≪インタビュー≫ 聞き手・蛭田有一 |
|
現役時代、どのような政治家でありたいと思っていましたか。 |
|
私は25の歳で町会議員に出て以来、地方自治32年間、町長や京都府会議員 |
或いは京都府副知事とかをやりまして衆議院に出ましたので、常に自分が出た |
田舎の土臭さを忘れない政治家でありたいと、そう思って終始やってきました。 |
|
その土臭さとは具体的に言いますと。 |
|
地方で本当に山を守り、田んぼを守ってひたむきに働いている人たちの流した汗 |
を忘れずに政治をやっていきたいという気持ちです。 |
|
現役時代、今も思い出されるつらく悲しかったこととは。 |
|
ひとつは、12年前になりますが、阪神淡路大震災です。私は自治大臣、国家公 |
安委員長を村山内閣で拝命しておりました。 |
日本の防災対策が十分でなかったため取り返しのつかない6000人を超える人 |
達の命を失わしめ、市民のの皆さんの家屋を壊し怪我させたというのは今も私の |
胸の痛みであり反省点であります。 |
私は今日まで9年間、ずっと1月17日の夕方、神戸の慰霊祭が済んで人がまば |
らになった頃、そっと現地に行って献花をするというのを続けてまいりました。 |
せめてこれが当時閣僚であった私の罪の償いです。今年もまた行きました。 |
3月20日には霞が関で地下鉄サリン事件が起きたわけです。これもまた数名の |
死者と沢山の負傷者を出して未だに皆さんの傷は癒えてはおらない。 |
長野の河野義行さんのように犯人でない人を犯人に仕立て上げて、奥様は未だ |
に人事不省で床についておられるままです。河野さんが私に会いたいといらした |
ときに私は大臣室ではなしに議員会館で、あなたには耐え難い屈辱と傷を与え |
てしまったと、私は一人の人間として政治家として謹んでお詫び申し上げますと |
いう道へ進むきっかけになったと思います。 |
申しましたら、河野義行さんはありがとうございましたと、その言葉ですっとし |
ましたと言って引き下がってくださった。 |
河野義行さんが日本の警察の至らざるところを助けてくださったとそんな思いで |
私は非常に感激しました。思 |
私は阪神淡路大震災と同じように3月20日の夕暮れには霞が関の地下鉄の地下 |
鉄の慰霊祭に献花させていただくのを以来毎年続けてきました。 |
政治家を辞めましたけれども、ささやかでも献花をしていくことが私の人間とし |
ての償いなんだと思ってやってまいりました。 |
国会議員としての20年を振り返って何かやり残したことはありますか。 |
|
やり残したことは沢山ありますけどね。私が出た京都は革新が強いところでした |
ので、日本の国旗、国歌についての争いが激しかったところです。ことある毎に |
混乱が続きました。 |
そういう経験を持っておりましたから、広島の世羅高校の校長が国旗の掲揚や君 |
が代の斉唱で、組合やその他の関係団体ともめてついに自宅の納屋で首つって |
死にました。この事件を聞いたとき、私は小渕内閣の官房長官でした。 |
まあ21世紀になるのにこんなことをいつまでやっておったら民族の不幸だと思 |
って私は小渕さんに国旗国歌法案をどうしても作らしてくださいと言うて出した |
んです。その代わり一条、二条だけです。国旗は日章旗、国歌は君が代とするだ |
けです。 |
|
公明党の冬柴幹事長(当時)に、冬柴君賛成してくれと言ったら国旗はいいけれど |
国歌もかっていうから、今更君ね国歌を新しく募集してあれがいいこれがいいって |
国民に納得させることできるかいって。君が代の君は、君と私という意味だという |
ことを俺は音楽の先生に習ったんだと、だからもう国旗は日の丸、国歌は君が代 |
ということで、その代わり強制も何もしない、国が根拠を設けるというだけで作 |
らしてくれって言うたらまあしょうがないな、あんたが言い出したら聞かんから |
ちゅうて、お陰で通すことができました。 |
重要だけどもタブー化してだれも手を付けないということに私自身の足跡を残せ |
たなと私は思っています。 |
20年間務めた国会議員を辞めようと決心した動機は。 |
|
小泉政治を検証したら、国民も中身を見ずに声援を送って大変支持率は多いけれ |
ども、全くアメリカの市場原理をそのまま日本に移し変えようというだけの話で |
あって日本の秩序は破壊され、地方と中央、或いは人心の上でも所得の上でも |
みんな破壊されて、やがて格差の救い難い状態が出てくる。 |
こういう破壊者に私は抵抗してきたけれども、彼は自分を改革派と呼び我々を抵抗 |
派と呼んで上手くメディアを使って、メディアも戦争中と同じように踊ってひと |
つの時代をグワーッと作っていった。 |
私の死後、そういう時に同じバッジをつけておったと思われたら恥ずかしいので、 |
ここらあたりが私のけじめをつける時だと思って総選挙の二日目に記者会見して |
辞めたんです。 |
|
それはきつい言い方をすれば敗北感ですね。 |
|
ええ、敗北感です。もう敗北感です。時代の流れに対して敗北したんです。 |
小泉政治の弊害がはっきり出てきたときに、アァあの時に身を投げて死んでいった |
政治家がおるなあというのが記憶に残ればいいんだと。 |
私は兵隊に行って戦争で死なないで帰ってきた人間ですから、これからは平和がど |
んなに尊いか、そして再びこの国が戦争に巻き込まれたらどうなるかということを |
若い人に説いていきたい。それが私に残された人生だと思っております。 |
|
小泉政治は所詮は一過性です。何故しばらく我慢して再起ををかけようと思わなかったか |
|
そういうことができないほど日本が変わっちゃった。昨夜、鶴瓶さんと一緒やって、 |
あんたこの頃NHKで廃村を歩いて地域起こしをしてくれて嬉しいなと言うとったん |
ですけど、ほんとにひどい状態です。再び立ち戻れる状況にならないほどひどい状 |
態なんです。 |
一番ひどいのは山、、そして田畑、日本の本当の治山治水をやって食料を確保して |
国民の基本を守らなくてはならないところが、燃料革命で山の手入れはしない、 |
そして公共事業は悪だと言って止める、或いは食料はいくらでも輸入できるから |
といってついに今、食料自給率は39パーセント。 |
地球の温暖化が進んで食料ができなくなった時、日本人が餓死していく。 |
こういう状況を考えたら今の政策は将来を見極めない無責任な政策。しかしそれ |
に抵抗する政治家が与野党ともに少なくなった。少なくなったのは、ひとつは小沢 |
さんがやった小選挙区制度。お父さんが政治家をやっていて東京で生まれ、東京の |
学校を出てお父さんがたまたま死んだために帰ってそこから政治家になった。 |
そんな人が地方の苦しみなんて分かりませんよ。仕組みも分かりません。 |
だから日本の政治がおかしくいびつになっていくわけですね。 |
この小選挙区制度を小沢さんが言い出して、我々を抵抗派と呼び守旧派と呼んで |
やったこの改革は今完全に失敗している。 |
|
2007年の参議院選挙で小沢さんの民主党が大勝し、結果ねじれ国会となりましたね |
|
これはね、地方をおろそかにした自民党の責任です。農水大臣がコロコロ変わ |
って、自殺する人、最後の投票日の前の日まで絆創膏を貼ってやっておる農水 |
大臣、あれ見たら自民党は嫌だというようになりますよ。 |
だから参議院は大負けしちゃった。それでねじれ国会になってしまいました。 |
これはおそらく早くて6年、自民党が気張っても9年はかかるでしょう。それ |
までねじれ国会ですから。だから何らかの形で連立するか、或いは政策をお互 |
いに譲り合ってパーシャル連合のような形でやらなきゃいけないですね。 |
読売のナベツネ(読売新聞社主・渡辺恒雄氏)さんや中曽根さんが中に入って、 |
裏で安倍君のときにすでに大連立の話はできておったはずだ。れ。 |
小渕さんが小沢さんと会談した後、公邸で3時間後に倒れてしまった。 |
安倍君が最後の辞任のときに小沢さんが会ってくれません、会ってくれません |
と言って辞めていった。二人共いや安倍君は若かったから、まあ命は助かった |
けどね、これ不思議なんですよ。 |
安倍君には大連合で小沢さんと一緒になってこの危機を救おうという話が来て |
負ったと思うんだよ。い |
まあ、細川さんが連立やって小沢さんに引きずり回されてつぶれていったような |
状況を考えると、やっぱり困難な道のりを福田さんはややぶっきらぼうにものを |
言いながらやってますけれども、少し長いスパンでやらなければ私はできないと |
思う。 |
|
次の衆議院選挙の結果次第で新党が生まれる可能性は |
|
ありますね、そうしなきゃ。もうその素地は出ております。 |
|
自民党が民主党と組んで新たな政権を作る際、政党間の価値観の違いは問題にならないか |
|
価値観は民主党に社会党の左派がおるだけで、そんなに自民党と変わるもんじゃ |
ないですよ。だから連立するのには日本の国家をどうするかということで共通 |
点を見つけていかなきゃいけない。 |
このままねじれ国会で3分の2ばかり繰り返しておったら国民は政治から離れて |
しまうし、国家そのものが沈没してしまいますよ。 |
|
ただ2大政党が一緒になればやがては大政翼賛会の復活になるのでは |
|
そうです、そうですよ。僕が一番心配するのはそれですよ。 |
そういうときに強力にガーッと持っていくような指導者が出ちゃったらこれはもう |
大変ですよ。だけどそこに歯止めをかけていくようにしなければいけないと思い |
ます。 |
|
若い政治家に一番注文したいことは |
|
この頃、民主党の若い連中が集まって僕に来てくれというようになってきました |
から、こういう目を大事にしていきたい。 |
|
そういう場でどんなことを語りかけるんですか |
|
君たちが知らない時代の歴史をもういっぺん検証してくれと、中国が戦争が終 |
わったときに戦争の賠償金を要求しなかったから今日の日本の発展があったん |
だということを考えていかなきゃならない。 |
知らないでしょう。中国が戦争の賠償を放棄したのは蒋介石だと思っている。 |
それを35年前の日中国交正常化の調印で周恩来が決めたわけです。だから |
そういうことを検証してくれと。 |
若い人は戦争というたらベトナムか湾岸戦争、せいぜいそこまでしか知らない。 |
アメリカと戦争したんですかと言う人もおるんです。 |
|
そのような思いを一冊の本に残されては |
|
まあ僕が改めてやることはないけれども、今度福田さんが(中国に)行って |
そういう発言をしてくれたら一番いいと思う。 |
我が国がこうして大きくなれたのは国交正常化のときに周恩来首相が賠償金を |
放棄してくださったからですと言うたら、向こうはおそらく日本は海外援助で |
長く無償、或いは有償で協力してくださったからオリンピックや万博を開ける |
ようになりましたと感謝の言葉を言うはずです。 |
こうなったらこうせよぐらいは僕もこないだ行って言うて来た。 |
|
日本が中国に率直にものが言えるようになるには日本側のの歴史認識が大切と |
|
そう、そうです。夕べもフジテレビで元旦の番組に出て言うたんですが、いま |
神奈川の座間にワシントンの米軍の陸軍第一司令部が来るんです。先遣隊 |
がもう来ました。この移動に3兆円日本が出すんです。日本の陸上自衛隊の |
本部も座間に移るんです。 |
これはかつて日本が大陸侵略の夢を見たときに、朝鮮半島を植民地にして、 |
あと中国北東部に満州国を作ってその満州国に東京から関東軍司令部を持 |
っていった、この時と同じ状態が出ているんじゃないかと。 |
私は、歴史は繰り返すと言うけれどもそんな不安を感じてしょうがないです。 |
だから若い人はそういう歴史をもう一度ひも解いてくれと、そして大きな眼 |
(まなこ)で見てくれと。 |
そういう今の日本はとても独立国家とは言えないですね。 |
そりゃ言えないですよ。 |
自民党政権下でアメリカのやりたい放題がずっと続いてきたのはなぜですか |
これは睨まれたら刺されるからですよ。やられるからです。 |
それはどういうことですか |
アメリカに政治的スキャンダルかなんかでやられますよ。日本の総理になって |
ワシントンに最初に行かなかったのは田中角栄、次が安倍晋三の二人なんで |
すよ。田中角栄はロッキード事件でやっぱり貰うたからいかなんだけれどもや |
られた。こういうのを考えるとアメリカは世界の支配国のつもりでおるからね、 |
あらゆるネットワークがあり、CIAの組織がありますから。 |
もし民主党が天下を取って小沢さんがアメリカと距離を置いたら小沢さんも危ないと |
ええ危ないです。だから福田さんは小沢さんに前の湾岸戦争のときのことを言え |
ばいいんですよ。 |
135億ドルの金で協力したんでしょう。100億ドルは分かっているけど35億 |
はドルどこへ行ったか分からへんのだから。そしてそのあと金だけ出すのかって |
言われて海上自衛隊の掃海艇を出した。これは何の法律もなしに出しちゃった。 |
党首討論がどんどん伸びるのは、小沢さんがそれを突かれたらかなわんからだと |
思うんだ僕は。 |
アメリカはその中の話を知っているはずですよ。 |
現役引退後、日本の政治にどう関わっていきたいですか |
やっぱり国家として過去の歴史をもう一度検証して、この国はそういう犠牲の上 |
に今日あるんだということを考え、戦後62年経っても未だシベリアから南方の |
地に100万の遺体が晒されたままになっている問題や中国残留孤児の問題など |
また専守防衛の国としての自衛隊のあり方を守り、再び戦争に巻き込まれる国に |
ならないようにするなど、私は生涯続く限りそれらのことに取り組んでいきたい |
思っています。 |
最後に、政界の権力闘争に勝ち残る条件とは |
政治家として信念を持つこと、ポストに媚びへつらわないこと、そして政治家は運、 |
根、鈍、この三つをきちんとしていかなければいかんと思う。東 |
喧嘩上手も必要ですか |
そりゃ素質という与えられた・・・・僕、世間から見たら喧嘩上手やったんでしょ |
うね。そやけど小泉のわけの分からんワンフレーズには結果的に負けましたよ。 |
でもまだ負けたとは言い切れないのでは |
|
まあ言えないけれども、この頃は僕の言うことが間違いないだろうということに |
なるけれども、それを言うたらお終いやから僕は言わんのだ。 |
ありがとうございました |
すんません。 |
|