビートルズのプロデューサーを務めてきたジョージ・マーティンですら投げ出した。結局、グリン・ジョーンズというエンジニアによって「ゲット・バック」として完成され、サンプル盤まで作られたが、発売は見送られた。
 却下された「ゲット・バック」はどこからか流出し、正規盤と変わらない音質のブートレッグ(海賊盤)がある。このブートレッグCDを密かに入手して以来よく聞いているが、これが悪くない。ビートルズが「ゲット・バック・セッション」で当初に掲げていた「音は加工しないで、最初の頃のレコーディングに戻る」という目標が忠実に再現されているからだ。
 しかし、あまりにライブなミックスでジャムセッションそのままという部分が数多くある。それはそれで大きな魅力なのだが、商品としては不適当とメンバーは考えたのだろう。

 幻の「ゲット・バック」のジャケット。この写真はデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」と同じ撮影場所と構図で対になっている。のちに青盤のジャケットに転用される。
 暗礁に乗り上げたアルバム「ゲット・バック」。そこに登場するのがフィル・スペクターという有名プロデューサーである。ジョンとジョージの推薦により起用されたフィル・スペクターは、お得意の「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」という手法で没になりかけた「レット・イット・ビー」を完成させ、発売にこぎ着けた。

 しかし、ポール・マッカートニーはフィル・スペクターによって加工された「レット・イット・ビー」を聞いて激怒したという。シンプルな構成のバラードだった「レット・イット・ビー」と「ロング・アンド・ワインディング・ロード」がストリングスと女声コーラス入りの激甘なスローソングに変えられていたからだ。

 ポールが激怒するほど不本意なアレンジのまま発売されてしまった「レット・イット・ビー」。メンバー間の意志の疎通がなかったのだろうが、いくらポールが怒ってもリリースされてしまえば、あとの祭りである。あの鉄壁のビートルズは「レット・イット・ビー」で、もろくも崩れ去ったのだ。
●三十数年後のあとだしジャンケン

 フィル・スペクターを推薦したジョンとジョージが亡くなった今、「レット・イット・ビー・ネイキッド」を考えたのは、まちがいなくポールだろう。狙いはもちろん「レット・イット・ビー」と「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を本来のサウンドに戻すこと。良くいえば完璧主義者だが、ポールはきっと執念深い人だ。
 本来の姿に戻った「レット・イット・ビー」と「ロング・アンド・ワインディング・ロード」だが、ポールの数々の名曲からすれば、上位にランクされる曲ではない。それに所詮はビートルズが壊滅状態の時に録音された曲である。つまり「レット・イット・ビー・ネイキッド」はポール・マッカートニーの三十数年前の個人的な恨みを晴らすための、執念のあとだしジャンケンのようなアルバムだ。

 「レット・イット・ビー」に限らず、ビートルズはまずオリジナルアルバムを聴くべきだ。「ビートルズ・ワン」や青盤、赤盤などのベスト盤(特に「ビートルズ・ワン」はシングルの不滅の名曲を集めたというふれこみだが、最重要曲であり、外してはいけない「レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」が欠けている)では魅力の一部しか分からないし、今回の「レット・イット・ビー・ネイキッド」や「アンソロジー」は、オリジナル盤を聞き込んでこそ面白さが分かるCDだ。
 まず聞くべきは「ハード・ディズ・ナイト」や「ラバーソウル」、そして正真正銘のラストアルバム「アビーロード」(発売は「レット・イット・ビー」より先だが、録音はこちらがあと)である。

●ネイキッドではなく、リミックス

 種明かしをすれば「レット・イット・ビー・ネイキッド」は最新のテクノロジーで、ビートルズの出来の悪い息子的なアルバム「レット・イット・ビー」を丁寧にお色直しアルバムである。
 フィル・スペクターが付け足した女性コーラスやストリングスを取り外したアルバムだから「ネイキッド」つまり裸になった「レット・イット・ビー」のはずなのだが、どうやらそうではないらしい。マスターテープの山の中から良い演奏部分だけを取り出し、ピッチやテンポ、ミストーンなどを巧みに編集して、できるだけ完璧なものにしてあるというのだ。つまり、「レット・イット・ビー・ネイキッド」ではなく「レット・イット・ビー・リミックス」である。

 長らく聴いてきたオリジナルのレット・イット・ビー。最新のテクノロジーでリミックスされたネイキッドが発売されても、これがホンモノであることに変わりはない。
 四人の間に枠があり、向いている方向もバラバラの写真が、あの時のメンバーの状態を表している。
 確かに「レット・イット・ビー・ネイキッド」は素晴らしい音だ。しかし、これは作り物である。贋作といってもいいだろう。それにジョンやジョージが発売を認めたアルバムでない。「ネイキッド」というふれこみによるあとだしジャンケンなのに全世界で爆発的なセールスを記録する「レット・イット・ビー・ネイキッド」。ポールの高笑いが聞こえてくる。

 リミックスされた曲の中で一番素晴らしかったのがジョンの「アクロス・ザ・ユニバース」である。無駄の音が取り除かれ、アコースティックギターだけのバッキングとジョンの幽幻な声の響き。天国から聞こえてくるような曲の中で、ジョンが「ポール、おまえの悪巧みは空の上から見ているぜ」と笑っているようだ。

 ジョンの「アクロス・ザ・ユニバース」に続き、ポールの「レット・イット・ビー」で裸にされたアルバムは終わる。21世紀になってもジョンとポールの緊張関係は続いていると感じるのは、あまりにもうがった考え方だろうか。
 どのように加工しても、ビートルズは面白い。だから、偉大なのだ。

(2003.11.20)

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