私、橋本久義は、昭和62年から二年間、機械情報産業局の鋳鍛造品課長として、鋳物・鍛造などを担当させていただいた。これらの分野は大部分を中小企業が担っている。しかも典型的労働集約産業で、発展途上国に向いた産業であると思われていた。早い話が、衰退産業というわけである。そこで、心がけようと思ったのが「現場の近くで行政を」ということであった。もし衰退産業なら、実情をよく調べた上で、うまく他分野へソフトランディングを図ってゆかねばならないからだ。 飽きるほど見て、飽きるほど沢山の人から話を聞けば、何かがわかるだろうと思ったのである。こうして現在まで十年半に1960以上の工場を訪れ、工場の人々と話し合ってきた。
 飽きるほど・・と思ったが、ついに今日に至るまで、飽きることはなかった。
なぜなら、経営者も技術者も活気に満ち溢れ、技術開発も活発で、魅力一杯の人達ばかりであったからだ。
 これはよく考えてみれば当然であった。一流の大企業なら、ほっておいても人材が集まって来る。ところが中小企業はそうはいかない。大部分はの人は何かの偶然で入って来るのだ。たまたま集まった、粒ぞろいとは言えない人材を、教育し訓練し、やる気にさせるためにはオヤジに人徳が無いといけない。オヤジに人徳が無い会社は、従業員が引き留められない。そればかりでない。オヤジに人徳がないと注文も来ないし、銀行も金を貸さない。オヤジの個人的魅力と信用がない中小企業は、とっくに潰れてしまっているのだ。だからこそ、中小企業の経営者達は魅力一杯なのだ。
 もう一つ、私が工場訪問を幾らしても飽きなかったのは、どこの工場にも、人間の汗を感じさせる努力の跡が見られるからであった。千人の工場には「さすが大企業の実力は違う。」という先端技術が散りばめられている。百人の工場には百人の智恵とノウハウを感じさせる技術が結晶している。しかし何と言っても凄いのは、三十人の工場にも、いや、たった五人の工場ですら、「こいつはなかなか隅におけない!」という芸の細かい工夫があることであった。どんなに小さな工場も「芸コマ」の工夫をし、技術革新に乗り遅れないよう、社長からパートのおばちゃんまで、それぞれに懸命な努力を傾けていることを実感出来るからであった。日本の中小工場はまた、感動の製造工場でもあったのである。

 今まで、鋳物・鍛造・プレス・金型などの産業は衰退産業だと皆が思い込んで来た。ユーザーは、「発展途上国は安いぞ値段をさげろ」、「値段を下げないのなら内製するぞ」と脅し続けてきた。しかも、新聞は「海外生産で鋳物は空洞化する。」「発展途上国の追い上げで、鋳物業苦戦。」と書き立てる。これでは、独自の情報網を持たない鋳物屋さんが「衰退産業かな?」と考えても無理はない。
しかし、実際には違う。
 製品を作っているのは、設備でもなければ、技術でもない。「人」である。その「人」を最も大切にしているのが日本なのだ。だから知識・技術レベルは同じでも、物作りの「まごころ」と「辛抱」の部分で、日本はどこの国に対しても圧倒的優位に立ってしまうのだ。
 近年新人類などという言葉をマスコミが使うものだから、「近頃の若い者は働かない」というのが常識のようになっているが、かなり多くの鋳物工場の社長さんから「汚い現場にいる労働者ほどやめない」という素敵な話を聞いた。今なお日本の若者のモラールは、どの国に比べても高く、辛抱強く、まごころを込めて製品を作ることを厭わない。だから、海外とのちょっとしたコスト差などすぐぶっ飛ばされてしまうのだ。

 日本の「モノ作りの心」「まごころ」は世界の財産だ。中小企業は、資金力、人材などで、なかなか海外進出しにくいが、物作りの魂を世界に伝えるために、ぜひ海外に出かけてもらわなければならないと私は思う。

 先進国から締め出され、発展途上国に追い上げられ、ユーザーに虐められ、正に三重苦にあえいでいると思われていた機械の基礎部品を担う中小企業は、実は日本最強の産業の担い手であり、世界の機械工業の為に日本の真心を伝える崇高な義務を負った伝道師だったのである。
まさに日本の中小企業は日本のまごころであり、世界の宝なのである。



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