3年生に進学した6月から、東大医学部闘争というのがはじまり、授業をやっているとヘルメットをかぶった過激派がなだれ込んできて、先生を追い出し、「学友諸君!君たちはこのような社会情勢の中で、ぬくぬくと生活していてよいのか!」とアジ演説を始めるので、授業が成り立たず、3年生、4年生のほぼ全期間を通じて、授業は殆どなかった。もともと学校に滅多に行かない人だったが、授業が無いのだからますます行かなくなった。
 それでも就職活動は通常通り行われ、私もどこかに就職しなければならない。
そのときは、公務員になろうとは全然思わなかった。 父が公務員で、安月給だった(当時は「公務員の給料は、民間の半分くらい」というのが常識だった)と聞いていたこともある。
 おまけに私が卒業した年=1969年は安田講堂事件の年で、同年1月18日19日と、全共闘と警官隊との間で派手な攻防が繰り広げられたくらいなもので、「公務員になるなんて!」という雰囲気も横溢していた。
 
 大学院は成績が悪くて入りそうにないし、「学問」とはもともと非常に遠いところで生活していたので、諦めた。というより、最初から選択肢に入っていなかった。
 精密機械工学で、製図は決してきらいではなかったのだが、「一生図面を引いて暮らすのもどうも面白くなさそうだな」という思いもあった。大工仕事というダイナミックな作業を経験すると、どうも小さな機械を設計するというようなことは、ぴったりこない。
 そこで、公共性が高く、社会の役にたって、しかも機械系の人間の希少価値がある職場ということで、某大企業に就職試験を受けに行った。当時は売り手市場で、よほどのことがなければどこでもとってくれた時代だったから無事合格して、「卒業後は必ず貴社に入社します」という念書を出した。

 ところで、大学を卒業するにしても、全国の大学生の中で学力的にどのくらいの位置にいるのかに興味があった。高校生の時は「蛍雪時代」の全国模擬試験があり、全国的にみた自分の位置が分かっていた。
 ところが、大学卒業者にはこのような全国テストがない。そこで全国的な自分の位置を知るために国家公務員試験を受けた。これは純粋に自分の相対的位置づけを知りたい_という目的であった。
 ところが驚いたことに、結構上位で合格してしまった。
 当時は全共闘の時代で、「公務員になるような奴はロクなもんじゃない」という風潮があって、優秀な人が受験しなかったためなのか、その辺はよくわからない。
 殆ど大学には行かず、勉強もせず、毎日を大工仕事で暮らしていた割には、結構な上位成績で合格してしまい、志願すれば公務員になれるという条件は整ったが、それでも、公務員になる気は全く無かった。
 だから、「希望省庁を書いて提出しなさい」という書類も提出しなかった。

 ところが、そんな日にMという先輩から電話があった。彼は精密の1年先輩で通産省に入っていたのだが、「ぜひ面接試験に来て欲しい。就職しなくてもいいから……」というのだ。恐らく人事担当者が公務員試験の成績上位者に電話を掛けさせていたのだろう。
 そこで、「まあ、それで彼の顔がたつのなら……」というわけで出かけてみた。
 面接をしてくれたのは当時秘書課長補佐の福原元一さん(昭和29年入省 故人)だったのだが、非常に熱心に誘ってくれて、「君、就職はどうなっている?」と聞くので「○○という会社に決まっていて、必ず入社するという誓約書を出しています」と返事をしたら、「担当は堤さんだな。じゃあ俺が断ってやるよ」と、何と目の前で電話をかけはじめた。
 「橋本君というのが、入社予定らしいが、うちで貰う事にしたから、悪いね」というような、電話だった。「わしゃ、通産省に入るとは言うとらんがな!」と吃驚もしたのだが、「どうせ○○社に決めた理由だって大したものではないし、そこまで熱心に言う人がいるのならそれはそれでいいか!」と思ったのも確かだ。 更に言うならば、」精密機械工学科というのは元は造兵学科と称し、兵器を作る学科で、戦後は工作機械の研究をもっぱらしていたのだが、当時日本の工作機械は欧米に比べ比較にならないくらい遅れており、歯がゆい思いをしていた。
「もしもワシが通商産業省に入れば、日本の工作機械の技術水準を欧米に肩を並べるところまでは行くはずもないが、足下に少し近寄せる位のことはできるかもしれない」とも思った。

 尊敬していた高校の先生も「そらお前、○○よりは通商産業省の方がいいぞ」ということなので、「まあ、どうせ人生万事塞翁が馬、風に吹かれるままになってみるのも一興だ」と、相当いい加減に通商産業省にきまってしまった。
 もっとも、入省してみたら、そもそも私に電話をかけてきたM氏自身が辞めていてびっくりした。 ちょうどその年(1968年)彼の所属していた課で汚職事件があり、逮捕者が出たりしたので、嫌気がさしたのだろう。
 
 いずれにせよ、この時、私を通商産業省に採用してくれた人々には、いくら感謝してもしきれない。
 入省した当初多くの先輩に「お前はいいとこに就職したよ。こんなに面白いことをやらせてもらって、その上給料まで貰えるんだから!」と言われ、「そんなこともないんじゃないか」 と当初思ったが、今振り返ってみれば、実際にそういう気持ちがする。本当に良い就職先に入れてもらったと心から感謝している。

 仕事は面白かったし、良い上司がいたし(そうでないのもいましたが……)基本的には与えられたほとんどすべての仕事にめり込むことができた。
 約2年おきにポストを変わったが、どの課でも、「もう少し長くこの課にいて仕事がしたいな」と思っていた。
 非常に幸せなことだったと思う。