BH鰤伝説 常盤響

1981年8月号エンピツ賞審査員特別賞
 横田順彌賞
「PENGUINNING (ペンギニング)」

 ヒタ・ヒタ
 今日もペンギンはペンギンしている。
 ヒタ・ヒタ
 ああなんと悲しい音。
 ヒタ・ヒタ
 暑い夏を。
 ヒタ・ヒタ
 〜中略〜
 ヒタ・ヒタ
 巨大な海へ!

 ヒタ・ヒタ
 今日もペンギンはペンギンしている。
 ヒタ・ヒタ

1981年10月号新人競作シリーズ

「私的エンピツ・ショー」
常盤響(15歳)

↑第12回エンピツ賞横田順彌賞受賞後に書き下ろしてもらった作品。初の原稿料をこの仕事で手にしたはずだ。内容は、(おもろい中学生)、(“評論“高井式政治のあり方)、(“創作”もう、けっこうです)の3ショートショート。

1982年2月号コンポ

自宅 M=弟 (6歳)P=常盤響(15歳)

1982年3月号コンポ

常盤家食堂  M=奏(7歳)みずえ(12歳)ふたば(9歳)P=常盤響(15歳 )

1982年3月号ドンブリ演出学優秀顔
<すっぱい顔>

常盤響(神奈川県)15歳

1982年5月号ドンブリ演出学
<セクシーな顔>


常盤ふたば (9歳)常盤響(15歳 )常盤奏(6歳)

↑ドンブリが得意だったようだ。特に兄妹ドンブリ。
童顔で千代の富士に似ていたので、ハウサーからはちよと呼ばれていた常盤くんも、今では売れっ子グラフィックデザイナー。ギャルの写 真集も得意なのは、この頃から年下の扱いに慣れていたためか?

1982年6月号パロディコマーシャル

常盤響 神奈川県川崎市(15歳 )

1982年8月音版ビックリハウス
BH声優劇団として声の出演


エンピツ賞ドラマ『流血』阿部役
常盤響(阿部 )高1

↑この写真はカセットについている豆本に掲載されてる。なべぞのようなイラストレーターになりたいと書いてある。

1982年7月号メディアジャパン御意見箱シリーズ2<僕、私の結婚観>

私のよーな若造が“結婚“などというと、反感を持つ人もいるでしょーけど、あえて言うと私は “結婚”をしたいし、したくないのである。例えば“結婚”をすると、仕事や好きなことが、めいっぱいできなくなるということがある。でも、金もーけのために生まれたんじゃないので “結婚”するとまた楽しいかな、と思ったりする。だから、私の望むところは、お互いにかんしょーしすぎないのがEです。でも“結婚”すると、子ぼんのうな、ヘンよいおじさんにないそう)。とにかく、ビンボーでも笑って死ねるよーな生活がしたい(ホントはお金だってほしいんだ!!)。でも、私は私、君は君なのだから、みんな適当に“結婚”したりしなかったりしなさいね。神奈川県 常盤響(15歳 )

1982年9月号エキサイティングコンポ

かなめゆうじの部屋
M=かなめゆうじ、常盤響 P=小林勉

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