T.埴谷 雄高とは

本名 般若豊.1997年2月19日午前10時45分永眠.享年87歳. 代表作である「死霊」は半世紀にわたって書き継がれましたが,死とともに第九章で終章となってしまいました.「死霊」は5日間の物語と予告されていましたが,第9章に至ってもなお3日目に達したにすぎません.全ての存在者を代表する釈迦と,全否定者の大雄の対決はみることができませんでしたが,この9という数字には運命的なものを感じます.Beethoven,Schubert,Bruckner,Dvorak,Vaughan-Williams・・・

埴谷氏の活動はすべてこの「死霊」が軸になっていると思われますが,なかなか骨の折れる作品です.抽象的な表現に加え,解説書がさらに輪をかけて難解にしているように思えます.戦後文学が自己の存在を問う内的方向を示すのに対して,「死霊」は自己の存在を越えようと外的方向を目指しますが,BeethovenとBrucknerの作品の対比を連想させます.

 

U.Biography

1909年12月19日 台湾の新竹で誕生
1923年 台湾から東京板橋に転居
1925年 結核に罹患
1928年 日本大学入学
1930年 日本大学除籍,父「三郎」死去
1931年 日本共産党に入党
1933年 豊多摩刑務所に収監
1939年 同人雑誌「構想」を創刊
1946年 近代文学に「死霊」掲載開始
1950年 母「アサ」死去
1952年 腸結核発症
1970年 「闇のなかの黒い馬」が第6回谷崎潤一郎賞を受賞
1997年02月19日 永眠

 

V.Works

死霊

(未完)

全9章からなる未完の大作.
濠渠と風車

(ほりわりとふうしゃ)

(1957年3月5日)

初の評論集です.

現実が巨大であるだけ,架空はより巨大であるいう或る種の隱秘な予感がなければ,大地から無理やりに頭を擡げたひとつの風車となりたがって,目に見えぬ風のなかで鳴っていることはできない.(あとがきより)

鞭と独楽

(むちとこま)

(1957年6月15日)

政治論,文学論,人物論が収録されています.

鞭に打うたれて,その打たれ具合で,心棒によって立ちながら回転している独楽のイメーヂに私自身の置かれたかたちを覚つかなく示されたからである.(あとがきより)

  墓銘と影絵

( ぼめいとかげえ)

(1961年1月1日)

 
罠と拍車

(わなとはくしゃ)

(1962年1月25日)

政治に対する評論集です.

地上に現われた一つの小さな芽が茎に変じ枝を延ばし葉をつけ大きな花をついに数瞬の裡に開くごとき緩速度写真ふうな一つの対比的構図がより極端なかたちでここに述べられているともいえるのである.(あとがきより)

垂鉛と弾機

(おもりとばね)

(1962年4月25日)

評論集です.

垂鉛と弾機なる題名も,私達がいまあるごとくにある存在の海面下の暗黒部へ向かって沈むべき思考と果てもない虚空の空間へ向って飛翔すべき想像力といった対比がもつべきなんらかの種類の暗示をそこにもたらしたいひそかな願望の現れにほかならないのである.(あとがきより)

振子と坩堝

(ふりことるつぼ)

(1964年8月15日)

政治論を収録したエッセイ集です.

私があわせもっている現実と架空へ向かう二重の志向の裡,不真面目なバッカス的側面はこれからも屡々非難されるであろうけれど,私が闇の真っただなかから白昼へ歩みでてくることになる新しき事態はまだまだ容易にもたらされぬであろう.(あとがきより)

彌撒と鷹

(みさとたか)

(1966年11月15日)

政治論に多くを費やした評論集です.

悼んでも悼みつくせない大量の死が横たわっているいま,いわば現在を象徴するごとくに彌撒と鷹という題をつけた.(あとがきより)

  凝視と密着

(1969年月日)

 
兜と冥府

(かぶととめいふ)

(1970年6月30日)

自ら撮影した絵画(ルクレツィア・ボルジア)の写真が掲載されています.
欖橄と塋窟

(かんらんとカタコム)

(1972年6月20日)

題名はオリーブとカタコームです.橋和巳をはじめ多くの追悼文が収録されたためにこの題名になりました.

ここには多くのひとを悼む文章を偶然おさめあわせねばならぬことになったので,この巻を敢えて死者達をおさめる地下墓場と名づけたのであった.(あとがきより)

  黙示と発端

( もくじとほったん)

(1974年4月1日)

 
鐘と遊星

(1975年9月20日)

 

椎名麟三,花田清輝に対する哀悼の題名と思われます.

私達すべてが宇宙の大火球のまわりを旋回するかたちなき遊星になりゆく以上,彼等と私達や私はまた何処かで何時かは平行して暫らく走りゆくであろう.(あとがきより)

 

  石棺と年輪

-影絵の世界

(1976年1月1日)

 
  天啓と窮極

(1976年12月1日)

 
  微塵と出現

(びじんとしゅつげん)

(1982年11月1日)

 
  暈と極冠

(かさときょくかん)

(1984年5月1日)

 
  雁と胡椒

(がんとこしょう)

(1990年7月1日)

 
  滑車と風洞

(かっしゃとふうとう)

(1991年3月1日)

 
  短編小説集

(河出書房新社)

(1971年8月)

 
  埴谷雄高政治論集

(講談社)

(1973年4月)  

 
  埴谷雄高思想論集

(講談社)

(1973年5月)

 
  埴谷雄高文学論集

(講談社)

(1973年6月)

 

埴谷雄高 語る

話し相手・栗原幸夫

(1994年9月25日)

栗原 幸夫氏との対談です.

20世紀の一切の神話が崩壊した後,ますます輝く埴谷雄高の全思想.その思想の核心と成立の根拠を「精神のリレー」の継承者である栗原幸夫を相手に心ゆくまで語り尽くした,世紀末最後の異色の対談.(帯コメントより)

生命・宇宙・人類

(1996年4月5日)

立花 隆氏との対談です .

20世紀の一政治・革命・文学から生・死・コンピュータ・遺伝子・宇宙まで,強靭な思考から放たれる予言が,世紀末を生きる同時代人を震撼させる,衝撃の一書.(帯コメントより)

始まりにして終り

(1997年8月10日)

白川 正芳氏との死に至るまでの2年間の対話です .

埴谷雄高の最後の思索と日常を克明につづった感動の記録.(帯コメントより)

 

V.死霊について

難解な小説です.埴谷氏のライフ・ワークであり,他の作品はこの死霊を理解するための解説といってよいかもしれません.この死霊の構想が練られたのは1933年の豊多摩刑務所の獄中であり,第9章は1995年に発刊されているので,ここまでですでに60年以上が費やされています.1997年に埴谷氏が永眠されたため,序章で述べられていた全肯定者釈迦と全否定者大雄の対話は実現せず,死霊も未完で終了してしまいました.

 

悪意と深淵の間に彷徨いつつ宇宙のごとく私語する死霊たち

第1章 :癲狂院にて

主人公である三輪与志が,刑務所から精神病院である風癩病院に護送された失語症の矢場徹吾を訪ねることから物語りは始まります.この病院の玄関先には永久運動で動く大時計が掲げられ,三輪与志と精神科医師である岸博士との間で自同律の不快について議論されますが,この永久運動と自同律の不快が,死霊の出発点となります.また,この章の最後で首猛夫が放つ,Villon, our sad bad glad mad brother's name! の意味は後ほど明らかにされます.

 

第2章 :死の理論

革命家の首猛夫と元警視総監の津田康造との間で繰り広げられる存在についての討論 .

 

第3章 :屋根裏部屋にて

屋根裏部屋の住人である黒川健夫と首猛夫との間で繰り広げられる,三輪与志の自同律の不快という感覚から発した虚体という概念についての討論.

 

第4章 :霧のなかで

三輪与志と,心中したかっての三輪高志の恋人の妹である尾木恒子との会話.

 

第5章 :夢魔の世界

三輪与志と首猛夫とのわれならざるわれについて討論.死の隣の世界である分解の王国と交信可能な死者の電話箱が登場.

三輪高志と数億光年の無限からやってきたという夢魔との宇宙論および存在の究極について議論.

 

第6章 :夢魔の世界

黒川建吉,神様,首猛夫,津田婦人,津田安寿子が乗り込んだボートでの,首猛夫の愁いの王についての逸話.

第7章:最後の審判

第8章:月光のなかで

第9章:虚體論―大宇宙の夢

 

登場人物

三輪 広志

三輪与志の父親

政治家

三輪 高志

三輪家の長男

社会運動に従事

三輪 与志

三輪家の次男

死霊の主人公

首 猛夫

矢場徹吾の知人 三輪家の異母兄弟

矢場 徹吾

三輪与志の同級生

三輪家の異母兄弟

黒川 健吉 三輪与志の同級生

屋根裏部屋の住人

津田 康造 元警視総監 三輪広志の友人
津田夫人 津田康造の妻  
津田 安寿子 津田康造の娘

三輪与志の婚約者

岸博士 風癲病院の精神科医師 三輪高志の同窓生
神様 知的障害の少女 岸博士の患者
ねんね 神様の姉  

尾木 恒子

三輪高志の恋人の妹  

一角犀

三輪高志の同志

尾木恒子の姉と心中

李 奉洋

印刷工場を営む

社会運動に従事