第9回トライアスロン珠洲大会

1998年8月23日 〜 トムおじさん(松村壽良)
海底の砂は、灰色がかった粒子の細かい感じだった。
誰もまだ歩いていない、風紋がきれいに残ったままの砂丘をそのままそっと海に沈めたかのように、小気味よく並んだ小さな砂の波が沖合へと続いている。
海が澄みきっているせいか水深が解らない。灰色がっかた砂の波が、だんだんとその明るさを消していくのは、やっぱり夏の太陽の光が届かなくなってきているせいなんだろう。
とうとう,その美しい波打つ風紋は、青黒い海の底に沈んでしまった。
「トムおじさん!、もう150mのブイを過ぎてるで!。美しいからと言って海の底ばかり見とれてたらあかんやないの。レースはとっくに始まってるんやで!。」 
「そや!わては海水浴に来てるんとちゃうんや、トライアスロンのレース中なんや!。」
コースロープぎりぎりのあたりは、以外とバトルに巻き込まれずにいいスタートが切れたもんで、つい海底の景色に見とれてしまっていた。
スタートから300m地点(いや海点と言うのかな?)に来ると5分前にスタートした第1ウェーブの最後尾の集団に追いついた。 
「ごめんやっしゃ!ごめんやっしゃ!。」と優しい言葉をかけながら、左手で前を泳ぐ人の足を「ぐいっ!」と引っ張り、右手でとなりを泳ぐ人の頭を「ズボッ!」と沈めながら、なんとかバトルを乗り切った。
   
だから言うてましたやろ、「このおっさんの近くで泳いだら蹴られるでー」って。
一人になったトムおじさん、又海の底、見ながら泳ぐもんで、あっちにふらふら、こっちによたよた。
それでもなんとかスイムゴール。「あれ!とっくに30分過ぎてしもてわ・・」
ま・・実力から言ったこんなもんでしゃっろ。
えーと、次はランニング・?。ちゃうちゃう、トライアスロンは、3個違ったヤツせなあかんねん。そや、自転車に乗らなあかんねん。中西師匠、直伝のバイクやで、しかも今日は決戦用チューブレスタイヤや。メイドイン:フランスや言うてたなー。
ウエットスーツをぬぎすてて・・・、あわてたらあかん、海パンがずってるやないの、みっともない。
日除け止めクリームは塗ったし、靴下もはいたし(松崎君が言うてたなー、勝ちにいくトライアスリートはそんなんはいてたらあかんでー特に5本指の付いた靴下は)バイクは初心者し、おとなしーにに行こっと。
バイクは、自分の力だけでなく、マシンの調子にも左右される。
出発の前日までブレーキの調整に手間取ったしタイヤの張り付けも初めてのことだった。 不安だらけのバイクスタートだったが、なんとか空気も抜けてないようだし、ブレーキも効きは甘いが、減速は出来そう。
パッド付きの海パンをはいたトムおじさん、もう競輪の選手になりきっている。ゼイゼイいいながらなんとか追い抜かれることなく懸命に飛ばしている。いいペースで走っている前走車に追いつくと、後ろについて楽ちん走法。
(こんな走りをレースですると違反らしい、まっ、初心者なもんで大目に見てくれやっしゃ)
上り坂もふらふらしながら、なんとかついていく。峠を越えればこっちのもんや、一気にまくりをかけて前の車を追い抜いていく。だってブレーキほとんど使えへんもん。 コーナーリングは任せといてとばかりに、若者達さえ追い抜いていくのは気持ちがいい。「こんかい、こんかい!。」
やがて海岸沿いの平坦な道にとコースが移る。身体を丸めて、海からの風をさけながらペタルを回す。 前方にハイレグの女子選手発見、思わず足に力が入るこのまま後ろについて走ればどんなに楽しいか、そうもいかない。 
今回は勝負にこだわるのだ。 自転車でぜいぜい言いながら走るのはいやだけど、頑張ろう!。
静かな民家が建ち並ぶ通りに入るとスピード感がある。
冬は雪が多いせいか、やや傾斜のきつい屋根には雪止めの付いた黒っぽい艶のある瓦が葺いてある。 夏の終わりに近い太陽だが、まぶしさは、真夏のそれと変わりない。そんな光を受けて黒瓦がきらきら光る。海に近いせいか壁は板張りの家が多い。きっと塩風に強い材質のものだろう。 そんな家々が、あっという間に後ろに飛び去るのは気持ちいい。
2周目にはいると、やはり少し疲れが出てきた。上り坂ではまだまだ元気な若者達に追い抜かれていく。でもなんとか下り坂ではコースに慣れたせいか、1周目よりスピードを上げて遅れを取り戻す。 「同年代のおっちゃんには抜かれへんで!!。」
ようやくバイクも終わりに近い。再び海岸ぞいの道にかかると、火照った身体をすり抜ける潮風が心地よい。
「がんばってー!。」コース沿いの民家の日陰になった軒下で、古い木製のイスに座った年輩の女性が、声をかけてくれる。うれしい。 元気が出てくる。
さあいよいよラストのランだ。自転車では転ぶこともなく、チェーンも外れることもなく、よくここまでこれたもんだ。
トムおじさんの決戦用シューズはスカイセンサーなのに、今日も又シューズ袋を開けずに手触りだけでこれだと持ってきたらターサーでした。この靴はフルマラソン用にとっておいたのに。
いつまでたってもおっちょこちょいなんだから。
  
思ったより(足さん)元気みたい。
(ショートの時はまずスピードを上げてランに入る)と梅野君にもらった「トライアスロンが強くなる本」に書いてあったっけ。(足さん)はその教科書どうり結構スピード上げて行くけど、循環器が付いていけない。酸素が足りないよう〜。ゼイゼイ。
 
上り坂が苦手なトムおじさん、今回は走法を変えて、はや歩きのようにほとんど蹴らずにチョコマカチョコマカ昇っていく。 意外といつものように置いて行かれることなくなんとか付いていける。
下りは思いっきり飛ばす。どんどん追い抜いていける。いいぞ!いいぞ!。
日差しの強い平坦な道に道になると、なにか目標を決めないとスピードが落ちる。前走者を見つけるとあのおっちゃんは50歳以上や、彼を抜くと入賞かも?・・・。
少しずつではあるが距離を縮め、やがて併走。100M位一緒に走って息を整え一気に引き離す。 ええがな、ええがな、勝負している感じや。
そんなふうにいいレースが出来ているのに、プロポーションのいい女性が前を走っていると追い越すまでに時間がかかってしまう。切れ上がった水着からのびる鍛えられた肢体に見とれてしまうからだ。「あかん、あかん、いつもの悪い癖や!今日は勝負やで〜。」この世には教祖様以上に美しい肉体など存在ないのだ。
給水も止まることなく、紙コップを水しぶき飛ばしながらゲット。うまくいった、その調子や!。 シューズは水に濡れてやや重くなったけど、筋トレで鍛えた大腿4頭筋はそれを苦にしない。
ゴールまであと1K位の所で、後ろからピタピタと足音が近づいて来る。いやな感じ、「今更追い抜かんといてー」。そんなトムおじさんの思ひも気にせずに前に出てきたのはまだまだ元気そうな20代のオレンジ色のランシャツの男の子だ。
「しゃあーない奴っちゃな。であきらめへんで。わては、昨日ビール大びん3本開けたんや、エネルギーはまだまだあるでー。」
ゴールが見えてきた。男の子のスピードが上がる。 引き離しにかかったな。
「よしゃ!トムおじさん得意のラスト100ダッシュを見せてやる!」。 
50Mほどで抜き返した。心臓が限界にきているのが解る。後20M位心臓止まったままで走ったるでー。
ゴール!ゴール!!。 
「松崎君〜、はよ帰ってこんかい。ビール飲まれへんやないかい。」
暑かったあの太陽もようやく西に傾いている。表彰パーティー会場前でやっと速報記録集が配布され始めた。
「松村さん!年代別1着やで!!。」
松崎君が記録集を左手に、缶ビールを左手にしながら、これ又ホタテの磯焼きを肴にロング缶ですっかりできあがっているトムおじさんの所にやってきた。
 
「ほんまかいな??。」「ほんまやでー、松村さんより上には50代はいてへんもん、絶対1着やて。」
「へー。そらラッキーや!。」
会場でもらったトロフィーには「優勝」の文字がくっきりと刻んであった。 うれしかった。 
賞品は(音のしない静かな掛け時計)(珠洲特産日本海のモズク)(海の幸詰め合わせ)(珠洲名産トコロテン)まるで結婚式の引き出物のように紙袋いっぱいにもらって幸せ!幸せ!。
2人は酔いを醒ましがてらに、今日のレースコースをゆっくりと1周した。 
夕暮れが近づいた黒瓦の町並みも、濃い緑の山間の峠も、潮風を運んでくれた海岸通りも、レースの終わった静けさだけが残っていた。
あの風紋の付いた砂の波を沈めた西の海には、赤く・・赤く・・、大きく・・大きく・・、燃え尽きそうな太陽が今、落ちていく・・・。 
「ありがとう珠洲の太陽!。」 「たのしかったよ珠洲の海!。」
「さようなら日本海!・・・・。」