ドルニエ日記



      

○月1日 晴れ

 爽やかな晴天だ。今日、工房に降りていくと、新しく手伝いの妖精が増えていた。他の妖精た
ちとは、少々衣服や髪の色の感じが変わっている。それにあまりしゃべらない。しゃべるときは
とてもゆっくりで、性格ものんびりした感じだ。ヘルミーナによると、この妖精は「見習い」で、
まだ半人前なので労賃はいらないそうだ。それを聞いて、リリーはいたく喜んでいた。……不憫
なことだ。年頃だというのに、彼女は毎日毎日、産業廃棄物のカスまみれになって働き、化粧一
つしたためしがない。それもこれも、すべてはアカデミー建設のため、節約して研究に励まなけ
ればならないためであろう。
 新しい妖精の名前は、クルスというらしい。ヘルミーナにとても懐いている。微笑ましいこと
だ。


○月2日 曇り

 何ということだ。思索しながら散歩していたところ、王宮前広場の噴水の脇で、リリーが這い
蹲って銀貨を拾っているところを目撃してしまった(大変に嫌な目の輝きをみせていた)。……
そんなに家計は苦しかったのか。私が錬金術の理論構築に忙しく、生活のことを鑑みなかったせ
いであろうか? 即急に、現在試行中の理論を完成させ、何としても王室の援助を取り付けなけ
ればならない。その理論枠組みは非常に広大であり、一朝一夕にできるものではない。そもそも、
四大元素の基本的な反応系統を、すべからく覆すような理論なのだから。しかし、私は必ずやり
とげよう。以下に現在までの理論的成果を書き記すこととする。今日は非常に体調が良く、じっ
くり思考できそうだ。もう少しだ。待っていてくれ、リリー、イングリド、ヘルミーナ。


○月3日 晴れ

 何ということだ。夕べ、日記帳に約30枚に渡って書き記した私の錬金術理論の覚え書きが、
今朝見たら、クルスによって破られてしまっていた(ヘルミーナがやっている錬金術の調合真似
をして、「魔法の紙」を使ったつもりになっていたらしい)。まだほんの子どもの妖精のやったこ
とだ。叱るわけにもいかない。
 今後、この日記帳には理論に関する重要なことは書かないこととする。クルスに、「こういう
ことをしてはいけないんだよ?」と、こんこんと言い聞かせたのだが、クルスは、「ぷにぷに た
いせつ」と、意味の分からないことを言っていた。


○月4日 晴れ

 王宮から帰ってくると、弟子たちが大騒ぎしていた。どうやらクルスが迷子になったらしい。
しかし、ヘルミーナは無事に連れ帰ってきた。クルスは、さかんに「しんぱい」と言っていた。
どうやらヘルミーナが言っていた言葉を覚えたらしい。それから、「ぷにぷに そだてる」とも
言っていた。……意味が分かっているのだろうか?


○月5日 晴れ 

 本日、弟子たちには内緒で働きに出た。アカデミーの建設現場で工事の手伝いをさせてくれる
ように頼み込んだのだ。クルスに研究理論の覚え書きを破られ、また一から考え直さなければな
らないが、さし当たって、研究に必要な機材を購入しなければならない。家計は苦しいようなの
で、せめて自分の分の研究費は自分で捻出しようと心に決めた。材木などを運ぶのは本当に久し
ぶりだが、なに、私も元は漁師の息子だ。子どもの頃には、よく父の手伝いで漁を手伝って重た
い網を引いたりしていた。これくらいは何でもない。
 現場の大工の親方は、気さくでとても良い方だ。この現場は活気があって楽しい。ただ、途中
でリリーが現場を見にやって来たのには、大変にひやりとさせられた。慌てて私も建築現場を見
に来た振りをして、「こうしてアカデミーの建物が出来上がって行くのを見るのは、いいものだ
ね」などと言って、ごまかした。弟子たちに、いらぬ心配をかけたくはない。その一部始終を見
ていた親方は、「師弟愛だね、旦那! 俺は感動したよ、どうだい、今夜は一杯おごるよ!」と
言われ、帰りに酒場でエールをおごってくださった。親方としても、こんなに大きな建物を作る
のはやり甲斐があると言う。建築が終わってからも、修理などでお世話になります、と言うと、
嬉しそうに笑っていらっしゃった。本当に良い方だ。


○月6日 雨

 大雨が降ったので、本日は建築現場の仕事は休みだった。ヘルミーナは相変わらず雷が恐いら
しい。大人びているようでも、まだまだ子どもだ。雨の中、雑貨屋の店主のヴェルナーが、調合
品の依頼にやって来た。リリーが応対していたのだが、私が二階に上がっている間に、何やら口
喧嘩になってしまい、彼は帰ってしまった。あの二人には本当に困ったものだ。


○月7日 晴れ

 今朝、建築現場に働きに出ようとしていたところに、ヴェルナーがやって来た。こんなに朝早
く来るのは珍しいと思ってリリーを呼ぶと、「いないって言ってください」と言われてしまった。
ヴェルナーは憮然としているし、リリーも何やら怒っているし、私は早く建築現場に行かなけれ
ばならないしで、大変に困った。とりあえず、後のことをヘルミーナに任せて出かけたのだが、
ちゃんと仲直りしてくれただろうか?
 今日は大変に良い天気で、すがすがしい気分で砂利を運んだ。親方が、お昼に愛妻弁当のサン
ドイッチを分けてくれた。


○月8日 晴れ

 それにしても、リリーは芸術というものをどう考えているのだろうか? 今日はせっかくみん
なと一緒に演劇を観に出かけたというのに、居眠りはするは、若い娘としてどうかと思うような
寝言を言うは、で、大変に恥ずかしい思いをした。
 今日クルスは、何度も「ぷにぷに てつだう」と言っていた。言葉を覚えるのは良いことだと
は思うのだが……。


○月9日 曇り

 今日は、仕事の帰りに親方に誘われて金の麦亭に行った。何やら向こうのテーブルが騒がしい
と思って見たところ、何とリリーが酔っぱらってテオにからんでいた。これは大変にまずいと思
い、連れて帰ろうと席を立ちかけたところ、なぜかヴェルナーがやって来て、リリーを抱えて工
房に連れて帰ってくれた。非常に助かった。酔っぱらったリリーは、私も太刀打ちできない。
 今日はクルスが、さかんに「おさけ しゅみ」と言っていた。……悪い言葉を覚えてしまった
ものだ。


○月10日 晴れ

 買い物があってヴェルナー雑貨屋に行ったところ、クルスが生きているホウキに追われていた。
ヴェルナーは、とても面白そうに笑っていた(いい青年だと思うのだが、なぜああしょっ中リリ
ーと言い争いをしているのだろうか?)。
 何となく、邪魔をしては悪いような気がして、買い物をせずに引き返してしまった。
 今夜の夕食には、オーレの卵を使ったオムレツが出た。「こんな貴重なものを使っていいのか
い?」と今日の食事当番のリリーに聞いたところ、「いいんです! この間、オーレの卵をたく
さん採り過ぎちゃって、もう調合の材料には十分なので、腐らせるのももったいないですから、
食べちゃおうと思って!」と、にこにこしながら言っていた。「そんなにたくさん卵が採れたの
かい?」と尋ねると、リリーは、「はい! 先生、オーレって、ぶっ叩くと驚いて卵をぼろぼろ
産んで、面白いんですよ〜!」と満面の笑みを浮かべていた。
 ……リリーは以前からたくましい子ではあったのだが……。
 これも私の教師として、また保護者としての不徳のなせるわざだろうか? 何もここまでにな
らなくても……。


○月11日 晴れ

 今日は一日思索にふけっていた。やはり集中して考えると理論構築も進んでいい。早速「ドル
ニエの理論ノート」に書き記しておいた。
 昼間、ヘルミーナはクルスを連れて市場に行って来たらしい。彼女にしては珍しいセンスの皿
を買ってきたので、「いい皿だね。少し趣味が変わったのかな?」と声を掛けたところ、少々複
雑な顔をしていた。どうしたのだろう? 
 食事中、イングリドに突然、「先生、最近、何だか少し感じが変わりましたね?」と言われた。
「どこが変わったのかな?」と聞き返すと、「うまく言えないんですけど……何だか身体つきが
たくましくなったみたいな気がします」と言われた。ぎくりとしたが、笑ってごまかした。夜、
みんなが寝静まってからこっそり鏡に映して見たが、毎日のように重い砂利や木材を運んでいる
せいか、ここ数日で急に、腕に筋肉がついてしまったようだ。困った。
 

○月12日 雨

 昼すぎから、小雨が降った。そのため、建築現場の仕事は午後から休みになり、工房に帰った。
帰ったところ、ヘルミーナが倒れていた。傍らには武器屋の店主のゲルハルトがリュートを抱え
て立っていた。驚いて事情を尋ねると、彼は「なぜか自分が歌を歌って聞かせたところ、ヘルミ
ーナが倒れてしまった」と言っていた。
 歌で……? そんなことがあるはずはない。きっと別の要因に違いない。おそらく、ヘルミー
ナは今日、体調が悪かったのだろう。ベッドに寝かせて様子を見たところ、額に脂汗を浮かべて
うわごとを言っていたが、夜になったら、元気になった。良かった。


○月13日 晴れ

 今日建築現場に行ったら、なんとイングリドが作業を手伝っていた。大工の皆さんには、私が
働いていることを固く口止めしてあるのだが、彼女にばれないかとひやひやした。しばらく物陰
から見ていたが、問題はないようだった。
 一旦引き返して、王宮前広場に行ったところ、エルザとクルスが、噴水の前で何やらお祈りを
していた。微笑ましい風景だ。工房に帰ると、クルスはさかんに「ぷにぷに 幸せ」と言ってい
た。……いや、言葉を覚えること自体は、本当に良いことだと思うのだが。


○月14日 曇り

 今日で建築現場の仕事もお仕舞いだ。この報酬で、新しい機材が買える。ようやく研究を進め
ることができる。建築現場のみなさんに挨拶をして工房に帰ってくると、リリーが床で眠ってい
た。「こんなところで寝ると風邪を引くよ?」と言ったところ、彼女は寝ぼけて何やらブツブツ
寝言を言っていた。よく聞くと、「銀貨が一枚、二枚、三枚、四枚……、うふふ、うふふふふ…
…」と、夢の中で銀貨を数えているようだった。
 ……涙が溢れて仕方なかった。彼女の上着のポケットに、そっと銀貨を数枚入れておいた。


○月15日 曇り

 今日、大変なことが起こった。ヘルミーナが倒れてしまったのだ。元々身体の弱い子だったの
だが、ここ数日、私の依頼した作業の他にも、何やら新しい調合に取り組んでいた様子で、根を
詰めすぎてしまったのだろう。私がついていながら、なんということだ。クルスも心配そうに、
さかんに「ぷにぷに しんぱい」と言っていた。しかし、なぜいつも彼は接頭語のように「ぷに
ぷに」と言うのだろうか?
 それはともかく、ヘルミーナがここ数日どんな研究をしていたのか気になったので、こっそり
彼女のノートを見せてもらって……大変に驚いた。クルスは、妖精ではなくて、ホムンクルスだ
ったのだ。まったく気がつかなかった。ヘルミーナはやはり、神童と言われるだけのことはある。
しかし。少々、気になることがあったので、ホムンクルスに関する研究書を読みあさり、悲しい
ことが分かってしまった。
 クルスは……ホムンクルスは、あまり長くは生きられない。人間が作った疑似生命体は、所詮
疑似生命体でしかないのだ。とくに、このクルスは非常に初歩的な技術しか使われてはおらず、
もってあと数日といったところだろう。このことをヘルミーナに言うべきだろうか……。
 ともかく、ヘルミーナの病気を治すため、薬を調合しなければならない。クルスに材料のアー
ドラの羽根を買いにヴェルナー雑貨屋にお遣いにやったところ、少々時間はかかったが無事に買
ってきた。急いで薬を作り、ヘルミーナに飲ませたところ、次第に症状が落ち着いてきた。良か
った、本当に良かった。


○月16日 曇り

迷ったのだが、クルスのことをヘルミーナに話した。
彼女は、非常にショックを受けていた。神童とはいえ、まだ年端の行かない子どもなのだ。
本当にかわいそうなことをした。私にできるなら、何とかしてやりたいものだが……。


○月17日 晴れ

 ヴェルナーがひどい風邪を引き込んだとかで、リリーが薬をたくさん調合して見舞いに行った。
どうやら、先日、アードラの羽根を取るために、井戸の中に飛び込んで、びしょ濡れのまま寝て
しまったのが原因らしい。それは気の毒なことをしたと思い、私も作りおいてあった常備薬を数
個提供した。
 しかし、見舞いから帰ってきたリリーの様子が少々おかしい。また喧嘩をしたのだろうか?


○月18日 曇り

 王宮の帰りに、クルト神父に会うため、フローベル教会に行って来た。彼は以前、錬金術に非
常に反感を抱いていたが、錬金術の薬が病人を救ってから考えを改めてくれた。以来、簡単な薬
の作り方や病人の手当の仕方を教えてほしいと頼まれ、私はときどき教会に通っている。若いの
に礼儀正しく、非常に真面目な青年だ。
 教会に行ったところ……ヘルミーナがいた。女神アルテナに、必死に祈りを捧げているところ
だった。ケントニスにはこうした宗教はなく、彼女自身、神を信じるような子ではなかったのだ
が。願いは……おそらくクルスのことだろう。彼女の教師として、保護者として、私はどうする
べきだろうか? 錬金術の調合理論を構築する以上の難問だ。


○月19日 晴れ

 ヘルミーナが泣きやまない。私もリリーもイングリドも、かける言葉がなかった。個別的生の
長さは生物種によって異なるものだが、ホムンクルスの寿命はあまりにも短い。皆が悲しんでい
る中、クルスだけが意味も分からず、ヘルミーナをなぐさめている様が、哀れだった。


○月20日 晴れ

 朝から、抜けるような青空がザールブルグの上に広がっていた。ケントニスに神はいないが、
私はふと、一瞬だけ神の実在を感じたような気がした。晴れていて良かった。せめて、そう思う
ことにしようと思う。
 今日、クルスは動かなくなった(死ぬという言葉は、なぜかひどく似つかわしくない気がする)。
 ヘルミーナは、意外なほどに落ち着いていた。何だか彼女は、ここ数日で急に大人びたような
気がする。
 それから。本日付けでちょうどこの日記帳もお仕舞いになった。新しいのを買おうと思う。一
番最後のページをめくったところ、たどたどしい字で、いたずら書きがしてあった。どうやらク
ルスのものらしい。インクの染みがべたべたついた真ん中に、それは、こう書かれていた。

 「へるみーな すき ずっと いっしょ わすれない」

 現在私は、これをヘルミーナに見せるべきかどうか、大変に悩んでいる。


                                        〜fin〜



 後書き  

 仁吉様に、1000番を踏んで頂き、リクエストしてもらった作品です。ご注文は「ヘルクルの
ネタで、ヴェルリリで、ドルニエ先生をたくさん取り上げて欲しい」とのことでした。で、いっ
そのこと、ドルニエ先生一人称、日記形式はどうだろう? と思い、書いてしまいました(ある
種、実験作です)♪
 ちなみに、拙作「神々の宴」とリンクしていますので、もし宜しければ、そちらもお読みいた
だけましたら幸いです(2002年10月)。



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