初マラソン 高田伸昭・・お見事第2位!
(公認男子:2時間28分58秒)
澤村佐登美:公認女子第4位・・タイムはナイショ

2001篠山ABCマラソン(3月4日)

↓力作です・・とくと御覧あれ!

「篠山奮闘記」 by 清水健一

・・・意識がしっかりし始めて最初に瞼に映ったのは両手に握り締めていたアルファベットで水色で「Soda」と書かれた飴玉の文字であった。私は意識朦朧とし、医務テントの中で毛布をかけられ、腰掛けていた。体に痛みと、嘔吐感がしたが、そんな事はどうでもよかった。「ホンマ世話のかかる子ばっかりやな〜」と聞きなれた声が尾坂かずこさんのものである事を認識するまでに幾秒かの時間が必要であった。

テントの中の係員にもう少し横になって休む事をすすめられたが、一時もその場で立ち止まっていたくなかった私は、毛布だけを借り、それを覆い旅館まで戻る事にした。色々な感情や言葉が私の脳裏をかすめ、自問自答しながら、覚束無い足取りで旅館まで歩きだした。さほど大きな声ではなかったが、その時の私には頭には大きく響く放送がなり響いていた・・「登録男子入賞者の表彰を行いますので・・」

チームメイトの高田伸昭は堂々の2位でゴールしていた為、大観衆の前で名前を呼ばれていたのだ。彼にとっては不本意なタイムであったであろう。しかしその日のコンディション、初マラソンという事を考えれば十分素晴らしい結果であったと思う。

その時私は自分がなんてちっぽけな人間であろうと思った、彼は十分に練習に取り組み結果を出した。自分は十分な練習をせず、結果が出せなかった。至極当然の事である。もしこんな私が良い結果を出していたのならば、一生懸命やってきた人達に申し訳無いと言うものである。

だがこともあろうに私は、いつも練習を共にしているチームメイトの入賞をその時素直に心から喜べずにいた。なんて愚かで心の小さな人間なのであろう。自分の結果はともかく本来は心から祝福するものだ。「悔しい」何度も繰り返し脳裏に浮かぶその言葉に私は自分で問い掛けた。「何が悔しいねん、お前は悔しがる程の練習をやってきたのか??それが今のお前の力じゃ、才能も無いくせに練習もせんと悔しがるのも間違っているわ」と頭の中で誰かが言った。正論であった。



・・3/4日曜日、「ABC篠山マラソン」当日、私はいつに無く緊張していた。普段あまり本番前に緊張する事は無いのだが、かなり緊張をしていた。が、それをチームメイト達に悟られないように振舞った。「緊張して無口」自分のキャラとは程遠い物であると理解しているからである。年に1度の大イベントなのであろう、篠山の町は活気付いていた。たくさんの出店で賑わい「マラソン大会」と言う名のお祭りなのだろう。お祭りは走ってからだと心に思いウォーミングアップをはじめた。

スタートと同時に一斉に飛び出したランナーに観衆の声援が割れあがった。私は前回を教訓に幾分遅いペースで走り始めた。上空にはヘリコプター、沿道には歓声、空は朝の雨が嘘の様に上がり、幾分の寒さを感じるだけで、コンディション的にはどちらかと言うと
「好き」な方であった、

5キロを予定通り17分40ほどで通過するまでの間にチームメイトの下水流に足の裏を2回ほど蹴り上げられた。いつも思うのだが彼は普段口に出来ない恨みつらみを試合になると「後方からの足裏キック」で晴らしているのだろう。一応年上である私にいつも気を使っているがテンションが上がる本番では前を走るこの「小っちゃいおっさん」が鬱陶しいのであろう・・・私と下水流は第3集団の後方に位置取り、ムキに追いつこうとせずそのペースを保ちながら徐々にその集団に追いつくことにした。それよりはるか前方の先頭集団に高田伸昭の姿はあった。全国にパトカーに追いかけられる人間はたくさんいるであろうが、「パトカーを追いかける人間」はそうはいない。彼はパトカーを追いかけていた。

暫くし私達は第3集団に追いた。その第3集団が第2集団に追いついた時、異変が起こった・・明らかにペースが上がったのである。5キロ〜10キロのラップは17分8秒、約30秒のペースアップであった。沿道に黒い牛を連れて応援をしている人を見つけた時私は後半の事を考えペースを少し落す事にした。暫くしある事に気がついた「下水流に蹴られない!!」。彼は私より更にペースを下げ、遥か後方を走っていた。前後共に私から1分近く離れていた。そこから約10キロ強は1人旅であった。本来自分ペースを把握していない私にとって頼りになるのは沿道の歓声と篠山の長閑な景色のみであった。

ハーフを1時間14分40秒で通過した。予定より1分程早いタイムであったが苦しくはなかった。その時に多少の嘔吐感はした物の、走る時には何の支障もない物であると認識したのだが、23キロ辺りであろうか、胸に何か突っかかった異物感を感じ・・「ゴボッ」とゲップした。その時空気と一緒に少量のバナナがでた、昨日の物か、今朝の物?、それとも本番直前??何にせよ生協で220円で購入した物に間違いは無かった。そこからは気分が悪くとりあえずペースを落した。

意図的ではなく自然に落ちて行った折り返しより数キロ手前だろうか下水流に追い抜かれ、声をかけられた・・どーでも良かった・・。折り返してくる高田伸昭を見た時、彼は微笑んでいる様に見えた。「無我の境地」と言うよりも浜辺でイチャついているカップルが彼女を追いかけている時に見せるような顔をしていた。

足の痛みも相当きていたが、とりあえずトイレを探す事にした。尾坂さんに抜かれた時、抜き際に「おつかれさん」と声をかけられたがいつもゴール後にチームメイトからかけられる「お疲れさん」とはちがう意味である事はすぐ理解できた。異臭漂うトイレで、悪臭漂う固形とも液体とも言えない物を体内から放出し、汗が引き何とも言えない寒さが体を襲った。

「あと7キロ」の看板を見て、ゾッとした。いつもなら普段から当たり前の様に走る距離であるが、その時の私には長い道のりに感じてならなかった。まさに「終わりの見えないゴール」であった。

それ以降走っている事は覚えているが、どのようなコースで、景色で、何があったか、時間は??・・全く覚えていない。完走はしてやると何回も呟いていた。「友達1位やで」と言う沿道からの言葉が何度も聞こえてきた。皆はどうであったであろうか?澤村さんにはもう抜かれたのだろうか??そう思いながら走った。ゴールしたとき、最悪なタイムにも関わらずなぜか少し嬉しかった。記録証を貰っていないので定かではないが3時間9分〜10分が私のゴールタイムであった。気がつくとどこで誰に手渡されたのだろうかアルファベットで水色で「Soda」と書かれた飴玉を握りしめていた・・・


レース終了後たくさんのチームメイトに「体調悪かったから」だの「実力ではない」だの嬉しい言葉をかけてもらった。本当に嬉しかった。時間が経つに連れてチームメイトの素晴らしい結果にも喜びを感じた。だが、私の今回の結果は紛れも無い実力であると思う。ただ「力不足」。それだけである。マラソンは他の種目とは違い、付け焼刃という物が通用しないという事を痛感した。私が帰宅後1番にした事はそれは直筆サインの練習であった事は言うまでもない・・・

前夜の土砂降り、照りつける太陽、吹きすさぶ向かい風・・よくわからん天気の中で行われた「篠山マラソン」。雨に祟られなくて良しとすべきでしょうか・・。

下水流寛之 2:39:56・・スン〜〜バラシイ!
尾坂圭一 2:57:41・・またまた出直しです。

今日はここまで・・記録等 後日追加します(予定)