橋本久義
君、姓は橋本、名は久義。
昭和20年、大日本帝国必敗の形勢とみるや、
君、これに応じて、戦後収拾のため直ちに越前国 越廼村に生まる
家系累々として尊く、 実に清和源氏67代の子孫なり。
幼にして、既に神童。餓鬼大将より、腕白太政大臣に累進し大いに世に憚られる。
家貧しく、人民に立ち混じりて溝堀り、レンガ積み、家庭教師等に汗を流し、
辛酸嘗め尽くす。
傍ら、精密機械工学を東京大学に修め、大いに得るところ有り。天下嘱望す。
不幸、上級国家公務員試験に合格し、官吏となる。
木っ端役人として奮闘す。
機会を得て東南アジア諸国、欧米諸国を歴訪。
産業振興の基となるべき政策 数多く提言すれど、不幸、聞き流さる。
誠に、希代の豪傑たり。
昭和53年、乞われて海外に雄飛。欧州中枢、西ドイツに在住。
西ドイツに君臨すれど、統治せず。爾来振るわず。

平成6年8月 埼玉大学政策科学研究科教授となり、
発展途上国の官僚諸君に日本の産業政策の神髄を伝授するの任に就く。
深夜・未明に至るまで奮闘努力、日本の産業政策の精神の流れを教授す。
滴々伝承 瀉瓶の如。

君、資質、豪放細心、努力家にして、天才なり。



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