ナミブ砂漠へ行って来た with Nikon WX

  公開:2019年10月3日〜
更新:2019年10月17日 一部内容を修正


2019年9月20日 ナミブ・ナオクラフト公園キャンプ場にて記念撮影
Sigma 14mm F1.8 DG HSM + EOS R。F2.0 20sec. ISO:6400。映っている機材はNikon WX 10X。
 

ナミブ砂漠の星空って、どうなのだろう?

  日本に限らず、星空を観光・売りにしている所は少なからずある。ただ、素人受けするキャッチ・コピーを見るとそれだけで行く気も失せるし、行かずとも期待薄なのがわかる所もある。しかし、ナミブ砂漠は大いに期待できる 。だって標高800mの砂漠ですぞ! 見えない訳がないじゃないか。

 
ナミブ砂漠は、南アフリカ共和国の西隣の国「ナミビア」にある。

 とまあ何年か思っていたが、本年(2019年)の初頭、シルバー・ウイークなら行けそうなことが判明した。いつもは個人旅行だが、アフリカ・ナミビア、しかも砂漠ではなかなか大変だ。アタカマ砂漠のような綱渡り・奇跡の運任せみないな旅は、もう勘弁。だって何が何でも9月23日に帰国し、翌朝から出勤しなければならないので。という訳で、各社のツアーをチェックしてみた。シルバー・ウイークにドンピシャで、ナミブ砂漠に2泊、それにエトーシャ動物公園、大西洋クルーズ、そして砂漠のフライトまで、てんこ盛りのツアーを発見。旅行会社は老舗の西遊旅行だから、信頼もできる。という訳で、2月に申し込んだ。

 なかなか参加者が集まらず、催行の決定は7月になってからだった。後で参加者から聞いた話では、なかなか人数が集まらず、2年も待った人もいたそうな。流石はツアーで、旅行の備品や注意点の案内が懇切丁寧で、至れり尽くせり。出発は9月15日21時25分・成田で帰国は23日20時25分・成田の9日間の旅だけれど、初日は夜22時便だから、実質8日の旅だ。行程表を見ると、気が遠くなる程飛行機に乗って、さらに陸路を430kmバス移動して、やっと最初の宿に着く。大丈夫かいな?
 

機材

 南天 ガイドブック出版のため、GWは望遠鏡を抱きかかえるように西オーストラリアに籠って散々観望したので、また、今回は一般ツアーなので機材は双眼鏡のみにしよう。荷物を減らすためにCANONの防振だけでいいかとも思ったが、もう二度と行け無いであろうナミブ砂漠にWXを持って行かなくてどうする! と準備をしていたら、WXの7Xを貸してくれる方が現われ、WX 2台体制となった。10Xは軽量三脚セットで使用し、7×は手持ちとした。7Xは2.4Kg もあるが、バランスが良いのと倍率が7Xであること、そして目にしっかり当てて見ると十分手持ちで実用に耐えうる。重いから三脚必須、手持ちは無理なんて思い込みは損だ。

 GWに十分に見たから今度は観望はそこそこにして星景写真でも撮ろうかと思ったが、コズミック・フロントで散々タイムラプスを見、そして絶景+星空のパターンに食傷気味で、撮ろうという気力も湧かなくなってしまった。しかもツアーだから勝手に夜中に遠くまで行けない。20年前に仕事でアルゼンチン・バルデス半島に行った時は、22時にタクシーに、「できるだけ遠くへ、光の無い所へ行って下さい」といって双眼鏡で驚愕の南天の星を楽しんだが、ナミブ砂漠にはタクシーも無い。でも、記念写真位は撮れるようにしないと。

 [キャプテンスタッグ] キャリーバッグ 600D

 今春、長年愛用したEOS 5Dは手放し、EOS Rとなった。ボディは欠点だらけだが、ミラーレスのレンズが凄いのと、舞台写真が無音で楽なので、EFレンズからRFレンズへ移行中。でも超広角レンズは無いので、周辺像が流れるEF 14mm F2.8は手放し、シグマ 14mm F1.8 HSM となった。シグマのレンズ。かつては店頭でカメラに付けて見ただけで「安かろう、悪かろう」が如実に判明したが、今や、あっという間に世界のトップのレンズメーカーの一つとなった。ただしカラーバランスが悪い。35mm〜85mmは何とも受け入れられない (私の好みではない)のだが、14mmはOK。アマゾンで機内持ち込み可能なキャリアーが\4500で売っていたので、これを購入し、機材一式はこれにて運搬。
 

初日〜2日目:9月15日(日)〜16日(月)

 10南アフリカ・ランド紙幣(一部)。表はネルソン・マンデラ、裏はサイ。ランド=ナミビア・ドル≑\7(除・手数料)。

 ツアー参加者は、30〜70代の15名。女性が6割。成田の集合時間前に、指示通り、空港両替所で¥5000を南アフリカ・ランドに交換。ナミビアでも使え、ナミビア・ドルよりも使い勝手が良いとのこと。食事は全部付いているので、ちょっとした飲み物、小物のお土産用。カードが使えるので、結果的には¥4000でも間に合った。

 21:25に成田を出発。2時間40分でソウル・インチョンへ。機内清掃のため1時間降機。今度は12時間40分乗ってエチオピアのアジスアベバ空港へ。そして飛行機を乗り換えて、ナミビアのウイントフック空港に向かう。乗り換え時間は、わずか1時間。この夏、ドイツ、北欧で大量のロスト・バゲージが発生し、私の家族、友人達が沢山被害にあった。大丈夫だろうか? 一応手荷物に洗面具は入れておいたが。飛行時間は、5時間45分。要するに、丸1日飛行機に乗っている計算だ。

 飛行機は、エチオピア航空。30年前に仕事でエルサレムに行った時、お金が無くて南周り、そしてエジプトのLCCでエルサレム入りした時、70年代の古い飛行機、しかも翼のリベットに錆が付いていて、これで死ぬかも、と思った。ところがエチオピア航空。最新鋭の787で、快適。エコノミー・クラスのCAは、愛想とは無縁のオソマツな対応だったが、ビジネス・クラスには超美人のCAがずらり。しかもJAL、ANAなみの笑顔。アフリカは貧富の格差が凄いが、飛行機でも同様?

 アジスアベバ空港には、数え切れない程のエチオピア航空の787が駐機してあった。こんなに787があるのも凄いが、普通、フル稼働の航空機がこれだけ駐機しているのも驚き。どんぶり勘定で発注したのでは、等と思ってしまう。大雨の中、滑走路で飛行機を乗り換えた。

 こんなに飛行機に乗っているとウンザリ、と思いきや、年を取ったせいか、受け入れに寛容になったのか、けっこう大丈夫。アタカマでは行きに約40時間もかかったが、これも大丈夫だった。若い時は、新幹線も3時間で嫌になっていたのに。で、いつも窓から雲を楽しむ。地球の丸みも感じ、これが飽きないのである。夜は、というと、真っ暗な荒野や山間の小さい街灯の村もいとおしいし、今回は月に照らされた雲・丸い地球が実に美しかった。パキスタン上空では、雷が雲を走り、これが絶景! 窓の電子カーテンのロックを外してもらい、しばしの間、航空ショウを楽しんだ。

 という訳で、13時20分、ナミビア・ウイントフック空港に到着。時差はヨーロッパと同じ7時間(サマータイム)。スーツケースも全員無事到着。アフリカでは、環境に配慮し、ビニールの持ち込みの規制が始まっている。海洋汚染も相当なレヴェルになっているが、まずは、勝手にそこら中に捨てない、きちんと決められた所に廃棄・処理するという原点に取り組まないとダメだ。ところが、スーツケースのコンベアーには、これでもか、という位ビニールが巻き付けられた荷物が山のように出てくる、こんなエゴイスティックなサーヴィスこそ即刻禁止すれば良いのに。

 さて、そこからバスで430km移動、約6時間。ようやく、エトーシャ国立公園近くのホテル:Etotongwe Lodgeへ到着。すぐに夕飯となった。部屋はコテージで快適。ただしお湯と水の水栓表示が逆になっていて、水のシャワーを浴びた。なかなかのリゾート・ホテルだったが、翌朝4時半モーニング・コール、5時から朝食で、5時45分出発。何故って、これからアフリカ最高との呼び声高い、エトーシャ国立公園に動物を見に行くから。当然、早朝が一番動物に会える。 それにしても家を出てから36時間。遠いなあ。

 ところで、夜、ホテルのロビー(といっても屋外)でメールをチェックしていたら、蚊に刺された。高度1280mで気温10数℃だったので虫よけスプレーもしなくて不覚だった。アフリカは、致死率の高い伝染病が多く、「生きて帰ってきて下さいね」と複数の方々に言われたが、一番恐ろしいエボラ出血熱の流行地は、ここから1000〜2000kmも離れている。また、マラリアも ほとんど大丈夫とのことだったが、やはり刺されるのは気分がよろしくない。刺されてから3週間経過して何でもないので、とりあえず安心(?)。
 

9月17日(火):3日目

 開門と同時に突入。見学はバスの中から、外には降りることは出来ない。広さは四国ほどあるので、動物に会えるのは、ツアー・ガイドとドライバーの腕とセンス次第。我々のバスは、さっそく次から次へと動物達に遭遇。ガイドのジョージさんは流石に目が良く、かなりのスピードで走行中でも、動物をサッと見つける。写真は窓越しか、空いた窓から撮影。砂埃が凄いので、クリアには撮影できなかったが、ごく一部を掲載。レンズは、EF 70-200mm F4 IS II USM が中心で、時に1.4×エクステンダーを装着。

 まずは黒サイ。白サイは、口が広いのでwideサイと名付けられたのをwhiteサイと聞き間違えられて白サイになったとか。そこから派生して名がついた黒サイ。従って黒サイと色は変わらないらしい。ワイシャツみたいな。最も、昔、ミシン(sewing machine)と聞いて名付けた人の方が耳は良かったと思う。ビューティフルとかチルドレンなどと表記、聞き取っている現代人の耳では英語は絶望的。


 ライオンの群れに遭遇。これは相当珍しいとのことで、現時ガイドも写真を撮っていた。遠巻きにスプリング・ボック。捕獲シーンは展開されなかった。

動物達のパラダイス!

 穴を掘っているラーテルにも遭遇。バスが近づいたら遠くへ行ってしまった。

 何と、アフリカ象の群れが遠くに! あっいう間に近くにやって来た。水を美味しそうに飲み干す。いいなあ。象の群れも、なかなか見れないらしい。ラッキー! ここの象は、塩分が多くカルシウムの不足した水を飲んでいるので、他のアフリカ象と比べて象牙の伸びが短いとのこと。


 昼食は、水辺の見学ベンチで。オリックスの角は長い。オリックスとスプリング・ボックはとにかく沢山いて、公園外でも普通に遭遇した。

 

 実際に、バスから見ているのに近いのは、この写真。本当は、どの写真もこれ以上に大きくして見ると良いのだが。ガイドさんによると、24種の動物を見たとのこと。

 午後は、ウォルビスベイへ530kmのドライヴ。道はA〜Dランクまである内のC。かなりの凸凹道で、時々、ドカンと突き上げる。ヘルニアや骨粗鬆症のある人は、症状の増悪、圧迫骨折が心配だ。さて、こんな長時間のドライヴだが、風景が面白い。木には鳥の巣、すぐそばには蟻塚の組み合わせがそこら中にある。

 この蟻塚はシロアリのもので、実に大きい。触ってみると、硬く固められている。私の場合、さらに飽きないものがあって、それは「電柱」と「鉄塔」。国によって、電柱、ガイシ、鉄塔に個性があって、それが面白くてたまらないのだ。他の紀行にも書いているが、そのうち「世界の電柱・鉄塔」という研究siteを立ち上げたい位。鉄塔は、植民地の影響か、ドイツ・タイプ。

 途中、トイレ休憩に立ち寄った街では、観光客目当てのヒンバ族がやってきた。女性も上半身裸だけれど、10代前半の少女もいて、流石に写真は撮れなかった。夜にフラミンゴ・ヴィラ・ブティック・ホテルに到着。豪華なホテルで、快適! ここに2泊する。翌朝は、6時半起床で7時朝食、8時にクルーズに出発だ。
 

9月18日(水):4日目


 ホテルは湾に面していて、名前の通り、フラミンゴが沢山。出発前に見に行った。一斉に飛び立つ姿は圧巻。フラミンゴが赤いのは、食べ物のせい(アタカマ紀行をご覧下さい)。



 さあ、大西洋クルーズだ。ここの辺りは寒流の影響で、曇りや霧が普通。そして気温も低い。クルーズでは防寒対策をしてくれ、との事だったので、アフリカ旅行というのに防寒具を持って行った。実際気温12℃。風を受ければ体感温度はさらに下がる。港には世界情勢を反映した看板が。港湾事業にはとてつもないお金がつぎ込まれていて、あれじゃあ、お金は返せないし、中国帝国主義のなすがままか。



アフリカ色の強いお土産屋とは対称的

 双胴船で出発。何を見るかというと、サンドイッチ湾のミナミアフリカ・オットセイの大群。運がよければ鯨も見れるとのこと。軽快に進む中、海鳥が、そしてモモイロ・ペリカンがやってきた。


 エサにありつけるのを知っているからで、食べると程なくしてどこかへ行ってしまう。かなり大きくて、それを支える羽は、正にウイング。そしてオットセイがするりと船に乗ってくる。


 ペリカンのくちばしには興味津々

 あっ、鯨だ! の声が。遠くで潮を吹いているのが見える。船を走らせ、近くの船も一斉に鯨へ向かう。そして目の前に現われた。ザトウクジラらしい。息を吸い込む時の音が凄い。空気孔がしっかり写真にも写っている。あんなに肺活量があったら、どんな歌が歌えるのだろうか、と思ってしまう(私はテノール歌手でもあるので)。


 EOS R + EFレンズのオート・フォーカスは鈍くていただけない。さっさとマニュアルに切り替えたが、シャッター・チャンスは逃してしまった。しかしながら、エトーシャ国立公園でも動物大当たりだったのに、ここでも大当たり。数々の紀行で報告しているように、強運を存分に発揮。家内は、ドルフィン・スイムや鯨を見るのが趣味。今回は行けなかったので恨まれるなあ。

 20年程前に捕鯨を目の敵にされていた時、無性に腹が立った。ペリーの来航だって、鯨の皮膚の脂を取るだけ(灯用)の為の捕鯨と日本を中継基地にしたいだけで開国を迫ったのに、今になって、かわいいとか頭が良いとかで捕鯨反対とは何事か。日本は髭まで無駄なく利用しているのに、おまけにゲリラのような妨害まであって、人の国の文化にまで浸食して、何なんだ!

1998年、アルゼンチン・バルデス半島の鯨

 ところが、アルゼンチン・バルデス半島で、小舟で海に繰り出して、船よりも大きな鯨を目の前で見て衝撃を受けた。雄大な泳ぐ姿に猛烈に感動! あんな平和な生き物に、銛は打ち込めない... 実際に見て、すっかり考えが変わってしまった。でも、漁業を生業とするなら、イルカだって死活問題になり得るだろう。だって彼らの食べる魚の量は、物凄いのだから。

 ナミビアは、牡蠣の養殖も盛んとのこと。この青い缶の下には数百個の牡蠣があるらしい。船でも振る舞われた。動物にはこんなに大当たりだけれど、牡蠣には当たりたくない。夕飯も含め、結局11個食べたけれど(クリーミーで美味!)、こちらには当たらなかった。そしてシャンペンで乾杯!

 

 さて、湾をぐるりと囲む半島には、オットセイのコロニーがある。見よ、この大群(これでも、ごく一部)。臭いが相当強烈なので、陸から四駆で訪れると。すぐに退散するらしい。



 クルーズの後は、ホテルの前のフラミンゴを見て、それから四駆でデザート・ドライヴ。砂漠に向かう前に塩田に立ち寄った。赤いのは、プランクトンなどを入れて、濃くしているらしい。食用ではなく、ほとんどが工業用とのこと。リチウムは取れるのか?の質問には口を濁していた。

 3台に分乗し、海に面した砂漠に繰り出した。さっそくジャッカルに遭遇。

 デザート・ドライヴのボス:ヘルマンさんが車を止め、猛烈な勢いで砂丘に登って穴を掘り出した。それがこれ、 ミズカキヤモリ。かわいい! アルビノ(色素が無い)ので、日光に2分も当たると死んでしまうとのこと。放したら、瞬時に砂に潜って行った。

 砂漠には、いろいろな動物の足跡が残っている。尾を引きずったものもあって面白い。少し内陸に行くと、砂の色も濃くなり、黒色の砂が混じってくる。何と砂鉄だった。無尽蔵の砂鉄。相当高品質な純鉄(刀剣用)が取れると思うのだが、ナミビア政府は気付いているのだろうか。また、中国に乗っ取られてしまうのだろうか。


 海岸を走っていたら、何と鯨発見! 子供オットセイは、昼寝。それにしても、ガイドのヘルマンさんは目がいい。

 複雑に色を交えた砂があった。ヘルマンさんが、iPhoneで拡大撮影してごらん、と。それが、これ。

 白がシリカ、ピンクがガーネット、オレンジがクオーツ、黒が砂鉄とのこと。iPhone の望遠の画像は劣悪だが(iPhone 6S。イヤホン・ジャックの無いこれ以降のiPhoneは使わない!)、拡大撮影機能は優秀だ。海岸線をさらに走って行くと、不思議な形の壁があった。


 

  砂が円錐状に形成されているが、それは複雑にとがった三角柱の林の中を砂が滝のようにさらさらと流れているためであった。つまりは巨大な砂時計。この先で行き止まり。ランクルは、180度引き返すのではなく、90度で進行。つまりは、砂丘の壁を登って行った。

 砂漠だ! 砂漠! 砂漠!  タイヤの空気を抜いて、砂漠仕様で走る、走る! デザート・ドライヴを満喫。 ドライバーのボス:ヘルマンさんは冗談ばかり言って笑わせる。仲間との会話は、英語では無くアフリカーンス。ヘルマンはドイツ系の名前なので彼に聞いてみたら、オランダからの移民で、彼はナミビア生まれ・育ちとのこと。つまりは彼は生粋のナミビア人なのであった。



風紋も美しい

 ナミブ砂漠は。南北に1280Kmも広がっている。寒流が冷たい空気を運び、常に安定して空気層の下に存在して上昇気流が起きないので、雨が降らない。また、霧も多く、写真の通り青空ではない。亜熱帯砂漠もあれば、このような冷涼海岸砂漠もある。砂漠もいろいろだ。

 いつもはホテルで夕飯だったけれど、今日はここで一番人気のレストランに連れて行ってくれた。再び牡蠣を堪能。
 

9月19日(木):5日目

 今日は、まず砂丘:デューン7に登る。デューンとは砂丘のことで、番号が付いている。デューン7は砂丘最高峰383m。

 稜線に沿って登って行く。スニーカーだと砂が入って歩けなくなるので、靴型サンダルを用意するように言われた。しかし、それでも砂が入る。結局裸足が一番良かった。砂漠に自分の足跡を残すというのは、どんな気分なのだろうと長年思っていた。これかあ。でも程なくして風が消していく。

 登ろうとパワーをぐいぐいかけると、砂が崩れてなかなか進まない。小股でちょこちょこ歩くと、自転車のギアを下げたように、急に軽く登れるのに気付いた。後ろの女性にそれを言ったら 「それ、登山の基本です」 って。聞けば、登山が趣味でベテランの方だった。そうだったのかあ! 以前、富士山・新五合目に観望に行った時、1号上の最新自然浄化トイレに一気に登ったら、物凄い息切れと動悸にすっかり驚いてしまった。で、自信喪失。やはり高地(2400m)は侮れない。ちょこちょこ登るべきだったのだ。

 へとへとで登った頂上の眺めは、やっぱりいい。降りるにはどうするか? 裸足で一気に駆け下りるのが爽快! その足跡が右下の写真。

 次に訪れたのは、月の谷。1967年の「猿の惑星」のロケ地だったとのこと。ラパスの「月の谷」は。とても月には無いと思われる程地球的浸食地形だったけれど、こちらはもっと月面的。






砂漠を走っているバスは、ご覧の通り

 そして、稀少植物・ウェルウィッチア、日本名:奇想天外の生息地を訪れた。小石で保護されているが、道端にひっそり生息しているのもある(写真下右)。


 左上が雌花、その右が雄花で、小さな虫が媒介する(EOS Rは砂漠のオート・フォーカスが劣悪。これも撮れなかった)。これで1000年以上生きているらしく、右上の小さいものでも樹齢300年とのこと。中には4〜8m級の大きなもの、樹齢2000年のもあるらしい。こんなに生きているのも凄いが、こんなに環境が変わらないというのにもっと驚き。根は10mも伸び、地下水を得ている。 この植物は真ん中から二分して成長していく。

 中には、こんな小さなものもあるが、写真上中の植物はウェルウィッチアではないとのこと。地面の小石は全て丸い。つまりは水が流れていた、ということなのだけれど....?

 この植物は、ドルブッシュ。ドル硬貨に似ているから命名されたそうで、握りつぶすと水が出てくる。砂漠でサバイバルとなったら、これを探す。実際、動物達もここから水を得るのだとか。舐めてみると、やや塩分を感じ、ポカリスエットみたい。

 さて、今度はクイセブ渓谷に訪れた。砂漠の成因については上に冷涼海岸砂漠の事を述べたが、一般的な砂漠のイメージである砂砂漠の他、岩石砂漠、土砂漠、レキ砂漠の4種類ある。ここクイセブ渓谷は、岩石砂漠とのこと。ネットで検索したら、鳥取大学乾燥地研究センターのsiteが素晴らしくまとまっていて、大変勉強になった。ご覧のようなミルフィーユ状の岩石が360度広がっている。



 で、いろいろな所を訪れながら、今回のツアーの目玉、ナミブ砂漠・ナミブナオクラフト公園のセスリムのキャンプ地へ向かって行ったのであった。距離は430Km、でも路面はA〜DランクのD。ガタガタ道なんてものではなく、物凄い震動と音! ガイドのジョージさんは「マッサージ! マッサージ!」なんて叫んでいたが、よくバスが分解しないものだ、と感心した。1時間も走れば、タイヤのハブが金属疲労ですっ飛んでいきそうな位の物凄さ。ここで活躍したのは、空気を入れて使う首まくら。頭が前屈みになるので嫌っていたが、疲労の度合いがまるで違う。それと耳栓。

 途中、南回帰線を通過。地球の地軸が23.4°傾いているので、冬至の時にここでは太陽が天頂・真上を通過する。アタカマ砂漠遠征の時、プカラ遺跡で、ほとんど真上の太陽、影ができない、という体験をしたが、 あそこは南回帰線の1°上、そして10日違いだったから。旅行前、この南回帰線の通過はノーマークだった。

 今回のツアーは、添乗員同行。だからお任せ旅行でもあるのだけれど、この対応が素晴らしかった。疲れているであろう時はそっと睡眠させてくれるし、退屈しているであろう時には、勉強してきた(この量が凄い)豆知識を解説したり、現地のスプリングボック・ジャーキーを試食させてくれたり。本当に出来る人は、間合いの取り方が絶妙だ。決して出しゃばらず、必要な特にはそっと手が出る。職場でも一緒。竹澤さん、ありがとう!


 昼食で立ち寄ったSolitaire Lodge が面白かった。古い車が沢山砂に埋まっていて、なかなかのセンス。実にハードな移動だったが、夕方、無事にキャンプ地に着いた。ちなみに、物凄い震動を数時間経験したが、お腹の脂肪も体重も何一つ変化無かった。


 我々15人のキャンプ、テントはご覧の感じ。ファスナーを開けるとベッドがあって、バスタオルと乾燥防止のクリームが置いてあった。2人用はベッドが両側にあるので、その分狭い。敷地内ではオリックスが闊歩していた。 キャンプ地といっても、シャワー、プール完備でバーまである。つまりは、グランピング? 我々のテントは、バー(レストラン)、トイレの隣で便利だが、明るい。星を楽しむには、どこか人工の光が遮られる場所を探さなくては。

 そして綺麗な夕焼け。これには雲が欠かせない。ということは、今晩の星はダメ? ちなみに、今まで経験した一番凄い夕焼けは、北海道・立像山で、一番凄い朝焼けは、オーストラリアのウルルだった。現地ツアー会社の人達が夕食バーベキューを用意してくれた。そこで焼いたパンが 実に美味しかった。

 夕食前に、沈み行くみなみじゅうじ座を観望。あれ? 美しい二重星も、あのうっとりするようなジュエル・ボックスも色が無い。以前、20cm反射で観望していた、という方に、あのM42 のようなぼやっとしたものは何ですか?と聞かれた。それがジュエル・ボックス... マウナケアのオニヅカセンターで全く水平の位置にあったこれが、本当に美しかったが、やはり薄雲があるとダメか。


初日の夜。それでも写真に撮るときちんと天の川が映る。

 さて、夕食が遅れ、観望は21時半過ぎからとなった。灯を避けて、といっても遠方に人工の灯が多数。砂漠の砂丘のど真ん中でのキャンプとばかり思い込んでいたので、ちょっと残念だ。2時間程観望したが、ぷーんと耳元で蚊の音を聞いて、すっかり挫折してしまった。0時半を過ぎると、月が出てくる。砂丘の天の川、そして月の沙漠と両方楽しめるタイミングだったので、2時過ぎに起きて、再び空をチェック。何と大小のマゼラン雲も見えない。仕方ないので、月に照らされたキャンプ場を撮影した。

9月20日(金):6日目

 さて、今日は日の出前に出発し、最も美しいと言われているデューン45に登って、日の出を拝む。奥地にあるこの砂丘の色は濃く、朝日で赤く染まるはずだ。稜線上を登っていくが、砂が細かくて、いっそう登るのが難しい。ちょこちょこ行くぞ、と登っていたら、脇から西洋人が猛烈な勢いで追い越していった。ああ、パワーがあると、こうも違うのか。


 足跡に注目。いかに砂が細かくて柔らかいかわかると思う。だから風でスパッと着れたような鋭い稜線があって、風紋が美しいのだ。高さは、鳥取砂丘45mの3倍とのこと。目的は登ることではなく、美しい日の出と砂丘が赤く染まるのを見るためなので、頂上手前で日の出を待った。そして美しい日の出。



 しばらくして、デューン7と同じように裸足で一気に駆け下りた。ただし、陽の照っていない背面から。降りたら、樹も照らされて綺麗。大西洋の風が削る砂丘のエッジは本当に見事だ。そして月の沙漠もいい。ところで、カメラの窪みに砂が入り込む。撮らない時は、ケースに収納しておいた方が良いし、レンズのズーム操作やレンズ交換は要注意。

 

 その足で、今度は砂漠の中に枯れ木が乱立するデッドフレイへ向かった。ソスフレイ砂丘から四駆で近くまで行って、そこから1Kmほど歩かなければならない。左側にはビッグダディと呼ばれる最も大きな砂丘があって、ここも登っている人がいた。砂漠の歩行は疲れる!

 しばらく歩くと、枯れた湖が見えてきた。


 数百年〜900年前に枯れてしまった沼とアカシアの木のミイラ。時間を変えれば、もっと美しい写真が撮れるだろう。駐車場の木だって、ご覧の通り、趣がある。帰り道にセスリム渓谷に立ち寄った。


これは、生きている木

 昼食はキャンプ地のレストランにて。その後、初めての長い自由時間。まったりした時間がいい。38℃だけれど、湿気が無いので風が吹き抜けると爽快だ。夕方は砂丘の日の入りを見に 、エルム砂丘へ出かけた。 砂丘の手前にある木には、大きな鳥の巣があった。これはキャンプ地にも、そして所々で見かける。これは数百羽が暮らす鳥のアパートで、大きくなり過ぎると落下することもあるらしい。

 

  写真は、デューン・アーント(砂丘蟻)。砂漠と行っても、いろいろな生き物がいる。残念ながら、蛇:サイドワインダーやサソリには遭遇しなかった。突然、ジョージさんが砂丘を猛ダッシュ。で、捕まえたのが、 シャベルカナヘビというトカゲ。砂が熱い時は、片足ずつ上げるコミカルな映像でお馴染みのものだが、日没近い時間だったので、それは見られなかった。

 砂丘、そして周りの山が赤く染まる、との事で砂丘の中腹で日が沈むのを待ったが、少し赤くなっただけで、ウルルアルト・アタカマのようにはならなかった。


砂丘を降りて行ったら、オリックスに直面した。

 キャンプ地で夕飯を食べた後、昨晩同様21時半からの観望となった。さらに光の無い所を探して双眼鏡を設置。昨夜よりは見えるが、それでも色が見えない。2時間少々、いて座〜さそり座を中心に見たけれど、いつもの拠点のオーストラリア、ハワイの空には遠く及ばなかった。冒頭の写真は、この時のもの。なお、元写真は砂の影響か、 少し赤みがかっていた。

 ソフト・フィルターを使用した写真は、これ。南半球で見える銀河中心。今回、ここに来るまで、砂漠というのは、ほとんど砂砂漠だと思っていた。先に紹介した鳥取大学乾燥地研究センターによれば、一般的な砂漠のイメージである砂砂漠は20%でしかない。また、ここと同じ成因のアタカマ砂漠も、星は今一つだった印象もあるので、冷涼海岸砂漠では上空の霧、雲が災いするのかもしれない。砂漠 → 雨が降らない → 必ず晴れる → 周りに人工の光が無い → 星見に最高、とは単純には行かないのも初めて解った。でも完全に晴れれば、凄い星空にはなるはずだ。

 WX 7Xの手持ちはかなりいい。何といっても10×に比べたら手軽で機動性抜群。これで見て、10×で落ち着いて見るのが理想だが、アイピース交換式で7×と10×になったら良いのに。

 3時に起きて、再びチェック。やはり大小マゼラン雲も見えない。ナミブ砂漠に星を見に来たのに、星空はオマケで、ナミビア観光が主体になってしまった。写真は、日の出前のキャンプ地。
 

9月21日(土):7日目

 キャンプ地を後にし、今日はデザート・フライトだ。3組:早朝、午前、昼前に分かれて約1時間の飛行を楽しむ。前夜、じゃんけんで好きな枠と座席順を決めましょうという事だったが、最初に枠の希望を聞いた方が効率が良いので提案した。が、反対意見が出て、面倒くさいので成り行きに任せたが、結果的に一番良い所が当たった。どの枠にするか、どの席にするか、実は経験からくる秘策があるのだが、一般的にありがちな選択、考え方ではないことだけは申し上げておこう。


 早朝組は雲と霧で海岸手間で引き返した、とのことだったが、我々の午前組、昼前組は無事海岸までフライト。飛び立ってすぐは、濃い色の砂漠だ。



 しばらくすると、エッジがシャープな美しい砂丘が次々と現れ、額は窓から離れられなくなった。


 これは、美しい砂丘:デューン45。登るのは大変だったなあ。大西洋の海岸目指して一直線。


海岸が近くなってくると、砂の色が白くなってくる。色の違いは一目瞭然。大きく旋回して見た海岸線は魅力的!


さすがは霧の出る冷涼海岸砂漠。これも絶景だ。カーナビならぬ飛行機のナビゲーションの画像には、きちんと砂丘の模様が!


海岸に近い砂漠は白色で、内陸に行くに従って砂鉄を含んだまだらの砂漠、そして鉄分が酸化して赤色のシャープな砂丘となっていく。


飛行場近くには、少し植物が生えている。そしてリング状のフェアリーリングが見えた。
どうしてこのように輪になって生えるのかは、まだわかっていないとのこと。

 約1時間10分のフライト。大満足、大感激! お昼は、飛行場併設のリゾート・ホテルにて。ホロホロ鳥が闊歩していた。

 木陰には、直射日光を避けるために動物が集まる。だから、ここは木の実みたいな形の糞だらけだ。

 午後は、首都ウイントフックへ向かい、6時間のバス移動。悪路から、徐々に平坦になり、そして舗装道路へ。お世話になったバスともお別れが近い。ホテルに着く前に、ガイドのジョージさんが、アフリカ人居住区の横を通ってくれた。ナミビアは、世界一貧富の差が激しいらしく、貧しい人達は、このようにバラックの家に住んでいる。 でも、住む家があるだけ、まだ恵まれているようにも思う。これは当然高見の見物ではなく、現実を見ることで、個人の考えを惹起するためのもの。誰だって国の恥部は見られたくない。ジョージさん、ありがとう!! そして長距離を安全に運転してくれたドライバーのウインストンさん、ありがとう!!

当然、撮影は窓越し。

 ホテル前にある、クリストゥス教会と、独立記念博物館にも立ち寄った。この博物館の前には、手を上げている大統領の銅像があった。どこかで見たような... 聞けば、何と北朝鮮が2013年に建てたとの事。ナミビアの鉱物を採掘しているとのことで、ウランも採っているらしい。他にもいろいろ建てて印象を良くする努力をしているとか。

9月22日(日)〜23日(月):8〜9日目

 帰国便の時間は14時半なので、朝はお土産タイム。すぐ近くのスーパーの開店8時の前に、街の中心、ツォー・パークに行ってみた。池に水が無い。節水のためだそうな。その後、スーパーで南アフリカのチョコレートを買い、ナミビア・クラフト・センターでお土産・小物を買い、昨夜、中が見れなかったクリストゥス教会に行った。

 教会では、しばしオルガンを聴き、ホテルの前のお土産出店に立ち寄った。

 ヒンバ族の人達も出店を出していた。写真代は?と聞いたら、400ナミビア・ドル(両替手数料入れたら、約4000円)と。いくら何でも高すぎるし、実際ポケットには6ランドしか入っていなかった。さっさと立ち去ったら、「いくら持っているのか?」と。「6ナミビア・ドルしかないので」といって、さらに去ろうとしたら、1枚だけなら6ナミビア・ドルでいい、と。その写真が右上のもの。

 さて、これから長い、長〜い飛行機の旅。退屈? 南周りだと、中央アジアの山々の絶景が楽しみなのだ。運が良ければ、ヒマラヤも見れる。電子カーテンのロックを外してもらおうとリクエストしたが、対応が遅すぎて、写真のタイミングには間に合わなかった。でもこれ。左下の深い山々、右下の圧倒的に高い山脈など、絶景が続く。

 キルギスタンでは、珍しい地形を見え、そしてタクラマカン砂漠(写真右下)。そしてゴビ砂漠(写真下)と砂漠フライト三昧。


 いつも飛行機で見ている映画。今回は、邦題「ゼロ・グラヴィティ」ばかり見ていた。というより、音声無しで、画面を延々と流していた。というのは、この動きは、初期のテレビゲームのブロック崩しと同じで、何度見ても飽きない。特に壊れるシーンは。

 ナミブ砂漠に憧れ、ナミビアという国を少しだけ知った。先日、ラグビーのワールドカップで、一所懸命の応援空しく、ナミビアがニュージーランドに大敗した。行ったばかりだからというわけではなかろう。国として発展して欲しい、という思いを強く感じている。中国や北朝鮮に負けず、日本ももっと繋がりを持てないものか。 頑張れ、ナミビア! そして、ありがとう、ナミビア!

  *追記:後日、西遊旅行から、添乗員の竹澤さんの旅日記が送られてきた。写真入りの詳細なもので、このsiteの誤りの訂正や足りない所の補充ができた。
   いつもは個人で旅をしているけれど、すっかりツアーを見直したし次第!

iPhone、iPadではオリジナルとは異なって表示されます。なみに現行のOSはwindowsもMacも 欠陥だらけで吐きそうな位大嫌いです。
家内への報告と健忘録を兼ねて掲載しました。

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