こんなことを言うと、馬鹿にされること必定。 たぶん「人でなし」のようなことを言われてしまうから、ずいぶん長いこと、(子供の時分から)思っていたことであるにもかかわらず、深く胸に秘めて、外部に漏らすことは全くなかったのだが、ついつい、馬鹿を承知で言ってしまうと、「音楽はCDに限る」のである。
 私はオーケストラを聴聞きにいっても、(もっとも大したオーケストラのものに行かないから、あまり語る資格もないのだが……)CD以上だとは、どうしても思えない。 
 「やっぱり、生演奏は違いますよねー」と同意を求められると、「えー、まあ……」のような返事はするが、本人は 「音はCDと大して変わらない。その割にコーヒーも飲めないし、不便なばっかりだ」と、思っている。
そもそも生演奏の方が、良い音なのだろうか。
私の耳ではCDも、生も、有意の差は感じられないのだが……(そういうことを言うからバカにされるのだとは思うが……) 
そういえば、「バニラ以上にバニラ味」という凄いアイスクリームがあったっけ。ちなみに某有名料亭の松茸料理はおいしいと評判なのだが、実は永谷園の「松茸の味お吸い物」の粉を使うんだとか……。

 生演奏会がきらいなもう一つの理由は、新人音楽家の発表会などでよくあるのだが、聞いたこともない曲ばかりを並べて演奏するため、ちっとも面白くない(楽しめない)会がある(かなり多い)ことだ。
 多少音楽の心得のある人に聞いてみたら、「ポピュラーな曲をやると、名人と比べられて損だし、プロの世界で実績にならないから」というのだが、なじみのない曲ばかり並べて平然としているのは、顧客のニーズを全く考えないメーカー、退屈な授業を平気で続ける教授、と同じだ。簡単に言えば「不親切・傲慢」なのだ。
「客はこういう曲も わかるようになるべきなのよ!」という態度が見えていやになる。 「実績になる?」ような、聞いたこともない曲も良いが、40%位はどこかで聞いたことのある曲にしてもらいたい。

 そういえば、もう一つ生演奏で何よりいやなのが、長い長いアンコール請求拍手だ。普通の拍手なら、喜んでやる。 しかし、あの儀式は本当にいやだ。出たり引っ込んだり、また出たり、 思わせぶりにして、結局アンコール演奏をせずに引っ込んで…… 猿芝居のようなことを何度もやらないでほしい。演奏者の紹介も、アンコール演奏も、さっさとやればよい。どうせやるのだから!
 日本人はやさしいから、「アンコールをやらなくてもいいです」と演奏家に示すような非礼は絶対にしない。

 アンコール請求拍手が形骸化している証拠には、アンコール演奏が終わった後、再度アンコールの声が上がるのはきわめて希で、アンコール演奏が終わった途端に、そそくさと帰り支度をはじめることからもよく分かる。
 本当に感動して、もう一度「素晴らしい音色を聞きたい」というのであれば、座り続けて拍手し続ければよい。

 私は、「いやー本物は迫力が違いますよ!」というようなことを言う人間はあまり信用しない。「本物は迫力が違う」のなら、贋作問題が起こるはずもない。
 一時和田某という絵描きが、イタリアの某画家と構図が全く同じだということで、非難を浴びたが、和田某の絵でなにがしか感動した人が、それが「イタリアの画家の構図をまねて描いた絵だ」と分かった途端に、全く同じ絵を見て全然感動しなくなるというのもおかしな話だろう。つまり彼は、絵そのものに感動しているのではなく、「世間の評価」に感動しているにすぎないのだ。
 先日サントリーホールに「生の音楽」を聞きに行ったのだが、「生演奏でなければ得られない高音の伸び……」は感じられなかった。 我が家のCDによる演奏のほうがよほど澄んだ高音が素晴らしかった。 (腹に響く重低音は我が家の装置には無いモノだろうと思うが、、たまたま演題が「その種の重低音」が無いものだったので、さぞかし差があっただろうとは思うが……。)
 しかし、いずれにせよにしろ、CDであれば、本を読んだり、勉強したりしながら聞けるし、あくびもできるし、宅急便に対応しながらでも聞ける。 音楽が本来、「快適な時間を得るための手段」ということであれば、わざわざオーケストラを聞きに行くほどのこともない。「ワシの家のステレオで十分じゃわい」となる。
「咳もできない、おせんべも食べられない。拍手を強要されるーーそれよりも家でCD」だ。
 そういえば、こないだ、フルトヴェングラーの復刻版CDを聞いてみたのだが、ずいぶんスローで、違和感があってびっくりした。 昔はそれなりに感動して聞いていたと思うので、最近の指揮者はあのころに比べてテンポ速く演奏しているのだろうか。

 というようなわけで、私は昔から、「空き缶で飲もうと、マイセンのカップで飲もうと、コーヒーはコーヒーだ。何の差があろうか」と主張してやまず、 「本物と見分けがつかないようなモノは本物と同等の価値がある」とうそぶいて、知的財産権の専門家からさんざん顰蹙をかってきたので、「音楽はCDに限る」だ。
 本物でなければならないものは宝塚歌劇団だけではないだろうか。コレばっかりはテレビじゃあどうにもならない。
 そういえば、若い頃、「カンナくずを煮込んで、佐藤俊男じゃなくて砂糖と塩で味をつければ、食料になるのではないか」いうようなことを言って女の子に振られたことがあったっけ。

 「音楽はCD」と同じ伝で、「造花も、自然の花も、花は花」だ。 かくして、我が家のベランダは普通の植物と、人工植物が混在して、ちょっとやそっとでは、見分けがつかない。(でしょ!)



 念のためにいえば、私は自然の植物もたぶん人並み以上に好きで、花の苗木や、観葉植物や木(ゴールドクレスト等)を頻繁に買ってきて、カミさんにしょっちゅう怒られているのだが、他の人とちょっと違うのは、ホンコンフラワー系の人工植物にも同じほど、ないしそれ以上に価値をおいていることである。
 だから、我が家の庭の色々なところ、(天然植物が手薄なところ)にホンコン系が登場する。
 ただ、不思議なモノで、自然の植物の間にホンコンフラワーを入れておくと、自然の植物も「こりゃ、負けちゃいられない」と思うのか、良く咲くような気がする。
 ブーゲンビリアなど、何年も咲かなかったのが、「花がないのは寂しいから」と、こないだホンコン系ブーゲンビリアを一本さしたら、数週間後からどんどんつぼみが出来て花が咲いた。 室内で栽培しているのだが、数ヶ月おきに(つまり、何度も何度も)咲いているような気がする。
 バラも、こないだ長年咲かないでぐずぐずしている木のそばに、ホンコン系バラを植えたら、突然咲き始めた。




 ところで音楽の話に戻ると、私と音楽の交わりは非常に古い。
 私が、中学2年生のころ(昭和34年頃?)に父がSONYのテープコーダーを買ってきた。
最初1週間くらいは父親自身も、吹き込んだり、再生したりを繰り返して面白がっていたのだが、そのうち飽きてしまって、関心を持たなくなった。「こいつぁあ、いいや!」と、私が独占し、その頃から、机の前に座っている時は、必ず音楽をかけるという習慣になった。
 もともと、小学校の頃から、ラジヲの組み立てが好きで、年中秋葉原に行って(当時大久保に住んでいたので、秋葉原まで自転車で30分、電車であれば、お茶の水で降りて秋葉原まで歩くと、片道10円だった)、新しい部品を買い足して、組んだり、バラしたりを飽きることなく続けていた。
 ラジオの性能は音楽の再生能力にあるからして、性能を評価するためには、音楽を聴かざるを得ないというわけで、音楽的才能はあまりなかったが、音楽は興味があって、当時流行の「お富さん」からクラシックまで、良く聴いていた。

 ちょうどSONYがソリッドステートイレブンという、オールトランジスタの11石ラジヲを売り出し、この製品の特徴が、「2台セットで並べれば、毎週日曜日?(だったと思う)にやるNHK第一放送と、第二放送を使ったステレオ放送(第一で左の音、第二で右の音を放送する)が受信できます」というところにあった。
 SONYがこれを売り出した時にモニターを募集したのだが、私は即座に応募し「中学生ですが、ラジヲの組み立ては配線図なしにできるし、シャーシーも、簡単な部品も自作するほどの腕があります。音楽も好きですが、家が貧しくて、ソリッドステート11のような高価なモノは買えません。もし当選したら、病気がちの母親(本当は、全く病気知らずで元気だったが……)に好きな音楽が毎日聞かせてあげられ、親孝行になると思い応募しました」と書き込んで投函した。 「ラジオが組み立てられる中学生」と「病気の母親に……」が決め手になって、(か、どうかは知らないが……)見事当選。 ソリッドステート・イレブンを1対(合計約24,000円くらいだった。サラリーマンの初任給の3ヶ月分ぐらいした)手に入れることができた。

 FM放送が始まったばかりで、FM東海(現在のFM東京)が朝から晩まで、ほんのちょっとのおしゃべりでクラシックを流し続けてくれる局だったので、録音に便利だった。 そういえば、「城達也のジェットストリーム」も欠かさず聞いて、好きな曲を録音していたっけ。
 ま、そんな具合で、毎日、毎日リクエストの手紙を書いて、投稿して、好きなレコードをかけてもらって、それを録音する習慣だった。

 「東京の橋本久義さん他、多数の方々のリクエストで……」とか言っていたが、わりと簡単に リクエストが受け入れられたところを見ると、たいして量のリクエストはなかったのだろう。
 ま、その頃から、ポピュラーソング、(ナット・キング・コール、ブラザース・フォア、プレスリー、etc.etc.)だの、映画音楽(大いなる西部、汚れ無き悪戯、ベンハーetc.etc.)落語(古今亭志ん生、三遊亭円生、柳家小さんetc.etc.)、流行歌(寒い朝、女心の唄、さざんかの宿etc.etc.)、 ポピュラークラシック(チゴイナーワイゼン、ロマンス・ヘ長調etc.etc.)、クラシック(運命、未完成、チャイP、etc.etc.)浪曲(虎造、梅若etc.etc.)歌声(アムール川の漣、収穫の歌、黒き瞳etc.etc.)等々、まあ種目を問わず録音してストックしていた。
 本棚には7インチのテープが数百本並んでいた。

 今でも一部持っているのだが、(といっても20本くらい)大部分捨ててしまった。というのも、当時はあまりお金に余裕がなかったから、秋葉原で、放送局流れの安い中古テープを買っていたのだが、 これが編集の都合で、つぎはぎだらけで、40年近い時間とともに接着剤がダメになって、バラバラに切れてしまう。
 先日秋葉原で、オープンリール用の接着テープを一生懸命探したのだが、相当クラシックな品物をおいている店も「見たこと無いね!」と、にべもない。で、補修テープが手に入らず、結局のところ大部分捨ててしまうことになった。

 今はもっぱらCDだ。LPの時代があっても良さそうだが、LPの時代は殆どない。レコードを買うお金が無かったのと、20数分に1回ずつひっくり返したり、封筒に入れ直したりというのが、何ともめんどくさいし、30センチ四角で、大きいから置き場もガサばって、本棚に入らない。
 テープであれば、一度かければ、往復3時間はOKなので、もっぱらテープを愛用していた。
 音質が落ちるのは、ヤムを得ない。どっちみち、本を読んだり、模型や、ラジヲを組み立てたりしながら聞くのだから……。
 今はもっぱらCDだ。
 パイオニアが、CDを連続25枚演奏する装置を売り出したときに、即座に10台買って、うち2台は人にあげたが、8台を並べて、楽しんでいた。そうしたら、パイオニアが100枚のCDを連続演奏する装置を作ったと聞いて、また即座に買った。
 で、25枚を8台と、100枚を1台並べていたが、2年程前にビックカメラで、同じパイオニアが300枚CD連続演奏装置を売っているのを見て、これまた即座に(と、いっても注文生産だそうで、1ヶ月ほど待たされたが……)買った。 現在は300枚1台、100枚1台、25枚2台が並べてある。一旦スイッチを入れれば、次々に演奏してくれる。
 25枚の装置は、1台は浪曲専門。1台はB級落語(私にとってB級ということ。たとえば、柳家金語桜とか) 
 300枚と、100枚はクラシック、ポピュラーソング、歌謡曲、落語、歌声喫茶風、たもりのトークショーの類から、臨済宗のお経まで、全くランダムに入っている。 もちろん、リストがあるから、リストを見て番号を入れれば、任意の曲がかけられるようになっているが、通常は順番通りにかけていくから、柳家小さんの後がベートーベンの第九で、その次がピンクレディーで、その次がウィーン少年合唱団でその次がベンハー序曲で、その次がダークダックスというようなことになる。
 私の自慢は、出鱈目に入れていったら、たまたま臨済宗のお経の後に、モーツアルトの荘厳ミサ曲が来て、その後ワグナーになっていた。 眉をしかめる人もいるだろうが、私としては、絶妙の組み合わせだと非常に満足している。