9月29日 晴れ
爽やかな秋晴れだ。朝から小鳥の声が響いている。私は、午前中、工房の中で思索にふけった
後、気分良く散歩に出た。秋のザールブルグは美しい。海沿いのケントニスとは、趣が異なって
いるのを感じる。愛弟子三人は、多感な少女期をこのような美しい街で過ごし、さぞかしいろい
ろと、その感受性に訴えるところがあったことだろう。彼女たちに、環境の変化はどのような影
響を与えているのだろうか?
そんなことを考えながら、夕刻、工房に帰ってくると、テーブルの上にはちょっとしたご馳走
が並んでいた。
「どうしたんだい、リリー。今日は何かいいことでもあったのかな?」
と、私がテーブルについてリリーに尋ねると、彼女は満面の笑みで言った。
「そうなんですよ、先生! 実は昨日からお掃除妖精さんが来てくれていて……」
「……たしかにいいことだが、そんな理由で、こんなにご馳走が出るのかな?」
リリーは言った。
「それがですね、うふふふふ……、あ、先生! ゲルプワインをお飲みになりますか?」
「ああ、もらおうか?」
そう言って私が差し出したグラスにワインを注ぐと、リリーは言った。
「それで! 聞いてください、先生! 妖精さんに工房のお掃除をしてもらっている間、せっか
くだから、あたしたち、三人で二階の部屋のお掃除をしたんです。そしたら! 先生が使ってい
るベッドの、脚の下の板が、ちょっと、ぐらぐらしているところが見つかって。で、危ないから
修理しようかな〜って、こう、触っていたら、すぽん、って、板が一枚、キレイに外れちゃった
んですよ、で……あら? どうしたんですか、ドルニエ先生? ……お顔の色が、急に悪くなっ
て来たみたいですよ?」
リリーが、心配そうに私の顔をのぞきこんできた。私はつとめて冷静を装いつつ、彼女に言っ
た。
「いや、なんでもないよ、リリー。それで……その、私のベッドの下の板が外れて……、どうな
ったのかね?」
「それが!」
と、リリーが言った瞬間、ヘルミーナがにこにこ笑いながら、青い布袋を取り出した。
「これです、これが見つかったんです、先生!」
自分の喉が、グッ、とも、ブッ、ともつかない音を立てていることに気がついたのは、少し経
ってからだった。イングリドが、心配そうに言った。
「ど、どうしたんですか、先生!? ……ワイン、お口に合わなかったですか?」
ヘルミーナが、ふん、と言って、イングリドをちらりと見た。
「……それ、あんたが調合したワインだったわよね? ま、あんたみたいなガサツな女に、繊細
で美味しい味なんて無理でしょうけど。でも、ドルニエ先生が思わずむせて咳き込んじゃうくら
いまずいなんて、最低よね!?」
イングリドは、怒りで頬を真っ赤にした。
「な、何ですってぇ〜!」
私は、慌てて仲裁に入った。
「い、いやいや、イングリド。むせてしまったのは、ワインのせいじゃない。ちょっと慌てて飲
んでしまってね、勝手に咳き込んでしまっただけなんだよ。……美味い、実に美味いワインだ。
ははは、ははははは……」
私が言うと、イングリドは、またもや心配そうに私の顔を見た。
「……美味しい、ですか、ドルニエ先生……?」
「ああ、美味いよ、本当だとも……。で、その、……板の下から見つかった袋には……何が入っ
ていたのかな……?」
冷や汗をかきながら私が尋ねると、リリーが笑顔で言った。
「そうそう、そうなんですよ、先生! 布袋の中には、銀貨が5000枚も入っていたんです! …
…先生、本当に、どうしたんですか、顔色が、……やっぱり、悪いみたいですよ?」
私は、生唾を飲み込むと、リリーに言った。
「いや、……何でもない。と、と、ところで、その、見つかった銀貨は……どうしたのかな、リ
リー?」
リリーは大きくうなずくと、徐に、脇に置いてあった大皿を取って、たん、と私の前に置いた。
「これです!」
見ると皿の上には、ここ数ヶ月見たこともないほど大きな上質の肉の塊が、美味しそうに湯気
をたてている。
「……こ、これを……?」
私が指の震えを押さえながら皿を指差すと、リリーは言った。
「はい! あ、でも、もちろん、これだけじゃないんですよ! 足りない調合用の材料をいろい
ろと買って、その、余った分で、奮発していい食材を買ったんです!」
イングリドも、笑顔で言った。
「本当に、助かりましたよね〜、リリー先生! アードラの羽根もオーレの卵も、足りなくなっ
ていたところだったですし……」
ヘルミーナも言った。
「あのヴェルナーさんのお店、他にああいったものを取り扱っている店が少ないから、……暴利
を貪っているって言っていいくらい、高いですよね〜。競争原理が働いていないからだわ?」
リリーはうなずいた。
「まあ、でも良かったわ。妖精さんたちの賃金も、払わなくちゃならなかったし。助かったわ〜」
「……それで、その銀貨は、どれくらい残っているのかな……?」
私が尋ねると、リリーは言った。
「それが、もうないんです」
私は、思わず、しゃっくりを起こしながら言った。
「ひゃいぃ(ない)!?」
リリーは、びっくりした顔で言った。
「ど、どうしたんですか、先生?」
「……ヒック! す、すまない……ない、んだね、もう、その……銀貨は……ック!」
リリーは、慌てて水を持って来てくれた。
その銀貨は……私のへそくりであったのだ。自由になる金がほとんどない中で、やりくりをし
て、少しづつ、少しづつ、貯めたものだったのだ。そう思って涙ぐみながらふと見ると、イング
リドが、しきりと自分のお皿に切り分けられた肉に、ナイフで切り込みを入れている。そんな彼
女を見て、リリーは苦笑した。
「いいのよ、イングリド! このお肉は、上等なお肉なんだから。そうやって、食べる前に筋を
切っておかなくってもいいの。こうして、ナイフですっと切り込みを入れれば、一回で切れるの
よ〜!」
イングリドは、リリーの言うとおりにナイフで肉を切り、目を丸くした。
「本当だわ、先生! いいお肉って、筋を切っておかなくても、一回で切れるものなんですね〜!」
ヘルミーナは鼻先で笑いながら言った。
「ふん、あんたって、本当に無知な野蛮人ね、イングリド?」
イングリドは口を尖らせた。
「何よ、あんただって、自分のお肉! いつもみたいに筋を切ってるじゃないの!?」
二人の喧嘩が再燃しそうになり、リリーが慌てて止めに入った。
「こらこら、二人とも、喧嘩はやめなさい〜! それに、温かいうちに食べないと、冷めて美味
しくなくなっちゃうわよ? いい、とってもいいお肉なんだから、ちゃんと美味しく食べないと
ね!」
これを聞いて、二人は途端に大人しくなり、食事を再開した。肉を一口食べた瞬間、イングリ
ドが目を潤ませた。
「……お、おいしいです〜、リリー先生!」
ヘルミーナも、ため息をついた。
「リリー先生、お肉って、こんなに柔らかかったんですね〜!」
リリーも、うっとりした顔で言った。
「そうね〜。美味しいわ〜……。あれ? ドルニエ先生は、食べないんですか?」
私は、慌てて言った。
「いや、食べる、もちろん食べるとも。……美味い、美味いね、この肉は……。ははは、ははは
はは……」
夕食後、私は一人で二階に上がり、しばらく涙ぐんでいた。
10月8日 曇り
あのへそくり事件以来、私は数日間呆然として、へそくりが入っていた青い布袋をながめてい
た。古いものだ。これは、もともとは漁師であった私の父が、漁に出かける際に、いつも身につ
けていたものだった。万が一、船が沈んで見知らぬ場所に漂着したときのために、と父は言って
いた。亡くなって、初めて中身を見た。内側に薄くロウが塗ってあり、水に濡れても大丈夫なよ
うになっていた。中には小さな金塊と、それから母と私の肖像画が入っていた。「見知らぬ場所
に漂着したときのために」の意味が、何となく分かったような気がした。
まあしかし、見つかって、使われてしまったものはしかたない。これも運命だ。次は絶対に見
つからない場所に隠そう。いや、待てよ。これは面白い試みだ。錬金術で作り出せないだろうか?
たとえば、「見つからない財布」。誰かの足音を聞きつけると、脚を出して、逃げていってしま
うのだ。ううむ、これは良い。しかし、待てよ。どんな足音を聞きつけても逃げていってしまう
のでは、持ち主の私にも使うことができない。困った。それでは、これはどうだろう? 「開か
ない財布」。持ち主以外の誰かが開けようとすると、頑なに口を閉じ、決して開ける事が出来な
くなってしまうのだ。ううむ。これは良い。これにしよう。それにはまず、持ち主と他人の違い
をいかにして認識させるかが重要だ。よし、今後私はこの理論を完成させることを目指そう。
そんな風に理論を考えていると、雷が鳴り、雨が降り出した。秋の雷か。そう思った瞬間、背
後でヘルミーナの悲鳴が上がった。
「どうしたんだい、ヘルミーナ!?」
呼んだが、返事がなく、彼女の姿も見えない。私は慌てて周囲を見回した。すると……、机の
下から、彼女の青いスカートの裾がのぞいているのが目に入った。
「ヘルミーナ、どうしたんだい、机の下になんか入って?」
と、私が言うと、ヘルミーナは真っ青になった唇を弱弱しく動かした。
「こ、恐くなんかないわ。恐くなんか……! ドルニエ先生、あたし、雷が恐いんじゃありませ
ん! ただ、ここにいると考え事がしやすいから……! だから……!」
私は苦笑しながら言った。
「そうだね、ヘルミーナ。それでは、気が済むまでそこにいるといい」
ヘルミーナは、こくん、とうなずくと、
「……雷を錬金術で消す方法はないかしら……? それが無理なら、絶対に、雷が自分に落ちて
こないアクセサリーを作ってやる……!」
と、すごい顔でぶつぶつと独り言を言い出した。
ヘルミーナは本当に才能のある子なのだが、こういうときの表情を見ていると、何とも背中の
辺りが寒くなってくる……。
10月13日 曇り
気分が良い。なぜならば、ここ数日間寝ずに考えた、例の「開かない財布」の試作品第一号が
完成したからだ。こういうときには、自然と笑みがこぼれてくる。しかし、ふと気がつくと、リ
リーとイングリドが不審そうな目で私を見ていた。まずい。
「ドルニエ先生、何かいいことでもあったんですか?」
ふいに、リリーが尋ねてきた。私は、慌てて答えた。
「いや何、い、いい天気だね、リリー」
私が言うと、リリーはますます不審そうに言った。
「曇ってますけど?」
「いや、曇りの日というのは、いいものだ。ははは、はははは……雨が降るわけでなし、さりと
てかんかん照りなわけでもなし。……実に爽やかな天候だね?」
すると、イングリドも疑心暗鬼な目で私を見た。
「ドルニエ先生、……真っ黒い雨雲が向こうに見えますし、それに、さっき稲光も見えました
よ?」
い、いかん。私は咄嗟に、先ほど作った「開かない財布」をリリーに手渡し、言った。
「まあ、そんなことはともかく、だ。リリー、良かったら、これを開けて見てくれないかな?」
リリーは、はい、と言って私から財布を受け取り、口を開けようとした。しかし。
「あら? 先生、このお財布、……壊れてますか?」
成功だ。私は思わず声を立てて笑いたくなったが、必死にこらえて言った。
「開かない? それは、ははは、おかしいな? ははははは……」
イングリドは、怪しそうな目で私を見ながら言った。
「ドルニエ先生、何がそんなに嬉しいんですか?」
「え? はは、私が、何か、ははははは、嬉しそうにでも、ははは、見えるのかね、ははははは
ははははは……」
イングリドは言った。
「だって、さっきから、口を開けるのと同時に笑いっぱなしですよ、先生?」
「そ、そうかな、ははは、そんなことは、はははははははは……」
リリーは、私に財布を返した。
「それはともかく、ドルニエ先生、このお財布、いくら力を入れても開かないですよ?」
「どれどれ、ははは、私が開けてみようかな、ははははははははは……」
私は、財布の口に手を掛けた。私ならば、開けることができるはずなのだ。そう、この財布は、
持ち主と他人とを自動的に峻別し、持ち主以外には開けることができない財布なのだから。素晴
らしい。実に素晴らしい考えだ。これを応用すれば、「開かない戸棚」「開かない引き出し」「開
かない金庫」等々も作ることができるであろう。鍵ならば、腕の良い泥棒に開けられてしまうこ
ともあるだろう、しかし、これは私の錬金術理論の粋を結集した作品なのだ。他人には開けられ
なくても、私には、この通り、簡単に……ん? 簡単、に、……んん? んんっ!?
「ドルニエ先生、そんなに力を入れなくっても、……顔が真っ赤ですよ?」
リリーが心配そうに私に言った。
「いや、そんなはずはないのだがね、リリー。ほら、んっ!んんっ!」
そのとき。
ぼきん、と鈍い音がした。私は微笑んだ。
「ほら、開いたみたいだね、リリー、イングリド?」
しかし、二人は青い顔で私を見ている。
「どうしたんだね、二人とも……?」
すると、リリーは恐る恐る私の手を指差した。
「せ、先生……、その……先生の指が……」
「ん? 私の指が、どうしたのかな、リリー?」
「……反対に、曲がっちゃってますよ……?」
「ええっ!?」
私は、慌てて自分の指を見た。財布は閉じられたままだが、代わりに私の右手の親指の第一間
接から先が、ものの見事に折れてしまっている。
「……失敗か……?」
私がつぶやくと、イングリドは慌てて湿布と添え木を持ってきた。
「ドルニエ先生! はやく手当てを!」
イングリドは、そう言って涙ぐんだ。その瞬間、工房の扉がいささか乱暴にノックされた、と
思ったら、馴染み客の一人、雑貨屋の店主のヴェルナーが現れ、私とリリーたちに挨拶をした。
リリーは少々慌てたように言った。
「ヴェルナー! いらっしゃい。……依頼された国宝布なら、まだ期日までは間があると思うけ
ど……?」
「いや、今日は仕事をせっつきに来たんじゃない」
そう言って、ヴェルナーは後ろを見ると、
「ほら、無事にご到着だ。はやく中に入れよ?」
と言った。
「どうしたの、ヴェルナー?」
そうリリーが言うのと同時に、ヴェルナーの背後から、ヘルミーナが顔を出した。イングリド
は驚いたように言った。
「ヘルミーナ! どうしたの?」
ヘルミーナは、バツの悪そうな顔をして、工房の中に入ってきた。
「……別に、どうもしないわよ」
リリーは、ヴェルナーに尋ねた。
「ヴェルナー、ヘルミーナに何かあったの?」
ヴェルナーは、少々面白そうにヘルミーナを見ると、徐に言った。
「いや、別に。ただ……たった今、そこの路地裏でうずくまっていたから、てっきり具合でも悪
いのかと思って声をかけたらな、……雷が、恐いんだとよ?」
「ヴェルナーさん!」
ヘルミーナは、きっ、とヴェルナーをにらみつけた。リリーは苦笑しながらヘルミーナの顔と
ヴェルナーの顔を交互に見た。
「それで工房までヘルミーナを送ってきてくれたのね? ありがとう、ヴェルナー」
「別に……近くまで来る用事があったからな。ついでだ」
そう言って、ヴェルナーはヘルミーナを見た。
「それにしても、あんな遠くの雷が恐いなんて、ませているようでもやっぱり子どもだな?」
ヘルミーナは口を尖らせた。
「恐くなんかありません! あ、あれはちょっと、落し物を探していただけなんです!」
ヴェルナーは、笑いながら言った。
「そうか、ま、そういうことにしておこうか?」
ヘルミーナは、耳の先まで真っ赤になって、どたどたと二階に駆け上がって行ってしまった。
ヴェルナーはやれやれ、といった風に肩をすくめたが、次の瞬間、私の手元に目をやった。
「……ドルニエさん、手を……どうしたんですか?」
ヴェルナーは、そう言って目を丸くした。
「ああ、いや、これはね、ははは……、たいしたことはないんだよ」
私が言うと、イングリドが困ったように言った。
「お財布が開かなくって、無理に開けようとしたら、ドルニエ先生の指が折れちゃったんです!」
私は、慌てて指の骨を自分で元の位置に戻した。何、父の漁の手伝いをしていたときには、突
き指や骨折などよくあることだった。このくらい、何でもない。
ばきん、と音がして、骨が元の位置にはまったのを確かめながら、私は言った。
「いや何、なんでもない。指も、ほら、この通りだ。心配ない、心配ない……」
そのとき、ヴェルナーが急に目を輝かせて、私の持っていた財布を見つめた。
「ドルニエさん、ちょっと、その財布を見せてくれませんか?」
「あ、ああ……いいとも?」
私が手渡すと、ヴェルナーは、財布をしげしげと眺めた。
「こいつは……面白ぇ。縫製構造といい、金具の細工といい、……普通の品物じゃないな? ド
ルニエさん、こいつをいったい、どこで手に入れたんですか?」
「い、いや。……私が作ったのだが、欠陥品でね。開かないのだよ」
私がそう言うと、ヴェルナーは言った。
「それじゃ、俺に売ってくれませんか?」
リリーが、あきれたように言った。
「だってそれ、開かない財布なのよ、ヴェルナー?」
「だから面白いんだよ。もしかしたら、好事家連中の中には、気に入るヤツもいるかもしれない
しな? 第一、形といい、布地といい、こんな珍しいもの、なかなか手に入らねぇ品物だぜ、リ
リー?」
私は、思わず涙ぐみながら言った。
「……そうかね? この財布の価値が……分かってくれるのか、ヴェルナー……?」
ヴェルナーは、少々面食らったように言った。
「ド、ドルニエさん、何も泣かなくても……?」
……満足だ。「開かない財布」の構想自体は失敗したが、この価値を理解してくれる人がい
てくれただけで、それだけで、私は……。
10月25日 曇り
おかしい。何度実験を繰り返しても、構想したような「開かない財布・改」が思うように形に
ならない。ふむ。何か私の計算違いがあるのかもしれない。じっくりと、思索する必要があるか
もしれない。しかし、工房で私が、そのような調合理論を考えていると、ふいに耳をつんざくよ
うな轟音が鳴り響いた。
「何が起きたのだ!?」
私が慌てて尋ねると、イングリドがすまなそうな表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「ご、ごめんなさい、ドルニエ先生。……あの、調合をしていて、その、爆発を起こしてしまっ
て……」
私は苦笑しながら言った。
「ふむ、爆薬でも調合していたのかな、イングリド?」
イングリドは、首を横に振った。
「い、いいえ! あの、あたし、スイートエキスを調合していたんです! 本当です、ドルニエ
先生!」
私はイングリドの手にしていた調合機材と、残っていた薬液を確認した。
「青属性のアイテム調合でこんな爆発とは……、もう少し、丁寧に調合したほうがいいね、イン
グリド。たとえば、素材の分量を量る際にも……っく、ゲホゲホゲホ! な、何だ、この煙は…
…?」
工房の奥から、濃い煙が立ち込めてきて、私は目や喉をやられて咳き込んだ。
「すいません、ドルニエ先生! ……あ、あの、あの、お怪我はありませんか……?」
見ると、今度はヘルミーナが、すまなそうに私の顔をのぞきこんでいる。
「い、いや、たいしたことはない」
ヘルミーナは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、ドルニエ先生! こんなに煙や匂いが出るはずはなかったんです! これは、
その……色とか、匂いか、そういうものが出ないようなものを目指していたのに……」
「それは感心な心がけだね、ヘルミーナ。やはり、周囲への影響が少ないように心を配るのは、
大切なことだよ。で、ヘルミーナ。いったい、何を調合していたのかな?」
ヘルミーナは誇らしげに微笑んだ。
「はい、ドルニエ先生! 色も香りもないのに、吸い込んだ瞬間に、竜でも即死するような毒薬
です!」
私は、思わず咳き込んだ。ヘルミーナは、怪訝そうに言った。
「ど、どうしたんですか、ドルニエ先生?」
イングリドは怒鳴った。
「どうしたんですか、じゃ、ないわよ、ヘルミーナ! 吸い込んだだけで即死する毒薬なんて、
先生やあたしが吸い込んだら、どうする気だったの? そんな危険なアイテム、余分な爆発をさ
せたらいけないじゃない!」
「もちろん、濃度を下げて実験しているわよ! 今やっているのは、せいぜい吸い込んでも三日
寝込む程度のものだもの……」
そのとき、コンコン、と快活な音がして工房のドアがノックされた。と、思った瞬間、ドアが
開いて武器屋の主人、ゲルハルトが笑顔で言った。
「よう! リリーはいるか?」
イングリドは笑顔で答えた。
「ゲルハルトさん! 何かご注文ですか?」
「何、鉄が足りなくなってな、で、五つばかり、作ってもらえねぇかと思って……て、って、何
だこりゃ、ね、むい……」
「ゲルハルトさん!? ゲルハルトさん!」
ゲルハルトは、急に身体をぐらりと倒すと、床に倒れ、そのままいびきをかいて眠ってしまっ
た。イングリドは慌てて彼の傍らに寄ると、様子を見て言った。
「……どうしたのかしら、ゲルハルトさん? あ! もしかして、ヘルミーナ! あんたの毒薬
のせいじゃないの!?」
ヘルミーナは涼しげに言った。
「やっぱり、この程度の薄い濃度じゃ、いつも薬液の匂いを嗅ぎなれているあたしたちには大丈
夫でも、素人にはキツいのかもしれないわね?」
イングリドは、ゲルハルトの様子を見ながらヘルミーナに言った。
「な、何言ってるのよ! ゲルハルトさん、一瞬で眠っちゃったし、それに……あら? ねえ、
ヘルミーナ、これって、薬の副作用?」
「え? ゲルハルトさんに、何かあったの、イングリド?」
イングリドは、怪訝そうに言った。
「ううん。ただ……さっきから、ゲルハルトさんの髪の毛が、ぼそぼそって、束になって抜けて
いるから……?」
ヘルミーナは、笑顔で言った。
「ああ、稀に、そういう症例もあるかもしれないけど、でもたいしたことないわ」
「たいしたことないって言ったって……!」
イングリドがそう言った瞬間、今度は台所からすさまじい爆音が響いてきた。
「な、何があったのかね!?」
私がそう言うと、台所から、バツの悪そうな笑みを浮かべたリリーが出てきた。
「……ごめんなさい、ドルニエ先生、イングリド、ヘルミーナ」
「リリー、どんな爆弾を調合をしていたんだね?」
私が尋ねると、リリーは、きょとん、とした顔で言った。
「いえ、爆発物の調合じゃありません。ちょっと、今夜の夕食のポテトスープを作っていただけ
なんですが?」
イングリドは、煙と一緒に立ち込めてきた匂いに目を細めた。
「あ、本当ですね、リリー先生! いい匂い! おいしそう〜!」
ヘルミーナも、微笑みながら言った。
「やっぱり、リリー先生の作るスープって最高ですよね!」
私は、爆発の際に床に散らばったゴミを拾いながら、考えた。
……なぜ、我が愛弟子たちは、料理も調合も、爆発せずにはおかれないのだろうか? 爆発が
日常茶飯事と化していては、いや、ううむ……。
しかし、リリーたちは、まったくそのことについて意に介してはいないようであった。
|