〜 それぞれの福知山 〜

story by 清水健一


物語は清水健一が勝手な妄想で書いた物です。決して全てが真実ではありません。
登場人物を年齢に関わらず呼び捨てしている事を深くお詫びいたします。



2001年11月23日

高田伸昭は心地良い緊張感の中スタートの銃砲をラインの最前列で待っていた。広島から大阪に出てきて約1年半が過ぎ、大好きな女遊びも控え「仕事と練習」に明け暮れる毎日を繰り返していた。目標の福岡国際マラソンに出場するには2時間26分を切らなければならない。この「福知山マラソン」の為に数ヶ月間練習してきたのだ。雨の日も風の日も・・知人からの遊びの誘いも殆ど断っていた・・ただ1度の芋掘りを除いては・・・

スタート10秒前、ざわついていた約8千人の選手と沿道いっぱいの観衆が一瞬の静寂の中に包み込まれた。高田の1番好きな一瞬である。全ての人々がスローモーションに見え、心臓の鼓動が聞こえる。スタートラインぎりぎりに左足を突き出し、その膝の上に左手首を置き、右人差し指をナイキの時計のスタートボタンに軽く添えた。
銃砲と花火と共に静寂は地鳴りへと姿を変えランナー達はいっせいに福知山の山路を蹴り始め、高田は力強くスタートボタンを押した。

高田は始めの5Kを約16分30秒で通過した。予定より30秒以上速いペースである。約10名程で形成されていた先頭グループは地元では名の知れた強者ばかりが集っている。その中にチームメイトの岩下真介と清水健一の顔も見る事が出来た。岩下はまだ若いが大変な努力家で最近みるみる力をつけている高田が恐れる人物の一人である。彼女のいない高田にとって最近年下の彼女が出来た岩下に負けると言う事は許される事ではなかった。もう1人のチームメイトである清水は高田より3つ年上である為一応敬語は使っているのだがはっきり言って社交事例の敬語であって尊敬から来る物ではない、それに正直あまり清水の事は好きではない。うるさいからである。そんな清水に負ける事もやはり許される事ではなかった。風邪気味の清水は「最後まで着いて来れるわけ無い」そう思うのだが岩下の存在は少し怖かった。と言っても高田の「怖い存在パラメーター」の中では6%程度の物であるのだが・・

一方、高田達先頭グループから少し離れた集団に近藤康由と白川康平の自称「爽やかコンビ」は予定通りのペースを保ち、快調にタイムを刻んでいた。スタートから数キロ地点で1度降り返す地点がある。近藤と白川はそこで先頭グループの高田、岩下、清水を見つける事が出来た。「清水君もこりひんやっちゃなぁ。またあんなにとばして」
近藤は心の中で失笑した。長期のスランプから最近ようやく抜け出す事ができ、体調も悪くは無かった近藤は念願の2時間半切りを狙っていた。一方の白川も最近調子を上げてきているチームで1番「笑顔の素敵な男」と噂される好青年である。長い距離を一定のペースで保つことには定評がある。白川もまた高田と同様毎日仕事と練習に明け暮れていた・・ただ1度の芋掘りを除いては・・・「清水さんたぶんあれじゃつぶれるな。追い着くのも時間の問題やな。」と白川もまた近藤と同様に清水の結果を予測しそして失笑した。


10k地点を越え、高田は先頭から数10メートル離れた2番手に、そこから更に数10メートル離れた所に岩下と清水が位置取っていた。沿道の声援に手を上げる岩下とは逆に沿道の人々を見る余裕すら無い清水は自分の専売特許である「声援に応える」と言う行為を岩下に見せつけられ悔しい想いをしていた。逆に岩下はいつもの様に元気の無い清水に気兼ねすることなく自分のペースを保った。「清水さん辛そうやな。これはそろそろ落ちはるなぁ」

皆の期待を裏切ることなく15キロ地点で減速し始めた清水の脳裏にオフコースの名曲「さよなら」のワンフレーズが浮かんだ「もう、終りーだねー♪」と何度も繰り返し、響き続けた。切なく悲しいバラードだ。清水とてこの数ヶ月何もしてこなかったわけではなかった。昨年よりも距離を走り込み「ハーフまで」と言うレッテルを貼られない様にこの「福知山」にかけていた。2時間半を切り真の東京国際の資格がほしかったのである。数週間前に練習量が少ないのでは?と不安になり距離を増やしたのである。結果疲れの為か風邪のウィルスに勝てず前日に点滴を打っての出場となった。只それが言い訳でしかない事を清水自信も十分理解していた。スタートラインに立てば条件は皆同じなのである。

何度も鼻をかまれた赤い手袋は汗と鼻水で濡れ、手袋としての機能は既にはたしていなかった。折返し地点の数キロ手前清水は相変わらず快調にとばす高田と擦れ違った。考えて見れば彼より早く折り返したレースは今まで一度も無かった。恥ずべき事である「負け癖」がついているのだ。頷く事もままならない清水に反し「ファイト!」と声をかける高田。強者と弱者の典型的な姿である。「清水さんには悪いけど、僕はまだまだペースをあげますよ」と高田は呟きながら流し目で清水を見た。


近藤と白川が果敢に第二集団集団についている岩下とすれ違ったのは折り返し地点のかなり手前であった。しばらくし明らかにペースダウンした足元がおぼつかない清水と擦れ違った。二人は確実に1つは順位が上がる事を確信した。まだかなり余力のある白川に対して近藤の顔には少し疲労の色が出始めていた。何度も「駄目だ」と思うがその度に愛する妻と幼い2人の子供の顔を思い出した。家族の為にもここで減速する訳にはいかなかった・・

今年オープンしたばかりのディズニー・シーに娘が連れて行ってほしいと言ったのは10日前の雨の降る夜であった。とある番組で特番が組まれていたのである。しかし子供2人を東京に遊びに連れていくほど十分な小遣いを与えられていない近藤は妻に相談したのである。近藤の一途なマラソンへの姿勢をいつも見守り続けた妻から思いがけない提案がなされた。「もし東京国際の資格が取れれば応援も兼ねてディズニー・シーに行こう」と。家族が1つになった瞬間である。失速は許されなかった。

近藤と同じ集団で走る白川もまた失速できない理由があった。週に一度仕事帰りに簿記検定に合格する為に学校に通っているのだが、クラスメイトの3つ年上の女性に恋をしたのだ。あまり女性と話すのが得意ではない白川は自分の想いを打ち明けられないでいた。何度も心見るのだがどうしても目を見て話すことが出来ないのである。つい彼女の豊満な胸に目が行ってしまうのだ。しかし数日前遂に彼女に想いの丈を打ち明けデートに誘った。「週末に福知山マラソンに出場します。もしベストがでたら一緒に映画に行って下さい」ベタな誘いにも関わらず彼女は
ニッコリ微笑んだ。失速できるわけが無かった。

折り返して数キロ二人はある事に気がついた。清水の姿がまだ見えないのである。「復活?」いやいやそんな訳がない。清水はその頃簡易トイレでしゃがみ込み、うな垂れていた。


33K地点を過ぎた時、高田は賭けにでた。ペースは予定よりもかなり速い、しかしここでペース上げないと1位になれない。沿道で応援している恐らく18歳ぐらいの女の子の集団が高田を見て、お互いに顔を見合わせながら呟いた。「はや〜い!!」高田のペースは上がった。それは高田のスピードをトップギアに入れるには十分すぎる言葉であった。「そう、俺は速い」と心で何度も叫んだ。コーナーポストでロッキーが「俺は強い。」と何度も呟いた様に・・・高田が先頭に追いつくのにそう時間はかからなかった。加速しつづける高田のスピードは沿道の人々が確認出来ない程になっていた。「このまま走ってたらオービスに引っかかるんじゃないだろうか?」と高田自信もそう思うほどであった。

残り1キロの文字を見た時彼は勝利を確信した。同時にゴール時に撮影されるポーズのシュミレーションを繰り返し行った。「上げるのは右手?左手?」「コメントは何て言おう?」好きなあの人に告白をしようか?」披露の表情は笑みえと変わって行く。凄いスピードで妄想しながら微笑み、息をきらしながら先頭を走る。はたから見れば多少気持ち悪い絵かもしれないであろうが構わなかった。最後の上り坂に差し掛かった。沿道に群がる数百人の観衆の視線は全て一点へ、自分一人へ向けられているように錯覚した高田のテンションは最高潮へ達していた。心肺機能の限界は既に越え、見えない何かが背中を後押しするかのように、勢い良く歩を進めた。ゴールテープが見える前に数台のカメラの確認をし、自信の身だしなみも確認した。「OK。いけててる、男前」ナルシスト気味に問いただし、左腕を天に突き上げガッツポーズを決め誇り高く優勝のテープを切った。彼しか見えないスポットライトを浴び福知山の晴天に向かい「ありがとう」とそっと呟いた。数ヶ月の孤独な戦いは報われたのである。高田が一番輝いた瞬間であった。視線は既に福岡に向けられていた。


岩下の両足が自分の物とは思えない程疲労を感じたのは30Kを過ぎてからであった。今まで良いペースで来ただけに悔しくて仕方が無い。「動け」と言う脳からの指令に両足は従えないでいた。マラソンは30キロからと言う格言を岩下は今正に実感していた。順位は次第に下がって行く、同時に悔しさと情けなさが心を痛めつける様に苛める。納得がいかなかった・・「いいぺースでここまで来れたのに・・」と。そろそろ就職活動も準備をしなければいけない「日本経済不景気真っ盛り」、「戦後最大の失業率」、「新大学卒業者就職難関」良く似た見出しが新聞に出る度に胸が痛み、不安になる。自分には明るい未来が待っているだろうか?来年の今頃は笑っていられるのだろうか?考える度に不安になる。その不安、痛みに比べればこのマラソンは今耐えれば、頑張ればいいのだ。自問自
答を繰り返しながら、ゴールへの道は一歩、一歩短くなっていく。しかし体感する時間は次第に長くなっていく・・時計に何度も目をやる。減速しつづけている。岩下の悔しさを無視するかのように時計は時を刻み続けている・・・無情にもゴールまで両足に意識が伝達することはなかった。納得のいく記録ではなかったが岩下は次の挑戦に向け確かな手応えを感じていた。


白川が近藤を引離してからかなりの時間が経過した。時計に目をやる白川の瞼には涙が浮かんでいた。このペースで行けばベスト記録が出る。胸の奥から歓喜が溢れ出し抑えることができない。涙していることさえ気がつかない程の喜びようであった。努力した一年はどうやら報われそうである。思えば数年前に腰を痛め、治療の為に走る事から遠ざかっていた頃が妙に懐かしく感じられる。走りたい気持ちを抑え治療に費やした、何百と言う日々。その走りたい衝動を抑え、我慢する事に比べればこの42.195キロの苦痛など白川にとってはとるに足らない物であった。一年程前にチームへと復帰するとメンバーが増え、溶け込むのに時間がかかった。調子良く走るメンバー達、故障上がりでジョギングしか出来ない白川は刹那な想いでそれをただ眺めるだけであった。ゴール地点を踏み越えた時、白川は小さく控えめにガッツポーズをした。どうやらデートはできそうだ。


もう白川の姿は近藤の視界からは消えていた。力強いいつものランニング・フォームは崩れ、疲労と孤独感そして虚無感が襲い始めた。沿道で小さな子供が頑張れと無邪気に精一杯応援してくれている。「ごめんな。お父さんディズニー・シー連れてってあげれそうにないわ。頑張ったんやけどあかんみたいや」子供の願いを叶えてやれないという事以上に父親にとって辛いものがあるだろうか?毎日家族の為に汗を流し、見るのはいつも子供の寝顔だけである。家庭と仕事の合間になんとか練習時間を確保する。ただ娘、息子に格好の好い所を見せたい一身で・・・後数年もすれば子供達も小学校に行き出す。娘の運動会で格好の良い姿を見せたい。それが一つの夢である。家族の為に、家族を想う気持ちを原動力に走りつづけているのだ。近藤の長い一日は終着を迎えたが悔いは残る、しかし力の限りは尽くした。そしてお父さんは来年の為に頑張ると家族へ誓った。


「清水さんがんばれ〜」同じような声援をいったい何人の人から受けたであろう。沿道の応援の暖かさと心強さを改めて感じていた。しかし調子の悪い時には所属チームのユニホームは少し重荷に感じる事があるのである。「枚方マスターズの人だ」と良く耳にする。このチームの名を知っているランナーはかなりいるであろう。おそらく「強いチーム」と印象されているであろう。タイムが悪いときはチームのユニホームを汚してしまってるように思うのだ。清水が時計に目をやる事は無くなっていた。すでに完走TIMEにはこだわっていなかった。意識のしっかりしていた清水は、去年は味わえなかった福知山の長閑な山路を見ながら自身のマラソンへの姿勢について考えていた。ずさんである。コースの下見はもちろんコースマップを事前に見た大会は一度もないし、メニューをたてて練習などもしない。ペース配分も考えない、それどころか未だに自分がどれぐらいのペースで走っているのかも分からない。走り始めて2年が経過しようとしているにも関わらず・・健康管理も考がえない。集中するのはレース30秒前からであ
る。他のレースは良しとしてもやはりマラソンはメンタルな面だけでは勝てないのである。もちろん「精神論」も大切である。しかしそれは積み重ねた物があってこそである。正直清水には積み重ねた物はなかった。姿勢もいい加減なものである。結果体調を崩した。当たり前のことである、わかりきっていることであるのに次第に自分自身腹が立ってきた。「ケンイチのバカ、バカ」と責め立てた。今日走れない事は仕方がないと思う、前日までは棄権するつもりでいた。腹が立つのはむしろ「試合前の健康管理もできない」自分に対してである。

ゴールした清水を迎える者は誰一人いなかった。最愛の者でさえ高田の表彰式に・・・暫くし近鉄バファローズのユニホームを身に纏った尾坂圭一と合流した。素人であった清水に「長距離のイロハ」を伝授した言わば清水の「師匠的存在」の尾坂は清水を見てやさしく、そして不敵に微笑んだ。


本調子でないにも関わらず最後まで妻と娘の声援を背負い果敢にゴールまで走り続けた島渡祐三。

長期の海外出張から前日帰国したばかりにも関わらず無事完走した根岸政人。

ウルトラをも完走し最近メキメキ力をつけている上島学は残念ながらベスト記録ではなかったが、それでも最前はつくし見事完走。

本日の紅一点、本日の「アイドル」正躰祐見子は一人実家に預けてきた一人息子を心配しながらも力強いフォームで無事完走した。

尾坂圭一は腰痛の為、自己の記録よりバファローズのリーグ優勝と来年の日本一の祈願の為に走った。


「枚方マスターズ」の一同は全員完走し、そしてそれぞれに何かを得、次の課題を設けるができたのではないだろうか?天は全てのランナーに対して平等に喜びを与えるのだと思う。辛い練習を重ねた者には、それ相応の喜びをくれる。例えば、100の努力をした高田には、ご褒美に「優勝」と言う100の喜びを得る。しかし30の努力しかしていない清水には、「完走」と言うだけの30程度の褒美しか与えられない。よく「がんばったのに・・」とか言うがそれはやはり100の努力をし、優勝をした者に比べると努力が足りなかったのであろう。確かに「才能」と言う物は存在するであろう。しかし人間をそれを補う物をたくさん持っているのである。試行錯誤を繰り返し、努力し、楽しみ、仲間と刺激しあい、そうやって記録が伸びていくのではないであるか?チームメイトの存在というものも記録向上において、大きな割合をしめているように思う。マラソンとは個人で行う団体競技なのだと思う。

レースに出た人達も、応援にまわった人達も、皆で走った「福知山」でした。お疲れさま(^-^)/!!

・・FIN・・

清水健一、フルマラソンに挑むこと3度。2000福知山:33km付近途中棄権。2001篠山:3時間10分00秒。2001福知山:3時間2?分・・・そして、2002年2月「東京国際マラソン」に挑む・・・制限時間2時間40分。。

主な出場者の記録