父の実家があった福井県丹生郡越廼村蒲生(にゅうぐん、こしのむら、がもうと読む。)
で生まれた。なお、越廼村は、今は「水仙の里」として観光開発に力を入れている)

 母は福井県 鯖江の出身。

 父母ともに生粋の福井県人。

 ただし、私は生まれは福井だが、育ちは福井ではない。
 私が生まれた昭和20年5月頃、父は京都府警察に勤務しており、生活拠点は京都にあった。当時戦況が悪化して京都の空襲も予想されたため、母が福井の父の実家に疎開していて、そこで生まれた。

 8月の終戦とともに京都に帰ったため、私が実際に福井にいたのは数ヶ月らしい。
 その後父の転勤に伴って、京都(0ー1才)、大阪(天下茶屋)(1ー2才)、大阪(枚方香里園)(2ー4才)、佐賀市(5ー6才)、福岡市(小学1年ー小学3年の夏まで)と転々とした。
 小学校3年の夏に父親が警察大学校の教授として、東京に赴任したため、それ以来 東京乃至東京の近郊に住んでいるから東京育ちというべきだろう。

 



橋本久義ホームページに戻る