「自由のひろば」 選評コーナー

2015年05月 
柴田三吉
 シンプルな作品ですが、多くのことが語られています。まず2行目の〈カチカチと…〉という、編み棒の音の描写が素晴らしいです。同じ言葉が最後でも使われていますが、ここではさらに深い響きになっています。また、90年あまりの歳月にどれほどたくさんのものが編まれてきたのか、という思いのなかに、小さな営みを通して、暮らしの奥行きが描かれています。


南浜伊作
 九十歳を越してなお編みものに精出しているお母さんを見つめ、耳すます娘さんの詩。そのお母さんは、つい最近あいついで姉さんと妹さんを亡くしひとり悲しみに耐えていて、「それでも/きょうもせっせと毛糸を編む」のです。作者の切なさが読みとれます。


熊井三郎
 昔は大家族だった大きな家の「高く暗い天井の下」の表現、いいですね。
この暗い天井の下で日本の家族は営々と生き、暮らしてきたのでした。
 二連の姉妹は、新藤さんのと思ったら、母のだった? 「母ひとり」を「母はひとり」にするといいかもしれません。 
2015年04月 
熊井三郎
 大病院の中の難病の子どもたちの学級。作者はそこで先生役を務めたのでしょう。明日のない子どもたちが懸命に宿題に取り組む様子を描いています。
 全体として淡々と抑制的に書き進め、「ええ、あの子たちは卒業し、/ひとり残らず亡くなりました」とまるで何でもないように語ることで理不尽への悲しみを効果的に演出しています。作品化が図られている数少ない例といえるでしょう。


柴田三吉
 〈卒業〉という言葉が、ここでは死を意味しています。難病の子どもたちにとって、それは辛い運命ですが、作品全体には、ほのかな光が漂っています。限られた日々を輝こうとする子どもたちの力。それが広がりをもって、人間の生に対する励まし、希望となっています。全体が物語のような構成になっており、語り口も自然で、読む者の心に真っ直ぐ届きます。終連の2行もいいですね。


南浜伊作
 書きだしの二行め「のこらず立派に卒業していきました」が、本作品を読みおわってじーんと心に沁みてきます。「生」と「死」の鮮やかな対比が、病院内の特別支援学級の子どもとのかかわりを通して胸内にひろがってきます。残された時間の長くないのを予知し、学習に励む子どもたちのけなげさ。しかし未来へ続いていく「生」のかぎりない流れ、その緊密な時間に向きあった人の思いが伝わってくる詩です。
2015年03月   「なにも終わっていない」   今井くるみ
南浜伊作
 書きだしではハテナと思われるが、読み進むと、あっそうか、広島の原爆ドームの独白だと納得できます。ユニークな詩作法です。今年四月には国連で核不拡散条約(NPT)の再検討会議が開かれます。核兵器廃絶へむけて世界の世論も年々たかまってきていますが、まだ核保有国は「核抑止力」を放棄しようとはしません。核廃絶とともに、その原料の再生産につながる原発にも私たちは反対の声をあげる必要があります。擬人化したドームに訴えさせたこの詩の意味は大きいと思います。


柴田三吉
 原爆ドームの独白というかたちで語られた珍しい作品です。核兵器の廃絶が進まないなか、福島で原発の事故が起こってしまいました。その被害のさまに心を痛める言葉は、どれもリアリティがあります。たとえば〈ニューヨークにつれていってください〉という願いは切実ですね。タイトルのとおり、まさになにも終わっていない。この作品を、世界中の人びとに宛てた手紙として読みました。


熊井三郎
 なんだろうと興味を持って読み進めると、「わたくし」は原爆ドーム、「悪魔」は核兵器だとわかる。中段での「ふるえます」「目頭もあつくなる」は無機物への感情移入なのに胸に迫った。ニューヨークに連れて行ってくださいの終連はナジム・ヒクメットの「死んだ女の子」の訴求を想起させられた。
2015年02月   「大空の平和」    井本正彦
柴田三吉
 三連目からの展開が鮮やかです。子どものころ、恐怖の象徴だった艦載機の爆音がいまも耳に残っている。空はのどかに見上げるものではなく、敵意を持って見上げる場所だった。平和が戻っても、ときおり思い出してしまう辛い記憶。静かになった空を見上げる井本さんの安堵が伝わってきます。空は本来、自由な想像力を広げるキャンバスのようなものですね。〈大気圏外の宇宙のしじまの咳払い〉を聞く、真の静寂を守っていきたいです。


南浜伊作
 空襲にあった体験をもつ人も少なくなりました。米機の機銃掃射に逃げまわった少年の日の記憶は、おそらく消えることはないでしょう。私も鹿児島で、B29の空爆に脅え、爆音を消し急降下する艦載機の機銃掃射に追われ、タコツボに跳込んだのを思い出します。大空の平和は、まさに安心して眺められる青空。思えば嬉しいことでした。第二連の後半三行はない方がすっきりすると思いますが、どうですか。


熊井三郎
 かつての戦争中、敵機の来襲を爆音で察知しようと人々は大空に耳を傾けた。作者はそのことを思い出し、土手に立って耳を傾けるが、平和な空からはなにも聞こえてこない。あれから七十年…大空の平和…戦争が絶えない世界の中で…だからこそ九条守らねばの強い思いが言外に読み取れます。
 漢字・漢語が多いため堅い印象を与えます。最終行の「支えている」はもっと適切な語句はないでしょうか。
2015年01月    「旅路  」   平林健次
熊井三郎
 門司、本土の見納め、全てに別れ(…なんだろう)、台湾の高雄、初めての雪のない正月(…出身は?)、マニラ、二年前米軍追い払い、日本軍が占領(…わかった、これは「大東亜」戦争三年目の正月、召集されて船で運ばれていくのだ)…以下ダバオ、ハルマヘラそして最終の死地ニューギニアへ。通過地の港や熱帯雨林の状況なども簡潔に描かれています。
 亡き叔父の軍歴を見る機会があったのでしょうか、わずか二十そこいらで戦病死した叔父の無念を思い、感慨にとらわれる作者がいます。余分なことを言わずに、戦争のむなしさ、愚かしさを訴える佳篇です。
 題の「旅路」は一般的すぎませんか。


柴田三吉
 古来、戦争こそが人を旅に送り出したのでした。兵員を乗せて出発した輸送船が、占領地を寄港しながら最前線のニューギニアに到着します。寄港地の様子が印象深く描かれ、それが兵士の不安と重なります。最後に、これは平林さんの想像だと分かるのですが、叔父の軍歴の記述が胸を衝きます。このように死んでいった、多くの兵士を思わせる構成になっています。


南浜伊作
 昭和十八年十二月二十三日とは、’43年の歳末、この日に北海道の旭川から南方戦線へ送られた若い兵士の一月余の船旅。寄港先を兵士の感懐として想像し、日本軍がニューギニアへ追加派遣した行程を克明に追っています。この詩は終連の結び三行があって全体が納得できる作品。終連は簡潔必要な詩句を淡々と機械的に記し、若い叔父への深い悲哀を思わせます。
2014年10月    「 西積丹の漁師」   滝本正雄
宇宿一成
 北の海の漁場の寒さや厳しさが現わされています。特に「海と山の不連続線が絡まる冬の怒濤」という表現は独特で巧みです。寒さは痛みとなって血肉化され、厳しい労働には生活感、生命感がみなぎるようです。魚影の薄れた今日も、漁師は極寒の荒海と格闘します。最後の二行がなくても詩として十分に成立します。現在の漁師は原発を睨みながら漁労にいそしむのでしょうが、この二行で反原発の主張を匂わせたことが、それまでのすぐれた描写の印象を希薄にしています。私も反原発の立場に立ちます(ことに川内原発の再稼働が決定的になったことが残念でならないのです)が、この二行は詩作品としては損をしていると感じました。


田上悦子
 極寒の海と漁師の営みの、すさまじい描写に息を呑む思いで読みました。緻密な計算と、連続的な瞬時の機敏な行動が目に見えるように描かれています。年々魚が減少してもその生業を続けるのは、生きるということですね。優れたリアリズム詩です。更に追い打ちをかけるように、地元民は停止中の泊原発に関する様々な問題を抱え、最終二行は深刻。


南浜伊作
 前半の第一連と二連の冬の海の自然描写は迫力があり、リアリティが伝わってきます。第三連は漁師の仕事のきびしさが書かれ、漁労の困難がよみとれますが、前半に比し説明口調にリズムの弛緩が感じられるのはなぜでしょうか。「…ても」が三度重ねられ、センテンスが切れないからではないでしょうか。結びの連の二行は、漁師にとって、もう一つの現実を提起していますが、これで充分かどうか、検討が要るところでしょう。

2014年9月     「枝豆採り」     望月はる子
南浜伊作
 前半二連は父親と山の畑の枝豆採取に行った日の回想ですが、短い対話がそれぞれの言い分だけで、交わらない。すでに亡くなって一〇年、やはり父の戦争体験は聞いておくべきだったと、今思いを深めています。古里の自然の美しさは、それもさせなかったと振りかえっています。説明しつくさず、詩にひろがりを作っています。


宇宿一成
 たった一度きり、父と共にした枝豆採りの記憶は、父の晩年のことなのでしょう。枝豆を採りながら、「本音の語り合いが籠をうめていく」という表現が的を射ています。戦争の話、お父さんはしたくなかったのかも知れませんね。けれど私たちはそれを知っておきたいと思います。二度と戦争を経験しないために。


田上悦子
 さわやかな畑の風景の中で、父と枝豆採りをした平和な日の思い出の詩ですが、年を重ねた父娘の会話に、戦争の体験を語らなかった父と、それを聞けなかった自分の心理を追求しています。戦争と平和が個人にとってどんなものか考えさせる、的確な描写の佳い詩と思います。

2014年8月      「褒められて」    原田志穂 
田上悦子
 目の前に現われた母の遺骨の様子が実に詳しく述べられています。係の$lは、骨を集めながら遺族に骨の状態を話してくれますが、そのことを詩に制作するユニークな詩。身体の声を聴きながら、きちんと生きて来られ、八十九歳十一ヶ月十日まで/一人でどんな遠くへも外出できた母≠ニ、年月日までも書き止める娘もまたきちんと母に寄り添った深い眼差しを感じます。死を間近に「お家へ帰りたい」と願う多くの人に応えられる社会や仕組みをつくりたいですね。


南浜伊作
 火葬場でのお骨を拾う場面の詳しい観察、「係の男性」のサービス精神旺盛な説明に対応する作者の回想で、誇らしい母親の生涯を淡々と書いた佳篇です。結びの三行が利いています。悲しみをこえたユーモアさえ読みとれ、人柄も伝わってきます。


宇宿一成
 百歳を越えて遺骨になった母です。火葬場で、係員からその骨を褒められています。下顎骨の形がきれいに残っています。よく噛んで長生きしたのです。遺骨を見て人柄を偲ぶことができるのですね。褒められてはにかむ母を思って、悲しみの中に作者の笑顔が見えるようです。

2014年7月      「琉球切手」    奥井陸
 宇宿一成
 生活に身近な小さな品が社会の状況を物語ります。郵便切手は歴史の証人です。セント表示の一枚の切手が、琉球の米国による統治を証しています。琉球郵便は沖縄の日本復帰まで続いたのですね。生活に身近な小さな品が社会の状況を物語ります。目の付け所がいいですね。海と陸の境界にあって潮が引くと陸に属し潮が満ちると海に属する波打ち際のかなしみを思いました。


田上悦子
 アメリカ、日本、そして沖縄の関係が一枚の切手に表れていることを深く読みとり、一時期の沖縄の情勢を写す2¢と5¢の額面の切手のすがたを克明に描いた大切な記録詩です。どこかの国の為の犠牲ではなく、沖縄自身の平和と幸福の為の存在でなければなりませんね。昔、武力を持たずに貿易国として栄えた時代が長く続いていたのですから。最終連に、発行された切手と、出さなかった切手に琉球人の願いと強い意志がしのばれます。


南浜伊作
 「「琉球政府」という/日本の国でもなければ/アメリカの属州でもない」政体が24年間出しつづけた2セント切手と5セントの記念切手について書いた詩。一九六〇年以来、平和憲法下の祖国への復帰運動をねばりづよく続け、やっと27年ぶりに施政権返還を沖縄県民がかちとったのが一九七二年でした。そうした沖縄の政治状況を振りかえり、深い思いをこめた詩です。対象を切手に絞って書いて成功しています。
2014年6月      「風」    木桃花 
南浜伊作
 木枯しの一瞬に、いわば季節の変わりめに遭遇し、意識させられた瞬間としてうたっています。自然の変化を全身でとらえ、自分も思わず共振した瞬間を「季節を送るいとなみ」として表現し、第三連の明るい透明な空気を書いた一行が活きています。第四連では一瞬の風を時の流れに置きかえ、それを終連では繰返されてきた「別れの儀式」と定式化し、永遠の歴史に流れこませる感性はすばらしい詩作の力倆だと思いました。


宇宿一成
 高みから畳み掛けるように舞う枯葉の運動感にまず引きつけられます。それは、風と木の、約束された別れの儀式、季節を送る営みだというのです。中ほどに置かれた一行、日ざしの中に透き通っていく空気が、きらめくようで美しい。短章の中に大きな季節のめぐりの物語があります。分かりやすく、表現力も高い作品です。


田上悦子
 季節の変わり目の情景を儀式≠ニとらえた気付きがこの詩を深いものにしています。両手をさしのべ∞立ち会った′オ粛ないとなみに心が引き締まります。風と落葉高木はよく詩われますが木桃花さんの視点はユニーク。自然破壊文明に対して終連は大切です。