すべてはビートルズからリンクしていた

 ぼくがビートルズを真剣に聞き始めたのは中学3年の時だ。春休みにテレビで放送された映画「レット・イット・ビー」を見てから、ビートルズが大好きになり、熱病にとりつかれたようになってしまった。1970年代の中頃ことだ。

 今の若い人には信じがたいかもしれないが、当時は「ロックなんか聴くと不良になる」という考えが一般的で、ビートルズなんか聞いていると親はいい顔をしなかった。自分で言うのもなんだが、中学生の頃はまじめだった。趣味は読書と鉄道模型(恥ずかしい過去だけど)なんて子供だったから自分でも「不良になっていくなぁ」と思いながら、ビートルズにのめり込んでいった。

 当然、ビートルズのレコードが欲しいのだが、当時のLPレコードの価格は2500円で今のCDの値段と変わらない。物価の上昇を考えると、昔の中学生にすれば高くてなかなか手のでない代物で、シングルレコードを月に一枚買うのがやっとだった。だから、ラジオが頼りで、FMから流れてくるビートルズの曲を録音しては繰り返して聴いていた。

 ようやくLPレコードが買えたのは、その年の秋のことだ。親からの誕生日のプレゼントに現金をもらうことにしたのだ。頼んで買ってもらってもよかったのだが、どうしても自分で買いに行きたかった。どのアルバムにするかは悩みに悩んだ。ビートルズ関連の本で知識は充分あったのだが、たくさんのアルバムの中から一枚を選び出すのは至難の技だった。

 お金をポケットに入れ、ドキドキしながらレコード店に行くと、あこがれのビートルズのアルバムがずらりと並んでいる。手に取ってジャケットを一枚、一枚じっくりながめる。いつもは買えないから遠慮がちにさわっていたのだが、この日は違う。
 時間をかけて選んだ一枚のアルバムは「アビイロード」だった。これを選んだ理由は、ラジオで滅多にかからないB面(CDの時代の今では死語だが)のメドレーが聴きたかったのと、4人が横断歩道を渡るジャケットが大好きだったからだ。

 レコードを大切に抱いて家に帰り、針を落とした時の感動は今も覚えている。ステレオなんてなかったので、ポータブルのレコードプレーヤーで聴いた一曲目の「カムトゥゲザー」。イントロの「シューッ!」というジョン・レノンの声に涙がこぼれた。その日から擦り切れるまで「アビイロード」を聴き続ける日々が始まった。

 「アビーロード」を買ったとき、既にビートルズは解散していて、後追いのビートルズ体験だった訳だが、70年代中頃はジョン・レノンもセミリタイヤ状態ながら存命していたし、他のメンバーのソロ活動も活発だったので、ぼくにはビートルズの存在がリアルに感じられた。

 ビートルズにのめり込んでいくにつれて、本やライナーノーツでビートルズの広い交友関係と60年代の驚異的な活動をを知ることになる。
 ジョン・レノンが詩を書くうえで多大な影響を受けたボブ・ディラン、「ホワイト・アルバム」の中の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」で強烈な泣きのフレーズを奏でるエリック・クラプトン、ビートルズのライバルで聴くと本当に不良になってしまいそうなローリング・ストーンズなどなど、ぼくはビートルズからのリンクをたどって、ロックの海の中を泳いでいった。
 ビートルズからのリンクは音楽だけではなく、本、映画、インド思想、ヒッピー文化などに広い範囲に張り巡らせていて、多感な時期のぼくは多大な影響を受けた。そして、その影響は今でも体の底に脈々と流れている。

 そう、すべてはビートルズからリンクされていたのだ。

 ポール・マッカートニーは「ビートルズは不良になろうぜ、と唄ったこと一度もない」と言っていたが、ビートルズを聴き始めたぼくは親の心配どおり、すっかり不良になってしまった。欲しいものはHOゲージの鉄道模型からエレキ・ギターに変わり、中学生時代の坊主頭は長髪になり、高校の3年間に床屋に行ったことは一度しかなかったからだ。


●おすすめのビートルズのアルバム

アビイ・ロード
ザ・ビートルズ


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 ビートルズのアルバムにははずれがない。どれを聴いても素晴らしいが、あえて一枚選ぶとするなら、初めて買った「アビイロード」を聴いて欲しい。

 ほとんど空中分解、解散寸前のグループがこんな作品を残したことが今でも信じがたい。だから、ビートルズの記憶は世界中の人々にとって変わることなく、美しいのかもしれない。


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