はじめに

 第2次世界大戦で焦土と化した日本の戦後を支え、活力をもたらしてきたのは中小企業であった。
 中小企業は、一方では大企業のための部品や、コンポーネントの供給者として、他方では、大企業が供給し得ないような分野の商品の供給者として、もう一方では、技術開発にチャレンジし、大企業と果敢に闘う挑戦者、開発者として日本経済の発展に貢献してきた。
 日本の中小企業はしっかりと日本の産業を支え続けてきたのである。
 ところが、戦後何度も繰り返した好不況の波を、持ち前の小回りの良さで、苦しみながらも耐えて、日本の産業を支えてきた中小企業も、昨今の変化のあまりの早さと、変化の大きさに、浮き足立っている。
 私が何より恐れているのは、中小企業の社長達が現在かろうじて持ち続けている意欲を、完全に失ってしまうことだ。そしてそうなりそうな徴候は色々なところにでてきている。
 かっての不況の時には「私らは、今の仕事以外やったことがないから、この仕事を続けていくしかないんですよ」と、恥ずかしそうに、しかし誇らしく言っていた社長達が、「もう、わしらができることは無いんじゃないかねぇ」と、言いはじめている。理不尽なコストダウンを迫られ、採算条件を無視した短納期を迫られている中小企業は、「廃業するしかないかもしれない」と思いはじめている。
 金融機関は自分達の都合で、貸しはがしを強行して、中小企業の経営を圧迫している。「何でこんな苦しい思いをして経営を続けなければいけないんだ」という気持ちになりはじめている。
 マスコミは日本の現状をこき下ろすことに一生懸命だ。「日本の製造業はもうダメだ。中国に勝てるはずがない」「日本的な経営を続けているような企業は将来がない」と、冷酷に下請け中小企業を切り捨てる企業を賞賛し、下請けに無理なコストダウンを迫り、売り上げ高が上がっていないのに利益だけ上がった企業経営者を讃えている。
 産業の幅広いすそ野を形成している中小製造業を、現状の困窮状態に放置し、「どこであれ世界中安いところで作ればいいじゃないか」という企業エゴイズムに任せれば、日本の将来に大きな禍根を残すことになるだろう。
 自由競争を前提とする経済ではある程度の景気変動は必然であり、遅れた企業の自然淘汰は避けられないとは言うものの、現在のような危機的状況を自然のままに放置すれば、本来健康で、実力ある経済の足腰ーーー日本の宝のような中小企業ーーーを失う結果になるだろう。
 足腰の無い、頭だけの経済で日本はやって行けるのか?!。
 日本では従来も、政治的・経済的に大きな変化があったが、そのたびに政府により敏速な対応策がたてられ、変動の摩擦を和らげ犠牲を最小限にとどめ、次の成長軌道へ乗せていく政策が実施されてきた。だからこそ日本のモノづくり産業は世界の中で成功を納めてきたのだ。
 あのアメリカですら、1980年代に製造業の空洞化を放置した失敗に懲りて、アメリカ産業競争力委員会による「メイド・イン・アメリカ」を発表し、日本の政策を学んで、中小企業の為の施策を講じ、工業再生に取り組んだことが、今日のいわゆる「アメリカ製造業の復活」につながっている。
 幸いにして、日本の企業は一部を除いて、モノ作りの力こそ国の力、企業の実力であることを知っており、やみくもに海外移転を図ろうとしている企業は決して多くない。みな海外工場に比重を移しつつも、日本の製造業を崩壊させないために努力をし、頑張っているのだ。
 まだ、中小企業の社長が歯を食いしばって頑張っている今のうちに、そして大企業が日本の中小企業の生きる道を何とか確保しておこうという意志を持ち続けている今のうちに、日本のモノづくり産業を維持する為の総合的な施策が講じられなければならない。
 それは、研究開発の振興であり、運転資金の融資であり、デジタル化への援助であり、海外との協力の為の情報提供であり、産学連携援助である。
 そして何より大切で、中小企業にとって有効なのは景気を回復させることである。

 中国は脅威だと言う見方をする人が多いが、私は好敵手が現れたと見るべきだろうと思う。日本の製造業が不振になってきたのは90年代になって競争相手がいなくなってからだ。目標を失った日本の製造業は発展の勢いを失った。
 強力なライバルの出現は発展の原動力だ。しかも中国の13億人の市場は日本にとっても魅力的な市場ではないか。
 私は、日本の製造業再生のために必要なのは文化大革命ではないだろうかと思っている。
 文化大革命の負の要素については私もむろん異議はないのだが、モノづくりに関してだけ言えば、中国は文化大革命によって他国には真似のできない基盤を築いたのではないかと思う。
 すなわち、現場の労働者とエンジニアとの階級差を払拭してしまったことである。現場の労働者が最も権威を持つ者であり、もっとも恵まれた地位にあるものになったのである。
 すべての問題解決の手段は現場が持っている。モノ作りの原点、現場に立ち帰ることで、もう一度競争力のある製造業を取り戻せるのではないだろうか。
 現場を命がけで守っている人達が、きつい、汚い、危険でおまけに収入が少ない、儲からない、給料が安い、という状況では、日本が競争力を無くしていくのもむべなるかなだ。
 文化大革命という意味は、生産現場に戻り、そこで働く人達が、能力を最大限発揮できる環境を作れということでもある。


   町工場の衰退は、日本の衰退だ。日本の産業は、質の高い町工場(中小企業群)の存在によって、はじめて高品質の世界的競争力のある製品の生産が可能になっているのだ。日本の町工場を再生させなければならない。守らなければならない。
 日本の中小企業は、日本のまごころ、世界の宝なのだから。


平成十四年五月                    橋本久義


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