第6回

★★ 出会い、楽走、交流 (1999年10月17日) ★★

枚方市役所牡丹RC 森西正夫

今回で6回目の参加となった四万十川ウルトラマラソン大会。昨年は右足膝半月盤損傷のため不出走、一昨年は62キロリタイアと、三年ぶりの完走をめざして、気合を入れのぞんだ。10月17日、午前3時起床、昨夜は11時過ぎまで兵庫県の久保井さんや「くいしんぼ」の花岡夫婦と飲んでしまい、少し胸のほうのむかつきを感じる朝だった。走る準備も整い、巡回バスに乗り込み蕨岡中学校へ向かう。

4時半すぎ蕨岡へ到着。 スタート地点のかがり火がいつもながら「これから始まるんだぞ」とランナーの気を奮い立たせてくれる。川口君とそろって澤田中村市長に挨拶。知り合いがいないかと、会場に目をこらすと、いるいる「おなじみ」の顔がたくさんいるではないか。北海道別海町の品堀甚一さん、中村繁男さんとは昨年6月以来の再会。今回は招待選手だそうだ。

★枚方市代表選手の活躍

最後まで仲睦まじく・・嶋渡祐三,和子夫妻

選手宣誓を務めた松岡陸さん

●金城守和君・比嘉和子さんとの出会い

今回は中村市の友好都市から招待選手が参加し、沖縄県名護市からは2名が。会場で話をすると比嘉さんは北部長距離走クラブ所属というではないか。そのクラブの会長は昨年の那覇マラソンのときに、私が大変世話になった小濱守好さん。なんという奇遇だろうか。二人とも100キロははじめとのこと。非力を省みず、「伴走」役を申し出た。

●スタートは切られた、押さえおさえて峠の頂上までは

午前5時30分スタートは切られた。列のほぼ中間の位置どりにも関わらず、みんなのスピードは早く、どんどん抜かれていく。でも、いいのだ。後半になって逆に追い抜いていくんだからと、自分を納得させる。比嘉さん、金城君も快調,快調。比嘉さんはフルで3時間30分の実力の持ち主、金城君もフルトライアスロンで11時間台のツワモノ。 自分のほうが途中で置いていかれるのでは、とさえ思った。 気温は10度くらい。どうやら雨の心配はなさそう。13キロ地点の竹屋敷地区の応援は毎年盛大。私の仮装と胸の「枚方市牡丹RC」のプリントにひときわの声援がうれしい。  

16キロ地点から勾配がきつくなる。21キロまでの約5キロ強を「攻めの歩き」(私はこう命名しているのだが)も入れながらじりじりと堂が森の峠の頂上をめざす。比嘉さんはマイペースのランで先行することとなる。頂上1〜2キロ手前で視界がひらけるのだが、はるか眼下の今通ってきた道を眺めると「よくもまあこんな急な坂を」という感じである。

●四万十川支流の渓谷美、そして森林浴

峠の頂上からは35キロ地点まで一気に下り坂。しかし、ここで飛ばしてはいけない。飛ばすと後でとんでもない落とし穴に落っこちることになるから。金城君に自重を促す。2、5キロごとの給水をどうするかが四万十川の一つのポイントだと考えている。2、5キロごとでいくと40箇所の給水ポイントになる。1箇所1分でも40分、2分なら80分という風に意外と時間を食うものだ。前半はまだしも、62キロのレストステーション(西土佐村カヌー館)以降は否が応でも立ち止まる時間が長くなることを考えれば前半はできるだけ短くしたに越したことはないのだ。

30キロ地点、野々川が四万十川本流に出会う地点までは、まさに渓谷美と森林浴を楽しむランとなる。例年は無視して通る涌き水も、今年は二人に説明し、試飲を勧める。 「おいしい」が、思ったほど冷たいものではない。

●42キロ地点を4時間50分で通過、語らいながらのランは歩を進める

40キロ地点手前小野大橋付近に中村市役所駅伝部の谷口君夫婦が子供さん連れで応援に来てくれていた、本当にうれしかった。この付近で60キロスタートの合図の花火の音を聞く。 午前10時スタートだから、私たちは4時間30分を経過していることになるわけだ。

途中トイレ休憩の比嘉さんを追い抜き、金城君との併走が続く。彼に調子をたずねる。足はそうでもないのだが、おなかの調子がわるいとのこと。どうやら下痢気味らしい。 

50キロ地点、名物の半家(はげ)の沈下橋を通過。 短いが勾配のきつい山を無理せずに歩いて越える。スタートからコースの説明や、自己紹介に始まり、自分の今までのランニングや旅行の経験を話する。金城君からも仕事の話や、家族の話、トライアスロンの話などたくさん聞かせてもらう。

人によるのだろうが、私は話をしながら走るのが好きだ。なぜなら、気がまぎれるし、見聞がひろまるから(相手によっては迷惑な場合もあるかもしれないが)。

●無事カヌー館到着。あと38キロ、気を取り直して出発だ

62キロ地点西土佐村のカヌー館がレストステーションになっている。少し腿が張り出してきたのと、腰がだるくなったとの金城君の言葉で、ストレッチとマッサージをやることにした。わたしの素人マッサージがどれほどの効果があったかはわからないが、枚方体育協会の山本さんが私にしてくれたマッサージは良く効いた(ありがとうさんでした)。約20分の休憩でかなり元気を回復、おにぎりも3ヶほどぱくつき(味噌汁がおいしかった)、エネルギーも充填させ気合を入れなおして出発だ。制限時間には2時間30分ほどの貯金が有る。しかし、四万十川はここからが勝負どころ「ここまで来たか」は禁物、「ここからがスタート」の気持ちで臨まなければゴールができないことを過去の経験が教えている。

●83キロ地点で金城君と別れる、90キロ地点からのデッドヒート

カヌー館を出てコースは国道と併走のやや単調なコースとなる。80キロ地点はまだしも、そこからがつらいところだ。金城君への話のネタが枯渇気味となる、自分自身の疲労度がふかくなっていることが分かる。金城君もだんだん無口になってくる、80キロくらいからはスピードダウンの兆候が。当初の公約どおり80キロ地点までは保証するの言葉どおり約10時間の連れもってランが終わった。彼はきっと帰って来ることができる、そんな自信があった。83キロからは単独行となる。

90キロ地点までは比較的楽に走れた、前半セーブしたおかげか。後10キロの地点で「歩いてでも完走できるさ」と思った瞬間から、身体が重くなり始める。2〜300メートル歩いてまた走る。そんな変化を入れてみた。しばらくして「もりにしさーん」の元気な声が、なんと別海町の品堀さんではないか。まさに猛牛現るの図である。さっさと追い抜いていく(しかし又抜き返すことになるのだが)。しばらく行くと、こんどは中村市役所の小野彰さんが四万十ランナーズの選手と歩いていく横を私が追い抜いていく(ゴール寸前では抜きさられるのだが)。そんな「デッドヒート(?)」を楽しんでいた。

●やはり完走はいいもんだ、打ち上げの酒もうまい

ゴールまで後700メートル、中村高校ヘつづく坂の頂上にわたしたちの宿「寿吉」がある、その前で待ってくれていた、師匠中道さん、三宅さん、寿吉のオーナー花岡謙介氏や阪口さん、稲垣さん。 

12時間25分04秒でゴールイン! 3年ぶりの完走はやはりうれしい。ゴールで品堀・小野・私の3人で記念撮影。 打ち上げは寿吉1階の「大広間」で、私たち浪速走人お気楽ツアー(私、川口、三宅、中尾、中道)一行、中村市役所駅伝部からは谷口夫婦、岡田、松岡夫婦、その他同宿のひと達とも「渾然一体」状態。 テーブルに並べられたご馳走の数々。例年ならば味わう先に酔いつぶれているのだが今年はわりに、しっかりと食べていたように思うが、最後は常のごとくいつのまにやらダウンしていたようだ。

書き出すときりがないので項目にととめるが、ほかにも書き記しておきたいことがたくさんある大会だった。

「大正町無手無冠の酒蔵見学」,「くいしんぼママあけみちゃん60キロ完走」,「天神橋商店街での心温まるウェルカムパーティ」,「兵庫県みかた残酷マラソンの仕掛け人久保井さん」,「やはりフェリーはいいな」,「がんばった枚方の招待選手」,「四万十川河口付近」,「トンボ公園」,「幸徳秋水のお墓」

浪速走人お気軽ツアー一行の成績
★60キロの部 三宅善行 5:39:00
★100キロの部
中道進武 10:11:19 中尾雅彦 12:28:06 森西正夫 12:25:04 川口浩次 12:45:16

★100キロの部
嶋渡祐三 10:11:39 嶋渡和子 10:11:38 松岡 陸 11:08:04 品堀甚一 12:23:26
中村繁男 13:33:03 小野 彰 12:24:33 金城守和 12:44:20 比嘉和子 13:29:58
大野安男 12:48:20 吉田知之 10:50:17 金子美恵子 13:39:17 永田 宏 10:52:33
岩井 陽 10:11:00


← 6:38:01・・物凄いタイムで優勝した
高槻の内芝修司選手

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